第三話「影の後継者」 3
――影の継承者?
全く聞き覚えのない単語を耳にし、ワタシの脳内には無数のハテナマークが浮かんでいた。その困惑が、もしかすると表情に出ていたのかもしれない。
「やはり、知りませんか」
フーレンスは小さく首を振って、
「無理もないですよ。私も今朝、本部で詳しい話を聞いたばかりですから」
「その、影の継承者でしたっけ? 何かこの事件に、関係する事なんですか?」
「簡単に言うと、『影の継承者』というのは騎士団の連中が追っていた組織なんです」
「……騎士団の人達が?」
ワタシの問いかけに、フーレンスはコクリと頷き、話を続ける。
「最近になって活動し始めた組織らしくて、その目的は不明です。ただ、このアーゼンロイス王国に仇なす連中という事だけは確からしい。城下町の店々に突如現れては、主人達を脅迫してとある品物を奪い続けているそうなんですよ」
「え? それって少し変ですよね?」
ある違和感に気がついたワタシは、自然と疑問の声を上げていた。
「町のパトロールをしてるのはワタシ達です。それなのに、どうして今まで情報が入ってこなかったんですか?」
すると、彼は渋い面持ちになって、
「それが……店の方に、私達へ情報を洩らさないよう言い含めていたらしいんです。巡回していても、脅迫のような案件は被害者の方から伝えられない限り分からないでしょう?」
と、前髪を掻き上げながら言った。
「え? 誰が?」
「騎士団の者達です」
忽ち、強烈な感情がワタシの胸に押し寄せてきた。窓を叩く雨粒の音が、いっそう激しさを増していく。
「……それって、問題行為じゃないんですか!?」
幾ら組織間の仲が険悪とはいえ、犯罪者の情報を教えないのはどうかと思った。
「ワタシ達だって、ここの平和の為に頑張ってるのに!」
「何が何でも自分達の手柄にしたかった、って事でしょうね」
あくまで冷静沈着な態度を崩さないまま、フーレンスは溜息混じりに肩を竦めた。
「ただ、しょうがないといえばしょうがない事例ではあります……彼らと私達の間に存在する溝は、あまりにも深い。こちらを出し抜いて自分達の権威を取り戻そうとするのは、何ら不自然ではないでしょう」
「けど、最終的には頼ってきたって事ですよね? 解決出来なくて」
「まぁ、そう邪険に言う必要はありませんよ」
「でも……」
口を尖らせたワタシに対し、副隊長は天井へ向け立てた人差し指をチッチと動かして、
「今、私達が考えるべき事は、都で起こっている奇妙な事件の解決。そうでしょう?」
「……はい」
紛うことなき正論に、ワタシは渋々頷かざるを得なかった。確かにそうだ。騎士団に色々と思うところはあるが、それらの感情はひとまず後回しにしなければならない。
現状、重要なのは、ワタシを狙っている人物の目的を特定し、危険であれば阻止する事だ。
「とにかく、です」
コップの水を少し飲んだ後、フーレンスは静かな口調で話題を戻した。
「気になるのは、こちら側に回ってきた彼らの情報と、貴女を襲った人物の身体的特徴に、一致する点があるんです」
「一致する点?」
「具体的に挙げれば、黒のフード、マント、靴を着用し、顔を完全に隠しているという点です」
「それじゃ……」
彼の言わんとしている事が分かり、ワタシは無意識のうちに息を呑んでいた。
「その、影の継承者って集団が、ワタシを狙っているかもしれないって事ですか?」
「ええ、しかも先の疑問点も考慮に入れると……彼らの中に、王国の情報を伝える内通者がいるかもしれません」
尤も、城に潜入して情報を入手したという線もありますが。フーレンスはそう言葉を続けながら、軽く曲げた人差し指を顎に当てて、
「とにかく、どちらにしても厄介な状況である事には変わりません」
「城の人達が、信用出来ないって事ですものね。ひょっとして、騎士団の方にもいて」
「ええ、その人物が巧みな話術でこちらに情報が伝わるのを妨害した、という可能性も十分に考えられます」
頭の中に浮かんだ思いつきをそのまま口に出すと、彼は深く頷いた。
「これからは、城の人間に対しても警戒を強めなければならないでしょう。貴女も自分の周囲に怪しい人物がいたら、十分に注意して下さい。なるべく、単独行動は慎むように」
拒否する理由など無い。当然、ワタシはコクリと頷く。
「はい、分かりました……ところで、例の『影の継承者』って人達が店から奪ってる品物は何なんですか?」
「召喚石ですよ」
「召喚石?」
またもや聞き慣れない単語に、オウム返しに言葉を投げかけていた。そんなワタシに、フーレンスは穏やかな調子で解説をしてくれた。
「魔力の蓄えられた鉱石――俗にいう魔石の一種です。主な用途としては、その名の通りに召喚術の補助道具として使われます」
要するに、未熟な術師が力量不足を補ったり、あまりにも強力な召喚術を唱える際の負担を減らしたり、そういった目的で用いるのだそうだ。聞くところによると、ワタシを召喚する際にも、ルトレーが大量の召喚石を消費していたらしい。
しかし、その分かりやすい説明を受けても、ワタシは何となく釈然としない気持ちを抱えていた。
「そんな物、どうして集めているんだろう?」
「さあ、そこまでは」
フーレンスの方も、複雑そうに首を振った。
「何分、こちらの手元に送られた情報だけではどう考察を深めても推測の域を出ませんから」
「ワタシの力と何か、関係があるんでしょうか?」
「私個人の考えとしては、その線が強いとみています」
「……そういえば、ワタシの力って、結局どんな物なんでしょう?」
「それはまだ、確かな事は分かりません。貴女以外で、実際に側で見ていたのはミナーシェしかいませんから」
「あ、それもそうですね……」
「ただ、貴女の体調が回復すれば、私とルトレーとで少し調べさせてもらうつもりです」
「えっ、調べる?」
さらっと発せられたトンデモ発言に、ワタシは心臓がドキッとするのを感じた。
「大丈夫ですよ、大した事はしませんから」
ベッドの上でキュッと体を縮こませたワタシに、フーレンスは柔らかいニュアンスで安心させるように言った。
「とにかく。今は先の事を考えないで、ゆっくり休んで下さい。最近は、あまりに色々と起こりすぎた。マナミさんの体も心も、随分と疲れていると思います。グッスリ眠って、食事も取って、体力を回復させて下さい」
「は、はい……でも、仕事の方は」
とっさに、言葉が口から出た。現代社会で染み着いた職務第一の精神が、どうも脳のどこかにこびりついていたらしい。
「そちらの方も、ワタシの権限で免除にしておきます。何も心配する必要はないですから」
それから、彼はこれからの予定についてワタシに話した。取りあえず、数日はこの場所で療養し、その間の警護はミナーシェを初めとした数人で行ってもらうという。フーレンスとルトレーは代わりの人員が到着次第、本部に戻るそうだ。ある程度元気になったら、ワタシには兵舎の方へ戻ってもらうという。
「やはり、本部の方がここより安全ですからね。他の隊員もすぐ側にいますし」
その他、二言三言を話した後、フーレンスは空になった水差しを交換しに部屋を出ていった。再び、一人きりになったワタシは、枕の上に頭を乗せて、小さく息を吐いた。
「……これからワタシ、どうなるんだろう」
自然と呟かれた問いに、答えてくれるのは窓を無機質に打ちつける雨音くらいだった。