一話
『Heaven's Rule』
「こんにちは奥さん。我々、こういう者です」
その家の住人は、玄関を開けた事を後悔した。
己の家は、昭和の代から続く古民家だ。後付けされたインターホンが鳴り、剃りガラス張りの古い玄関からは二人の人物の黒い影が透けて見える。
スーツのようにも見えた服装から、営業だろうかと推測する。迷惑な営業ならば追い返せばいい、と、昼食を済ませたばかりの主婦は軽く考えていた。
玄関の外に並ぶ二人の内、己から見て右側の男が小さなカードを差し出してくる。その名刺を受け取った主婦は、その職業に顔を顰める。
「……『冥府公認遺留者送迎所』……?」
「はい。あ、でも、決して詐欺とか営業とかではないですから。ご安心ください」
低く甘い声が、少し照れを見せながら笑う男から発せられた。その隣に立つ小柄な若い男は、何かを探すように家の外観を見渡している。
胡散臭い。胡散臭すぎる。名刺を渡してきた男は葬儀屋のような黒いスーツを着込み、整えられた髭面に色の薄いサングラスを掛け、髪は真ん中で分けられた癖のある前髪を残して後ろで結っている。
同じく黒いスーツに身を包み、金に輝く頭が眩しい小柄な男性……否、少女だろうか。どちらにしても成人には見えない彼女の腰には、何に使うのか、山岳用の黄色い派手なロープが吊るされていた。
営業や詐欺でなければ、一体何者だと言うのだろうか。疑う所しか見つからない男達は、さらに不審な言葉を並べていく。
「最近、家の軋むような音がひどくないですか? 『家鳴り』ってヤツなんですが。それに誰もいない部屋で物音がしたり、家中で奇妙な気配を感じたり」
「夜も眠れなくて、困ってるんじゃないッスか? オレ達はそんな異常を直しに来たんスよ、お姉さん!」
二人共見た目はともかく、大人びた口調で丁寧に話すサングラスの男に、くだけた敬語ながらも可愛らしく笑うボーイッシュな少女。怪しくも美人と呼べる二人に、主婦は不覚にも、心を許してしまいそうな自分がいる事に気付いてしまった。
そんな様子を感じ取ったのか、サングラスの男が追い打ちを掛けるように説明する。
「奥さん、我々は確かにこんな身成りですが、決して怪しい人間じゃありません。大まかに言えば、この家には悪い……その、『虫』のようなものが住み着いているんですよ。我々はそれを駆除させて頂きたいだけなんです。お金などは、一切戴きませんから」
サングラスの男は、まるで口説き文句を囁くように甘い声で主婦を説得していく。悪目立ちする風貌とは真逆のとても優しい笑顔に、主婦も、少しずつ絆され始めていた。
悪い人間ではないのかもしれない。否、きっと悪い人達ではないのだろう。現に、彼等の言う『現象』は何一つ間違っていないのだから。
家鳴りは勿論、得体の知れない気配のせいで夜も眠れない。彼等がどうやってその事実を調べたのかは分からないが、それが無くなってくれると言うなら願ったり叶ったりだ。
もう一度名刺に目をやり、主婦はゆっくりと二人に顔を向けた。
「……まぁ、そこまで言うなら……いいけど……」
「本当ッスかっ? ありがとうございます!」
金髪の少女が、嬉しそうに満面の笑みで礼を言った。主婦は恥ずかしそうに顔を背けると、二人を玄関から家の中へと通す。
二人は「お邪魔します」と敷居を跨ぎ、靴を脱いで廊下へ上がる、すると、少女がスーツの懐から何か機械のような取り出した。電気抵抗を調べるメーターのようだ。
「ナツ、ランクは?」
「3Aッスね。固定種なんで多分すぐイケますよ」
「了解。あ、そうだ」
ふと、何かを思い出したようにサングラスの男が主婦に振り返る。上着のポケットから使い捨ての不織布製マスクを取り出すと、それを付けているようにと主婦に渡して説明した。
「吸っちゃいけないものが出ると大変なんで……絶対に、外さないで下さい。あと、なるべく声は出さないよう気をつけて。まぁ、そのマスクさえしてれば大丈夫ですけど……お願いしますね」
優しい声と柔らかい笑顔。主婦は返事も忘れて、小さく頷いた。
本当に何者なのか。何故かときめく胸を抑えながら、主婦は袋からマスクを取り出すと、何も言わずに耳に掛ける。彼女がちゃんと装着したのを確かめたサングラスの男は、髭面の口元を小さく微笑ませて「よし」と呟いた。
「さぁ始めるぞ。今日はナツが呼寄やっていいから」
「マジっすかっ?」
「班長に許可もらってるし。何事も練習、練習」
「やった!」
少女は廊下に膝を突き、腰のロープを外して左手に持つ。ペンダントのように首に吊るしていたらしい、竹で出来た細長い笛のようなものを服から取り出して口に加えると、彼女は勢いよく息を吹き込んだ。
音は無い。主婦には、ふー、という息の音だけが聞こえる。
笛を口から離してロープを両手に構えた少女が、小さく笑いながら気合を入れる。
「わー、緊張するなぁ!」
「3Aでも油断するなよ。来るぞ」
少女が固唾を呑む姿を、サングラスの男がスラックスのポケットに手を入れたまま後ろで見守る。
何が始まるのか主婦が不安に思った時、廊下の奥の部屋から物音が聞こえた。
「……何?」
「しっ、声を出さないで」
サングラスの男がそう言った瞬間、一気に空気が冷たく凍る。はっきりと感じる『何か』の気配に、主婦を凄まじい恐怖が襲った。
廊下の突き当たり、奥の部屋の扉が少しずつ動いている。得体の知れない『何か』の荒々しい息遣いだけが聞こえる中、二人の男女は落ち着いた様子で廊下の奥を見つめている。
その扉が開いた時、主婦はマスク越しに手を当てて声にならない悲鳴を上げた。
「…………!」
化物だ。化物が家の中に居る。その姿や体格自体は猿に近いが、動きはどこか独特で、嫌悪感を感じるようなふらふらとした歩行で部屋から出てくる。しかしその目や虚ろに感じるその表情は間違い無く人間のそれであり、まさしく、一言で言ってしまえばそれは正に『化物』だった。
彼等は、その化物に動じる事なく姿勢を保っている。と言うよりも、その化物が近付いてくるのを待っているようだ。
少女が、緊張しているのか唇を舐める。ロープを持つその手に力が籠った時、化物の大きな目がぐるりと動いて少女の姿を捉えた。
「ひゃああぁぁっ?」
突然素早く動いた化物と、それに驚いた金髪の少女の叫びに主婦が腰を抜かして玄関に座り込んだ。飛び掛かってきた化物の口にロープを掛けて必死に食い止めるが、化物は少女を喰らおうとするかのように、大きく口を開閉して暴れながら彼に詰め寄っている。
呻き声なのか悲鳴なのかも分からない音を発しながら少女に馬乗りになる化物を、主婦は恐怖で震えながら、涙を浮かべて見ている事しか出来ない。その時、一連の出来事を何でもない事のように見物していたサングラスの男が、苦笑しながら化物の方へ歩きだした。
「だから油断するなって言ったんじゃん。3以下はこういうの多いから」
「油断してたつもりは、無いんスけどね……っ!」
息を切らしながらも、少女は余裕を見せている。しかし覆い被さってくる化物を防ぐ事に手一杯の様子で耐えていると、それを見ていたサングラスの男が「やれやれ」と首を振った。
「仕方無いなぁ。少しだけだぞ?」
次の瞬間、サングラスの男の右足が化物の顔面に命中した。ポケットに手を入れたまま後ろに振り上げた爪先を、化物目掛けて一直線に向かわせた結果、強烈な蹴りを受けた化物は奥の部屋へと弧を描いて吹き飛んでいった。
人間とは思えない程の威力に、主婦は唖然と男を見つめる。しかし気が付くと、その男が右足の爪先を押さえて小さく飛び上がっている。
「……靴履いてないの忘れてた……っ」
「やっ……やっぱスッゲーぜ、アキさん! あの重量を一瞬で……!」
「ナツ、気を抜くな。まだ『回収』が終わったワケじゃない」
「あ! そういえばアイツどこ行った?」
不穏な事を言い出した少女に、主婦は思わず青ざめる。しかし、すぐに見つけたのか少女は立ち上がってロープを構え直した。
「逃げた! 行ってきます!」
「護摩粉撒いてるから、外には出られない筈だ。頑張れよ」
「はいっ!」
少女は元気良く返事を返すと、化物の後を追って部屋の中へと走っていってしまった。
再びポケットに手を入れて小さく溜め息を付いたサングラスの男は、腰を抜かして呆然と涙を流す主婦に目を向け、歩み寄った。余程に怖かったのか、彼に対しても主婦はマスクを投げ付けて後退ってしまう。
サングラスの男が、最初に見せた優しい笑顔で主婦に手を差し伸べる。
「申し訳無いです、怖い思いをさせてしまいまして……でも、もうすぐ終わりますから」
「あれは……あれは何なのっ?」
主婦は、震える指で少女が駆けていった廊下の先を差す。その方向に一度顔を向けるが、特に不思議とも思わないらしいサングラスの男は苦笑しながら主婦に笑い掛けた。
「いやぁ……まぁ、説明しても大体信じてもらえないんで……」
「まだ信じられない……信じられるワケがないわ。あれが、あの化物が家鳴りとかの原因だって言うのっ? ずっと、この家にあんなのが居たって言うのっ?」
「いいえ、アレがこの家に取り憑いたのは最近でしょうね。それこそ、時期はあなたが一番解っているんじゃないですか? 例えば、あなたに暴力を振るう酷い旦那さんが、『家に帰ってこなくなって』から数日後ぐらい……とか」
サングラスの男が述べる言葉に、主婦の顔から血の気が引いていく。顔面蒼白で俯く彼女を、サングラスの男は少しだけ呆れたように微笑んだ。
「……取り敢えず、こちらからは自首を勧めておきましょうかね。あなたも、『ああ』はなりたくないでしょうし……まぁでもご安心ください。だからと言って、我々は特に気にしたりしません。アレさえ回収させて頂ければ、すぐに帰ります」
「……どうして、その事を……警察に、通報する気……っ?」
「言ったじゃないですか、我々は特に気にしたりしません。第一我々が干渉できる事ではないし、これは奥さん、あなた自身が決めなければ意味が無いんですよ。我々の仕事はアレを捕えて回収する事のみ、他に誰が何をしようと興味ありません」
サングラスの奥で優しく笑うその瞳に、主婦は計り知れない冷たい何かを見た気がした。何かを言い返せる訳ではないが、目の前の男が……彼等が何者なのか、主婦は先程の化物に感じたような底の無い恐怖を彼等に感じ始めていた。
「……あなた達は、一体何者なの……?」
「んー、そうだなぁ……奉仕作業に来た不逞な輩、って所ですかね?」
「はぁ……?」
その時、外から少年の声が玄関へと響く。サングラスの男が玄関から顔を覗かせ、二階に向けて大きく手を振る。
「アキさん、やりましたよーっ!」
「おー、了解。ちゃんと『回収』した?」
「完璧ッス!」
「了解、じゃあ撤収しよう。片付けて降りてこい」
数秒もしない内に、パタパタと階段を下りてくる足音が聞こえる。二階から軽快に降りてきた少女は、額に深い傷を負ったらしく血を流しながら姿を見せた。
自らが負った被害とは真逆に、晴れやかな笑みを満面に浮かべている。
「やりました! 今までで最高ランク仕留めちゃったッスよ!」
「おいおい、顔血まみれになってんじゃん」
「大丈夫ッスよ。多少は痛いけど、ちょっとカスっただけッスから」
スーツの袖で流れる血を拭った少女は、再び嬉しそうに笑った。
サングラスの男の合図で二人は並んで主婦の前に立つと、彼女に向けて深々と頭を下げた。主婦は、立ち上がる事も忘れて唖然と口を開ける。
「お邪魔して申し訳ありません。また『何か』ありましたらお伺いさせて頂きますので、よろしくお願いします」
「ありがとうございました! これで今日はゆっくり寝られるッスね、お姉さん!」
二人は靴を履き玄関を出て、ピシャリと丁寧に扉を閉めた。しばらく呆然と座り込んでいた主婦だったが、何か思い立ったかのように腰を上げて玄関の戸を開ける。しかし、すでに二人の男の姿は無い。
呆然と、そして、先程の恐怖が込み上げる。主婦は覚束無い足取りで家の中へ入ると、居間にある電話の受話器を手に取った。
三桁のダイヤルを押し、一言、電話の相手に呟いた。
「……私は、夫を殺しました」
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