001 「放課後、いつもの空き教室で」
人には誰しも、『生まれ持ったもの』がある。
本人には選べない、生まれた時点である程度決まっている、与えられている要素。
才能、頭のよさ、顔の作り、そして――髪の色。
「そういや亜梨紗、神矢に告られたんだって?」
宮柳高校、一年五組の教室、昼休み。
四人の女子の話し声が、クラス中に響いた。
途端、周囲の連中の注意が、そちらへ向くのがわかる。
話題自体のインパクトは、もちろんあるだろう。
けれどなにより、その自信に満ちた無遠慮な声音と、出どころである女子四人組の華やかさが、注目を集める理由になっているのは間違いなかった。
「あ、それ私も聞いたー。フッたの?」
「……ええ。まあね」
ぶっきらぼうにそう答えたのは、四人の中でも特に目立つ、金に近い明るいロングヘアを背中まで伸ばした女子、鳳城亜梨紗だった。
外見も、名前も、同じくらい派手だ。
あまり騒ぐタイプではないものの、リーダーシップとカリスマ性があり、この夏から生徒会副会長を務めている。
学年トップを争う成績と、抜群の運動神経。
おまけにイギリスとのクォーターで、整った目鼻立ちに、意志の強そうな大きな目。
メリハリのある引き締まったスタイル。
全てそうだとはいわないけれど、生まれ持ったものが違う。
少なくとも、周囲からはそう見える。
そんな少女。
「ふーん。まあ神矢だし、そりゃそうか」
そのセリフで、今度は数名の視線が、窓際にいた俺――神矢琉依に向けられた。
あんまり見るなよ、普通に。
……いや、さすがに見るか。べつにいいけどさ。
「でも亜梨紗、告られても全部断ってるよねー。それはそれでもったいなくない?」
次のそんなセリフには、クラスの男子数名が耳をそばだてていた。
当然ながら、鳳城亜梨紗は規格外にモテる。
そんなあいつの回答が、みんな気になって仕方ないという様子だ。
だが――。
「もう、いいからその話。あと声大きい」
鳳城亜梨紗はうんざりしたように首を振って、手元の小さな弁当箱を箸でつついた。
残りの女子三人はつまらなさそうにぼやき、さっさと別の話題に移っていった。
まあだからといって、男子の注目がそれるわけではなかったのだけれど。
「……ん」
そのとき、机の片隅に置いていたスマホが、ブブッと震えた。
LINEの受信通知で、内容は……。
『ごめん』
たったそれだけの、短いメッセージ。
装飾もスタンプもなく、極めてシンプルだ。
あいつらしいな、と思う。
文面も、このタイミングですぐに謝ってくるところも。
『気にするな』
そう返事をして、スマホを閉じる。
だがすぐにまたメッセージが来て、俺は再び画面を確認した。
視線を感じる気がしたけれど、今は無視しておこうと思った。
『放課後、いつもの空き教室で待ってて』
送り主は、さっきと同じ。
バイト先のカフェで撮ったであろう、ラテアートの写真をアイコンにした、鳳城亜梨紗。
『了解』
今度こそ、もう追撃は来なかった。
ただ、やはりあいつはこっちを見ていて、迂闊にも目が合ってしまった。
すぐに視線をそらしながら、これまでの出来事を思い出す。
鳳城亜梨紗と、神矢琉依。
俺たちの身体は、ひと月前に入れ替わった。
そして今は、もう元に戻っている。
鳳城亜梨紗に指定された空き教室は、クラス棟から離れた校舎の片隅にあった。
放課後は滅多に誰も訪れず、秘密の話をするにはうってつけだ。
まあだからって、完全に油断はできないけども。
「……おう、お疲れ」
引き戸が開けられるガラリという音が、静かな空間に響く。
その直後、スカートと長い髪を揺らして、待ち合わせの相手――鳳城亜梨紗が教室に足を踏み入れた。
差し込む夕日を浴びて、亜梨紗の華やかな髪と深い色の瞳が煌めく。
凛とした表情といい、この外見といい、相変わらず、存在感が段違いだ。
それに――やっぱり《《本人だと》》、様になるな。俺と違って。
「ごめん……お待たせ、琉依」
亜梨紗が、その雰囲気に似合わない控えめな声で言った。
俺がここに来てから、もう三十分以上が経つ。
たぶん、それを気にしているのだろう。
「いいって。どうせ生徒会だろ。今忙しそうだしな」
二学期の後半には、文化祭が控えている。
亜梨紗を含む生徒会メンバーは今、その段取りに追われているのだ。
「そういや初めてか。身体が戻ってから、ふたりで話すの」
「……そうね。なんか、不思議な感じ」
亜梨紗はかすかに笑った。
そのまま俺のそばに来て、同じように机に腰掛ける。
「わかる。違和感あるよな。ホントは、こっちが正しいのにさ」
「一ヶ月って怖いわね……長かったわ」
ああ、亜梨紗の言う通りだ。
俺たち高校生にとって、一ヶ月は長い。
よく、耐えてくれたと思う。
正直、亜梨紗には感謝しかない。
いや……今はそんなことよりも。
「璃奈、元気?」
亜梨紗が、俺の妹の名前を出した。
入れ替わっていたあいだ、亜梨紗と璃奈はよく一緒にいた。
まあ同じ家に住んでいたんだから、当然なのだが。
あいつも亜梨紗には懐いてたし、いい関係だったんだろう。
まあ、そのときの外見は俺だったわけだが。
「元気だよ。っていうか、戻ってからまだ一週間だろ。変わらないよ」
「……そっか。そうね。なんか、もうずっと前のことみたい」
「まあそれもわかるよ。璃奈も寂しがってたしな」
姉みたいな亜梨紗の存在は、璃奈にとっても嬉しかったんだろう。
兄としては、負けた気分だな。
「で、なんの呼び出しだ?」
「あ、うん……えっと」
そこで一度言葉を切って、亜梨紗は身体の前で組んだ手を揺らした。
落ち着いていて、気が強くて、大人っぽい。
そんな亜梨紗がこういう仕草をすると、かなりギャップがあった。
まあ、こいつはもともと、案外幼さもあるやつなんだけれど。
見た目と表情の印象で、勘違いされてるだけだ。
「……ごめん。昼休み、いやな話題にしちゃって」
「え……」
亜梨紗は上目遣いに俺を見た。
昼休み、いやな話題……ああ、あれのことか。
「気にしてないって言ったろ。それに、もうLINEで謝られたしな」
「でも……それだけじゃ、なんか悪いし」
亜梨紗はそんなことを言って、また「ごめん」と小さく頭を下げた。
律儀なやつだ、本当に。
もとはといえば、こいつは悪くない。不可抗力だろう。
まあだからといって、亜梨紗の友達連中にも、べつに悪気はないんだろうけど。
「そもそも、《《そういうこと》》にしとくって、決めたのは俺だ。だからいいんだよ。わかるだろ?」
「……でもそれだって、ホントは――」
「あーはいはい、わかったよ。じゃあ、謝ってもらったから許す。それなら文句ないだろ」
「……」
俺の完璧な論理にも、亜梨紗は未だに不満げだった。
なにを気にしてるんだか。
それをいうなら、俺だって亜梨紗に迷惑をかけた。いや、かけまくった。
身体が入れ替わっていたひと月のあいだ、亜梨紗は苦労しただろう。
それに、友達や家族にも、秘密にしてもらっている。
俺が亜梨紗にフラれたっていうのだって、あのときの言い訳はそれしかなかったんだ。
むしろ、そんな嘘に付き合わせたのだって、申し訳ない。
「ってことで、ホントに気にするな。それに、もうあんまり会わないでおこうって、そういう話だったろ? 表向きじゃ、俺たちは友達でもない。さすがに『もと入れ替わり相手』だなんて思われないだろうけど、変に怪しまれてもリスキーだ」
「それは……そうだけど」
口ではそう言いながらも、亜梨紗はまたもじもじしていた。
伏し目がちにこちらを見る目が、なにやら恨めしそうだ。
お互い納得していたはずなのに、おかしなやつ。
それに、頭がよくて合理的なこいつらしくもない。
頬が赤く見えるのは、たぶん夕日のオレンジのせいだと思うけれど……。
「んじゃ、もう行くぞ。明日からはあらためて、俺たちは他人だ。少なくとも学校ではな」
「あ……琉依っ!」
「……ん」
呼び止められて、振り返る。
だが、亜梨紗は口を薄く開けたまま、固まっていた。
こっちに伸ばされた白い手が、ゆっくりと下がっていく。
やっぱり、変なやつだ。
亜梨紗のことは、もうけっこう、知ったつもりになってたのに。
まだまだ、俺の思い上がりだったのかもしれない。
まあ、こう見えて底なしにいいやつだってことだけは、間違いないけどさ。
「じゃあな。なにかあったら、また呼んでくれ」
「……ええ。わかった」
今度こそ、俺は教室を出て、夕日の差し込む廊下を歩いた。
なにかあったら、また。
最後にはそう言ったけれど、やっぱり俺たちは、もうあまり関わらない方がいいのだと思う。




