第18話 黒霧
昇格試練の依頼書は、当日の朝にベラから手渡された。
「グレンフォードの東、廃村近くに巣食う怪物の討伐だ。数は不明。3日以内に完了すること」
「怪物の種類は?」
「教えない。それが規定だ」
「分かりました」
ナナは依頼書をリーゼに渡した。リーゼが確認した。
「廃村か。建物が残っていれば地形が使える」
「そうですね。全員で行きましょう」
リーゼが少し目を細めた。
「17人全員か?」
「はい。試練の内容が分からない以上、戦力を分散させる理由がありません」
ダリオが腕を組んで言った。
「怪物の数が不明というのが気になる。大量発生の可能性もあるな」
「その通りです。オズとミラは後方に下がってください。ジャックとジョンは前衛が動く前に地形を確認してください」
「分かった」
ジャックが軽く手を挙げた。
廃村まで半日だった。
街道を外れて獣道に入った。木々が密になった。廃村が見えてきた。
石造りの建物が数棟、崩れかけて立っていた。雑草が伸び放題だった。井戸が1つ、蔓に覆われていた。広場の石畳が割れていた。
ジャックとジョンが先に入った。10分ほどで戻ってきた。
「建物の奥に何かいます。臭いがきつい。数は——5頭か6頭」
「種類は?」
「大きい。クマより大きかった」
「毛の色は?」
「黒い。顔が——人の顔に似ていた」
前魔王が言った。
『オーガか。厄介だな。集団行動をする。指示系統がある。一番大きいのがリーダーのはずだ』
(なるほど。ではリーダーを先に倒す)
全員に説明した。
「オーガです。知性があります。リーダーを倒せば群れが崩れます。グリムとリーゼが前衛。レンとジョンが遠距離支援。残りは側面を固めてください。オズとミラは廃村の手前で待機」
「リーダーの見分け方は?」
ダリオが聞いた。
「一番大きい個体です」
「分かった」
配置についた。
廃村の広場に出たとき、オーガが6頭いた。
ジャックの言った通りだった。クマより大きい。人の頭2つ分以上の高さがあった。黒い毛。人に似た顔。目が小さく、額が広く、牙が剥き出しだった。
中央の1頭が明らかに大きかった。他の個体より頭一つ高かった。腕が太かった。あれがリーダーだろう。
リーダーがこちらを見た。
低く唸った。
それが合図だった。残り5頭が動いた。
「グリム、左の2頭。リーゼ、右の2頭。レンとジョン、足止めを頼みます。私がリーダーを取ります」
グリムが左へ走った。リーゼが右へ動いた。
リーダーが向かってきた。
速かった。あの体格でこの速さは想定外だった。ナナは後退しながら風を叩きつけた。リーダーが一瞬止まった。その間に炎を集めた。密度を上げて、小さく絞った。
放った。
リーダーの右肩に当たった。焦げた匂いがした。リーダーが唸った。止まらなかった。
(効いていない)
皮膚が厚い。通常の魔法では時間がかかる。
土を盛り上げた。足元に段差を作った。リーダーが躓いた。前のめりになった。その瞬間、左から大剣が来た。
グリムだった。左の2頭を1頭は倒し、1頭は脚に重傷を負わせてからリーダーに向かっていた。
グリムの大剣がリーダーの左腕を叩いた。骨が砕ける音がした。リーダーが吠えた。
レンが矢を放った。首に刺さった。
リーダーが膝をついた。グリムがとどめを刺した。
リーダーが倒れた後、残りの個体の動きが変わった。統率が崩れた。ばらばらに動き始めた。リーゼとダリオが2頭を仕留めた。レンとジョンが1頭を止めた。残り1頭がナナに向かってきた。
風で吹き飛ばした。壁に叩きつけた。動かなくなった。
6頭、全滅。
グリムが荒い息をついた。
「終わったな」
「はい。怪我の確認をしてください」
各自が確認した。軽い擦り傷が数人。深刻な怪我はなかった。
(よかった)
ミラが走ってきた。傷の処置を始めた。手が速かった。
ナナはベラへの報告書を頭の中でまとめ始めた。
その時、廃村の外から声が聞こえた。
複数の足音だった。装備の音がした。
ジャックが振り返った。
「人間です。武装しています。——10人以上」
男が1人、廃村の入口に立った。
30代後半。傷だらけの顔。大剣を肩に担いでいた。後ろに男が10人並んでいた。全員武装していた。
「やあ。運がいいな、昇格試練が終わった直後か」
男がにやりと笑った。
「俺たちは狼牙だ。この辺りの縄張りを仕切っている」
(聞いたことがない。態度から見て傭兵崩れか盗賊だ)
「通行人に用はありません」
「あるんだよ。お前たちの依頼報酬と、ついでに荷物一式をもらっていこうかと思ってな」
リーゼが前に出た。
「何人いると思っている?」
「17人か。俺たちは11人だ。だが——」
男が指を鳴らした。
廃村の外から、別の男が現れた。
ミラの腕を掴んでいた。
(いつの間に)
「処置に出ていたところを捕まえた。大人しくしてくれ。でないとこの女が——」
「離せ」
ミラが言った。静かな声だった。震えていなかった。
「離すわけないだろ。怖くないのかよ?」
「怖い。でも……」
男がミラの腕を強く引いた。ミラが顔をしかめた。
その瞬間——
ナナの視界が変わった。
(……)
何か、引き金を引いたような感覚だ。
前魔王が言った。
『ナナ』
(大丈夫だ)
『指輪がある。抑えられる』
(分かっている)
分かっていた。
分かっていたが——
ミラが腕を引かれて、痛そうな顔をしていた。
それだけだった。それだけのことだった。なのに——
(……我慢できない)
『ナナ』
前魔王の声が遠くなった。
胸の奥で、何かが動いた。扉のようなものが、内側から押し開けられた。指輪が抵抗した。熱くなった。それでも、開いた。
額が熱かった。
視界が変わった。
世界が、違う色になった。
最初に気づいたのはグリムだった。
ナナの額に、黒い幾何学模様が浮かんでいた。蒼かった瞳が、黒くなっていた。
「ナナ——」
ナナが一歩前に出た。
その瞬間、廃村の空気が変わった。
重くなった。
黒い霧が、ナナの足元から滲み出た。地面を這い広がっていく。音がなかった。
狼牙の男が顔色を変えた。
「な……何だ、これは?」
黒霧が広場を覆い始めた。温度が下がった気がした。
ナナが口を開いた。
声が変わっていた。低く、響いた。廃村の石壁に反射した。
「我は第七魔王ナナミア=ヴァル=ミリス」
誰も動かなかった。
「その手を離せ」
ミラを掴んでいた男が、手を離した。意識して離したのではなかった。体が勝手に動いた、という顔をしていた。
「お前たちに選択肢を与える。今すぐ立ち去るか、ここに留まるか。留まるなら——」
黒霧が濃くなった。男たちの足元まで来ていた。
「後悔を与える」
男が1人、武器を落とした。音がした。
それが合図になった。
狼牙の11人が、走った。来た方向へ。振り返らなかった。叫ぶ者もいた。ただ走った。
10秒もかからなかった。
廃村に、黒い翼の17人だけが残った。
黒霧が引いた。
ゆっくりと、ナナの足元に戻っていった。消えた。
ナナの額の模様が薄くなった。瞳の色が戻った。
一瞬だけ、口角が上がった。本人は気づいていなかった。
膝が笑った。
ナナはその場で膝をついた。グリムが素早く支えた。
「ナナ」
「……大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろう」
「大丈夫です。少し——疲れました」
グリムがナナを支えたまま、周囲を見た。
17人が全員、こちらを見ていた。
誰も何も言わなかった。
ジャックが口を開きかけて、閉じた。
ダリオが腕を組んだまま立っていた。表情が読めなかった。
オズが帳簿を胸に抱えて、小さくなっていた。
ミラが腕を押さえながら、ナナを見ていた。心配そうな顔だった。
リーゼが前に出た。
「説明が必要みたいだな?」
ナナを見た。
「……はい。ただ、今夜にしてもらえますか。今は少し——」
「分かった。宿に戻ろう。話はその後だ」
リーゼがダリオを見た。ダリオが頷いた。
「撤収するぞ。全員、怪我人を確認して動け」
紅き牙が動いた。いつもの動きだった。動揺を押し込んで、仕事をしていた。
グリムがナナを支えたまま歩き始めた。
「歩けるか?」
「歩けます」
「支えていていいか?」
「……ありがとうございます」
グリムが黙ってナナの脇を支えた。
レンが反対側に来た。何も言わなかった。ただ、隣を歩いた。
前魔王が言った。
『……発動したか』
(ああ)
『指輪が抵抗したが、抑えきれなかった』
(分かっている)
『ミラが掴まれた。それが引き金か?』
(たぶんな)
『……お前は思ったより感情的だな』
ナナは少し間を置いた。
(そうかもしれない)
『悪いことではない。次は制御できるようにしろ』
(分かっている)
『……分かっているならいい』
前魔王はそれきり黙った。
グレンフォードへの道が続いていた。
夕暮れが始まっていた。
グリムが静かに言った。
「今夜、話してくれるんだな?」
「はい」
「全部でなくていい。話せることだけでいい」
ナナは少し間を置いた。
「……全部、話します」
グリムが何も言わなかった。
ただ、支える手が少し強くなった。




