第一話「残業帰りに召喚されて」 4
それから。隊長ゼルリックの言で、ワタシは彼らと共にエリュシールの本部へと向かう事になった。召喚に使用された陰気な部屋を彼らに続いて後にし、城の内部を歩いていく。廊下のあちこちには高級そうな皿や絵画が飾られており、床にもこれまた上品なカーペットが綺麗に敷かれていた。
「その格好じゃ少し寒いかもしれませんが、我慢して下さいね。少しの辛抱ですから」
水色髪の青年はそう告げて、外へと通ずる門を開いた。途端、冷たい風が城の中に入り込んできて、ワタシは思わず両手で体を庇う。どうやら時刻は夜のようで、漆黒の空には数多くの星に雲、そしてぼんやりと輝いている月が顔を覗かせていた。城を離れて野道を進むと、すぐに町が見えてきて、先頭のゼルリックは通りの中を歩いていき、後に続くワタシ達も彼に従う。
「あの、一つ質問があるんですけど」
歩きながら、ワタシは傍らの青年に話しかけた。彼は相変わらず爽やかに笑って、
「はい、何ですか?」
「確か、エリュシール……でしたっけ。王様直属の部隊なのに、どうして本部が城の中に無いんですか?」
王から直接指示を受ける立場なら、エリート中のエリートの筈。ならば、城に留まらせるのが普通ではないか。そんな考えから生じた小さな疑問だった。
だが、ワタシの問いかけを耳にして彼は、浮かべていた笑顔を微妙に強ばらせて、
「うーん、その質問にしっかり答えるのは難しいんですけど」
と、思案げに頬を掻く。
「親衛隊ってわけじゃないんです、僕らは……まぁ、色々と事情がありまして」
まあ、その辺はまたの機会に話しますよ。青年がそう言葉を濁した瞬間、前をいくゼルリックが立ち止まった。彼の正面には立派な鉄製の門があり、紅の鎧を纏った男二人が警備についている。どうやら、ここが彼らの本拠地らしい。警備兵達はゼルリックに対し敬礼を行った後、
「隊長、そちらの令嬢は? ここらでは見慣れない服装ですが」
「ああ、例の実験で召喚された者だ」
ハッと、二人の顔つきが一変する。
「それじゃ、成功されたんですか?」
「ああ、一応はな」
隊長は威厳ある咳払いを一つ放った後、
「そういうわけだ。お前達は引き続き番を頼むぞ」
「はい、お疲れさまでした」
両側から遠慮がちに向けられる好奇の眼差しをくすぐったく感じながら、ワタシは敷地内へと足を踏み入れる。門から見て左側には数多くの兵舎と思しき建造物が、右側にはそれなりの大きさをした建物が二棟並んで立っていた。
ゼルリックは迷わず左に向かって歩き始めた。全ての窓にはカーテンが掛かっており、明かりが灯っている部屋は全く見当たらない。全員が寝入っているか、もしくは留守なのだろう。
「取りあえず、今日はここでお休み下さい。一応、最低限の家具は備えてあります」
一番突き当たりの兵舎の前で立ち止まり、彼はワタシの方を振り向いて言った。
「勿論、安全はこちらが守ります。ルトレー、寝ずの番を頼む」
「お、俺っすか!?」
指名を受けた少年は口をあんぐりと開け、あからさまに嫌そうな顔をした。
「ああ、そうだ」
「ほら、僕や隊長は今後について話し合わなきゃならないし」
水色髪の青年が、年下の彼を宥めるような調子で口を開いた。
「彼女だって、赤の他人が外にいるって考えたら少し眠りにくいだろ? となると、適任は君しかいないんだよ。済まないけど、頼めるかい?」
「……へーい、分かりましたよ」
ふてくされたような調子で、ルトレーは口を尖らせて答えた。
「マナミさん、中へどうぞ。朝になったら起こしにきますから」
「あ、はい」
不意に彼から名前を呼ばれ、ワタシは小さく頭を下げて建物の扉を開き、その中へ足を踏み入れる。夜中で電気もなく薄暗かったが、ゼルリックの言った通り、ベッドや箪笥、それに机などは備え付けられていた。ただ、やはり兵舎であるためなのか、かなり狭い。学生が一人暮らしの時に借りるアパートのような構造だ。
「それじゃあ、お休みなさい」
青年が発した別れの言葉と共に、扉がゆっくりと閉まっていく。完全に室内が外の世界と遮断され、男達の話し声が遠ざかり、少年が深い溜息と共に地面へ腰を下ろした物音がした後。辺りは静寂に包まれた。
しばらく、ワタシはドアの前で呆けたように突っ立っていたが、ふと我に返り、扉の鍵を閉めた後に部屋の中へ足を踏み入れる。ワタシは壁際に置かれていたベッドに近寄ると、靴を脱いでその上に乗った。掛け布団の柔らかな感触に、忽ち強烈な疲労感を覚え始める。あの奇妙な魔法陣に吸い込まれてどれだけ気絶していたかは知らないが、しっかりとした睡眠を取っていなかったのは事実だ。立て続けの非現実的な出来事ですっかり目が覚めてしまっていたが、今になってその反動が一気に押し寄せてきたのだろう。
――何か、変な気分。
シーツと布団の間に入り込み、枕に頭を乗せて、ワタシはぼんやりと天井を見つめる。ついこの間まで過ごしていた会社勤め日々が、遙か過去の出来事のように感じられた。ワタシは一体、これからどうなってしまうのか。
――ま、いいか。明日は仕事行かなくて済むんだし。
倦怠感に流されるようにして、ワタシは両目を閉じ、睡魔に身を委ねたのだった。
コンコン、と控えめにドアを叩く音がして、ワタシは重たい瞼をうっすらと開いた。
――ん、こんな朝早くから訪ねてくる人がいたっけ。ていうか……今日は平日!
瞬間、上体をガバッと跳ね起こす。そして、
「あ……」
と、すぐさま脱力した。目の前に広がるのは見慣れたワタシの自室ではなく、昨夜に初めて足を踏み入れた部屋の光景。
――そういえば、ここは日本じゃなかった。
「マナミさん、起きてますか?」
「は、はい。今開けます」
慌ててベッドから抜け出し、ある程度髪を整えてからドアノブを回す。開かれた扉の向こうには、昨日出会った水色髪の青年が立っていた。その腕には彼が着用しているのと同じ、紅色の鎧が抱えられている。気さくな笑みを浮かべた彼はワタシに会釈した後、
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
「おはようございます。えーと、グッスリでした」
「そうですか。それは良かった」
「あの、俺もう帰っていいっすか……」
横から急に声がしたので、ふと見やると、兵舎の壁に背を預けたルトレーの姿があった。夜通しで番をしていたせいか、眠たそうに大欠伸をしている。
「一晩中、御苦労だったね」
青年は疲れきった彼の肩を励ますようにポンと叩いて、
「隊長からの伝言、君は一日中休養だってさ」
途端、少年の目が爛々と輝き始める。
「ホ、ホントっすか!?」
「うん、ゆっくり休んでくれって言ってたよ」
「よっしゃ! じゃあお先に失礼しまっす!」
先ほどまでの消沈ムードがまるで嘘のように、ルトレーは意気揚々と立ち去っていく。その様子を見届けた後、青年はワタシの方を向いて、
「そういえば、まだ名前を教えていませんでしたね」
と、自己紹介を始めた。
「僕はミナーシェといいます。どうぞ、宜しくお願いします」
「あ、はい。こちらこそ」
「では、早速ですが」
と、彼は手に持った鎧を差し出してきた。
「マナミさんにはこちらに着替えていただきます」
「これって……皆さんの衣装ですよね」
ワタシはそれを受け取りながら訊ねた。
「はい。その格好では人目につきますし、隊の者は殆ど全員がこれを着用するよう義務づけられていますから」
そういえばルトレーはローブ姿だったな、と思い返す。
ミナーシェを外に残し、再び部屋の中に戻ったワタシは元の世界の衣服を脱ぎ去り、手渡された鎧を身に纏った。
――なんか、着心地悪いわね。重いし。
そんな感想を抱きつつ、再び兵舎から出る。こちらに背を向けて待っていたミナーシェは振り向くと、パアッと顔を輝かせた。
「うわあ、似合ってますよ」
「いえ、そんな……」
使い古された感のある台詞ではあるが、それでもやはり、言われてみると嬉しい。相手が爽やかな好青年であり、言葉そのものに確かな誠意が感じ取れるなら、なおさらだ。両頬が仄かに熱を帯びていく。
「じゃあ、行きましょうか」
そんなワタシの内心を知ってか知らずか、彼は穏やかな声と共に歩き始めた。
「まずは会わせたい人がいますので、本部の方へ向かいましょう」




