第一話「残業帰りに召喚されて」 7
案内されたのは、小綺麗な喫茶店だった。レジスターを初めとした電化製品の類は全く置かれておらず、色彩豊かな絵画や観葉植物の鉢などが至る所に飾られている。現代的な物品が影も形も見当たらないせいか、店内は素朴な雰囲気に包まれていた。昼時らしく、適度な間隔をおいて配された木製テーブルの殆どで、客達が料理や飲み物を嗜みながら談笑している。
「ここの紅茶、スゴく美味しいんですよ。僕オススメの店です」
ウェイトレスに案内されている途中、振り返ったミナーシェは穏和な微笑みを浮かべて言った。ワタシ達があてがわれたのは入り口から遠い窓側の場所だった。彼が先導役の彼女に『今日は窓際の席にしてもらえないか』と頼んだ為だ。その時の会話の様子から察するに、どうやら二人は顔見知りらしかった。気に入っている店と言っていたので、ミナーシェは何度も足を運んでいるのだろうし、きっとその縁に違いない。
卓上に水の入ったコップを置きながら、店の制服に身を包んだ女性はワタシにチラッと視線を向けてきた。その値踏みするような、それでいて明らかな警戒心のこもった眼差しに、ワタシは彼女の心境を何となく察する。
「彼女は新しく加わった隊員なんだ」
ワタシと同様に彼女の気持ちを理解しているかは定かではないが、対面に座る青年は朗らかな調子で口を開いた。
「都に来てまだ間もないから、なるべく早く慣れるように景色を見せてあげたいなって思ってね」
「ああ、そうだったんですか」
彼の言葉を聞いて、接客業に勤める者特有の少し高めな声質で応答した彼女の瞳から、先ほどまでの刺々しさがだんだんと抜けていったのが目に見えて分かった。
「ありがとう。いつもお疲れさま」
ミナーシェの労いに深くお辞儀をして去っていく彼女の頬は、ほんのりと桜色に染まっていた。
「さて、と。マナミさんは何か食べたいものあります?」
「え、んーっと」
通路に送っていた視線を向かいに戻すと、彼はいつの間にかメニュー表を手にとっていた。同じものがワタシの手元にも置かれていたので、それを取って眺める。異世界ではあるものの、書かれていた品は現代とさほど変わらなかった。サンドイッチやクロワッサン等の小腹を満たす食べ物、ケーキやパフェ等のデザート、オレンジジュースやコーヒー等のドリンク。ゾンビの丸焼きのようなおどろおどろしいメニューはざっと一見した限りでは見当たらなかったので、ワタシは心の中でホッと安堵の息をついた。
と同時に、一つの疑問が脳裏をよぎる。
――あれ、ちょっと待って。
「……あの、どうしてワタシ、この世界の文字が読めるんですか?」
そう。広げた表に書かれている文字は、当たり前ながら日本語では無かった。紛れもない異世界の言語。しかし、何故かワタシは明らかに見覚えのない文章をすんなりと解読出来ていたのだ。よくよく考えると、今まで言葉が普通に通じていたのもおかしな話だ。
「ああ、その事ですか」
ミナーシェはメニュー表から顔を上げると、あっさりとワタシの質問に答えた。
「それは多分、マナミさんの受けた召喚術の影響ですよ」
「へえ、そうなんですか」
「はい、ルトレーからそういった種の記述があると聞いていましたから。もしかすると、他にも色々と変化があるかもしれません」
「えっ、色々って……」
「何分、あまりに古い文献だったらしいので、城の魔術師達でも完全に術式の意味を解読出来ていないみたいなんですよ」
――それって要するに、何かヤバい魔法がワタシにかかってるかもしれないって事じゃない。
得体の知れない力が自分の体に働いているかもしれないと思うと、背筋がゾッとした。一方、彼の方は一切不安を感じていない様子で、
「どうです? 注文決まりました?」
と、問いかけてくる。
「あ、もうちょっと待って下さい」
ワタシは慌ててメニューに目を凝らして、
「じゃあ……チーズケーキと紅茶で」
通りがかったウェイトレスにミナーシェが二言三言伝えると、程なくして二人分の食器が運ばれてくる。彼が注文したのはシナモントーストと紅茶だったらしい。
「じゃ、まず食事を済ませてしまいましょうか」
という彼の言もあり、しばらくは他愛もない雑談に興じつつ食事を進める時間が続いた。ケーキの味わいは上品で口どけもよく、会社帰りのスーパーで買った菓子ばかり摘んでいたワタシの舌をこの上なく喜ばせた。仕事に追われていたせいでコーヒーばかりを愛飲し、紅茶という、何となく優雅な午後のイメージを抱かせる飲み物にはとことん縁のない生活を送っていたのだが、いざ口にしてみると、甘美な香りと仄かな渋みが素晴らしい。見た目に違わず、ミナーシェの食に関するセンスはなかなか良い線をいっているようだ。
――これで、着ているものがもうちょっとスマートなら完璧だと思うのに。
「ん、どうかしましたか?」
「……あっ! いえ、何でもないです」
物思いに耽っている最中、無意識のうちに彼の事をじーっと凝視していたらしい。ワタシは頬に熱のこもるのを感じつつ、急いで頭を小さく振った。するとミナーシェは空になったケーキの食器に視線をやって、
「そうですか……では、そろそろ本題に入りましょうか」
と、丁寧な口調に若干の真剣みを含ませて告げる。その物言いに、すっかりリラックスしてしまっていたワタシの体に、再び緊張が戻った。
「マナミさんが知りたいのは、どうして王家に仕える僕達エリュシールの人間と、同じくアーゼンロイス王国に忠誠を誓う騎士団の方々は犬猿の仲なのか、って事ですよね? 簡単にいうと、それは僕達が『余所者の寄せ集め部隊』だからなんです」
「余所者の、寄せ集め部隊?」
「はい」
ミナーシェはティーカップを手にとって紅茶を一口飲み、落ち着いた素振りで再びソーサーの上に戻した後、ワタシの目を真っ直ぐに見つめて話を続けた。
「昨日もチラッと説明したかと思いますが、エリュシールは戦争の脅威に備える為に創設されました。これには自国の戦力を増強すると同時に、未だ他国に雇われていない凄腕の戦士達を手中に収めておくという意味合いもありました。そんな経緯もあり、隊員はその殆どが国外の人間なんです。一方、アーゼンロイス騎士団に所属しているのは、先祖代々で王と国に仕えた高貴な血筋を引く騎士達が多数を占めています」
「じゃあ、ミナーシェさんやゼルリックさんも、別の国から来たんですか?」
「いえ、隊長はれっきとしたこの国の人間ですよ。それも、先ほど話に出てきた高貴な血筋を引く家柄の出身ですし、その武勇から騎士団の者達からも高い尊敬を集めています。僕やフーレンスさんは確かにアーゼンロイス王国出身ではないですけれど」
その発言を聞いて、ワタシは自然と首を捻っていた。
「……え? それじゃあ、さっきの話っておかしくないですか?」
指揮官は騎士団の人々から認められているのに、部隊自体に関しては白い目で見られている。その点がどうにも不可解に思えたのだ。
「んー、そこの所は説明が難しいんですけど」
と、ミナーシェは困ったような笑みを浮かべて、
「えっと、そうですね……騎士団の皆さんは、たとえ隊長がゼルリックさんであったとしても、その他大勢は『所詮烏合の衆』と考えているわけです。いつ裏切られるか分かったもんじゃない、と」
「それにしたって、仲間にさっきみたいな言い方って……」
外で遭遇した兵士達の嘲りの込められた発言が、脳内で再生される。だが、目の前の彼は小さくかぶりを振って、
「いえ、そんな不思議って事でもないんです。元々、城の人間達からも僕達は警戒されていますから……ほら、エリュシールの本部が城内ではなく町の外れに存在しているのも、実をいうと同じような理由からなんです」
「あ……」
そうだ。昨日も気になっていた。王家に仕える特殊部隊の本拠地が、どうして彼らの住まう城に存在しないのかと。
裏切りを警戒している、から。完全な信頼を受けていない、から。
「まあ、早い話が『切りやすい使い捨ての駒』ってわけです……僕達は」
穏和な笑顔を崩さずに言葉を発した青年の表情には、その胸の内に秘められた自虐の感情がうっすらと浮かんでいた。