002 「秘密守る気あるのか?」
次の日も、また学校だった。
昨日の一件で、俺と亜梨紗は再びもとの、薄い関係のクラスメイトに戻った。
かたや学年、いや学校全体でもダントツで目立つクォーター美少女、亜梨紗。
かたやクラス、いや世界中でもトップレベルに目立たない、地味な男子の俺。
そんなふたりは、疎遠である方が圧倒的に正しい。
ましてや身体が入れ替わって、ひと月その状態で過ごして、秘密を共有して放課後にこっそり会うなんていうのは、ふさわしくない。
亜梨紗には、迷惑をかけた。
これ以上そうならないためにも、お互い正しい距離感でいるべきだ。
……と、そう合意が取れていたはずなのだが。
『寝グセついてるわよ』
授業間の五分休みに、また亜梨紗からLINEが来た。
視線を感じて振り返ると、亜梨紗は呆れた表情で、自分の頭の右後ろを指差すジェスチャーをしていた。
たぶん、寝グセの位置を俺に伝えようとしているんだろう。
……。
『居眠りしてたけど、寝不足?』
続けて、そんなメッセージが送られてくる。あいつは親か。
『普通に授業が眠かった』
そう返すと、亜梨紗がやれやれと首を振る。
こら、普通にやり取りするな。誰かにバレたら面倒だろ……。
そして、またその次の日。
『入れ替わり中にあんたが買ったシャーペン、返し忘れてた』
朝、学校へ向かって歩いていると、亜梨紗からそんなメッセージが送られてきた。
慣れないものだと落ち着かないという理由で、たしかに俺はシャーペンを買った。
けど、そんなのべつに返さなくていいのに。
『使わないなら捨ててくれ』
『だめ。持ってきたから、今日渡すわ』
おい……また秘密のやり取りか。リスキーだって言ったろうに。
『なら下駄箱に入れといてくれ』
そう返事をしたが、しばらく反応がない。
けれど、次の横断歩道に差しかかったときには、『わかったわよ』と返ってきた。
なんでちょっと怒ってるんだか……。
その日、授業が終わって昇降口へ辿り着くと、本当に下駄箱の中に、シャーペンが置かれていた。
それも、小洒落た紙袋に入れられて。
そして、またまたその次の日。
『璃奈にお礼したくてお菓子買ったから、放課後渡すわ』
今日は、昼休みだった。
文面を見てから横目で亜梨紗の方を窺うと、たしかに机にかけたカバンが、不自然に膨らんでいる。
べつに、璃奈にお礼をするのはいい。
あいつには、俺もかなり世話になった。
ただ、なんでまた俺経由なんだ。
いや、そうするしかないのはわかるけども……。
ここ三日……いや、もう四日目か。
毎日なにかしら亜梨紗と接触していて、気が休まらない。
これは……もう一回言っておくべきか、しっかりと。
『なら、例の教室で』
そう返事をして、亜梨紗に視線を送る。
すると、亜梨紗はこちらに気づいて、目を丸くしていた。
なんでお前が驚いてるんだか……。
その後、結局亜梨紗からも承諾の連絡が来て、迎えた放課後。
「はい、お菓子。璃奈、フィナンシェ好きでしょ」
「……これ、バイト先のやつか」
「うん。新商品」
亜梨紗から受け取った箱には、見覚えのある店名のロゴが入っていた。
亜梨紗が働いている、カフェレストラン。
洋菓子やコーヒー豆も売っていて、学生はほとんど来ない、ちょっとお高い店だ。
「まあ……璃奈は喜ぶだろうけどさ」
「ちゃんと渡してよね。……で、でも、いっぱい入ってるから、ちょっとくらいはあんたも……食べれば?」
「ん、ああ……ありがとよ。いただく」
俺が答えると、亜梨紗はなぜか口を尖らせて、ぷいっとそっぽを向いた。
意味がわからない反応だ。ホントはもらっちゃだめなのか……?
いや、今はそんなことよりも。
「亜梨紗」
「ん……なによ」
「なによ、じゃないだろ……。接点持ちすぎだぞ。お前、秘密守る気あるのか?」
「えっ」
亜梨紗は短い声を出して、ピクッと肩を跳ねさせた。
ギギギという音が聞こえそうな動きで、首がこちらに向く。
まるでカラクリ人形だ。なんだこいつ。
「俺のことも、璃奈のことも、気にかけてくれてるのはありがたい。けど俺との繋がりがバレたら、お前も困るだろ」
「……」
「ほとぼりが冷めるまでは、距離を置こう。そうでなくても、お前はお前で、いろいろ大変なんだから。もう、自分のことに集中してな」
そう、そうだ。
亜梨紗は、忙しい。生徒会もバイトも、勉強も、やることは山積みだ。
こいつの生活にとっては、俺との関係は邪魔でしかない。
そりゃもちろん、完全になかったことにはできないだろう。
けど、必要以上に干渉すべきじゃない。
もう、終わったんだから。
「お前が困ったときは、俺にできることならやるよ。だから、なにもないあいだは――」
「わかったわよ」
と、俺のセリフを遮って、亜梨紗が言った。
言葉とは裏腹に、その声には怒ったようなトゲと、いら立ちが混じっているような気がした。
「ううん、もともとわかってるもん。そもそも、べつに気にしてないし、あんたのことなんか。自意識過剰なんじゃないの?」
「……そうか。そりゃ悪かったよ」
「ふんっ。じゃあ、私帰るから」
くるりと身体を翻し、亜梨紗が俺に背を向ける。
流れた髪がかすかに、しゃらりと音を立てたようだった。
「……お菓子は、絶対渡してね、璃奈に。あんたは食べちゃだめだから」
「えっ……さっきと話が――」
「だめ」
最後にそう言い残して、亜梨紗はスタスタと去っていった。
どうやら、機嫌を損ねたらしい。余計なこと言ったかな……。
ただ、困ったら助ける、というのは、完全に俺の本心だ。
多少大変なことでも、力になってやりたいと思ってる。
なにせあいつには、簡単には返しきれない、大きな恩があるのだから。
それから、俺は帰りにスーパーで買い出しをして、のんびり帰宅した。
その夜も、ついでに翌日からの連休中もなにも起こらず、ただ平穏な時間が過ぎていく。
なんの変哲もない、静かで平和な週末。
けれど、自分の身体で過ごせるというのは、それだけでもやっぱり素晴らしい。
足るを知る、という心は大事だ、うん。ちょっとじじ臭いけども。
そんなわけで、俺は連休最終日も、あまり高校生らしくない心持ちで静かに床に就いた。
こんな普通な日々も、亜梨紗との入れ替わり中と比べれば、どう考えても天国だ。
夢を見た。
小学二年生の、俺がまだ小さかった頃だ。
母さんがいた。
璃奈はまだ六歳で、リビングのソファで眠ってた。
買い物行ってくるね、と母さんが言った。
お留守番と璃奈、お願いね。
頭を撫でられて、俺はすっかり、幸せな気分になる。
できる。寂しいけど、平気だ。
だって俺は、母さんの子なんだから。
手を振り合ったあとで、母さんが家を出ていく。
いつもの一日、いつもの光景だった。
やっぱり、いつも通りがいい。
たとえ変わり映えはなくても、普通がいい。
そう思っていた。
だけど、普通は貴重だ。
当たり前のことが、当たり前にある、続く。
それは、当然なんかじゃない。
そのことを、俺は知っている。
ドアが閉まる。
バタン、という音がやけに大きくて、少し怯えてしまう。
いやな夢だった。
でも……母さんに会えたのだけは、よかったな。
「……んっ」
アラームが鳴る前に、目が覚めた。
瞼が重い。視界が霞む中、モゾモゾと手足を動かして、布団をどける。
朝だ。支度して、学校へ行かないと。
だけど、面倒だ。まだ眠い。
もう少しだけ寝ていたい。
…………あれ?
なんだ……この違和感。
この、しっくり来ない感じ……。
「……」
だんだんと、思考がクリアになってくる。
けれど、やっぱり違和感は消えなくて、ますます頭が混乱する。
真っ先に気になったのは、感触だった。
ベッドの硬さが違う。
普段はもう少し、柔らかい。
それに、シーツと枕の肌触りにも、全然覚えがない。
身体をゆっくり起こして、目を擦る。
考えるよりも、見る方が早い。
何度か瞬きをすると、視界が鮮明になっていく。
だがそのあいだにも、俺はもう、ひとつの結論に辿り着いていた。
見慣れない部屋だった。
ベッドはもちろん、天井も家具も、初めて見る。
おまけに、今着ている水色のパジャマだって、俺は持ってない。
そして、なにより――。
「……ない」
足の付け根、股の辺りに、あれの感覚がない。
それに、たった今耳に届いた自分の声にも、聞き覚えがない。
手の平を見る。色が白い。指が細く、丸みがあって滑らかだ。
覚悟は、もう決まっていた。いくら寝起きでも、そこまでバカじゃない。
だが、答え合わせをするのは、単純に億劫だった。
まあ……そういうわけにもいかないんだけれど。
「……よう。美人だな」
立ち上がって、部屋に置かれていた鏡を見た。
寝起きなのに、黒くて艶のあるボブカットには乱れひとつない。
愛嬌のある穏やかな目に、長いまつ毛。
鼻はそこまで高くないが、ほかのパーツとのバランスが絶妙で、全体的に整っている。
なにより、スタイルがいい。
女子にしては高い身長と、細い手足が、モデルのそれを思わせる。
いや……外見の品評なんて、やってる場合じゃない。
大丈夫だ。皮肉なことに、前回よりもずっと落ち着いてる。
次にやるべきことは、頭に浮かんでる。
枕元で見つけた、ミントグリーンのケースに包まれたスマホを手に取る。
顔認証でロックが開いて、思わず笑ってしまった。
見慣れないホーム画面。
知らないアイコンが、たくさん並んでいる。
その中から電話のアプリを見つけて、暗記している電話番号のうち、妹の璃奈のものに通話をかけた。
時刻はまだ七時前で、あいつは寝ている時間だろう。
けれど、起きるまで待ってるわけにはいかなかった。
「……もしもし、璃奈。ああ、俺だよ。……また、一ヶ月面倒かける」
人には誰しも、『生まれ持ったもの』がある。
だがもちろん、それが嬉しいものであるとは限らない。残念ながら。




