第19話 契約
宿に戻ったのは夜になってからだった。
ミラが全員の傷の最終確認をした。自分の腕の痣を、オズが心配そうに見ていた。
「大丈夫です。骨には異常ありません」
「痛そうですが」
「打ち身です。2日もあれば引きます」
ミラがナナを見た。
「助けて頂き、ありがとうございます」
ナナは少し間を置いた。
「礼はいりません。止められなかっただけです」
「いいえ。それでも、助かりました」
ミラが頭を下げた。
ダリオが部屋の隅で腕を組んでいた。ジャックは珍しく黙っていた。オズが帳簿を見るふりをしていた。
誰もあの時のことを口にしなかった。
リーゼが言った。
「今夜は休め。話は明日でいい」
「いいえ」
ナナが言った。
「今夜、話します。全員に」
リーゼが少し目を細めた。
「全員にか?」
「はい。見ていた全員に説明する義務があります」
ダリオが顔を上げた。
「……聞かせてもらおう」
食堂を借りた。17人が集まった。
ナナは立って話した。
「今日、見ていた通りです。私は魔王です」
誰も言葉を挟まなかった。
「第七魔王、ナナミア=ヴァル=ミリス。それが私の本当の名前です」
静かだった。
「黒い霧——あれは魔王化と呼ばれる状態です。普段は指輪が抑えていますが、感情が高ぶると意図せず発動します。今日はミラが掴まれた瞬間に、止められませんでした」
ナナはミラを見た。
「仲間が傷つくことに、私は必要以上に反応します。それがこの力の引き金になります」
「魔王化した後、私は30分で限界を迎えます。その後は意識を失います。無防備になります」
グリムが少し眉を上げた。
「意識を失う、か」
「はい。その間の護衛をどうするか、今後決めておく必要があります」
グリムがリーゼを見た。リーゼが頷いた。
「分かった。後で話し合う」
「これが私の正体です」
ナナは全員を見回した。
「知った上で、一緒にいるかどうかは各自が決めてください」
沈黙があった。
最初に口を開いたのはサルだった。
「魔王が団長か」
「はい」
「……で、俺たちはどうすればいい?」
「何もしなくていいです。今まで通りで構いません」
「今まで通りって——魔王の部下ってことだろ?」
「黒い翼の仲間です。それ以上でも以下でもありません」
サルが少し黙った。
「嫌とは言っていない。ただ——」
「確認したかっただけですか?」
サルがナナを見た。
「……ああ」
ジャックが口を開いた。
「俺は別にいい。魔王でも団長は団長だろ。今日でそれは変わってないし」
カイルが頷いた。
「そうだな」
ダリオが腕を組んだまま言った。
「リーゼ」
「何だ?」
「驚いていないな」
リーゼが少し間を置いた。
「……驚いている。顔に出さない方だ」
「そうか」
ダリオがナナを見た。
「俺は驚いた」
「はい」
「魔王だから従うつもりはない。お前が信用できると判断したから従う。それだけだ」
「分かっています」
「それでいいなら、俺はここにいる」
オズが静かに手を挙げた。
「1つ聞いていいですか?」
「どうぞ」
「魔王化は今後も起きますか?」
「起きると思います。今後は発動前に伝えられるよう努力します」
「了解しました。運用上の注意点として記録しておきます」
ミラが小さく笑った。誰かがそれにつられた。空気が少し緩んだ。
ナナは全員を見た。
「もう1つ、話があります」
空気が引き締まった。
「魔王契約について、です」
グリムが少し目を細めた。
「契約?」
「魔王は仲間と契約を結ぶことができます。契約した者には魔王の魔力が付与され、身体能力が上がります。ただ——」
ナナは少し間を置いた。
「私が死んだ場合、その力は消えます」
誰も何も言わなかった。
「強制ではありません。望む者だけが結べばいいと思っています。契約には条件があります」
「条件は?」
ダリオが聞いた。
「4つです。私が皆さんの生存を最優先にすると誓う。皆さんは魔王としての私の判断に従うと誓う。互いに秘密を守ると誓う。魔王の名のもとに黒い翼として戦うと誓う」
沈黙があった。
グリムが言った。
「お前から誓うのか?」
「はい。私が先に誓います」
「……分かった」
「契約は強制しません。今夜考えて、望む者だけ残ってください。断っても、黒い翼に残れます」
ナナは立ち上がった。
「少し外に出ます。10分後に戻ります」
食堂の外、宿の裏手に出た。
夜風が冷たかった。
前魔王が言った。
『契約を結ぶつもりか?』
(そうだ)
『16人全員か?』
(望む者だけだ)
『……我の時代は、契約など結ばなかった。1人で全部やろうとした』
(それで孤独だったのか)
少し間があった。
『そうだな。お前は違うやり方をする』
(前魔王が書いた魔王概論に、仲間を作ることを選んだ魔王が長く生きたと書いてあった)
『……我が書いたことか。我ながら正しいことを書いた』
(そうだ)
10分が経った。
食堂に戻った。
16人、全員が残っていた。ナナを除く16人が契約を結ぶことになる。
ナナは少し間を置いた。
(全員か)
前魔王が言った。
『……全員だな』
(そうだ)
ナナは全員の前に立った。
「全員、残ってくれたのですか?」
ダリオが言った。
「当たり前だろう」
ジャックが笑った。
「誰が帰るか」
サルが腕を組んだまま言った。
「確認が済んだ。残ると決めた」
ナナは少し間を置いた。
「……ありがとうございます」
「礼はいい」
リーゼが言った。
「始めよう」
ナナは右手のひらに魔力を集めた。
光ではなかった。ただ、手のひらが少し温かくなった。黒い霧とは違う、静かな魔力だった。
「私が先に誓います」
声が変わった。魔王化ではなかった。ただ、低く、はっきりとした声になった。
「我、ナナミア=ヴァル=ミリスは第七魔王として誓う。ここにいる全員の生存を最優先にする。それが我の責務だ」
誰も動かなかった。
「次に、契約を結ぶ者は私の手に触れてください。1人ずつ」
最初に前に出たのはグリムだった。
グリムがナナの手に触れた。
温かさが流れた。グリムが少し目を細めた。
「誓う。魔王としてのお前の判断に従う。秘密を守る。黒い翼として戦う」
グリムが手を離した。
次にリーゼが来た。
「誓う」
短かった。それだけだった。
ダリオが来た。
「俺が従うのは魔王としてのお前じゃなく、団長としてのお前だ。それでもいいか?」
「構いません」
「なら誓う」
ダリオが手を離した。
オズが来た。帳簿を脇に抱えたまま来た。
「誓います。……戦えませんが」
「戦えなくていいです。数字を見ていてください」
「……はい。誓います」
ミラが来た。
「誓います。助けてもらった分、返します」
「返さなくていいです」
「返します」
ミラが微笑んで手を離した。
ジャックが来た。
「誓う! ……って、何か言葉があるのか?」
「言葉は自由です」
「じゃあ——誓う。精一杯やる。それだけ」
ジョンが来た。何も言わなかった。ただ、手に触れた。それだけだった。
レンが来た。ナナの前に立った。少し間があった。
「死ぬな」
「……はい」
「死んだら力が消えるんだろ。死ぬな」
「死にません」
レンが手に触れた。それだけだった。
カイルが来た。サルが来た。残りの者が来た。
1人ずつ、触れた。
16人目が手を離した。
ナナは手のひらを見た。温かさが残っていた。
前魔王が言った。
『16人、か』
(そうだ)
『……我の時代には、なかったことだ』
(そうか)
『羨ましいとは思わない。ただ——』
(ただ?)
『悪くない光景だ』
ナナは少し口の端を動かした。
グリムが言った。
「終わったか?」
「はい」
「なら飯にしよう。腹が減った」
ジャックが笑った。
「副団長、空気読めよ——って、俺も腹減ったけど」
ダリオが短く言った。
「食え。それだけだ」
食堂が動き始めた。椅子を引く音がした。誰かが宿の主人に追加の料理を頼んだ。
ナナは席についた。
17人分の声が食堂に満ちた。
前魔王はもう何も言わなかった。
ただ、静かにそこにいた。




