最終話「想い、遙か」 6
それから、しばらくは安らかな日々が続いた。『影の後継者』達が表だって活動する事も無く、治安を脅かすような大事件も起きず、都は至って平穏な日常に包まれていたそうだ。ワタシ自身は本部の外に一歩も出なかったのだが、昼間は通常の任務に出ているミナーシェから町の様子を教えてもらえた。
勿論、王国が平和なら、ワタシの周りも平和だった。自分を連れ去ろうとする怪しげな格好をした刺客の類が現れる事も無く、ワタシはルトレーと行う魔術特訓に励みながら、事態が好転する日を今か今かと待ち続けた。尤も、連日続いた練習の甲斐もなく、肝心の魔法の腕は殆ど上がらなかったのだが。召喚術士の少年曰く、
「お前の魔力は持ち主に似て、どうにも荒々しくて取り扱いが難しい」
一向に身を守る唯一の術が上達しない不安感というものはあったものの、それでも血生臭い出来事に遭遇しないというだけで毎日が楽しく思え、最初のうちは恐怖に張りつめていたワタシの心も、時が経つにつれ、だんだんと緊張の糸を解していった。
そして迎えた、ある日の夕刻。
「二人とも、急いで会議室に集まってくれ」
いつものように裏庭でルトレーの指導を受けていると、青年の男が慌てた様子でやってきた。ワタシとはあまり面識のない隊員だ。
「そんなに焦ってどうしたんだよ。何かあったのか?」
「それが……」
まさに魔術の実演をしようと試みていた少年が訊ねると、青年は強ばった表情で、
「奴らだよ。『影の継承者』だ」
半ば心の片隅に追いやられていたその名前を聞いた途端、背筋に電撃が走った。嫌な汗が首筋を伝い、湧いてきた生唾をゴクリと飲み下す。傍らの少年を見やると、彼もまた漆黒の両目を見開いて動揺していた。
「まさか、アイツらが攻めてきたんじゃ」
「いいや。城でも市街地でも、まだ奴らの姿は確認されていない」
「じゃあ、一体何が起きたんですか?」
「今日中にあちらさんが都で行動を起こすっていう情報を、上が掴んだらしいんだ」
隊員の説明に、ワタシとルトレーはハッとして顔を見合わせた。
「マジかよ……」
「ああ、大マジだ」
彼は深刻そうに口元を引き締めて、
「しかも聞いたところによれば、連中が事を起こすまでに残された時間が、もう殆どないらしい。それで副隊長から、全員速やかに集まるよう命令が下ったんだ」
お前らも急げよ。最後にそう言い残し、青年は足早に元来た道を戻っていった。
会議室に入ると、既に大勢の隊員が集まっていた。そして、彼らに囲まれるようにして、深刻な顔つきのフーレンスが部屋中央のテーブルに両手を組んで腰掛けているのが目に入る。彼の何時になく鋭い眼差しは何も置かれていない卓上へと向けられていて、恐らくはもうすぐ起ころうとしている事件への対処を練り続けているに違いなかった。だが、隊長であるゼルリックの姿はどこにも見当たらない。特命任務とやらで随分と外で働きづめだろうし、上の自室で仮眠でも取っているのだろうか。
――或いは。
ルトレーと共に部屋の隅に身を寄せ、話が始まるのを待っていると、やがて一人の青年が急ぎ足で会議室に足を踏み入れた。
「遅れました」
彼――ミナーシェは、上司であるフーレンスに小さく頭を下げ、柔和ながらも真剣味のこもった口調で遅刻の理由を説明した。
「私用で本部を出ていましたので、事を知って帰ってくるまで時間が掛かってしまいました。すみません」
彼の後も、続々と外出中だった隊員達が姿を現した。やがて、巡回任務中だったという屈強な体つきの男が到着した時、フーレンスは立ち上がって、
「これで、全員が集まりましたね」
副隊長が声を発した途端、ざわめきが部屋の至る所から起こった。理由は明白だった。普段の会議では最も注目を受けるだろう人物が、未だ不在であったからだ。
「あの、隊長はどうされたんですか?」
恐る恐る、隊員の一人である若い男が質問を口にすると、
「匿名任務のため、不在です」
フーレンスは訊ねてきた相手の顔を真っ直ぐに見据え、淡々とした調子で答えた。
「城の方にもおられないようで、未だ連絡もついていません。平時ならば隊長と連絡のつくまで待機し、その指示を仰ぐべきでしょうが、今は緊急事態ですし、一分一秒の時間も惜しい」
いったん言葉を切り、フーレンスは隊員一人一人を眺め回した後、
「そこで、私が隊全体の指揮を執る事になりました。この件については、既に城の方にも了解を得てあります」
異存を唱える者は皆無だった。敵組織が行動を開始するらしい夜まで、もう殆ど猶予は残されていない。最高指揮官が不在のこの状況ならば、代理を副隊長である彼が務めるのは半ば当然の事と皆が思っていたのだろう。
「彼ら『影の継承者』は今日の夜、都の各地で暴動を起こす計画を実行に移すそうです。恐らく、その裏には何らかの目的が隠されているでしょう。勿論、私達はこのまま黙って彼らの暴挙を見過ごすわけにはいきません」
そう前置きし、フーレンスはこれからの行動について説明を始めた。手始めに、城などの襲撃が予定されていると判明した重要地点に部隊を配置。続いて、市街地中央や水門等の場所にも警戒網を敷く為に残りの半数を割く。その他は数人でグループを組み、都中を巡回して敵の探索及び対処にあたる。当然、王国正規軍とも共同作戦を取るので、各人は彼らと協力して敵性勢力の排除、及び人員の捕縛に注力するように。フーレンスの言は、大体このようなニュアンスのものだった。
会議が済むと、部隊は慌ただしく動き始めた。部屋の扉から男達が我先にと急ぎ足で出ていく。ワタシはというと、渋滞に巻き込まれるのはゴメンだったし、個人的に疑問に思った事もあったので、席に着いたままだった副隊長の側に近づき、声を掛けた。
「あの」
「ん、なんですか?」
「これから、ワタシはどうすればいいんでしょうか?」
先ほどの話中で作戦の詳細な内容について語られたものの、編成される部隊の人員などでワタシの名前が出ることはなく、それについての注釈もなかったのだ。
「ああ、すみません」
ワタシの質問を受けたフーレンスはハッとした表情で、
「すっかり失念していました……そうですね、状況が状況ですし、貴女は彼らに狙われている身です。今回の計画も、貴女をさらうのが目的の可能性がありますし」
暫し悩んだ様子を見せた後、彼は椅子から立ち上がると、隊員達でごった返している方とは別の空いたドアへと歩いていく。副隊長室へと繋がる扉だ。
「取りあえず、私の部屋に来てもらいましょう。ここで話をするのもなんですし」
久しぶりに訪れる彼の私室は、相変わらず清潔感溢れる場所だった。促されるままにソファに腰掛け、出された紅茶を嗜んでいると、
「ああ、そうでした。実は、貴女を呼び出した秘術について、興味深い資料を見つけたんです」
その言葉を耳にして、ワタシは自分の胸が高鳴るのを感じ、テーブルにティーカップを置いた。感情の高ぶりのせいか、ガチャリと甲高い音を立ててしまった。
「ほ、本当ですか?」
「ええ、本当ですよ」
「どんな資料なんですか?」
「少し待っていて下さい。確か、この辺に仕舞った筈なんですが……」
ワタシの座るソファの後方にあった本棚の蔵書を、フーレンスは呟きをもらしつつ調べ始めた。しばらく彼の挙動を眺めていたものの、やがて視線を逸らし、ワタシは再びカップを持ち上げて温かな液体を啜った。
――もしかしたら、元の世界に帰る方法が見つかったのかもしれない。
この世界に愛着が湧いていない、といえば嘘になる。しかし、今の自分は『影の暗殺者』に狙われている身なのだ。彼らの計画がどんなものなのかは分からないが、この王国に害を為そうとしているのは明白。その鍵が自分であるというなら、この場所に留まっていたいと願うわけにもいかないような気がした。幾ら面白味がないとはいえ、現実世界はワタシにとって、一応は安全な場所だ。
――もし戻れるとしたら、戻った方が良いのかな。
そこまで思考を巡らせていた、その時。
「……すみません」
「え?」
急に低い声で謝られ、理由を訊ねようと振り返りかけた瞬間。
首の後ろに、強烈な衝撃が走った。




