第15話 並べたいなら、正面から並びましてよ
実技棟の騒ぎがようやく落ち着いた頃には、空はすっかり夕方の色をしていた。
だが、学院の中は少しも夕方らしくなかった。
保安部門。保守班。学院上層。ギルド。
人が増えれば増えるほど、話は整理されるどころか増殖する。
事故。外部アクセス。不正侵入。映像改ざん。
そして、学院祭。
結構。
人類は火種を前にすると、まず水をかける前に会議を始める。昔からそうだ。文明の進歩とは、要するに段取りの複雑化である。
管理フロアの会議室で、学院長代理が端的に言った。
「学院祭の安全演目は、いったん白紙に戻す」
室内が静まる。
安全演目。
毎年、学院祭で行われる公開の模擬演習だ。探索者志望の外部来場者も多く、学院にとっては実績と宣伝をまとめて披露できる、たいへん都合の良い舞台でもある。
「ですが」と保守主任が言う。 「中止は印象が悪すぎます」 「印象より安全だ」 「それはその通りですが、今年は外部協賛も入っています」 「切るか?」 「切れません」 「なら続けるしかない、と」 「現実的には」
美しくない。
だが現実は、たいていこういう方向へ流れる。
神崎蓮司が腕を組む。
「続けるなら、前提を変えろ」 「具体的には」と学院長代理。 「今までの“綺麗な模擬演習”は捨てる。安全を見せたいなら、安全を作る側を見せろ」 「同感ですわ」 凛花が言う。
全員の視線が集まる。
「事故をなかったことのように飾るのではなく、事故をどう読むかを見せるべきですもの」 「君はそう言うだろうな」 「当然ですわ」
学院長代理は眼鏡の位置を直し、少しだけ口元を引いた。
「では、聞こう。九条君。学院祭で何を見せるべきだ」 「わたくしが決めますの?」 「意見を出せという意味だ」 「でしたら簡単ですわ」
凛花は背筋を崩さず答えた。
「“白と黒を比べる見世物”ではなく、“誰が実際に人を死なせないか”を見せるべきです」
数秒、会議室が静まる。
ひかりが隣で小さく笑った。
「うん。私もそれがいい」 「白瀬君にも聞いていないが」 「じゃあ今、聞いたってことで」
たいへんよろしい。
この娘は、妙なところで肝が据わっている。
黒峰景一が低く言う。
「相手が比べさせたいなら、比較の土俵を変えるのが一番早い」 「白と黒、善と悪、主人公と悪役、そんな安い分け方ではなく」と凛花。 「生き残らせる側と、死なせる側に?」 「ええ」 「過激だな」 「現場はいつもその二択ですわ」
遼が会議卓の端で小さく頷く。
「それはそう」 「森本君、急に賢そうな顔をするな」 「急にひどくないですか学院長代理」
少しだけ空気が緩む。
だが、天堂司だけは黙っていた。
腕を組み、視線を落とし、何かを考えている。拗ねているのではない。言うべきかどうかを選んでいる顔だ。
凛花は待った。
神崎も待った。
やがて天堂が口を開いた。
「学院祭の安全演目、今年の候補は二つありました」 「続けろ」と神崎。 「一つは、通常の模擬踏破」 「もう一つは」 「複数職連携の実演です」 「それですわね」 凛花が言う。
天堂が目を上げる。
「……早いな」 「比較を壊すなら、単独の見せ場では足りませんもの」 「単独の方が映える」 「ええ。ですがそれは、相手の脚本ですわ」
ひかりが「なるほど」と頷いた。
神は思う。
白い人が、少しずつ黒い人のやり方に理屈で納得してきている。なかなか愉快である。
「複数職連携の実演」と学院長代理が繰り返す。 「それなら、“白か黒か”ではなく“誰が何をできるか”に軸をずらせる」 「ええ」と凛花。 「そして相手が比較を仕掛けたいなら、なおさら好都合ですわ」 「なぜ」 「舞台の中心を、一人から班へ奪えますもの」
その言葉に、雫が静かに端末を置いた。
「それなら、解析側も動けます」 「どういう意味だ」と黒峰。 「相手が学院祭を次の舞台にするなら、準備系統のどこかに必ず触ります。演目が班単位に変われば、触る場所も増える」 「囮になる、と」 「ええ」
遼が露骨に嫌な顔をした。
「囮って言葉、本人らが平然と使うのやめない?」 「今さらです」と雫。 「ほんと今さらだなあ……」
ひかりが少しだけ身を乗り出す。
「班でやるなら、私も入るってことでいい?」 「そのつもりだ」と神崎。 「嫌なら外れるか」 「外れません」 「だろうな」
ひかりはそこで、凛花を見た。
「九条さん」 「なんですの?」 「並べられるのは嫌」 「同感ですわ」 「でも、並ぶのは別に嫌じゃない」 「そうですの」 「うん。勝手に比べられるのが嫌なだけ」
凛花は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「でしたら、比べられない並び方をすればよろしいのです」 「そんなのある?」 「ありますわ」
会議室の視線が再び集まる。
「白瀬さんは、人を見ますわね」 「うん」 「わたくしは、綻びを見ます」 「うん」 「雨宮さんは、痕跡を拾う」 「はい」 「天堂さんは、構造を読む」 「……ああ」 「森本さんは、前に出て止める」 「なんか最後だけ雑じゃない?」 「事実ですもの」
遼がぶつぶつ言いかけたところで、神崎が口を挟む。
「つまり」 「つまり、誰も同じ仕事をしませんの」
凛花は言い切った。
「比較というのは、本来同じ尺度でしか成立いたしません。でしたら最初から、同じ尺度に乗って差し上げなければよろしいのですわ」
学院長代理が、今度ははっきりと笑った。
「いい」 「光栄ですわね」 「九条君、白瀬君」 「はい」とひかり。 「ええ」と凛花。
「学院祭安全演目の暫定責任演示者として、君たち二人を指名する」 「責任、ですの?」 「そうだ。主役ではない。責任者だ」 「……結構」
凛花は短くうなずいた。
主役より責任者の方が良い。
主役は見られる側だが、責任者は場を決める側だからだ。
その時、会議室のドアがノックされた。
入ってきたのは、広報室の職員だった。顔が少し青い。
「失礼します。学院祭の公式アカウントに、不審な投稿予約が複数入っています」 「内容は」 「まだ公開前ですが、見出しだけ確認できました」 「読め」と神崎。
職員は端末を見下ろす。
「『白の象徴、白瀬ひかり』」 「……感じが悪いですわね」 凛花が言う。
「もう一つは」 「『黒の災厄、九条凛花』」
会議室が静まる。
よろしい。
だいぶ分かりやすくなってきた。
「雑ですわね」 凛花が言う。
「そこかよ!」と遼。 「いや怒るところだろ普通!」 「怒っておりますわよ。だからこそ、雑だと申し上げているのです」 「分かりにくい!」
ひかりは端末を覗き込んで、顔をしかめた。
「白の象徴って何」 「黒の災厄も意味不明です」 雫が即答する。 「ありがとうございます雨宮さん」 「いえ」
天堂が低く言った。
「これ、もう学院祭前から比較の空気を作る気だな」 「ええ」と黒峰。 「現場ではなく、先に印象を作る」 「でしたら、先に壊して差し上げればよろしいですわ」
凛花は椅子から立ち上がった。
「広報室、借りますわ」 「お前が?」と神崎。 「ええ」 「何をする気だ」 「決まっております」
凛花は静かに答える。
「脚本の最初の一行を、書き換えますの」
ひかりが、目を丸くしたあと、すぐに笑った。
「やる」 「やりますの?」 「うん。だって、勝手に白の象徴とか言われるの、ちょっと恥ずかしいし」 「同感ですわね」 「黒の災厄も嫌だよね」 「もちろんですわ。もっと品のある呼び方がございますでしょうに」 「そこなんだ」 「そこですわ」
神は思う。
この二人は、並ぶとやはり面白い。白と黒で対立させたい相手には、だいぶ都合が悪いだろう。
学院長代理が短く言った。
「許可する」 「よろしいのですか」 神崎が聞く。 「広報室は学院の顔だぞ」 「だからだ。顔を勝手に塗り替えられるくらいなら、先にこちらで描く」 「結構ですわね」
黒峰が凛花を見る。
「九条」 「なんですの?」 「次の相手は、現場の罠だけじゃない。言葉と印象も来る」 「存じております」 「両方、取れるか」 「当然ですわ」
凛花は、迷わず答えた。
「わたくし、悪役令嬢ですもの」
遼が後ろで小さく笑い、雫は目を伏せて口元を緩めた。天堂は「ほんとに言うんだな」と呟き、ひかりは楽しそうに頷いた。
結構。
学院祭まで、まだ時間はある。
だが、舞台はもう始まっている。
ならば先に、観客の目を奪えばいい。
白でも黒でもない。
善でも悪でもない。
比べられるために立つのではなく、場を支配するために立つ。
その一歩目としては、広報室は悪くない。
凛花はドアへ向かって歩き出した。
「参りましょう」 「どこへ?」 遼が聞く。 「広報室ですわ」 「それは分かる」 「でしたら結構」 「いや、何しに!?」 「決まっておりますでしょう」
凛花は、振り返らずに言った。
「学院祭の主役が誰か、先に教えて差し上げますの」
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【主人公ステータス】
名前:九条凛花
前世名:エレオノーラ・ヴァレンティア
職業:悪役令嬢
確認済みスキル:破滅予見/優雅歩法/瑕疵看破/格位威圧
未解明スキル:悪名変換/誓約拘束
称号:二度目の悪役令嬢/暫定首位/舞台破り




