第95話 勝ちに行く
千葉県の山間部にある、SBCファーム。
外厩として機能している以外には、療養施設としても優れている、民営の牧場である。
秋天を終えたヴァリアントロアは、ここで過ごしている。
一度栗東に帰還してから運ぶのではなく、ここから美浦のトレセンに一度入り、そこからまた府中へ。
あの秋天の疲労を考えると、少しでも移動の疲れを避けたかったのだ。
そもそもSSRCの馬であるのだし、育成もここでされた馬だ。
強い負荷をかける運動はせず、曳き運動に放牧。
しかし日本に戻ってきた優姫は、確認のためにここに寄っている。
「秋天の後、数日は疲れていたみたいですが、今はもうすっかり元気というか、元気すぎて」
馬房の壁をガンガンと蹴るので、隔離された馬房に送られている。
優姫の顔を見ると、気まずそうに眼を逸らしたが。
しばらくは体重も減っていたが、今はもう戻ってきている。
ただ相変わらず他人が乗ると、振り落とそうとする。
優姫を一度振り落とした時点で、味を占めてしまったらしい。
もっとも秋天の時は、それすら出来ないほど、疲れ切っていたわけだが。
「脚とかは」
「少し熱を持っていたのも、既に回復しています」
ジャパンカップまでには、充分に間に合いそうだ。
既に海外からの参戦馬は到着している。
だが去年に比べると、小粒な印象は受ける。
日本馬が今回は、あまりにも充実しすぎている、と言うべきであろうか。
当初の予定と違って、香港カップなどに向かった馬もいるのだ。
それでもどうにか、2頭の参加はこぎつけたが。
イギリスとフランスから、4歳馬を1頭ずつ。
共に4歳になってから、しっかりとGⅠを勝ってはいる。
だがその程度の実績で、今のジャパンカップが勝てるのか。
去年のオックスフォードブルーが来たのは、五代が種牡馬として購入を決め、そのお披露目という面が強かった。
それでも3着までにも入れていない。
外国馬としては、最先着ではあったが。
ジャパンカップは事実上の、日本のクラシックディスタンス、最強馬決定戦となっている。
距離が合わない馬はそれこそ、海外の香港などを使うのだ。
あちらはスプリントやマイルといった、距離別のレースが組まれている。
その点では香港カップなど、そちらを目指す馬もいるのだが。
モーダショーもジャパンカップに有馬記念の二つを捨てて、香港ヴァーズを選んだのだ。
ちなみにマイルCSを諦めて、香港マイルを選んだ日本馬もいる。
今のマイルはファムダンサントが、とにかく強すぎるという評価なのだ。
香港もマイルのレベルは高いが、日本で戦うよりもなお、勝率はマシだと考えられる。
それだけこの3歳牝馬は、特別な見方をされている。
よくもまあヴァリアントロアは、彼女に勝てたものである。
距離適性と言うならそれこそ、ヴァリアントロアは香港カップを目指した方が良かったのではないか。
そういう意見もあるが、ヴァリアントロアの特徴を活かすには、やはり府中の2400が良かったのである。
400mの距離延長。
果たしてこの舞台で、ヴァリアントロアが勝ち抜けるのか。
とりあえず優姫としては、日本馬の方が怖い。
(フォーリアナイトが香港カップ行ってくれれば)
そうも思うがメテオスカーレットがこちらに参戦するので、またもこの距離での勝負となっている。
ブラッドブレイカーの引退で、日本には主役級の馬がいなくなった、と一時は言われた。
シルバーコレクターフォーリアナイトは、能力だけなら匹敵する、と思われていてたが。
しかし彼が故障してから、ヴァリアントロアが出てきたのだ。
3歳で皐月賞から、安田記念に秋天。
このローテを勝ってきた、7戦6勝のGⅠ4勝馬。
あと一つGⅠを勝って5勝となれば、ナリタブライアンの3歳時に並ぶ。
あちらは三冠馬なので、ただ数を揃えればいいというわけではないが。
お手馬にGⅠ4勝馬とGⅠ3勝馬がいる。
そして上手く、得意とする距離が違っている。
モーダショーはGⅡの札幌記念を勝てなかったのが痛かった。
そのモーダショーを破ったアシュレイリンクが、いよいよジャパンカップに登録されている。
なお3歳のパワーズスターは、ジャパンカップではなく香港カップを目指す。
ヴァリアントロアに先着した、たった2頭の馬の1頭であるが、かなり秋にかけてヴァリアントロアは成長した。
優姫の見るところパワーズスターは、それこそ2400の方が向いているのではと思う。
父が2000以上の重賞馬ばかり出している、ソングオブアースだからだ。
むしろマジックマイスターなどの方が、2000mには合っているのではないか。
そういった血統論を言うならば、それこそヴァリアントロアはなんなのだ、という話になってくるが。
体格からして、ダートは走らせてこなかった。
だが調教で走る分には、ダートでもタイムが出せる。
あるいは海外のダートとの相性がいいのでは、とも言われたりしている。
栗東に戻ってきた優姫だが、ここからは忙しくなる。
エリザベス女王杯にマイルCS、そしてジャパンカップ。
12月に入ったら、チャンピオンズカップも出走するのだ。
アシュレイリンクに負けて、ダート三冠はならなかったソウルハンター。
少し長めに休養を入れて、JBCクラシックには出さなかった。
だがチャンピオンズカップと、年末の東京大賞典には、出走する予定である。
12月にはまた、香港に行く優姫。
そのためここでは、阪神JFの依頼を受けることが出来ない。
もっとも優姫が狙っているのは、牡馬であることが多い。
もちろん牝馬もクラシック路線は、しっかりと走っているのだ。
八大競走も半分以上を制覇した優姫。
あとは桜花賞とダービー、そして有馬記念である。
今年の2歳のお手馬には、去年のシュガーホワイトや、今年のヴァリアントロアのような、確実なGⅠ級という馬はいない。
それでもクラシックが狙えそうな馬が、エージェントを通して入ってくる。
怪物的なジョッキーであっても、限界というものはある。
ただ今年はもう既に、八つもGⅠ級競走を勝っているのだ。
通算で八つも勝っていれば、それなりに自慢できるGⅠのタイトル。
地方のダートも含めているが、優姫はもう10個以上のタイトルを持っている。
マイルから3200まで、幅広い適性。
スプリントGⅠはまるで用なしなのは、かなりおかしな話だ。
それでも短めの重賞は、それなりに勝っている。
条件戦も普通に勝っているが、やはりマイル以上の距離が得意なのは、統計を取ってみたら明らかであったりする。
朝日杯とホープフルSは、どちらにも乗る馬を持っている。
だが鳴神厩舎にもそれなりに、勝ち上がれそうな馬はいる。
優姫が基本的に、厩舎の馬を優先するからだ。
すると馬主としても、良血の馬を預かってほしいとなる。
それも優姫に乗ってもらうためである。
とりあえず優姫が乗れば、条件戦クラスなら、文句のない結果が出てくる。
優姫は基本的には、牡馬の方が強いと思っている。
だがファムダンサントのような、例外的な牝馬もいる。
マイルなどの距離であると、牝馬がキレで勝負したりする。
2400ぐらいになると、さすがに牡馬の方が強いことが多い。
もちろんブエナビスタやジェンティルドンナ、アーモンドアイのような例外もいるが。
まずはエリザベス女王杯。
クワノシャクティに乗り替わりはなく、そのまま優姫が乗っていける。
なんとか2着に入って、コンスタントにGⅠに出走できるようにしたい。
父はネバークライで、母系にはそれなりのスピード血統。
ローズSは勝利したので、引退後の繁殖入りは決まったようなもの。
オーナーの桑原夫人も、そのまま普通に繁殖に入れるようだ。
クワノの冠名の馬は、それなりに多い。
ただ本来は関東に、置いておくことが多いのだ。
SSRCの馬も、本来は関東が本居地。
それを考えれば優姫に依頼するのは、本当に実力を認めているからと言える。
いくらジョッキーの腕が良くても、限界というものはある。
本当に走らない馬を、走るようには出来ない。
スピードの絶対値だけは、これはもう才能である。
ただ本当にそれが限界なのか、というのは一般人には分からない。
プロの調教師や騎手でさえ、そうそう分からないものなのだ。
だが優姫には見えている。
持って行けと言われた、2頭の馬は両方勝ちあがった。
そして片方は、現役最強とまで呼ばれる高みに達している。
選べと言われた時には必ず、強い方を選んでいる。
また弱そうに見えた馬を、GⅠを複数勝つぐらいに鍛えた。
今の育成と調教は、完全に育成牧場がノウハウを持っている。
引退した調教師などを、その知見を得るために雇用しているのだ。
70歳の定年というのは、馬を愛する人間にとって、まだ早いと言える引退である。
中には厩務員になって、定年のない地方競馬で、働く元調教師もいるのだ。
馬と触れ合わない生活に、耐えられない人間がいる。
馬というのはそういう生物であるのだ。
死ぬ最後まで、馬と共に。
そんな贅沢をするには、馬産をするかオーナーになるしかない。
優姫の場合は馬産をする。
ただ生産した強そうな馬を、売ることが出来るのか。
それはそれでまた別の話。
いっそのこと生産から調教、騎乗まで全部やってしまいたい。
日本では許されないことだが、外国ではかなり近いことをやっている。
エリザベス女王杯のため、また週末に調整ルームに泊まり込む。
この土日でまた、かなりのレースに乗ることになっている。
鳴神厩舎の馬もあり、また栗東の期待の2歳馬などもいる。
オープン馬で勝つのが一番難しい。
斤量の有利がないし、そのくせ実力にはまだ差がある。
しかしそこで着を拾っていくことが、先に続く道となるのだ。
土曜日に行われた、デイリー杯2歳S。
優姫は得意とする京都のコースで、またもこれに勝っていた。
来年のクラシックに、この重賞勝利で問題なく出られる。
早めに賞金を積んでおいて、余裕をもって仕上げる。
トライアルを使わない調整が、最近の主流になりつつあるのだ。
牡馬と違い牝馬は、おおよそ1勝でもしていたら、繁殖に入ることが出来る。
特にそれが中央の1勝であると、より価値は高い。
重賞勝ち馬となった、クワノシャクティにはそういう点で、未来がもう存在する。
(こういう繁殖を、将来は持ちたいな)
牧場を作るのにあたって、とりあえず土地を買う金だけなら、もう数年で準備は出来そうだ。
だが重要なのは、やはり人間と繁殖なのである。
優姫は基本的に、種牡馬は選べばいいと思っている。
実際に今の日本では、金さえあれば種付けは可能なのだ。
だが肌馬というのは、手元になければどうしようもない。
そしてこの実績を持つ肌馬は、なかなか牧場も手放さない。
五代のセールが、そこでは重要となってくる。
あそこは海外からいくらでも、いい繁殖を買ってくる。
しかし馬房の関係からどうしても、売却していく場合があるのだ。
優姫はテシオを尊敬しているが、今とは時代が違うことも承知している。
たとえばテシオは、既に実績が出ている種牡馬ではなく、現役時代にスピードを示していた種牡馬を重視した、とも言われる。
だがこれは現代においては、種付け頭数が増えたために、どういった繁殖がマッチするのか分かってきた。
なので種牡馬の晩年に、代表産駒が出てくることがある。
もちろんオーナーブリーダーで走らせるのでなく、マーケットにも売るのであれば、ブランドの価値も考えないといけない。
自分の考えた配合だけで、全てを生産するのは危険である。
オーナーブリーダーに専念するのは、自分の相馬眼というものに頼るので、これまた危険であるのだ。
自前でも走らせながら、基本は売っていく。
(種牡馬も自分で持った方がいいかな?)
今の日本はまだ、ブランドの価値が高すぎる。
能力の高いというだけの馬では、種牡馬入りすることが難しいのだ。
日本ではおそらく、ダンジグは種牡馬にならないだろう。
ミスタープロスペクターも、かなり怪しいところがある。
それでもフジキセキやアグネスタキオンの前例があるので、絶対に無理とは限らないが。
シュガーホワイトが初年度から満口になったのは、間違いなく二つのGⅠを勝っていたからだ。
ただそこまで考えるのは、もっとずっと先の話。
まずは繁殖牝馬を揃えて、どのように配合していくか。
そういう点ではこれまでに乗った、ミニョンフルールも優れた馬かもしれない。
あとは五代が買ってきた、ファムダンサント。
フランスのセールからよくも、あんなに走る馬を買ってこれたものだ。
馬産は競争。
だが同時に、相互依存でもある。
そして馬だけでは、完結しないのが競馬である。
自分と一緒に、馬を生産してくれる人。
この人材というのが今は、確保するのが難しくなってきているのだが。
エリザベス女王杯は、結局3着に終わった。
3歳限定の秋華賞で3着だったのだから、実力は上積みされていっていると言ってもいいだろう。
だが惜しいのは確かである。
(年内にもう一度、どこかで使えないかな)
重賞を勝っている馬なのだから、GⅠ好走も積みあがって、もう充分ではあるのだが。
それでもオーナーは、1着を欲しがるのだ。
損得だけを見れば、GⅡなどで着を拾う方が、よほどいいのであるが。
続く翌週にはマイルCS。
ここでも優姫はGⅠに乗っている。
ただ有力馬というわけではなく、どうせこちらに残るなら、という感じで頼まれた馬。
城崎が手配した馬であるが、なんとか賞金の出る8着には持ってきた。
GⅠなのでそこは、これでも充分であったろう。
それよりも前日の、オープンを勝った方が重要であったりする。
これでいよいよジャパンカップ。
競馬新聞なども今回、かなりの注目が集まっている。
この時期になるとスポーツも、最大のマーケットである野球が、もうシーズンを終えているのだ。
今年は特に強力な馬が、参戦していると言っていい。
海外馬のレベルは去年より落ちたが、日本馬のレベルがものすごく高い。
ヴァリアントロアは、咆哮する猛獣、などと呼ばれたりしている。
やはり優姫を振り落とした一件が、世間ではイメージを作っているのだ。
マイルから中距離では、おそらく現時点で日本最強。
そのヴァリアントロアにまだ負けていないのは、去年のダービー馬メテオスカーレット。
だが復帰から鉄砲がけ(※)するかというと、そこは怪しい。3歳から5歳まで、とんでもなく強い馬が揃っている。
そしてそこに参戦する、無敗の地方馬アシュレイリンク。
優姫のソウルハンターに勝っている。
しかもその勝ち方が、ものすごく強いものであった。
札幌記念では、いまやGⅠ3勝馬となったモーダショーにも勝利。
まだ5戦しか走っていないが、無敗というのが脅威である。
(どっちが勝つかな?)
ヴァリアントロアと、アシュレイリンク。
またその両方を上回ろう、という馬も存在するのだ。
最強の敵として、ヴァリアントロアは迎え撃つ。
勝っても負けても、注目度の高いレースになるのは、間違いのないことであった。
※ 鉄砲がけ
長期休養明けの一戦目を鉄砲といい、鉄砲がけだとその一戦目から結果が残せるというような意味合いを持つ。




