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第16章 仮面の対峙

昼下がりの応接室。


柔らかな陽光が差し込むはずの空間は、どこか冷えていた。


カーテンは半分閉じられ、光は細く絞られている。


影が、濃い。


その中央に――


イワン伯爵が座っていた。


静かに、完璧な姿勢で。


まるで最初から、この場を支配しているかのように。



「お呼び立てしてしまって、申し訳ございません」


扉の前で、エミリーが言う。


声は穏やか。


微笑みすら浮かべている。


だが。


その瞳は、冷えていた。


「いえ」


伯爵はゆっくりと立ち上がる。


「奥方にお呼びいただけるとは、光栄です」


形式的な礼。


隙のない所作。


互いに、一歩も引かない。



「どうぞ、お掛けください」


エミリーが手で示す。


向かい合う席。


逃げ場のない配置。


伯爵は静かに腰を下ろした。


エミリーも続く。


その距離は、絶妙だった。


近すぎず。


遠すぎず。


だが――


視線は、完全に交差している。



沈黙。


先に口を開いたのは、エミリーだった。


「昨夜のこと、ご存知かしら」


一切の前置きなし。


直球。


伯爵の瞳が、ほんのわずかに動く。


「昨夜……と申しますと?」


「侵入者よ」


静かに言い切る。


空気が、変わる。


伯爵は一拍置く。


「……それは、初耳でございます」


完璧な返答。


だが。


「そう」


エミリーは微笑む。


「では、知らないということにしておきますわ」


その言い方。


肯定でも否定でもない。


だが、逃がさない。



「不思議なこともあるものですね」


エミリーは続ける。


「邸の中でも、地下でも――見慣れない痕跡が見つかる」


伯爵は沈黙する。


「まるで、誰かが“探している”かのように」


わずかな間。


そして、伯爵が口を開く。


「……何を、でございましょう」


誘導に乗らない。


だが。


それでいい。


エミリーは一瞬だけ目を伏せ、そして言った。


「指輪」


空気が、止まる。


ほんの一瞬。


だが確かに。


伯爵の指先が、わずかに動いた。


それだけで、十分だった。



「当主の証」


エミリーは続ける。


「そして、鍵」


伯爵の瞳が細くなる。


「……鍵、とは?」


「ご存知ないの?」


静かに、微笑む。


その微笑みは、優雅で。


同時に、鋭い。


「地下の扉」


「開かなかったのでしょう?」


――踏み込んだ。


完全に。


伯爵の沈黙が、わずかに長くなる。


だが崩れない。


「……奥方」


低く、静かに言う。


「ずいぶんと、物騒な想像をなさる」


「想像?」


エミリーは首を傾げる。


「いいえ、事実よ」


声は穏やか。


だが、確信に満ちている。



「白い花」


ぽつり、と。


その言葉を落とす。


伯爵の視線が、わずかに動く。


「地下に落ちていたの」


ゆっくりと。


丁寧に。


「あなたの邸の庭にしか咲かない花」


逃げ場はない。


完全な指摘。


だが。


伯爵は、笑った。


ごくわずかに。


「……なるほど」


「それで、私を?」


「ええ」


エミリーは即答する。


「疑っているわ」


沈黙。


だが今度は、重くはない。


張り詰めたまま、均衡している。



「では、お尋ねします」


伯爵が言う。


「もし私だとして――」


その目が、わずかに鋭くなる。


「何を、得るのです?」


核心。


だが。


エミリーは、迷わない。


「すべてよ」


即答。


「アーロッソ家の当主の座」


「地下に隠された“何か”」


「そして――」


一拍置く。


視線をまっすぐに向ける。


「カルロスが守っていたもの」


伯爵の瞳が、わずかに揺れる。


ほんの一瞬。


だが、見逃さない。



「……面白い」


低く呟く。


「奥方は、ただの花嫁ではないようだ」


「ええ」


エミリーは微笑む。


「期待外れでなくて、よかったでしょう?」


挑発。


だが、優雅に。



再び沈黙。


だが今度は、張り詰めていない。


互いに、理解した。


相手が“何者か”。


隠す必要はない。


だが。


決定的な一線は、越えない。



「最後に一つ」


エミリーが言う。


「葬儀の件」


伯爵がわずかに眉を動かす。


「……まだ、延期なさるおつもりで?」


「ええ」


即答。


「まだ、終わらせるつもりはないわ」


その言葉。


その意味。


伯爵は理解している。


だが、表には出さない。


「……そうですか」


静かに立ち上がる。


「では、奥方のお心のままに」


一礼。


だが。


そのまま帰ろうとはしなかった。



「ただし」


低く、言う。


エミリーが視線を上げる。


「時間は、そう多くはありません」


その言葉に、意味を乗せる。


圧でもあり、警告でもある。


だが。


エミリーは、微笑む。


「ええ、知っているわ」


一歩も引かない。



伯爵はそれ以上何も言わず、踵を返す。


扉へ向かう。


そして――


「奥方」


足を止める。


振り返らずに言う。


「どうか、お気をつけて」


その言葉は。


忠告か。


脅しか。


判別はつかない。



扉が閉まる。


静寂。



エミリーは、ゆっくりと息を吐いた。


そして。


笑う。


「……やっぱり、あなたね」


確信。


完全な。


ジョセフが影から現れる。


「奥様」


「ええ」


エミリーは立ち上がる。


瞳は、もう迷っていない。


「決まりね」


伯爵が敵だと。


そして――


「もう、待たないわ」


静かに言う。


「終わらせる」


その声は、冷たく。


そして、強い。



だが。


そのとき。


ふと。


背後に、気配。


振り返る。


誰もいない。


だが。


ほんの一瞬だけ。


確かに。


“何か”がいた。


それは。


敵ではない。


もっと――


近いもの。


エミリーの胸が、わずかに高鳴る。


(……カルロス?)


その問いに、答えはない。


だが。


確実に。


距離は、もうほとんどない。


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