第一話「残業帰りに召喚されて」 3
「送還用の術式?」
私同様、黒ローブ姿の彼――ルトレーの発した言葉の真意を理解しかねたのか、水色髪の青年は戸惑ったように頭を僅かに傾ける。一方、ゼルリックの方は険しい表情で、
「どういう事だ、ルトレー」
「どういう事って……文字通りの意味っすよ」
全員の、それもあまり好意的とはいえない注目を集めて居心地が悪いのか、彼は決まり悪そうに視線をあちこちに向けながら説明を始めた。
「この本には『召喚用の術式』は書いてあっても、『送還用の術式』が見当たらないんです。どうも、その部分のページがちぎれてしまってるみたいで……だから、『他の世界から呼ぶ事』は出来ても、『元の世界に戻す事』は出来ないんです」
「どうしてそれを早く言わなかった!」
刹那、思わず全身の毛が逆立ってしまうような、ゼルリックの鋭い怒号が飛んだ。ルトレーはピクッと体を仰け反らせるも、
「いや、誰も聞かなかったですし」
と、か細い口調で言う。
「そりゃあ、聞けるわけないじゃないか……」
水色髪の青年がこめかみにほっそりとした指を当て、苦笑しながら発言した。
「隊長も僕も、召喚術に関しては専門外なんだからさ。君だって知ってるだろ? だから、準備は全て君に一任してたわけだし」
「けど、実験は王様の命令だったんですし。どっちにしたって実行はしなきゃいけなかったわけで」
なおも言い訳するような態度を見せる少年に、とうとう隊長の方も堪忍袋の尾が切れてしまったらしく、彼の声はいっそう荒々しくなった。
「そのような事実が分かっていたら、私の方から実験の中止を進言していた!」
――何か、重大なミスを犯した新入社員が説教を受けてるみたい。
喧噪の輪から外れ、既に存在を忘れられてしまっているような感覚に陥ったワタシは、どこか冷めた気持ちを抱きつつ、彼らの口論を床に横たわったまま眺めていた。
「呼び出した者がどんな人物かも分からないというのに、元の世界へ返せないのはあまりに危険過ぎるだろう!」
「こっちにも事情があったんですって!」
少年の方も我慢の限界に達したらしく、顔を真っ赤にして叫び始めた。
「元々、この魔術書は城の書庫に保管されてたもので、一週間前に余裕をもって俺の所へ送られる予定だったんですよ! それが用事があるとか忙しいとか何とかで、宮廷魔術師の野郎が渡しにきたのは今朝になってからなんです! 今朝っすよ! 今朝! 召喚術の解読に必死で、そんな些細な事を気にする余裕なんて無かったんすよ!」
話を聞くに、どうやら彼の方にも色々と事情があったらしい。
――でも、コイツが隊長さんとかに一言伝えていれば良かっただけのような気もするのよね……。
こんな風に物事を見てしまうのは、やはり社畜生活に慣れ過ぎてしまったせいだろうか。それとも、このルトレーとかいう少年から何となく、うっかりミスや怠慢などで数々の面倒事を引き起こす新入社員のような匂いを感じ取ってしまったせいだろうか。或いは、両方かもしれない。
「ま、まぁまぁ。過ぎた事はもうしょうがないですし」
白熱する両者を手で制しつつ、水色髪の青年が取りなすように口を開いた。
「それより、当面の問題は彼女の扱いについてです」
彼の言葉を受け、口論を止めた二人の視線が、再びワタシへと向けられる。どうやら、ようやく蚊帳の外というわけではなくなったみたいだ。
「あの」
途端に集まった彼らの視線にドギマギしつつも、少し前からずっと気になっていた疑問を、ワタシはおずおずと切り出した。
「ワタシって、これからどうなるんですか?」
真っ先に答えたのは、ゼルリックだった。彼はその凛々しい顔立ちを思案に歪めて腕組みをしつつ、
「そうですね……一応確認しておきますが、マナミさんは武器の扱いや武道に関する技術はお持ちで?」
「全く無いです」
キッパリ宣言すると、でしょうな、とでもいうように彼は小さく頷き、ワタシに向かって深く頭を下げた。特殊部隊長が見せた突然の行動に、ワタシは大いに戸惑う。紅髪を呆然と見上げていると、彼は顔を俯けたまま、
「私達の実験に、戦う力を持たない貴女を巻き込んでしまった。本当に申し訳ありません」
と、真摯に謝罪の言葉を口にした。ワタシは慌てて、
「いえ、そんな……隊長さんが悪いわけでもないですし」
「いえ、隊の不始末は、隊を代表する私の責任でもあります」
と、ゼルリックが頭を上げ、その端正な顔立ちが再び露わになる。力強さを秘めた漆黒の瞳に見つめられ、ワタシは自分の心臓が数センチばかり跳ね上がるのを感じた。
「とにかく、こうなってしまった以上、貴女の身の安全は必ず保証します。取りあえず、国王に貴女がこの城で保護を受けられるよう申し入れようかと」
「その案は止めた方が良いと思いますよ」
神妙な面持ちを浮かべた水色髪の青年が、穏やかながらも鋭い語調で彼の言を遮った。
「宮廷の魔術師達は異世界の知識に関して、尋常ではない好奇心を抱いています。そんな彼らの側に彼女を置いておくのは危険かと。今回の実験だって、元々は彼らが王に進言したものですしね」
「そこまで気にする必要があるのか」
「隊長は留守にしていたので知らないと思いますが、僕とフーレンスさん、それにルトレーで何度も先方と話をしたんですよ。あちらも最近は成果が出ていないみたいで、相当に焦ってるみたいです。今回のトラブルも、彼らが安全性より結果を追求した為に起こったものでしょう……尤も、彼ら自身はかすり傷程度だと思いますが」
「もし召喚や送還が失敗しても、その責任は実行者である私達の方へ擦り付けられる、という事か」
ゼルリックは悔しそうに唇を噛んで、
「道理で実験には立ち会わないの一点張りだったわけだ。となると、その魔術書の欠陥とやらも把握していた可能性が高いな」
「ええ。予算分の働きは王に見せたいでしょうし、このままでは最悪、彼女自身が実験材料にされかねない」
「実験材料って……」
自然と呟いていたワタシの背筋を、おぞましい悪寒が走り抜ける。その緊張が伝わったのだろう、水色髪の青年はワタシを安心させるようにニッコリと微笑んだ後、
「とにかく。色々と安全が保証できるまで、彼女の身柄はこちらの方で預かっておくのが最良じゃないかと思いますよ」
と、穏やかな声色で言った。
「……分かった、その線で行こう」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」
妙に取り乱した様子で、ルトレーが自らの上司へ向け口を開いた。
「王に嘘ついてまで匿う気っすか!? それこそバレた時にヤバいですって!」
ゼルリックの方はいっさい動じていない様子で、
「いや、王に嘘はつかない。あくまで正式な手続きに乗っ取って、彼女を保護する」
と、固い意志に満ちた声色で言う。その発言の真意が出来なかったのだろう、青髪の少年は眉を潜めながら首を捻った。そして、訳が分からないのはワタシも同様だった。
「ルトレー、隊長が言おうとしているのはこういう事だよ」
彼の困惑を察した青年が明るい調子で声を発する。
「当面の間は『実験を継続中』という事にしておくのさ」
「……分かんないっす」
「ほら、よく考えてみなよ。彼女に『力が無い』って、確たる証拠はあるかい?」
「当たり前でしょ、だって」
飛び出しかけた少年の言葉が、皆まで言い終えるまでに途切れる。その様子を眺めていた青年は満足そうに頷いて、
「ほら、『本人の発言』だけじゃ証拠にならないだろ? もしかしたら、何かもの凄い力を隠しているのかもしれないし」
「それに、宮廷の魔術師達は『実験には関わらない』と最初から宣言していた」
部下の言葉を継ぎ、隊長が説明を続ける。
「実験が続いている限り、王を通すならともかく、彼らは自分達が直接手出しする権利を主張出来ない。そして、彼女の力量を見定めるには手元に置いておくのが一番だと王には伝えるわけだ。本人の性格が善良であるだろう事も含めてな」
「でも、うちの宿舎は隊員以外利用禁止じゃないっすか」
「彼女の適正を判断しているとでも理由をつければ、ひとまず体面は保てる」
ゼルリックの話を聞いているうち、一つの予想がワタシの脳裏によぎった。
「それって……」
「はい、そうですよ」
発せられたワタシの呟きを受け、青年は爽やかな微笑みと共に、穏やかな口調で告げたのだった。
「名目上、貴女には僕達の隊……エリュシールに入ってもらう事になります」