第一話「影の残滓」 1
仄かに鋭い一陣の夜風が、路地の一角を吹き抜けていく。
季節的には春とはいえ、王都アズレードはまだ、厳しい冬の残滓を多分に残していた。
「うう……まだ、全然寒いわね」
寒気に身を震わせながら、ワタシ――日山マナミは両手で身を庇った。すっかり冷たくなった真紅の鎧に腕が触れ、微妙に手の組み方をずらす。
「土地柄の関係上、ここの夜は季節関係なく冷え込むからな」
並んで石畳の上を歩いている青年が、軽く肩を竦めながら笑った。精悍な顔つきの男で、ワタシと同じく真紅の鎧を着用していて、背には鉄製の大剣を帯びている。身長は高く、装備に覆われた体格は筋骨隆々としており、まさに歴戦の傭兵といった印象だ。
「エルッグは寒くないの?」
「ああ、傭兵育ちで、嫌が応でも鍛えられた……マナミにはキツいみたいだな。前に住んでいたところは、もっと暖かかったのか?」
「そうね。気候はあまり変わらないけど、この国に比べれば温暖だったと思う」
――冬用の服はちゃんと防寒性に優れていたし、家に帰れば暖房と炬燵が待っていたしね。
故郷での生活を思い返しながら、心中で呟く。ワタシはこの世界――カルデミアという名だーーの人間ではない。れっきとした日本人、つまり異世界人だ。尤も、ワタシにとっては、カルデミアの人々が異世界の人達に当たるのだけれど。
「へぇ……そういえば、お前の元いた世界って、この世界とはだいぶ違うんだよな。どんな所なんだ?」
「どんな所……うーん」
――機械や電気に支配される高度情報化社会をどのように説明すればよいのかしらね……。
「生活様式とかは全く違うけど、本質的にはこっちと大差ないと思う」
暫く悩んだ後、文明の違い等に関しては省略する事にした。肩を竦めながら、日本の現状について語る。
「一部の偉い人と政治家が国を治めてて、その下に労働する一般庶民が沢山……って感じでね。ま、どの世界でも、世の中ってのは大差ないんじゃない?」
「ふーん、そういうもんか……」
他愛もない会話を交わしながら、街中を進んでいく。最中、周りの景色に目を向けた。近代的な建物で溢れかえる日本の町並みと異なり、この国ーーアーゼンロイス王国の景観はまるで中世ファンタジー小説のようだ。古めかしくも風情のある石畳の道。通りに沿うようにして雑多の商店が立ち並び――尤も、酒場等を除いて殆どは店仕舞い中だが――また別の通りには町民の住宅が列を成し、静かな休息の時に包まれている。遠くには、王都全体を覆う街壁が見受けられた。
――最初のうちは新鮮味があったけど、すっかり慣れちゃったわね……もう、どれくらい時が経ったかしら。
ふと異世界に順応しきってしまった自分を意識し、感傷的な気分に浸っていた最中、
「街中には、特に異常は見られないな」
エルッグの声が、ワタシを現実に引き戻した。気を取り直して、彼の問いに同意の頷きを返す。
「そうね。徘徊してる人も全く見かけない」
「『王都襲撃勢力の残党が徘徊してるから、夜間の外出は自粛するように』との通達も出てるしな。命安全でいてくれるのは何よりだ。ちゃんと引きこもって大人しくしてくれれば、俺達も仕事がやりやすいしよ」
「ただ、酒場の類がまだ営業してるのが気になるわね。早く店仕舞いしてくれればいいのに」
「あちらさんも商売なんだ。仕方ないさ」
エルッグは肩を竦めた。
「それに、こんな深夜だ。飲んだくれている奴の殆どは旅人か傭兵と相場が決まってる。自分の身くらい自分で守れるだろ」
「中には、やけ酒とかしてる一般人もいると思うけど」
「ま、注意勧告がされてる以上、後は自己責任ってヤツさ……しっかし。こんな真夜中に街の巡回とは、国の連中も人使いが荒いよな。全く」
凝りを解すように、エルッグは肩を交互に回した。
「仕方ないわよ。通報があったんだから。それに、ただでさえ人手不足の状況で、動けるのはワタシ達だけだったし」
「全く、影の後継者にも困ったもんだぜ。この期に及んで俺達の足を引っ張りやがる」
「……そうね」
――影の後継者。
エルッグの口から発せられた単語を聞き、ワタシの視線は再び宙をさまよい始める。
影の後継者は、かつて王国全域で活動していた組織だ。彼らは一つの目的の下に暗躍し、王国中で様々な事件を起こした。何を隠そう、ワタシに関する事の発端にすら、彼らは一枚噛んでいたのだ。
発端は、長らく平穏の続いていた大陸情勢が変化した事だった。アーゼンロイス王国の周辺に位置する幾つかの国々が、急速に軍備を強化し始めたのだ。これにより、戦争に対して消極的なアーゼンロイスもまた、自衛の為に戦力を増強せざるを得なくなったのである。
独自の手段を模索しているうち、王国は『召喚術』に目をつけた。
――別世界から様々な才能に秀でる人々を召喚し、高待遇で王国に迎え入れ、大きな戦力とする。
これが、アーゼンロイスの狙いだった。研究の末、王国は古代の文献に記されていた魔術式を用いて、異世界人を召喚する実験を行う。
その実験に巻き込まれたのが、日本でごく普通の社会生活を営んでいたワタシ――日山マナミだ。
しかし、一連の出来事は全て『影の後継者』に仕組まれたものだった。
紆余曲折の末、王国は彼らの討伐に成功した。
しかし、その一部は未だ、都の内部で反抗を続けている。
そんなわけで、ワタシの所属する部隊は影の後継者残党の掃討に日夜駆り出されており、今現在もこうして深夜の見回りを行っているのだった。
「さて、街中の巡回は終わったが、墓地の方にも行かなきゃならないんだよな」
「ええ、町民達から何度も通報があったらしくて」
「不審な人物が墓地の辺りをさまよい歩いている、か。しかし、こんな夜中に様子を見に行く必要はないように思えるがな」
「ほら、アイツらは昼間に表立って活動出来ないでしょ。だから、もしかすると夜中に潜伏場所へ食料とかを運んでいるかもしれないし」
「有り得ない話じゃないがな。こっちの疲労も考慮してほしいぜ。連日連夜、残党狩りで参ってるってのに」
「愚痴を言っても仕方ないじゃない」
話し込んでいるうちに、いつの間にか町外れまでやってきていた。深夜の空気で静まり返った城下町の一端から、長閑な自然に挟まれた野道が緩やかな上り坂を描いて続いている。
「急ぎましょ。ワタシだって、早く帰りたいし」
エルッグに声を掛けて、ワタシは野道へと一歩を踏み出した。




