第72話 斤量は翼か枷か
レースの前には色々と、3歳の牡牝マイル王者ということで、注目は集まっていた。
だが実際のレースになると、5歳馬ウエストレインボーが、実績からしても1番人気になっている。
馬券親父の強かなところと言えるだろうか。
しかし実際にこの時期の3歳馬は、まだ成長途中であったりする。
理屈だけで言うならば、ファムダンサントは一番有利である。
人間だけではなく馬も、実は牝馬の方が成熟が早い。
そのためファムダンサントは、もう完成形に近い。
それなのに3歳馬で、さらに牝馬ということもあって、古馬の牡馬より6kgも軽く乗れるのだ。
ただ一つだけ、不安材料もある。
鞍上が代わっている、ということだ。
安田記念は普通、古馬が58kg、3歳馬が54kgの斤量を課せられる。
だが3歳牝馬の場合、ここからさらに2kgも軽く乗れるのだ。
52kgで1600mのマイルを走る。
馬にとっては確かに、ありがたいことであろう。
しかし騎乗するジョッキーは、ちょっと無理があるのだ。
現在の鞍やヘルメットなど、装備品の重さを考えると、いくら軽量の品を使っても1.5kg相当にはなる。
ファムダンサントの主戦騎手は、日常の体重を52kgでキープしている。
やろうと思えばもう少し減量も出来るのだが、実際のところジョッキーは、体重を一定にキープするのが常識なのだ。
優姫にしても体重の前後は、1kgまでが限度である。
主戦ジョッキーが52kgという場合、他の装備品を加えると、53kgはどうしても超えてしまう。
実は軽い場合はともかく重い場合は、1kgまでは裁定委員の判断で、許可がされることもある。
だがそれは正当な理由が必要で、単純に53kgでも乗れる、というわけではない。
ジョッキーも人間であるので、水分を補給して100gや200g重くなる程度ならば認められることが普通だ。
だがジョッキーが減量してどうにか53kgまでに抑えた場合は、最初からもっと軽いジョッキーを用意しておけ、という話になる。
今回の場合はまさに、その軽いジョッキーに乗り替わっている。
調教などでは何度か乗っているのだろうが、レースでは初めて。
そこが弱点だ、と考える人間は少なくない。
52kgの場合など、それこそ優姫にでも任せたかっただろう。
しかしこういう時のために、ジョッキーのエージェント・ラインは存在する。
エージェントの抱えているジョッキーの中で、体重が50kgをキープしているジョッキーに乗ってもらえばいいだけである。
慣れの問題もあって、これまでのように完璧なパフォーマンスは出せないかもしれない。
だが出せるかもしれないのが、二番手のジョッキーだ。
優姫もこれまでに何度か、対決したことはある。
トップジョッキーの中では、最低レベルの実力。
しかしまだ成長途上、というのが優姫の評価である。
自分を基準にして考える。
今の日本において、警戒するほどのジョッキーは、一人だけか。
アイルランド人ながら、日本の騎手免許を取った、ショーン・リード。
この10年の中で半分ほどは、リーディングジョッキーとなった。
やや勝ち鞍の数が落ちたのは、年齢による体力の衰えと聞く。
あとは代謝の問題で、体重が落ちにくくなったとか。
本来ならばファムダンサントは、彼が乗っていたはずだ。
軽く乗れる3歳牝馬は他に任せて、自分は古馬に乗っている。
おおよその実力は、全馬把握している。
ウエストレインボーが一応は、実績では圧倒している。
だが無敗の3歳牝馬には、期待も集まっている。
おおよその馬の実力に従えば、ヴァリアントロアでも勝ち負け。
「古馬とは初めての対戦だが、どうなんだい?」
「自滅だけが怖いかな」
「おいおい、頼むよ」
パドックにおいて千草と、社長と一緒に話している。
本日は奥方と二人、そして娘さんが一人、府中にやってきた。
「3歳牝馬の戴冠となったら、大きなニュースになるだろうね」
「皐月賞馬がダービーじゃなく安田記念を勝ってもニュースになる」
3歳馬が古馬を相手にGⅠを勝つこと。
それも春の安田記念であれば、価値はかなり大きくなる。
今でもクラシックディスタンスの勝ち馬には、最高の権威が与えられる。
だが種牡馬として成功するのは、マイルから中距離の馬が多い、というのが海外の常識である。
スタミナがある馬など、むしろ敬遠されることすらあるのだ。
そのあたり日本だけは本当に例外だ。
しかし3200を勝っているディープインパクトやキタサンブラックが成功している時点で、何かがおかしいと向こうが気づくべきであろう。
「勝てそうだって聞いているけど、ライバルはどんな調子なの?」
そう言ったのは社長の娘で、天才少女として有名なゴルフ選手である。
普段は見たことがなかったのは、彼女がまだ学生であるからで、土日などは練習をしていたり、大会に出ているから。
なお女子プロゴルファーは、強ければほとんどの週に試合が入っている。
怪我などで休むか、あるいは予選落ちしない限りは、ほぼ日曜日は空いていない。
日曜日に行われるスポーツということで、優姫は少し見たことがある。
またジョッキーは社交のために、馬主などに誘われることも多い。
もっとも土日がメインのお仕事の、ジョッキーがラウンドするにあたっては、色々と制限があるのも確かだ。
「ライバルはやはりファムダンサントとウエスト――」
「ちょっと待ちなさい」
優姫の言葉を千草が止める。
「予想行為」
「……然り。世間一般ではヴァリアントロア、ファムダンサントに注目しているけれど、オッズはウエストレインボーが一番になっている」
「なんか言いかけたけど」
「ああ、それはまあ、後で説明してやるよ」
娘に対して社長はとどめ、お口にバッテンを作る優姫である。
優姫はどうしても感覚が、現在の競馬とは狂っているところがある。
今のも危うく、説明ではなく予想行為(※1)になるところであった。
昔はそのあたり、騎手や調教師と馬主であれば、かなりナアナアなところもあったのであるが。
最近は馬主の馬券を買う行為でさえ、うるさく言われることがある。
優姫はどうにも、歪に正直者なところはあるのだ。
馬たちがパドックから返し馬に入り、輪乗りをしていく。
「天海、お前迂闊なことするところだったな」
盤外戦術的に、そう言ってくるジョッキーがいる。
「昔はけっこうアバウトだったから、基準を間違えるところだった」
ただ優姫のこの返答の意味が分からず、続いてのツッコミが入れられない。
今は一億総配信者時代。
証拠がいくらでも作られる時代であるのだ。
だが2000年ごろはまだ、スマートフォンすら存在しない。
もちろん当時としても、録音機械などはあったが、日常的に誰もが録音機械を持っている今とは違ったのだ。
なおこれが70年代ごろまで遡ると、よほどひどいものでない限り、騎手や調教師が予想し合って、それを馬主が知るというのも日常であった。
八百長の発覚というものが、そのあたりの締め付けを厳しくしていく。
優姫の、存在しないはずの記憶。
80年代から残るそれは、競馬が完全に、大衆文化に浸透していく過程である。
(締め付けが厳しくなった)
もちろんそれは競馬としては、健全なことでもあるのだが。
(昔は札束で馬券を買っていた馬主もいたのに)
今も一応馬主が、馬券を買えないわけではない。
だが買う馬主は確かに減ったし、記念馬券を買うぐらいであったりする。
優姫はそういった記憶を、また箱の中に封じ込める。
始まるのはマイル戦。
息をつく間もなく決まるスプリントに比べ、一息で終わるマイル、などとも言われる。
基本的にスプリントは、息を入れる暇がない。
だがマイル戦はどこかで、わずかに息を入れないといけない。
かのフランケルはマイルのレースで、1200m通過時点のタイムが、スプリント戦のレコードであった、などという話もある。
しかしそれでも、スプリントとマイルは違うのだ。
馬主席にオーナーと共に千草も上がる。
「お父さん、さっきのあれ、どういう話だったの?」
千草が優姫の言葉を遮り、優姫も言葉の調子を変えていた。
「あれは……ええと、鳴神先生、説明をお願いします」
私かい、と思いながらも千草は説明する。
「私たち調教師やジョッキー、厩務員や職員もそうですが、レースがどのようになるのかを、予想して外部に発言してはいけないんです」
「……ああ、八百長とかにつながるから? でも馬の調子はいいとか言ってなかったっけ?」
「それはあくまでも、自分の馬の調子がどうか、ということですから。でも他の馬と絡めて、どういうレースになるかというと、また話が変わってくるんです」
そう言われても首を傾げる。
気持ちは分かる千草である。
実際にそのあたり、境界線は曖昧なところがあるのだ。
テレビなどの番組で、一般論としてこれまでの成績、またレースの傾向、馬の対戦成績などを語るのは問題なし。
だが実際にどう展開して、どう決着しそうになるかまでは、間違いなく予想行為。
これをやってしまうと程度にもよるが、ジョッキーなら騎乗停止、調教師なら調教停止など、厄介な処分を受ける。
優姫があそこからどう言いかけたのかは、千草としても分かっていなかったが。
日本の競馬の公正性は、そのあたりもかなり厳しい。
「じゃあ記念に馬券買ってこようかな」
「いや、馬券は20歳から(※2)じゃないと買えないし」
「言わなきゃばれないでしょ」
「ばれた時に俺の馬主資格が停止になったりするんだよ!」
なかなか面白いやり取りであったが、けっこう重要なことを言っている。
競馬は国が同元のギャンブルなため、八百長疑いの罰則に関しては、大変に厳しいのである。
あくまでも日本の話で、海外ならジョッキーが、自分の乗る馬に限っては馬券が買えたりもする。
「つまんないの」
「いや、予想してレースを見るとか、そういう楽しみ方もあるだろ」
「そんなの分かってるよ。うちの馬が勝つよ」
「そりゃまた随分と確信的だな」
「お父さんも分かってるでしょ?」
「……正直昔は、かなり分かったレースもある。だけど引退してからこっち、勝負勘が鈍ってなあ」
「そうかもねえ」
また大胆な予想であるが、一流のアスリートであると、直感で分かるところがあるというのか。
千草としてはむしろ、そこが気になった。
「そんなに分かりますか?」
「分かるよ。馬とジョッキー見たら、普通に勝ちそうだし。まあゴルフと一緒で、競馬も野球もある程度は、偶然性が絡んでくるだろうけど」
ゴルフは確かにそうらしいな、とは千草も聞いている。
野球もそういえばそうかな、と北海道ファンの千草は普通に考える。
スポーツというものは、実力差がちゃんと出るから面白いものと、実力差が勝敗につながらないから面白いもの、この二つがある。
逆にそのあたりの実力差の結果がどうかで、スポーツの魅力はかなり決まるのではないか。
競馬はある程度の予想が可能で、だからギャンブルとして成立している。
しかしたまに、去年の有馬のようなことがあるので、そこがギャンブルとして面白いのだろう。
それにしても一流アスリートの勘。
優姫なども自分の乗るレースがどうなるか、かなりの確率で予想が当たる。
このレースにしても、道中に不利がなければ、勝てると言っていた。
だからこそダービーを諦めて、安田記念を許可したのであるが。
結局レースに出るのは、調教師の決めることなのだから。
危ういところをやってしまった優姫だが、既に切り替えている。
そして今日も相棒は、レースの前からやる気充分で、他の馬についてオラついている。
……君はまだ3歳馬なんだよ?
(まあファムとレインボーが、やっぱり要注意かな)
さすがにマイルの帝王だけあって、ウエストレインボーは警戒しないといけない。
5歳でGⅠも充分に取っているし、間違いなく今年で引退のはずだ。
だがどうせなら花道を行くのではなく、次世代の噛ませ犬になってほしい。
引退レースを勝つというのは、美しい幕引きではある。
しかしそんな幕引きを許されるほど、競馬は甘くはない。
まあオルフェーヴルやキタサンブラックのような、圧勝の引退レースもあったりはするが。
ディープインパクトも含め、あのあたりの馬はもう一年ぐらい、現役をしていても良かっただろう。
走らせるという観点だけなら、そういう考えもなくはない。
特にオルフェーヴルは、引退時にまだ成長中であった、などという説もある。
ヴァリアントロアはどうであるのか。
優姫が考えるにロアは、気性に問題があるため、長い距離を走れない。
だがこの気性があるため、競走能力は高いと思うのだ。
上手く抑えが利くようになれば、むしろ走らなくなってしまうのではないか。
それでも絶対的な瞬発力があるので、能力が高いのは間違いないが。
ゲートに入っていって、さてどう決着するか。
マイル戦は一瞬の判断で、勝負がほぼ決まってしまう。
だが完全に追っていくだけのスプリントとも、やはり違うのだ。
特に日本の場合は、GⅠレースならスプリント戦でも、カーブがある。
そこをどう攻略するか、ジョッキーの作戦と腕によるものだ。
有力馬がそれほど、極端な枠にいない。
おおよそ実力が出る、そういうレースになるはずだ。
(斤量の有利を、どうやって活かしていくかな)
マイルのレースであれば、そこまで大きな差にはならない、とも言われるであろう。
だがマイルは普通、そこまでの大差がつかないのだ。
だからわずかな斤量差で、ほんのわずかな勝敗が決まる、というのも間違いない。
ゲートが開く。
多くの馬がスムーズなスタートをする中、優姫はわざと一呼吸遅らせる。
これだけの古馬のマイラーを相手にしても、まだヴァリアントロアの作戦は同じ。
前に壁を作って、最初にペースを早めないようにする。
コーナーの位置取りと、最後の直線へのポジション。
それをどうするかで、レースの結果は決まるだろう。
(歴史を刻ませたりはしないよ)
優姫は相棒をしっかりと、内側に持って来ていた。
ウエストレインボーが先団前、ファムダンサントが先団の中。
ヴァリアントロアはほぼ、最後方からの競馬になった。
※1 予想行為
競馬関係者が、自身の管理・騎乗する馬以外も含め、レースの結果を具体的に予想したり、買い目を公表したりすること。
競馬関係者とは調教師・騎手・厩務員・JRA職員を示す。
これが「公正確保についての注意義務」に違反する行為として禁止されている。
「勝機がある」「状態が良い」といった、自身の担当馬に関する作戦や手応えをインタビュー等で話すことは、ファンへの情報提供として認められて問題ない。
※2 馬券は20歳から
実はそうなのである。煙草や酒と同じである。
昔は20歳であっても学生であれば馬券は買えなかった。
しかし定時制に通う30歳以上の、働きながら勉強している学生はどうなのか、などといった現実との乖離があったため、現在では年齢でのみ制限されている。




