第138話 ユダとベルフェ
(三人称視点)
「……」
中層に設けられたキャンプ場は、魔物が入ってこないようにトオルの手によって結界が設けられている。
幾つかの制約があるため完全な結界とは言い難いが、それでもユダがこうして一人で自主練ができるくらいには、安全が確保された空間だった。
(ダメだ全然わからん)
食事を終えたユダが始めたのは、トオルのいう第六感……あの極限の集中状態を思い出すイメージトレーニングだった。
坐禅を組んで当時の精神状態を振り返っているが、しかしあまり効果は得られていないようだった。
(イカダの上で四方八方から、休みなしに攻め立てられてた時。自分でも出来過ぎだろって思うくらい動きがキレてた)
五人の中でも、ユダの仕事量は特に多かったと言えるだろう。
イカダが転覆しないように水流の操作、上空の敵への狙撃。
今から同じ事をもう一度やれと言われても、ユダはできる気がしなかった。
(言われてみれば、確かに時間感覚がゆっくりだったような……飛んでる敵がスローモーションに見えた、気がする。
……でも思い出せないんだよなぁ、あの感覚)
当時のユダのパフォーマンスは確かに優れていたが、しかし本人はその出来事をあまり記憶していなかった。
記憶する余裕がなかった、と言うべきか。ともかく今ではあの極限集中の感覚も、ユダの手のひらから滑り落ちてしまっていたのだ。
「こんなんで大丈夫か俺……? 明日の修行とかついていける気がしないんだが……」
「――何してるの、そこで」
「!」
そんな弱音を吐いていたユダに近づいてきたのは。
「ベルフェさん? どうしてこんな所に」
「……テントに貴方の姿がなかったから。迷子になっているのかもと思って」
深山ベルフェ。ユダと同じく訓練メンバーに選ばれた一人であり、影を操るスキルを持つBランク探索者であった。
「ああ、すみません……心配、かけさせちゃいましたか」
「……気にしなくていい。それより、こんな人気のない所で何してたの」
感情を感じさせない平坦な表情で、ベルフェはユダをじっと見つめていた。
その様子に気押されたのか、それとも隠れて修行をしていた罪悪感か。いずれにせよユダは素直に白状した。
「ちょっとイメージトレーニングを……今日の修行の内容を振り返ってまして」
「……だから、こんな静かな場所にいたのね」
「残念ながら成果は出てないですけどね……皆さんに迷惑をかける訳にもいきませんし、休んでる場合じゃないと思いまして」
「――――」
そのユダの言葉を聞いて。
初めてベルフェが、何か感情のような物を浮かび上がらせた、気がした。
カレーライスを食べている時も変化しなかった、止水の如き彼女の表情に、一瞬だけさざなみのようなものが、ユダには見えた気がしたのだ。
「ベルフェさん……?」
「ユダ。あなたは休息を取る必要がある」
「へっ?」
ぐい、と身を乗り出してくるベルフェ。
先ほどまでの静かな喋り方と打って変わって、なんだか饒舌になっているような気さえした。
「人間には動くべき時と、休むべき時がある。今のあなたは後者。にも関わらず無理をして自主トレーニングをしているから、成果がでない」
「え、なんですいきなり」
「メリハリが大事ということ。疲労の溜まった修行後、それも食後にトレーニングをしても成果は出にくい。特に貴方のような波長を持つなら、尚更」
「???」
ユダにはベルフェの言っている事の、半分も理解できていなかった。
しかし彼女はとにかく“休め”と言っているのだ、という事はなんとか理解できた。
「……やっぱり私は、口で説明するのは慣れてない。行動で示すべきか」
「な、何を」
「じっとしてて。休みたくなるようおまじないをかける」
そしてベルフェは、とんと指でユダの額を押す。
……直後、ユダに急激な睡魔が襲いかかってきた。
(は……? なんだ今の、急に思考がゆっくりになったような――)
「無理はしなくていい。貴方はテントに戻って休むべき。人には人の、波長に合わせたやり方がある。こんな無理をするやり方では、貴方の場合は成長しない」
「……」
「人間には怠惰が必要。無論、加減は必要だけれど……今の貴方は、修行ではなく怠惰を必要としている。
だから今は、大人しく寝た方がいい」
既にベルフェの言葉は、ユダの頭にはほとんど届いていなかった。
しかし襲いかかる本能、睡魔には逆らえない。ユダは素直に、自分の欲望を曝け出した。
「……なんだか急に眠くなってきたので、戻ります」
「ん。それでいい。……ついてきて。帰りは道案内してあげる」
そしてベルフェは、ユダの手を引っ張ってキャンプ場へと戻る。
二人の秘密の会話は、当事者を除いて誰にも聞かれる事は無かった。
「ユダユキヤ。私は貴方の怠惰を肯定する」
――ユダの感じた印象は、間違いでは無かった。
今のベルフェは、確かに上機嫌であった。まるで何か良い物を見つけたかのような。
そのポーカーフェイスが、僅かに綻んでいた。
「それを突き詰めた先に、貴方は次の領域に辿り着けるかもしれない。私がそれを、手伝ってあげる」




