第三話「影の後継者」 5
翌日の正午過ぎ。燦々と輝く太陽の下、ワタシは裏庭で、早速ルトレーから魔法の訓練を受けていた。
しかし。
「……ねえ、アンタの教え方、本当にそれで合ってるの?」
庭の真ん中に立ち尽くしたワタシが訝しく思って訊ねると、草むらの上に胡座をかいてこちらを見つめていたクシャクシャ青髪少年は深い嘆息をついて、
「ウソな訳ねえだろ。こっちは副隊長から命令受けてるんだぞ」
「でも、全く成果がないんだけど」
両手を胸の前で組み、昨晩のうちに必死で暗記していた詠唱文を呟く。朝からずっと、ワタシはこの動作を数え切れないほど繰り返していた。しかし、唱えても唱えても、一向に合わせた掌から火が飛び出す事はおろか、足下に魔法陣が出現する気配すらない。
ガランとした庭のど真ん中で、絶えず怪しげなポーズを取っているワタシは、現実世界ならば間違いなく不審者扱いされていただろう。傍目から見ればとても滑稽な行動に見えているのかもしれないと思うと、ワタシは何ともいえない恥ずかしさが胸にこみ上げてくるのを感じた。
一方、ルトレーはというと、眠たそうに暢気な大欠伸をしながら、
「そんな一朝一夕で魔法の唱え方をマスター出来れば、誰も苦労しねえっつーの」
「そりゃ、ワタシだってそんな簡単に覚えられるとは思ってないけど……」
不気味な漆黒のマントの影が、無意識のうちに脳裏をよぎる。忽ち、大きな不安が心に広がり始めた。
――また、アイツと遭遇してしまったら……。
心中で呟いた瞬間、陽気な天気とはかけ離れた冷たい風が身を吹き抜ける。前回はミナーシェが間一髪のところで助けてくれたので事なきを得たものの、そんなラッキーが二度も三度も続くとは思えない。もし再び襲われてしまえば、今のワタシでは大した抵抗も出来ずに捕まってしまうだろう。
だからこそ、アイツと戦う為の力が必要なのだ。
――けど、このままじゃいつまで経っても……。
「何だよ、そんな暗い顔して」
「え?」
ハッと我に返ると、ルトレーがジッとこちらを見つめていた。口調こそ普段と変わらない突っ慳貪な言い方だったが、その表情には仄かな心配の意図が見て取れる。ワタシは慌てて、
「べ、別に。何でもないわよ」
「そうか? すっごく思い詰めてるような面してたぜ?」
「だから、何でもないったら」
本当は、心の奥底に抱える悩みを、綺麗サッパリ打ち明けてしまいたかった。どれだけ自分が恐怖を感じているのか、それを知ってほしかった。
けれど、それを一旦口にしてしまうと、いつも減らず口に諫めの言葉を返している彼に対して、これからどんどん引け目を感じていくようになってしまうかもしれなくて。
――ワタシって、やっぱ強情なのかもね……。
負けん気が強い、といえば聞こえはいいけれど。素直に弱音を吐けない自分が、何となく煩わしかった。
言葉を発さなくなったワタシに、彼もすぐに声を掛けてはこず。自然と、重たい沈黙が辺りを包み込んだ。少し灰色がかった雲が太陽を遮り、視界にまで暗い影がかかってくる。町の方から聞こえてくる人々の快活な喧噪が、ひどく遠くで発せられているような錯覚に陥った。
――何か、話さなきゃ。
そう分かってはいたものの、沈んだ気分では場を和ませるに適した話題も思いつかない。居心地の悪さに堪らず下げた視線の先には、萎れてしまった花の姿があった。
「……あんまり、心配する必要はないと思うぜ」
おもむろに発せられたその声に、ワタシは顔を上げる。いつの間にか立ち上がっていたルトレーは次の言葉に未だ迷っている様子だったが、やがて髪をしきりに掻きながら、
「えっと、さ。上手い事は言えねーけど。ここなら副隊長もミナーシェさんも、他の隊員も大勢いるんだ」
勿論、俺もいるけどさ。彼は微かに聞こえるようなか細い声でそう付け加えて、
「生半可な連中相手なら、そう簡単にくたばる奴らじゃないってのは、お前もよく知ってるだろ?」
「……うん」
「だろ? だからさ、そんなに詰め込んで考えるなって。お前を狙ってるのがどんな奴かは知らねーけど、ここにいりゃひとまず安全なんだからよ」
「ルトレー」
「ん?」
「ありがと」
「……は?」
忽ち、少年の顔が頬から耳の先端まで、余す事なくリンゴのように紅潮した。
「な、ななな、何言ってんだよお前」
「だって、元気づけてくれたんでしょ」
「バ、バーカ! 別にそんなんじゃねーよ!」
彼はいつものように減らず口を叩いた後、急に体を両手で庇って、
「うう……なんか猛烈な悪寒が走った。こりゃ、明日は雪だな。いや、大嵐かもしれねー」
「何よ、失礼ね」
ワタシの口から発せられた言葉の方は、いつもよりも幾分か柔らかい語調になっているような気がした。
「そうそう、昼食の前にもう少しチャレンジしてみるから、また手本を見せてよ」
「あー、はいはい。分かったよ分かった。ったく、手間がかかるぜ」
照れ隠しのように素っ気ない返答をしてくる少年に、ワタシは笑いがこみ上げてくるのを必死で押し殺した。
「ほら、ちゃんと見とけよ」
「うん」
ルトレーは少し離れた位置に立つと、ワタシが先ほどやっていたように両手を胸の前方で組む。これは魔法を放つ時の基本体勢と呼ばれるもので、魔術を習い立ての人間はまずこの状態で練習を行うらしい。詠唱に慣れてくると走りながらでも魔法を行使出来るようになるらしいが、そこまで上達するにはかなりの時間を要するそうだ。
すぅ、と軽く息を吸った後、少年は両目を瞑って文章を口ずさみ始める。程なくして、彼の足下に小規模な魔法陣が展開された。そこから発せられているのは、目映い紅の輝き。魔法陣の色は唱えている呪文の属性諸々によって決定されているようで、今はルトレーが火属性の魔法を唱えているため、このような光となっている。
ちなみに、ワタシが教えてもらう予定の魔法の名称は『ファイア』、その名前から容易に判別出来るように、火属性の初級魔術だ。効果も『前方に火の玉を飛ばす』という単純明快なもので、ワタシのような火属性に適性のある者がまず最初に覚えるのに最適といわれているらしい。
――しっかり観察しなきゃだけど、やっぱり側から眺めていてもコツがイマイチ分からないわね……。
少年の詠唱を見守っているうち、魔法陣の輝きがだんだんと強まっていく。
そして、彼が勢いよく最後の一節を叫び終えた、その瞬間。
プスッ。
そんな気の抜けた擬音と共に、少年の手から何とも細い煙が立ち上り、すぐに空気にかき消された。
先ほどのそれとは少し異なる、気まずい沈黙の後。
「……全然、見本になってないじゃない」
ワタシが呆れて呟くと、ルトレーはバツの悪そうに頬を掻きながら、
「いや、だって。俺、火属性魔法苦手だし。本職は召喚士だし」
「もしかして、朝に一発で成功してたのは、たまたまだったわけ?」
返事がない事から察するに、どうやら肯定らしかった。
「……やっぱ、アンタじゃなくて他の人に教えてもらおうかな。その方が上達、早そう」
「だから、副隊長は多忙だから無理だって」
「他には誰かいないの?」
「いねーよ。エリュシールは元々、魔法騎士団ってわけじゃねえんだ」
「ミナーシェも駄目なの?」
「ああ、確かにミナーシェさんは魔術の力も相当だけど、あの人は氷魔法専門なんだよ」
「へえ……そうなんだ」
ふと、謎の人物から二度目の襲撃を受けた際の出来事を思い出す。確かにあの時、彼は自身の身の丈ほどもある槍に冷気をまとわりつかせて攻撃していた。
――あの時のミナーシェ、格好良かったなぁ……。
敵に向かって果敢に突進した彼の勇姿をふと思い返していた、その時だ。
クスクスという微かな忍び笑いが、ワタシ達の背後から聞こえてきた。




