エピソード 10
――旦那様が眠りについてから一年が過ぎた。
……いや、こんな風に取り繕っても意味はない。だから正直に言おう。旦那様は死んだ。あの日、災厄の魔女の呪いで魂を奪われ、その肉体はただの骸となった。
その遺体はこのお屋敷の中庭に埋葬してある。
それ自体は、揺るぎのない事実である。
だけど、色々と変わったこともある。
たとえば――と、執務机から顔を上げた私は、部屋の隅に控えるマルグリットと、フェリクスに視線を向ける。二人はセレスティア公爵代理となった私によく仕えてくれている。
そう、私は公爵代理となった。
旦那様が残した遺言のおかげである。私が望むのなら、自由に生きてかまわない。だがもしも叶うのなら、セレスティア公爵の地位を継いで欲しい、と。
私は旦那様の想いを引き継いだ。
正直、内政は分からないことだらけで大変だった。
決して片手間に出来ることではないし、セレスティア公爵家の財産を狙う様々な外敵からも守る必要があり、それはもう筆舌に尽くしがたいほど大変だった。
でも、フェリクスとマルグリットの補佐もあり、私はギリギリのところで家を護っている。
そしてもう一つ大事なこと。
災厄の魔女は生きていた。
そもそも、おかしいと思ったのだ。
旦那様は災厄の魔女を討ち滅ぼした。それが事実なら、呪いを掛けられたのは魔女の死に際だったはずだ。なのに旦那様は、呪いが完成したとき、魔女が魂を奪いに来ると言っていた。
魔女が死んでいるのなら、それは不自然だ。
そして、その答えは彼の残した遺書にあった。結論から言うと、災厄の魔女は死んでいなかった。旦那様が撃退したのは本当だが、よく言って痛み分けだったようだ。
とまあ、ここまで来れば分かるだろう。私は魔女に会い、そして交渉したのだ。
呪いで奪った旦那様の魂を返して欲しい、と。
もちろん、簡単には応じてもらえなかった。
だから、応じてもらえるように全力を尽くした。私の――正確には、旦那様の残したセレスティア公爵家の力すべてを引き合いに、災厄の魔女に取引を持ちかけた。
その結果、私は災厄の魔女の弟子になったりしたのだが――そのあたりは契約で話すことが出来ない。言えるのは、災厄の魔女も私と同じ人間だった、ということくらいだろう。
とまあそんなこともあり、今日この日がやってきた。
旦那様が亡くなってちょうど一年を控えた夜。
つまり、後数分で亡くなった旦那様の誕生日である。
「さて、そろそろ準備をしないとね」
私は執務机を離れ、一年前に旦那様が倒れた場所へと移動する。そこには、私が事前に用意した魔法陣が描かれていた。私はその魔法陣の上に儀式に必要な触媒を設置する。
「イリス奥様は、災厄の魔女の言葉を信じるのですか?」
マルグリットが不安そうにそう言った。
「そういう貴女は信じられない?」
「災厄の魔女は旦那様の命を奪った危険な存在です。奥様にまでなにかあれば、わたくしは……」
災厄の魔女は村を一つ滅ぼし、討伐に来た部隊を何度も返り討ちにしている。
とても危険な存在である――というのは紛れもない事実だった。
だが、その事実の裏側には隠された真実があった。
私はそれを知ったから、災厄の魔女と取引をした。
「マルグリット、心配してくれてありがとう。もしなにかあっても、私が旦那様の後を追うだけよ。でも、きっとそうはならない。だから、私を信じなさい」
「……はい、奥様」
「ありがとう。それじゃ、そろそろ儀式を始めるから席を外してちょうだい」
「はい。どうか、ご武運を」
戦う訳ではないのだけれど……マルグリットはそれくらいの気持ちで臨んでいるのだろう。そうして部屋から出て行くかの序の後ろ姿を、私は静かに見送った。
だが、部屋にはもう一人残っている。
「フェリクス、貴方も私に言いたいことがあるの?」
「俺は旦那様の生還をなにより望んでいます。ですから、貴方のしようとしていることを止めるつもりはありません。ただ、それだけは、どうかと思うのですが……」
彼がそう言って視線を向けたのは、魔法陣の上に置かれた依り代だった。旦那様の魂が封じられた宝石の依り代と旦那様の魂を宿すために用意したクマのぬいぐるみ。
「言いたいことは分かるわ。でも仕方なかったのよ。旦那様と私を繋ぐ絆、その象徴となるものと考えたとき、これが一番妥当だったのだから」
条件は二つ。
術を使用する私と、旦那様を繋ぐ絆の品であること。
そして、依り代となる形をしていること。
それを考えると、クマのぬいぐるみをおいて他になかったのだ。
「だとしても、ですよ」
「心配しないで。いまの私には無理だけど、いつか必ず別の身体を用意するから」
「……そうですか。では、俺ももうなにも言いません。奥様、どうか旦那様を頼みます」
「ええ、任せなさい」
フェリクスを見送り、最後に私は一人になった。
そうして見つめるのは、私が描いた魔法陣。死者を蘇らせる禁断の秘術だ。
――なんて、本当はそんなに大げさなものじゃない。もしも本当にその秘術が必要ならば、私はきっと一生を掛けてもたどり着けなかっただろう。
それが可能なのは、災厄の魔女がレールを敷いてくれていたから。彼女の行動には想うところもあるけれど、感謝するべきところもある。
私は教えに従って、魔法陣に魔力を流し込んだ。
ほどなく、零時を知らせる鐘が鳴る。
「旦那様、目覚めの時間ですよ」
この一年、色々なことがあった。
大変な一年だったけど、悪いことばかりではなかった。でもやっぱり、旦那様がいない毎日は寂しくて、胸に空いた穴は埋まらなかった。
だけど、それも今日で終わる。
「旦那様は死ぬまで君を愛することはないと言いましたね? でも、旦那様は一度死にました。だから、今度は……私に想いを伝えてくれますよね?」
問い掛ける私のまえで、クマのぬいぐるみがゆっくりと起き上がった。
彼はその宝石の瞳で私を見上げる。
「……旦那様。私が分かりますか?」
恐る恐る問いかける。
旦那様は少し驚くような素振りを見せて、それからきょろきょろと周囲を見回す。たぶん、生き返ったことはもちろん、視点が違うことにも戸惑っているのだろう。
「……ダ、ダイジョウブ。……大丈夫だ。イリス……また会えたな」
どうやって声を出しているのだろう? 、それは紛れもなく旦那様の声だった。私はそれに驚きながら「貴方は旦那様なのですね?」と念を押す。
「そうだ。イリス……よく頑張ったな」
「だんな、さま。よかった。……うくっ。ぐすっ。大変、だったんですよ?」
思わず涙を流し、その場にへたり込んだ。するとクマのぬいぐるみになった旦那様がよちよちと歩いてきて、私の足をぽんと撫でてくれた。
「知っている。途中からではあるが、君のことを見守っていたからな」
「そう、なのですか?」
「ああ。だから、君が災厄の魔女を相手に無茶をしたことは知っている。まったく、君は本当に無茶ばかりして、少しは心配する俺の身にもなって欲しい」
「し、仕方ないではありませんか! 旦那様を救うには他に方法がなかったんですから」
「……そうだな。君のおかげで、こうして戻ってくることが出来た。ありがとう、イリス」
旦那様がそう言って手を差し出してきた。
たぶん、握手かなにかを求めているんだろう。でも私は旦那様のその身体ごと抱き上げた。まだ、旦那様の身体はぬいぐるみだし、魔女との約束もある。
だけど、旦那様と一緒なら、きっとどんな困難も乗り越えられる。
だから――
「お帰りなさい、旦那様」
「……ああ、ただいま、イリス。それと――君を愛している。君と再会したあの日からずっと」
「知っていますよ。最初からずっと」
私は満面の笑みを浮かべ、旦那様をぎゅっと抱きしめた。
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