第6話 ルールは、たった一つ
顔面に雪景色を見たのかと思ったぜ──と、ナツの顔色を見た警官はおどけてみせる。ナツは満身創痍といった様子で、ゆらゆらと警官に歩み寄った。
「とりあえずパトカーの中で話そうや」
「……はい」
こうしてナツは、犯人でもないのにパトカーに乗せられた。
車内はタバコ臭い。いつものナツであれば鼻をつまんだだろうが、今はそんな気分にはなれなかった。むしろ、鼻の奥にこびりついた鉄の臭いが紛れそうで、有難くすら思えていた。
一方で、警官はナツの沈痛な面持ちに違和感を抱いていた。処罰の現場に直面した市民でも、少し落ち着けば礼を言う。
だというのに、ナツは感謝するどころか、身をかたくするばかりだ。おまけに、警官と距離を取るように後部座席に座っている。
警官は、ナツの様子をまるで、良識ある殺人鬼と対峙しているみたいだと思った。
実際、その感想は的中していたのだが――警官は都合のいい楽観主義者。すぐにその可能性を捨ててしまう。
「あのさ、ナツ君……だっけ?
そんなにビビられるとこっちも接しづらいんだけど」
「ど、どうして僕の名前を……!?」
「監視カメラで聞いたんだよ。
ここら辺の管轄は俺なんでね」
「管轄……」
「警察だから。え、警察知らない?」
ぽかん、と口を開ける警官。
ナツは慌てて「し、知ってます……!」と両手を振る。
「ただ、僕の知ってる警察とは少し違ったので……」
「社会王国の警察か?
あっちは法律が多いうえに、治安が良いからなあ。監視する必要がないだろ」
「……ここは法律が少ないんですか?」
いい質問だ。警官は内心で褒めた。おかげで説明に入りやすくなった……と、胸を撫でおろしながら首肯する。
そして、バックミラー越しに人差し指を立てて言った。
「社不王国の法律――ルールはたった一つ。
それは、『他者に害を与えないこと』だ。
破ったヤツは問答無用で死刑」
単純なルールだと、ナツは感じた。この国のラフさを思えば当然かもしれない。だが、同時に不安定でもある気がした。
そもそも、ナツには「アオに害を与えられた」という認識がない。
警官もそれを承知していた。だからこそ、事件の説明に入る。
「調査によると、これまでアオは二人の市民を殺していたらしい。
お前に金銭を要求しただろ?
あのとき、アイツは後ろ手にナイフを持ってたんだ」
「……ナイフを」
「そう。俺があと一歩遅かったら、お前は死んでただろうな」
ナツは、自分の両手を見た。
実感が沸かない。自分が、あと少しで死ぬところだったなんて。
最期のアオのぐしゃぐしゃになった顔が、ナツのまぶたの裏でフラッシュバックする。
一歩間違えていれば、血溜まりの中心にいたのは自分だったのかもしれない。
身体を震わせるナツに対して、警官は舌打ちした。
状況説明は終わったというのに、ナツは警官の望むものを与えない。
「ほら」
振り返った警官は、くいっと手でナツに催促する。
改めて「ほーら」と促すが、意図が上手く伝わらなかったようで、ナツは首を傾げるばかり。
もう我慢ならない。
ついに、警官は座席から身を乗り出した。
「だーから! 俺はお前を助けてやった救世主だろ? 何か言うことあるよな? な!?」
「な、なん……ですか」
「おーれーい!! 感謝しろッ!!」
ナツは、ようやく警官の言いたいことを理解した。
「あ、ありがとう、ございます……」
「ったく」
実感はないが、助けられたことに変わりはない。筋は通っているため、特に抵抗なく感謝を口にするナツ。
警官は満足そうに笑みを浮かべると、タバコに火をつけた、
「お前の家まで送ってやるよ。住所は」
「住所……ちょっと、まだ分からないです。
でも歩いて行ける距離なので、お構いなく」
「マジか。まあコンビニだしな、徒歩が普通か」
一人で納得すると、警官がパトカーを降りた。
突然の行動。ナツが目で追っていると、窓がコンコンと叩かれる。
「一緒に行くぞ」
「ええ……」
あからさまに嫌そうな顔をするナツ。できれば、一人で状況を整理したいというのが本音だ。
しかし、警官は違った。
可能な限り、ナツと行動を共にするべきだと本能が告げている。ナツからは、まだ『感謝』を搾り取れそうな予感がしていたのだ。
警官がこの職業を目指した理由は
第一に、薬きょう集め。
第二に、感謝をされたいからだった。
他人から礼を言われると、警官はどうしようもないほどに気分が高揚してしまう。その感覚がやみつきになってしまい、感謝されるという快感を手放せないまま、三十路を迎えてしまった。
ナツの頼りない肩に腕を置くと、警官は口角を上げて言う。
「いいのか? 俺は警察だぞ。
この国のことなら、一般市民より詳しいが」
「本当ですか……!?」
かかった。
表情が一気に明るくなったナツを見て、「もちろん」と応じる警官。同行の承諾を得たとばかりに、パトカーの鍵を閉めて、歩き出す。
「なんでも聞け」
ナツは、ようやく頼りになる情報源を見つけたことで、胸が高鳴っていた。
この国の生活の仕方や、価値観がやっと分かるのだ。
そして──ナツがどうして、この国にいるのかも。




