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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
四章 新たなる栄冠

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第61話 宿命を秤にかける

 ジョッキーには馬をどのレースに使うか、決める権利などはない。

 あるのは調教師だけであり、馬主にもそんな権利は、正確を期するならばないのだ。

 だが馬主には、馬を引き上げて転厩させる、という力技はある。

 なので現在はクラブなどの大馬主は、話し合うことはあるにせよ、出走させることは出来るのだ。

 対して基本的にSSRCの馬は、千草の好きなように使うことが出来る。

 なので優姫としては、出来るのは千草への進言だけだ。

 そして優姫レベルの成績を挙げるジョッキーの進言は、完全に無視することも難しい。


 クラシック第一戦桜花賞の翌週、今度は牡馬の一冠目である皐月賞が行われる。

 ヴァリアントロアは以前に京成杯で、全く同じコースを走り、そして3着に敗れた。

 わずかに距離が長いかな、とは千草は思っている。

「それは平気」

 優姫がそう言うのは、皐月賞と京成杯の、大きな違いがあるからだ。

「皐月賞は多頭数になるから、前に壁を作って脚をためやすい」

 ただ上手く進路を見つけられなければ、内に閉じ込められて負ける。


 優姫がヴァリアントロアの登録で考えているのは、ダービーではなくマイルで使うということだ。

 少なくとも現時点でもまだ、ヴァリアントロアは2400mは折り合えない。

 おそらく脚をなくして、沈み込んでしまう。

「ならばNHKマイルCをって?」

 いやいや、と首を振る千草であるが、それも違うのだ。

「ダービーを回避して、安田記念に走らせる」

 この言葉に千草は、少し考え込んだ。


 安田記念はかつては、古馬のみの競走であった。

 だが1996年からは施行時期も変化し、3歳馬がかなり有利な斤量で走れるようになっている。

 もっとも時期が六月というのは、3歳馬にとってまだ成長の途中。

 4kgの斤量差があっても、まだ古馬の方が強いだろう。

 それにこの時期なら、素直にNHKマイルCを使っておけばいいのだ。


 もっとも3歳限定戦はこの時期、GⅠを勝ってしまうとしばらく、短い距離がない。

 スプリンターズSが九月にあるが、これも古馬混合戦。

 かといってその次は、秋天かマイルCSということになる。

「ダービーを回避して、安田記念って……」

 サラブレッドのオーナーであれば、誰でもダービーを勝たせたいと思うはずなのだ。

 千草であっても子供の頃から、特別なのはダービーと思っていたのだから。


 優姫としてはどちらが、勝ちやすいかという問題の他に、どちらが経験値になるかという判断もしている。

「ダービーで負けたら負けたで、いい経験にはなる」

 それで折り合いがつくようになれば、今度こそ2400を走ることも出来るだろう。

 そうなれば秋の、ジャパンカップや有馬記念でいい結果が出せる。

「あとは海外とか」

「海外って」

 そのあたりは全く、ノウハウがない鳴神厩舎である。




 春のクラシックの季節に、所属馬を送り出せるということ。

 その中でも特に、ダービーに出せるというのは特別なのだ。

 その年の生産された、8000頭以上もの優駿たち。

 その中からわずか18頭が、選ばれるのがダービーのゲートである。

 賞金にしても皐月賞や菊花賞より、格段に多くなっている。


 とりあえずは目の前の皐月賞である。

 同条件の京成杯で、一度は負けたヴァリアントロア。

 だが優姫はあの敗戦を、ちゃんと教訓としている。

 育成牧場に任せることなく、自分の手で調教を繰り返した。

 その結果として折り合いが、わずかに良化しているとも思えるのだ。

 実際のレースになれば、それも分からないが。


 優姫は柔らかく乗るタイプの騎手なのだ。

 本当に理想的なレースとは、ジョッキーが何もしないまま、馬が駆けるままに任せて勝つ、というレースだと思っている。

 もっともそんなことを信じて何もしないのは、脳みそお花畑以外の何者でもないので、実際には工夫しているわけだが。

 腕力で強引に乗る。

 追ってやることであと一歩、ゴールに先に到着することが出来る。

 それもジョッキーにとって、重要なことなのだ。


 ダービーではなく安田記念を。

 この優姫の意見は、千草にとって意外なものであった。

 優姫ならなんとかして乗ってしまうだろう、という想像をしていた。

 なぜなら彼女は特に八大競走に対して、祖父の世代のような、価値を認めていたからだ。

 菊花賞や春の天皇賞は、もう種牡馬の選別にはならない、などとも言われている。

 だが心肺機能などは、遺伝するならば遺伝した方が、いいのは決まっている。


 アメリカとオーストラリアは完全に、スピード至上主義となっている。

 種牡馬選定としてレースではなく、スピードの絶対値が評価されるのだ。

 ヨーロッパにしても、ドイツのスタミナ血統はともかく、多くはスピード血統が幅を利かせている。

 その中で日本は、クラシックディスタンスを重視し続けた。

 ロードカナロアから、アーモンドアイが生まれるような、そういう奇跡もある。

 キタサンブラックからイクイノックスが生まれるなど、誰が想像していただろう。

 スピード系種牡馬からは確かに、スピードが伝わる。

 だがスタミナ系種牡馬からスピードは伝わらない、というのは幻想である。


 優姫はシュガーホワイトを種牡馬入りさせた。

 その血統の奥には、パーソロンのラインが二本入っている。

 サドラーズウェルズは入っているが、それはガリレオではなくモンジューを経由。

 サンデーは一本だけで、ミスプロも一本だけ。

 ノーザンダンサーは濃いが、ナスルーラも濃いという、かなり複雑な血統である。


 シュガーホワイトが本当に、種牡馬として成功するかどうかは分からない。

 ただスピードがあるのは確実であるし、血統的に望まれているのも確かだ。

 ガリレオ、デインヒル、ストームキャット、キングカメハメハを持っていない。

 それでいてキャンディライドというラインによって、スピードは母系から加わっている。

 千草は優姫の知識が、ジョッキーよりも生産者に向いていると感じる。

 実際に話してみれば、それが目的だと言ってくるのだ。




 優姫は追い切りを乗った後、関東に移動する。

 東京ではまた色々と、CMに出たりインタビューを受けたりとしているのだ。

「血の閉塞は確かに起こりつつある」

 優姫はそう語るが、シュガーホワイトはそれに一石を投じたものだ。

 またモーダショーも血統だけを見れば、スプラッシュヒットの後継種牡馬になるかもしれない。

 中距離での実績は、絶対に必要になるだろうが。


 AIの計算でも、血の閉塞は本当に出ようとしている。

 サンデーばかりと言われる日本でも、実は世界的に見れば、まだそれほど深刻ではないのだ。

 キングカメハメハにより、サンデーを薄めることに成功。

 またトニービンの繁殖牝馬も、相当相性が良かった。

 それに比べるとヨーロッパは極めて深刻。

 サドラーズウェルズがただでさえ長生きだったのに、ガリレオの王朝が長く続いた。

 デインヒルとの配合によって、それはより深刻になっている。


 オーストラリアもデインヒルが深刻だが、南半球という利点がある。

 シャトル種牡馬(※)を種付けすることによって、血の閉塞は起こりにくい。

 そしてアメリカはストームキャット、エーピーインディ系、ミスプロ系が完全に支配的。

 だが国土の広さから、地域に残った血統がまだある。

 それこそミスタープロスペクターは、GⅠを勝っていないのだから。


 日本は五代グループの一強などとも言われる。

 だがかつては種牡馬にこだわっていたが、繁殖牝馬を輸入するようになった。

 優れた肌馬こそが、より優れた優駿を産む。

 特にドイツ血統などが、評価されることはある。


 対して優姫は日本の、在来血統を上手くブレンドすべきと考える。

 明治時代からの牝系に、輸入してきた種牡馬を種付けして改良していく。

 最終的にはサンデーサイレンスとキングカメハメハで、世界でもトップレベルに上り詰めた。

 もっともイクイノックスには、キンカメは入っていない。

 代わりに欧州最強と言われたダンシングブレーヴや、最強スプリンターのサクラバクシンオーが入っている。

 能力的にはともかく、血統的にはイクイノックスは、コントレイルやフォーエバーヤングより優れている、というのが優姫の見方である。




 インタビューを終えた優姫を城崎は迎える。

「お疲れ様」

「城崎さんは、マネージャーのようなこともしている。ありがたい」

「仕事だからね」

 先日の桜花賞、優姫が得た進上金は約300万円。

 ここから5%の15万円が、城崎の収入になる。

 なのでいい馬を見つければ見つけるほど、彼の収入にもなるわけだ。

 ほぼ歩合制のようなものなので、それは頑張りもするだろう。

 なお法人化した中には、彼の席もある。 

 いずれ引退した時には、退職金も払うための措置である。


 城崎としてはSBCファームの従業員でありながら、同時にエージェントもしているという意識が高い。

 タレント活動はあくまでも二次的なものなので、専属のマネージャーはついていない。

 なので事務所と優姫の連絡に、城崎が挟まっているのは確かなのだ。

「それで、会長に会いたいって?」

「社長さんでもいいけど」

 SBCファームは調教師からすれば、かなりありがたい馬主である。

 馬が勝てなくても、そこまでうるさくは言ってこない。

 本業の中の節税部分、という意義があるからこそ成立している。

 あとはコネクション形成などである。


 社長はややミーハーな部分もあるが、基本的には馬に対して興味がある。

 逆に会長はほとんど競走成績に興味はなく、そのステータスを欲している。

 ただそれだけに、出走するレースにはこだわりがある。

 ダービーと天皇賞、有馬記念の三つを重視するというのが、SSRCの基本方針である。

 しかし馬に使うのは、年間に10頭から20頭。

 それでも充分に、JRAや大口馬主とは、接点が出来るのだ。


 優姫はこういった競馬社会の変化を、かなり学んでいる。

 特に馬主を法人化して、節税効果を出しているということ。

 本質的な話をすれば、会長は競馬自体はそれほど好きではないらしい。

 そもそもギャンブルが嫌いで、それでいて育成牧場を作ったというのが、なんとも分かりにくいところだが。

 はっきり言ってしまえば、優姫とは正反対のタイプなのだ。

 雇用の創出という点で、経済的に許容はしている。

 だが好みではないというのが、実業を重視する事業家らしいところだ。


 ダービーではなく安田記念を選択するということ。

 およそ倍ほども賞金が違うというのもあるが、3歳の牡馬はダービーを目指すべきなのだ。

 それが競馬を広告塔と考える人間の考えで、また優姫も本来はダービーを勝ちたい。

 去年のシュガーホワイトで、勝てなかったダービー。

 ヴァリアントロアは絶対的な瞬発力という点では、シュガーホワイトを上回るところもあるのだ。


 城崎はそのあたり、あまり賛成できない。

「会長はマイルのレースは、あんまり価値を認めてない人だけど」

「負けた時の言い訳にも使う」

 優姫のあっさりした言い方に、車に同乗していた城崎は二度見する。

「皐月賞で負けたら、それは私のせい。でもダービーで負けたら、レース選択を間違えた人間のせい」

「そうは言っても、安田記念は安田記念で、ウエストレインボーがいるけど」

 同じマイルの双璧と呼ばれた、テラスミュージックは今年ドバイで惜敗してから、立て直しの時間としている。

 適性距離がやや長いので、宝塚を使ってくるのでは、とも言われている。

 だがウエストレインボーは、完全に今年も安田記念を狙ってきている。


 あの絶対的なマイラーに、3歳牡馬が勝てるのか。

「皐月賞をどう終えるか次第だけど、絶対能力は匹敵していると思う」

 城崎はたまに、優姫のことが怖くなる。

 どうしてここまで、馬のことを信じられるのか。

「まあ会長は、論理的な話を好む人ではあるけど」

 城崎としてはちょっと近寄りがたい、別世界の人間なのである。




 南関SSホールディングスは、株式会社ではあるが同時に、その株式を一族でほぼ独占している会社でもある。

 株式の時価総額は、およそ1000億円ほど。

 また手を出している事業は他分野に渡り、巨大なコングロマリットとも言えるようになっている。

 資産のかなりを不動産として持っていて、そこを流通基地とし、今では流通業にまで手を出している。

 株式の時価総額は、あえて抑えているというところもあるのは、それを所持しているのがほとんど、一族であるからとも言われる。


 千葉から茨城、また神奈川にかけて巨大な影響力を持つ、地方の王国。

 そんな存在になっているが、あくまでもやっていることは地味。

 もういっそのこと、プロ野球球団の買収でもしちゃえよ、と言われることもある。

 だが興行というのを、あくまでも虚業と考えるその姿勢。

 絶対的な現実主義者が、このグループの会長であるのだ。


 ただ時間さえあれば普通に、優姫にも会ってくれる。

 冷徹ではあるが尊大ではない、というのが優姫の評価であった。

「まあ馬のローテに関しては調教師の先生に任せているし、海外遠征でもしたいというなら、義弟に相談するだけでもいいと思うが」

 秘書が淹れてくれたお茶に、ありがとうと応じて会話をする会長である。

「ダービーは距離がもたないの?」

「京成杯で負けたように、2000mまでが限界かと」

「ダービー、勝てないかあ」

 その冷徹な仮面に、少しひびが入ったように見えた。


「会長は春の天皇賞を重視していると聞いた」

「そこまででもない。クラシックや有馬記念、あとはジャパンカップも重要だと思っているとも」

 ぐびと少し茶で喉を湿らせる。

「まあ個人的には確かに、ずっと距離の変わっていない、春の天皇賞は気にしているよ。けっこう皇室の方もいらっしゃるし」

 このあたり少し、優姫にも不可解な部分がある。

「会長は、メジロ牧場のような目標を持っている?」

「いや、それは違う。オーナーブリーダーになろうとは思わない」

 そこははっきりしているのだ。


 資産的な背景はあったとはいえ、この巨大な企業を一代で築いた。

 本人に言わせると、やらなければいけないことをやっていたら、勝手にこんなことになっていた、そうだが。

「うちはあくまでも、結果的に最強の馬を持てればいい、と考えている。その過程で無理に五代の高額馬を買おうとは思わない」

 このあたりは完全に、優姫の理想とは真っ向から対立するのだ。

「ただ宣伝効果としてはやはり、ダービーや有馬記念に出走してくれたら、嬉しいというのは確かだね」

 馬主というのはそのメリットを、馬で儲けることではなく、社交として考えている。

 これがのめり込みすぎると、本業も疎かになる。

 その点で競馬に関する事業を、グループ内の一部に限定しているのは、リスク管理としては正しい。

 生産に手を出さないというのも、そのリスクを考えてのことだ。

「うちはね、ちょっと古いタイプの、パトロン的なオーナーであろうというのが基本路線なんだよ」

 だから調教師に対して、レース選択にうるさいことは言わない。

「だけど、相談しに来てくれたことは嬉しいよ。まあ鳴神先生には、好きにしてくれたらいいと言っておいてください」

「あくまでこれは、私の勝手な考え」

 その優姫の言葉に、会長は微笑する。

 こういうのを氷の微笑というのかな、と自分も同じように言われているとは、まだ気づいていない優姫であった。

 ※ シャトル種牡馬

 北半球と南半球の季節の差を利用して、一年のうちに両方の地域で種付けを行う種牡馬。


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