最終話「想い、遙か」 8
「……え、あ」
喋ろうとしても、上手く言葉が出てこない。そんなワタシを見かねてか、フーレンスは苦笑を洩らしながら言った。
「随分と驚かれているようですね。まあ、無理もないですか」
「……嘘でしょ? 冗談でしょ?」
「残念ながら本当です」
一縷の望みを賭けて放った問いは、あっさりと切り捨てられた。彼は小さく首を振る。
「現実を認めたくないのでしょうが……どうか、自分の置かれている状況を直視して下さい。現に、貴女はこうして捕らわれの身、私の手中にあるのですから」
無慈悲なまでに、眼前へ突きつけられた真実。受け入れるのに、暫しの間が必要だった。
やがて、ようやくショックから立ち直ったワタシは、気を奮い立たせようと唾を飲み込んで、ゆっくりと口を開く。
「ずっと、ワタシを騙し続けてたの?」
「ええ」
「隊のみんなも?」
「はい」
「でも、貴方はヴォリアンに襲われてたワタシを助けようとしてくれた」
祭り最終日の夜に起きた出来事が、まるで昨日の事のように脳裏で再生される。ルトレーが倒れ、窮地に陥ったワタシを救ったのは、紛れもなくエリュシール副隊長その人だった。あの時の彼の勇姿を、ワタシは本当に頼もしく思っていた。
それなのに。
「あれは演技だったんですよ」
笑いながら宣言した『副隊長』の姿に、心中にずっと大切にしていた思い出の崩壊していく感覚を、ワタシは味わった。
「本当は貴女をルトレーとミナーシェに任せ、私一人で彼を追ったフリをして、安全に逃がす算段だったのですが……貴女の言で計算違いが起きましてね」
貴女の言というのは、三方向へ続く分かれ道の手元で、ワタシが一緒にヴォリアンを追うと訴えた時のそれだろう。
「私が彼の逃走経路の探索を行い、貴女達には別の道へ行くよう指示する案も考えたのですが……なるべく疑いを持たれないように行動したかったものですから。彼にあまり危険の及ばないよう、事を運んだんです。貴女達にはバレないように、細心の注意を払って」
彼の話を聞いているうち、当時のフーレンスが取った行動の意図に、ワタシはようやく気がついた。
「そうだわ……あの時の貴方はこう指示した。ワタシとルトレーが左、貴方が真ん中、ミナーシェは右の道を探索するようにって。あれは、ミナーシェをヴォリアンから引き離すためだったのね」
逃走経路と説明がなされた以上、フーレンスは前もってヴォリアンの通るルートを知っていた。つまり、ヴォリアンが道を左に行ったと、事件当日の彼は分かっていたのだ。しかし、自分が彼の後を追えば、勘の良い隊員が何かを察するかもしれない。そこで、フーレンスは自分ではなく、他の誰かを敢えてヴォリアンに接触させようとした。
凄腕の宮廷魔術師である彼ならば、並程度の隊員を倒すなどたやすい。リスクなど、あって無きに等しい。昔の部下であるルトレーの戦い方をヴォリアンは熟知しているだろうし、ワタシに至っては戦闘のド素人、まず相手にならないだろう。
恐らく、まずはそのように考えを巡らせたに違いない。だが、部下の中で唯一、逃走の障害と成り得る人物がいた。そう、ミナーシェだ。戦いのイロハも分からないワタシから見ても、彼の実力はそこらの隊員を遙かに凌駕している。当然、彼の働きを間近で見てきただろうフーレンスも警戒した筈だ。
だから、フーレンスは副隊長という地位を利用して、ささやかな策を巡らせた。ヴォリアンを追撃させるのにリスクの少ないワタシとルトレーを左の逃走経路に、逆に危険度の最も高いミナーシェは右の道へ向かわせて遠ざけたのだ。
「お鋭い。仰る通りですよ」
ワタシが推論を披露すると、かつてのエリュシール副隊長はパチパチと両手を叩いた。
「ミナーシェ……彼の実力は私もよく知っていましたからね。魔法を操る術を心得る数少ない隊員の一人ですし、側で監視しておかないわけにはいかなかったんですよ」
「それで、ワタシの護衛とか何とかで一緒にいたってわけね」
「念には念を、というやつですね。以前にも危うい目に遭わせられましたから」
「……以前にも? どういう事?」
彼の言葉に含むような調子を感じ、ワタシは思わず訊ねる。すると、フーレンスは何故かおかしそうに笑みを洩らし、自身の着用しているマントを指さして、
「これを見てもまだ、お気づきになりませんか?」
――あっ。
もう既に忘れかけていた事件を思い出し、戦慄した。火事現場で気を失いかけた時、そして都の外れを巡回していた時、ワタシの目の前に現れた黒ずくめの男の不気味な姿が、すかさず脳裏をよぎる。
「ひょっとして、まさか」
「ええ、貴女を襲った黒マントの人物……あれは私でした」
隊員の皆さんは、何か思い違いをしていたようですが。そう呟くように言って、フーレンスは右手を自身の顔の横へと持っていく。次の瞬間、天井に向けられた彼の掌の中に、色鮮やかな火が点った。
「元々、ワタシは様々な魔術に精通していましてね。別に土属性の魔法しか操れない、というわけではないんですよ。まぁ、最も得意な分野ではありますけれどね」
「じゃあ、おばあさんを操ったり、家に火を放ったりしたのも」
「そうですよ、私がやりました」
あっさりとした告白に、心中に怒りの炎が沸々と沸いてくるのを感じた。
「どうして、そんな酷い事をしたのよ! みんな死んでたかもしれないのに!」
「細心の注意は払っていましたよ。ルトレーは技術に粗の目立つ召喚術士ですが、多少は水魔法の心得もある。彼が付いていれば、貴女達はそう簡単に焼死したりはしない。私も陰ながら様子を見守っていましたしね」
「ずっと側にいたのなら、どうしてワタシを連れ去らなかったの? ううん、あの時だけじゃない。ヴォリアンを追っていた時だって、彼はワタシを捕らえようとしなかった。ルトレーがやられて、ワタシは独りだったのに」
「火事騒動の件は、貴女が期待通りの力を有しているか確認するのが目的でしたからね。まだ、捕らえるかどうかという段階には入っていなかったんですよ。アズレード祭の時は、単に私の方で準備が整っていなかったので、貴女を確保する必要に迫られていなかったというだけです。私の計画には、彼に入手してもらった秘術書が不可欠でしたからね」
――期待通りの力? 準備って何の?
「ただ、彼の正体が貴女の魔法で露見してしまったのは想定外でしたよ」
疑問を巡らせるワタシを余所に、フーレンスは肩を竦めて喋り続ける。
「貴女の特訓が上手くいっていない事はルトレーの報告を通して知っていたので、問題ないと高を括っていたのですが……まさか、初めて成功した詠唱であれほどの威力を出せるとは。正直、驚きましたよ。些細な事ではありましたけれどね」
「そんな風に考えてたなら、早めにさらっておけば良かったじゃない」
ずっと質問等をぶつけるだけなのは癪なので突っかかると、彼はまたもや苦笑を浮かべた。
「いえ、確かに魔術初心者としては素晴らしい魔法でしたが、私の計画の妨げになるには程遠かった。だからこそ、敢えて放置しておいたというわけです」
「随分、悠長に事を運んでたのね。そうやってノンビリしている間に、ワタシがどこかへ旅にでも行ってたらどうするつもりだったわけ?」
「やれやれ、まだ分かっていませんか」
嘆かわしげな溜息をつくと、フーレンスはこちらの目を真っ直ぐに見据えた。彼の茶色い瞳の中に、冷徹なまでの知性と強靱な確固たる意志を垣間見たような気がして、ワタシはまるで、自分の心を鋭利な刃物で貫かれたような錯覚に陥った。
「私はいつでも貴女を手中に収める事が出来たのですよ。そう、『いつでも』ね」




