第10章崖下の小箱と静かな邸宅 後編
エミリーは隠し扉の奥、古びた紙束を手に取り、一枚ずつ丁寧にめくる。
文字の滲み、折り目、手書きの訂正――どれも、カルロス自身の手によるものだと直感できた。
「……これは……」
息を詰めながら、彼女は日記の一部と思しきページに目を留める。
そこには、崖道の細かい描写、馬車の通った跡、そして「誰かが自分の行動を追っているかもしれない」という微かな不安が書かれていた。
ジョセフは背後で静かに待つ。
「奥様……もし何か見つけたのなら、無理はなさらず」
エミリーは首を振る。
「大丈夫……あたくし、自分の目で確かめたいの」
その言葉には、迷いも恐怖もない。決意だけが光っていた。
彼女はさらに紙束をめくり、地図の細部と文字の隙間に隠された矢印や記号に気付く。
小さな手がかりだが、崖下や邸宅のどこかに何か重要なものがあることを示している。
「……ここ……崖下の小道、隠れた場所……」
エミリーは指先で線をなぞり、心の中で再生する。
前回の崖道の視察で見落としていた、微かな踏み跡や岩のひび割れの位置が、今、頭の中で繋がった。
ジョセフは慎重に訊ねる。
「奥様……ここまでの手がかりで、次に行く場所は?」
エミリーは紙束を抱え直し、静かに答える。
「……邸宅の地下。地図が示す位置に、小さな通路があるはず……カルロスの匂い、もしかしたら何か残ってるかもしれない」
廊下の影が伸び、窓からの夕暮れの光が差し込む。
白百合の影が壁に長く伸び、揺れている。まるで、見えぬ何かを警告しているかのようだった。
エミリーは息を整え、木箱をもう一度抱きしめる。
「……ジョセフ、準備はいい? あたくし、行くわ」
ジョセフは一瞬だけ視線を紙束から離し、彼女を見つめる。
「……もちろんです、奥様。ですが、くれぐれも慎重に」
二人は静かに書斎を後にし、地下へと続く階段の前に立つ。
階段の木板は軋み、埃が微かに舞う。冷気が肌を刺し、紙束の匂いと混ざる。エミリーは手を伸ばし、壁の凹凸を指先で確かめながら、静かに一歩を踏み出す。
階段は暗く、冷たい空気が漂う。木の軋む音が微かに響き、薄暗い影の中で二人の心拍が重なる。
エミリーは小さく息を吸い込み、紙束を握る手を強くする。
「……絶対に見つける」
その決意を胸に、二人は階段を一歩ずつ降り始めた。
階段の奥には、まだ誰も知らない真実が、静かに待っている。
そして、階段の途中、壁のひび割れの影に、微かに残る足跡。
誰のものかはわからない――だが、確かに存在する影。
――伯爵の影は、まだ直接は現れない。
だが邸宅と崖道、そして地下の通路には、見えぬ糸が確かに張り巡らされている。
その糸をたどるのは、エミリー自身の目と意志。
紙束のヒント、木箱の痕跡、そして暗い階段――すべてが、次なる行動への布石となっていた。
静かな邸宅の地下。
埃と影に包まれた空間で、物語は次の章へと静かに、しかし確実に進もうとしていた。




