表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
五章 若駒たち

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/125

第85話 君の物語

 なぜ忘れていたのだろう。

 アイドルはいつも、地方からやってきていたではないか。

(私は主人公じゃなかった)

 優姫は冷静に比較してみた。

 自分はシンボリルドルフではあっても、オグリキャップではないのだと。

 そう考えるのが、一番自然であるだろう。

 主人公にしてはあまりに順調すぎる。

 シュガーホワイトとの別れはあったが、それでもこの人生は傲慢すぎる。


 競馬村の外からやってきた。

 異なる競技からの転向。 

 元エリートの怪我による強烈な挫折。

 あえてJRAではなく地方競馬から。

 だが地方から来たからこそ、JRAのジョッキーには不可能な、重賞の記録更新などということが出来てしまっている。

 まるで完全に用意されていたような。

(神はいる)

 そう思った。

(だけどまだ、こんなものじゃ足りない)

 そうも思った。


 よくよく考えてみれば、なんとも面白い物語になっている。

 こういうのをまさに、ナラティブと言うのだろう。

 物語ではなく幻想性。

(私は踏み台か)

 だが踏み台が高く、反発が激しいほど、演技者はより高く跳ぶことが出来るだろう。

 そう思ったのは体操の知識から、連想したものである。


 優姫がやってきた、女性騎手の道を作るということ。

 女でも勝てるのだ、ということを示したと言える。

(私は出来るだけ早く、生産者になりたいわけだし)

 ただ天音にしても、普通の女の幸せ、とでも言うようなものを手に入れたいのではないか。

(ああ、なるほど)

 彼女の前では、巨大な女王として振舞えばいい。

 優姫に対する、よく分からないが確かに存在する、天音の敵愾心。

 それを強く持っている間に、何をやらせればいいのだろう。


 優姫は将棋が好きだ。

 そしてロードマップ作りも好きなのである。

(まずは重賞を勝たせた)

 勝たれてしまった、と言うべきなのであろうが。

 優姫はあのあるはずのない記憶で、オグリキャップを知っている。

 だがまさかいまだに、わずか一行のオグリキャップの名前が、あそこまで実況を熱くさせるとは。

(あれも演技かな?)

 そうではあってもおそらく、マンガとアニメの影響により、オグリキャップの生涯は再び再構成されている。


 人は復活の物語が好きなのだ。

 オグリキャップの残した神話は、今もまだ熱を失っていない。

 失われたように見えても、そこを掘ればまた生み出される。

(ああ、なるほど)

 優姫の認識ではオグリキャップは、既に形而上の存在であった。

 だがそれがはるかな子孫として、肉体をもって戻ってきたのだ。

 キリストの復活だ。


 オグリキャップの産駒は走らなかった。

 だからこそ逆に、オグリキャップ単体が神となった。

 今はその神が、再び世界に降り立っている。

 しかしまだ足りないだろう。

 ステイヤーの怪物を倒した、3歳馬の伝説。

 過去のオグリキャップもこの時点では、連勝を続けていた。


 敗北が必要なのだ。

 最高の存在は、常勝である必要はない。

 むしろ敗北すらもが、物語においては必要であろう。

(どうやって潰していこうかな)

 勇者の像は、傷だらけである方が美しい。

 優姫は己の手の内にある、カードを確認していくのであった。




 なんだかとんでもないことになっちゃったぞ。

 後検量も終わり、口取りと表彰式も終わり、今日の天音の予定は終わった。

 だがJRAの職員が特別に、取材の場などを作ってきたのだ。

 一応はこちらに確認を取っていた。

 もっとも天音はこういう機会に、自分をしっかりとアピールしなければいけないと、既に教育されている。


 フィギュアスケートは採点される競技。

 その採点を行うのは、人間なのである。

 常に好ましいもの、という姿を見せておかないといけない。

 子供が子供であることを、許さない世界とも言えた。

 審判は人間であるから、間違えるし好みがある。

 そういった場所でも天音は、結果を残してきたのだ。


 道営という地方の出身。

 だが元は東京育ちのお嬢様。

 このギャップがまた、天音を特別なものにしていく。

 優姫と違ってしっかりと、質問などにも答えるのだ。


『おめでとうございます。これでJRA重賞の勝利騎手、最年少記録の更新となりましたが』

「え、そうなんですか? レースに必死で気づいていませんでした」

 どこかぶっきらぼうな優姫と違い、とても好印象なのである。

 言葉を必要としない馬を相手にしていれば、自然と言葉足らずにもなってくる。

『最後はものすごい追い比べになりましたが』

「はい、とても強い馬だと分かっていたので、とにかくあそこより前に行けば勝てると考えていました」

 正確には優姫にだけは、負けたくなかったのだ。


 3歳四月デビューで、4戦4勝。

 八月の札幌記念で、重賞初勝利。

 遅れてきた主役になりうるのか。

 少なくともその血統の中には、日本の歴史を変えた名前が含まれている。

 もっともモーダショーも「五冠馬」と「天馬」の血を引いているのだが。


 とても古い、だが伝説の血統の対決であった。

 それだけでも古い競馬ファンは、魂を震わせたであろう。

 オグリキャップが帰ってきた。

 父としても母父としても、その血を残すことは出来なかった。

 繁殖入りした牝馬の数さえ、とても少ないものであったのだ。

 しかしそれが海外から、スピードを持ち帰ってくるとは。

『今後の予定について、何かもう決まっていますか?』

「いえ、けれど先生とオーナーさんが話し合って、決めてくれるはずです」

 中央の重賞を勝ってしまった。

 ここから先はもう、地方の馬が走る領域ではないのかもしれない。

 だがまだここからが本当の、物語は紡がれていく。




 GⅡにしては異例の記者会見。

 それが終わって調整ルームに、帰る天音である。

 夢のような中央の重賞は終わった。

 明日からはまた、調教の日々。

 ただこれで、未来が拡大してきた。


 選択肢が広くなっていく。

 この感覚はフィギュアスケーター時代にも感じたものだ。

 勲章を手に入れるたびに、世界が広くなっていく。

 大井のジャパンダートクラシックに出るか。

 あるいは菊花賞に出るのか。

 もしくは秋天に出るという選択肢もあるだろう。

 祖先の無念(※1)を晴らすなら、菊花賞であるのだろうが。


 調整ルームの中でも、女性区画に入ってようやく、落ち着くことが出来た。

 他の誰もいない、やっと訪れた静寂。

「……やった!」

 やっと喜びを、自分のものとして味わうことが出来る。

 これで今日の出番は終了。

 あとは調整ルームを出て、アシュレイリンクの調子なども確認しないといけない。


 荷物をまとめていると、ドアがノックされる。

 ここまで来れるのはJRA職員のみで、調教師でさえ入れない。

 まだ何かと考えて開けると、そこには優姫がいた。

「今後の選択肢」

 そう言ってルーズリーフを一枚渡してくる。

「関東の育成牧場の連絡先とかも書いてる。それとこの名刺に連絡したら、育成牧場の他に、JRAの馬も回してくれるかもしれない」

 書かれていたのは今後、アシュレイリンクが挑むべきルートだけではない。

 天音の選択肢までも、そこには書いてあったのだ。


 レースに勝ったのは天音とアシュレイリンクである。

 GⅠ馬に乗って、1番人気だった優姫は、15番人気に負けた。

「あの……」

「何?」

「……悔しくないんですか?」

「悔しいけど、それとこれは別」

 はっきりと言ってくる。

「フィギュアスケートにも、スポーツマンシップはあるのでは?」

「それはそうですけど、これは……」

 親切すぎる。

「そうかな?」

 優姫は必要なことをしているだけだ。




 オグリキャップがなぜ、あれだけの人気を博し、最後にはアイドルでさえなく神格化までされたのか。

 その人気の段階は、多層構造によってなされる。

 まず最初は地方から出た怪物、というハイセイコーをなぞるライン。

 この時にハイセイコーと違い、クラシックに出られなかったということが、オグリキャップを再現不可能なものにした。

「今は追加登録制度があり、その価値はなくなっている」 

 オグリキャップが、後の馬のために、切り開いた道とも言える。


 アシュレイリンクは今からでも、菊花賞なら間に合う。

「でもこれはあまりお勧めしない」

 ダービーならば選択したであろう。

「まずは世代最強を証明するべきだと思うけど、菊花賞はそれにはあまり適していない」

「……そうなんですか?」

「悲しいことにそうなっている」

 単体の菊花賞馬にはあまり、種牡馬的な価値がない。

 2000mも勝てる菊花賞馬なら、価値があるのだが。


 ここからの選択は、かなり難しい。

「まずダート3歳最強を目指すという路線がある」

「ジャパンダートクラシック……」

「ここに私の、ダート二冠馬ソウルハンターが出てくる」

 3歳ダート最強を名乗るなら、ソウルハンターに勝つべきだ。

 果たして勝てるかどうか、それはまた話は別だが。


 優姫の見るところ、勝算はそれなりにあると思う。

 自分の愛馬の負けを、素直に計算してしまっているのだが。

「アシュレイリンクはハツラツと違ってそこまで頑丈じゃないから、前哨戦を他に使うのは難しい……」

 そう言いながら優姫が示したのは、国内最高峰の格。

「今日の勝ち方から考えて、レーティング(※2)は高く出るはず」

 ジャパンカップ。

 この10年間では半分以上、世界トップ5のレーティングになっている。


 天音が震えたのは、そのジャパンカップという言葉の重さではない。

 このレースを平然と提示してくる、優姫の態度に震えたのだ。

「400mの距離延長を克服しても、他に強い馬が出てくる」

「……2400mならモーダショーも?」

「モーちゃんは海外遠征の予定」

 メルボルンカップに出るかどうか、そこはまだ決まっていない。

 ただ香港ヴァーズは強く推している。

「私はロア君で秋天に勝つ」

 3歳馬ながら2000では、既に実績を残している。

「そしてジャパンカップで、こちらも距離の限界を超える」

 能力自体はヴァリアントロアは、2400でもこなせるはずなのだ。


 3歳で安田記念と秋天を勝つ。

 そしてジャパンカップまで勝ってしまえば、それは間違いなく年度代表馬である。

「まあそちらがどういう選択をするかは、そちらが決めること」

 だがどうせなら、一番分かりやすいジャパンカップで対戦し、共に限界を引き上げられるならその方がいいのだが。

「4歳には他にも、強い馬はいるけどね」

 だからこそ札幌記念で、GⅡとはいえ実績を残しておきたかった。

「フォーリアナイトにボーンクラッシャーは年度代表馬クラスだから」

 そして故障さえしなかったら、シュガーホワイトがそれらを全て抑え、ゴールを通過していたであろう。




 門別の厩舎に戻ってくる。

 レース後にも確認していたが、再度アシュレイリンクの脚元を確認。

 特に問題はなく、ほっと一息である。

「やっと化骨が終わったかな」

 アシュレイリンクは晩成である、というのは関係者の共通認識。

 だが天音は去り際に、優姫に言われていたのだ。

「先生、リンクって本当に、晩成なんでしょうか」

「う、う~ん……」

 天音がアシュレイリンクに会ったのは、今年の四月のこと。

 騎手デビューとほぼ同時に、デビューしたわけである。


 それは痛い指摘なのである。

 秋藤にとってと言うよりは、オーナーである富田林にとって。

「どうして、そんなことを?」

「天海優姫が、言ってたんですけど」

「あ~、これはちょっと、他には言えないことだけどな」

 そして内緒話をする二人である。


 アシュレイリンクは普通に、1歳の冬には馴致から育成を開始された。

 だが特に2歳になってからは、元の富田林牧場に戻されている。

 預託料を払うのが苦しく、充分な育成が出来なかったのだ。

「まあそのあたりも含めて、晩成と言うよりは発育不良の方が正しい」

「あ~……」

 富田林のことを知っていれば、それも仕方のないことである。

 馬が可哀想と言っても、無い袖は振れないのだ。


 トラブルブレイカーは、比較的晩成が多いハーツクライ系。

 ようやく重賞を勝ったのが5歳なのだから、これまた晩成である。

 3歳のデビュー後から一気に、体重も増えていった。

 自分の飼葉代を、まさに自分で賄えるようになったからだ。

 さらにこの時にはもう、秋藤も素質を認めていたからである。


 だが、まさか3歳で中央の古馬混合重賞を勝つとは。

 これでもう完全に、預託料の問題はない。

 さらに微小な必要栄養素まで、しっかりと補給していける。

「しかし天海騎手はそんなとこまで見抜いたのか……」

 馬に乗る能力だけではない。

 モーダショーやヴァリアントロアの逸話を聞いていれば、その調教に関しての知識や能力も、騎手の領分を超えているように思える。


 アシュレイリンクは本当に、もう成長が終わったのか。

 おそらくはまだ終わらず、ゆるやかであるが成長を続けている。

「ここからのキャリアはなあ……」

 秋藤も悩むところなのだ。

 とりあえず道営では、そこまで大きなレースがもうない。

 どのみち冬場は休みになるのだから、早めに南関辺りに一時移籍して、まずダートのJpnⅠを狙うべきなのか。


 菊花賞を狙う必要はない。

 優姫の示したルートは、なんとも皮肉なものである。

(追加登録は、皐月賞の前ならなあ)

 アシュレイリンクの適性距離は、血統的にも間違いなく、長距離ではない。

 父親にはあまり似ていないが、それでもステイヤー体型でないのは間違いないのだ。


 オグリキャップの血を残す。

 それだけを目的とするなら、札幌記念にあと一つ、ダートGⅠでも種牡馬入りは出来るのではないか。

 ただその血をしっかり残すためには、繁殖牝馬の質も上げなければいけない。

(母系がスピード血統だから、どうなのかな)

 オーストラリアでは飽和しかけている血統である。

 だが逆に日本では、かなり異系の血統なのだ。


 トラブルブレイカーはサンデーのサイアーラインに、遠くにミスプロが二本。

 あとはエーピーインディ系のタピットまで入っている。

 だがストームキャットが入っておらず、サンデーが一本のみ。

 これはそこそこ需要があるのではないか、と現時点で血統だけを見れば思う。

 そして札幌記念のレコード決着。

 2000をGⅠ馬を相手に勝利したこの内容は、GⅠのブランド価値こそないものの、能力がとても高いことを示す。

 父のトラブルブレイカーは、兄ネバークライと同じで良血。

「次がダートを使うというのは、間違った選択じゃないな」

 その後のジャパンカップも、ネバークライの実績を参考にすると、無理ではない。


 年末の選択に、東京大賞典だけではなく、有馬記念もある。

 有馬記念はその年の、人気投票で決まる。

 おそらくアシュレイリンクも、登録すれば選ばれるだろう。

 だが中山の2500mを、果たして天音が乗れるのか。

「よく分からん子だなあ」

 天音の持つ、優姫への反発心は知っている。

 しかしそれとは全く別の部分で、とんでもない記録を残し続けているのが、優姫であるのだ。

 3歳の終わり、そして4歳の始まり。

 この時点でのJRAへの移籍を、優姫は最後に書き残していた。


 ※1 祖先の無念

 以前にも書いたが、オグリキャップはクラシック登録がなかったため、ダービーにも菊花賞にも出られなかった。

 現在は追加登録制度が出来たが、これは別名オグリキャップ条項とも呼ばれている。


 ※2 レーティング

 競走馬の能力を国際的な基準で数値化したもの。

 日本ではJRAのハンデキャッパーが、レース内容を分析して数値を算出する。

 単位はポンドで、おそらくこの勝ち方と相手なら、120ポンド以上にはなる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ