最終話「想い、遙か」 18
「どうして……何で……陣が消えるの?」
「全く、これだからド素人は困りますよ」
呆然と呟いたワタシを、ヴォリアンはせせら笑って、
「貴女が思っているほど、魔法というものは便利万能というわけではないんですねぇ。お分かりですか?」
と、耳障りな猫撫で声で意味深な問いをぶつけてくる。分からないと素直に答えるのを癪なので黙っていると、
「それでは、私がヒントをお教えして差し上げましょう。つまりですね、貴女の目の前で倒れている心優しい隊員君や、向こうで必死に戦っている隊長さんが何故、真っ先に貴女を救出しようとしなかったか、それを考えてみなさい」
得意げに放たれる彼の発言に、一つの推測が脳裏をよぎる。
――まさか。
「どうやら、気がついたみたいですね。そうです、貴女が縛り付けてある十字の石柱と紐には特殊な術が幾つも掛けられていましてね。勿論、先ほどのように貴女が魔法を用いて脱出を計ろうとするのも計算済みで、その対策は存分に成されています。彼らが貴女をすぐ助けようとしなかったのは、こちらの張り巡らせてある罠を警戒しての事なんですよ。理解出来ましたか?」
残念でしたね。そう言って、再びヴォリアンは高笑いを始める。愕然としたと同時に、短慮な自分に対する憤りが胸中を占めていく。そうだ。あの理知的で頭の回るフーレンスが、一応は魔法を扱えるワタシを警戒していないわけがなかったのだ。
「……さて、と。説明はこれまでにして」
半ば独り言のように呟いた後、ヴォリアンは手をワタシに向けてかざす。国に仕えていた頃から着用している豪華絢爛な魔術師の衣装の端から、病的にまで青白い腕が伺える。
「コソコソと良からぬ事を企てていたお嬢さんには、少しお仕置きが必要ですか。前に、結構な威力の炎を浴びせられた借りもありますしね。こう見えても私、なかなか根に持つタイプなんです」
「……何が、『こう見えても』よ。そんなのアンタの陰気なツラを見れば一目瞭然よ」
もうどうにでもなれというような気持ちになり、ワタシはヴォリアンに対する数々の思いをぶちまけることにした。このまま黙って拷問のような目に遭うよりは、そちらの方が幾分かマシというものだ。
利口な女なら、慈悲でも請おうとするのかもしれない。けれど。ミナーシェがボロボロになりながら庇ってくれたというのに、自分だけが助かるような方法を取るような薄情な女にはなりたくなかった。
「大体、コソコソと良からぬ事を企んでいたのはそっちの方じゃない。もう少し、自分のことを省みれば?」
「はぁ、トコトン癪に障る女ですね」
「奇遇ね。ワタシも初対面の時から、アンタの事が気に食わなかったわよ。そのネチネチした喋り方も、その暗くて嫌味な性格も、何もかもね」
「この状況でまだそのような口が利けるとは大したものです……が、些か礼儀を知らないようですね。後々の為です。私がキツい灸を据えてあげましょう」
「……くっ」
「ミナーシェ、ワタシに構わないで!」
足をふらつかせながらも、ヴォリアンの前に立ちふさがる青年の背に、ワタシは叫んだ。
「でも……」
「いいの! その代わり、アイツを絶対にぶっ倒して!」
こちらを振り返ったミナーシェの蒼く澄み渡った目が、僅かに見開かれる。ヴォリアンには気づかれないよう、ワタシは小さく頷いた。もし、アイツがこちらに攻撃を仕掛けてくれば、その間に少しでも隙が生じる筈だ。それを突けば、今のミナーシェにも勝機はある筈。
恐怖を感じていないわけじゃない。
ただ、逃げるつもりは毛頭なかった。
――気をしっかり持つのよ、ワタシ!
自分自身に激励を掛けつつ、眼前の敵を強く睨みつける。
「ふふ、肝の座ったお嬢さんだ。ですが、そんな口を利けるのも、今のうちですよ。貴女のその生意気な程の余裕、私の魔法ですぐに打ち砕いて差し上げましょう」
意地悪い笑みをと共に、ヴォリアンは詠唱を始める。しかし、
「待ちなさい、ヴォリアン」
魔法の連射でゼルリックと距離を置いたフーレンスが、彼に諫めの言葉を掛ける。
「フーレンス様、ですが……このお嬢さんの言動からして、説得は失敗したのでしょう? ならば、少しでも従順に私達に従うようにしていた方が今後の為にも良いのでは?」
「そうはいきません。彼女はこの計画の重要な核となる存在です。彼女の身と精神が変調をきたし、その影響でアズレードとの同調が途切れてしまったらどうするのです。万が一、ということもあります。余計なショックは与えないように。分かりましたね?」
『影の後継者』の首領である彼の声には、有無を言わせぬ威厳があった。
「……分かりました」
渋々といった様子で、ヴォリアンはフーレンスの命令に頷く。その表情にはあからさまな不服の感情が表れていて、彼はしばらくワタシの方を憎悪のこもった瞳で見つめ続けていたが、やがてその目線をミナーシェへと向けると、
「仕方ありません。では、貴女に向ける筈だった苦痛は、代わりとして彼に受けてもらいましょうか。彼ならば、たとえ命を落としても私達の計画には支障ありませんからね」
――なっ……。
思いもがけない展開に、愕然とする。自然、眼差しはワタシの前に頼もしく立ち塞がっている青年の背へと向けられていた。先ほどと違い、彼はワタシの方を振り返らない。当然、その顔色を伺い知ることは出来なかった。
けれど。
「大丈夫ですよ」
心の中で自分を責め続けていると、おもむろに優しい声が耳に届いてくる。
「僕の事は気にしないで下さい」
「でも……」
「いいんですよ」
口を開きかけたワタシを遮り、高潔な真紅の鎧を身に纏う青年は、自身の身の丈ほどもある大槍を両手で構え直し、魔法陣を展開し始めた敵から目を逸らさないまま、朗らかながらも静かな決意を込めた語調で言う。
「貴方は僕が守りきってみせますから。絶対に、ね」
「ミナーシェ……」
「別れの挨拶は済ませましたか?」
既に術の詠唱を終えたらしいヴォリアンが、足元に展開した魔法陣を目障りなほど輝かせながら、皮肉めいた語調で訊ねてくる。
「いやあ、別れの挨拶だなんて。そんな大層な会話ではありませんよ」
「……随分と平静を保っていますね。その様子からすると、何か奥の手でもあるのでしょうか?」
「さぁ、それはどうでしょうね。試してみます?」
未だ余裕を崩さないミナーシェを見て、ヴォリアンは不機嫌そうに眉を顰めた。
「気に入らない。気に入りませんね。そういうフザケた態度は」
「ハハ、ごめんなさい。僕は元々、こういう性分なんですよ」
「……まあ、いいでしょう。そのヘラヘラした面を、すぐに苦痛に歪ませて差し上げますから」
翳された青白い手が封じていた強大な力を解放するかのように開かれると、足元に展開されている魔法陣が一際輝きを増し始める。
――術が、解放される。
首筋を嫌な汗が伝うも、目の前に佇むミナーシェは全く動じていない。ワタシは固唾を飲み込んで、彼の姿を見守る。
「これで、終わりです!」
ヴォリアンは勝ち誇った笑みと共に、声高らかに中断していた詠唱を再開する。それに呼応し、槍を構えていたミナーシェの体が、僅かに沈む。
しかし。
「……ウォーター・スプラッシュ!」
彼が詠唱文の最後の一節を発してしまう前に、聞き覚えのある少年の叫びが暗い室内に響きわたり、その瞬間。
通路の方から、とてつもない量の水飛沫がヴォリアンめがけて放たれた。




