砂漠
それから三ヶ月の間、僕は美術室でこつこつ一枚の絵を描き進めた。本当に少しずつ長い期間をかけて描いた、時間の機織りみたいな絵だ。一本一本の糸にその時思い浮かべていたイメージが染め込まれていて、それが全体としては狭霧への想像を昇華したものになっていた。
絵具はアクリルを使った。ぺったりとして光沢のない画面が欲しかったのだ。それまで僕が美術室で描いてきた絵はほとんどが鉛筆か水彩だったし、油彩も授業で習っただけ。画材としてのアクリルは久しぶりだった。
画材として、と限定したのは、模型の塗料なら手島模型で散々触っていたからで、アクリル塗料はプラモデルには主流だ。色鉛筆やクレヨンでは色がつかないし、マーカーペンでは派手すぎる。
美術部にはターナーのアクリルガッシュとゴールデンアクリリックスの買い置きがあって、スケッチブックに色々試してみてアクリリックスの方が気に入った。そっちの方が乾きが遅くてグラデーションが滑らかに出るし、発色もシックだった。
下書きをしていて気付いたのだけど、僕が描く狭霧はほとんどポートレートの構図だった。全ての絵を正面に近い角度で描いていた。それに対して壁に貼ったままでいた水底の深理さんは斜め半分より横向きの顔が全てだった。全く横顔より少し向こうを向いている絵もあった。
それを意識しつつも結局狭霧の新しい絵を横顔で描くことはできなかった。やはり正面でなければならないという感じがした。けれどただ単に全身こちらを向いているというのは避けて、振り向いて体の向きを変えたところを描くことにした。
砂漠の絵だった。狭霧は乾いた布で全身を覆って砂丘の稜線に立っている。砂丘のこちら側の斜面には、足跡というか、それが崩れて砂の沈んだ痕が残っている。風は画面の奥から手前へ、狭霧の背中に吹き付け、空はからからと塩湖の水面のように晴れている。それだけでも幻想的な景色だ。でもさらに現実味を奪っているのは砂や布の色で、空の色を映したように乾いて透き通った青色をしている。それが砂や布であるということを認識させるのに最低限の色合いしか持っていない。だから画面は全体として薄い青色で、乾燥帯の灼熱や砂のじゃりじゃりした感じはなく、漠然とした広大さを抽出した、むしろ寒々しい印象、今にも摺り切れて色がなくなってしまいそうな感触だった。
これで完成と決めた時、僕は絵を裏返してカンバスの裏地に水色の絵の具で次のようにサンテックスを引用した。「砂漠で」という章の一節だ。「サハラ砂漠がその姿を見せるのは、ぼくらの内部においてである。砂漠へ近づくということは、オアシスを訪ねるということではなくて、一つの泉をぼくらの宗教にすることだ。」
画面を見つけるのには苦労した。僕が三年生になってから二つ下の後輩に女の子が三人入部して、彼女たちが揃いも揃ってものすごい勢いで油絵を描くので、画布はともかく、手頃な大きさの木枠が準備室からすっかり枯渇してしまった。アクリルだから紙でもいいのだけど、あまり小さなものでは収まりが悪いし、大判のイラストボードはもともと在庫が少ないので当てにならなかった。結局展示会用の重たい額縁やら木枠から外した古い絵やらを吊っているスタンドの裏まで潜りこんで、そうして見つかったのは、分解して仕舞っておくせいで一辺が行方不明になったり、組合せのところが欠けて使い物にならない枠ばかりだった。汗まみれ埃まみれになりながら三十分くらい準備室を荒し回って、ようやくひとつ、百年くらい見捨てられていたような酷く黒ずんだ木枠が麻縄でしっかり結ばれているのを発掘した。触ると煙草の脂か何かでべたべたした。流しに持っていって洗剤でごしごし洗い、保湿のために掌でポピー油を塗って乾燥棚にかけた。
洗う前に大きさを測るべきだったと少し後悔したけれど、次の日にメジャーを持ってきて長い方を測ってみると九十センチちょいだった。三十号らしい。カンバスのスケールは長辺の長さで決まる。今まで僕が描いたどんな絵よりも大きい。それから、人物用とか、風景用とか、そういったサイズは長辺に対する短辺の長さによって分別するのだけど、こっちを測ってみると六十センチ、対応表を見るとMサイズだった。つまり海景用だ。規格の中では一番縦横比が大きく細長い画面になる。組んでみると確かに横長で、今まで使ってきた画面とはかなり違っていた。左右の端をどう使ったものかは悩みものだけど、でも、まあ、砂漠を砂の海とすれば海景というのもありかもしれない。
いざ始めてみると問題は何より画面の大きさだった。カンバスを張って鋲を打つだけで一時間は下らないし、下地を塗るだけで白の大きなチューブがぺちゃんこになった。制作に長い時間がかかったのはほとんどこの大きさのせいだ。ニケと同じくらいの時間を捧げたんじゃないだろうか。ひとしきり描いては壁まで後ずさりしてっ全体を見渡し、また椅子まで戻り、その繰り返しだった。
二〇一二年一月七日、鈍い日差しの冬の朝だった。美術室に入ると尾上先生が作業台の上に正座していた。新聞を敷いた上に書道具が広げられている。
「水墨ですか」挨拶のあと僕は先生が書いているものをよく確認しないまま訊いた。
「書き初めなんだけど、最初床でやってみたらどうも圧迫感があって。ほら、高いものに囲まれているでしょう」
文鎮で押さえられた半紙を見ると四庫全書並みに狂いのない文字で「謹賀新年」とある。それが下敷きと隣の新聞紙の束の上に二枚ある。
「まずは型を掴むのよ。次は少し崩してみるから」
先生は新聞紙の束を捲って今書いたものをそっちへ移し、新しい半紙を文鎮で押さえた。楷書で書く。しかし文字ごとのバランスは異なっていて、一文字が占める面積も均等ではない。払いや跳ねなど尻尾が次の文字の領域にはみ出している。均整という点ではさっきより悪くなったけれど、書としての見栄えは今度の方がずっとよかった。言葉は「雪の賦」「月夜の浜辺」「早春の風」など。
流しの上の窓がほんの少し開いている。空気を入れ替えつつ風は入らないようにしているのだろう。僕はその隙間に顔を近づけた。氷の吐息のような風が額にかかって、鼻から吸い込むと頭から胸まで体の内側がすっきりした。それまで締め切ってストーブの効いた教室に籠っていたせいだ。上空には雲が紺色の影を斜めに引いていた。
集中が途切れたらしい。先生は足を崩し、体の向きを変えて作業台の縁に座った。「今朝は調子がよさそうだね」
「まあまあですよ、僕は。先生は?」
「うん。悪くない」
「あけましておめでとうございます」
「そうだね、おめでとう」
「今年も一年――」三月まで、それも会う機会はほんの数回だろうけど「一年、よろしくお願いします」
「こちらこそどうぞよろしく。いいのよ。縁があれば疎遠にはならない。嫌でも出くわすことになるのだから」
もうすぐ美術部ともお別れなのだと思うとひとつ訊いておきたいことがあった。
「ねえ、先生にとって僕は特別な存在でしたか?」
先生はちょっと答えづらいような顔になったあと、「もちろん。人間として、生徒として、部員として」と答えた。
僕は頷く。それはやっぱり期待した反応とは違っていたけれど、重圧が解けた気もした。
「対等な人間の話をしましたよね」
「ええ、そうね」先生は少し眉をしかめた。答えてからいつのことだったか思い出したのだろう。「見つかったの?」
「二人の人間が交際するということは一見対等に思える」
「うん」
「でも人生を考える時、二人は現実の問題から切り離されているわけにはいかない。どこかに妥協が生じて、貸し借りや、恩や、責任や、だんだん複雑な関係に変わってくる。相手の言葉を聴き、存在を認めることに余計な価値観を持って臨んでしまう。まっさらな対等さではいられない。いつかその煩雑さに疲れて逃げ出したくなってしまう時が来る」
「うん」
「人間の関係って不釣り合いで主観的なものなんです。彼にとって彼女は唯一の友達かもしれないけれど、彼女にとって彼は多くの友人のうちの一人に過ぎないかもしれない。同じ『いちばん大切』でも、二番目に大切なものの重さや、大切なものの合計はきっと違っている。対等じゃない」
「じゃあ、対等な相手というものは存在しないのかな?」
「常には」
「常には、というと?」
「一時的にはありうるかもしれない。現実の問題を遮断できるシェルターに入って、二人の間に現実の利害はなくて、当面に時間の制約もない、そういった環境なら、相手と自分の考えることだけで頭をいっぱいにしてもいいはずだから」