第58話 ライバルたち
去年のダービー馬メテオスカーレットは、ダービー後の骨折が判明し、年内全休となったため、その実力がフロック視されていた。
だがレース勘を取り戻すためにと出走した、アメリカジョッキークラブカップ(※1)で58kgを背負いながらも優勝。
2歳時の重賞勝利からダービーに加え、これで重賞3勝目となった。
次に向かうのはGⅠ大阪杯。
二つ目のGⅠを取るために、準備は万端となっている。
優姫も乗った京都記念では、前走万葉Sを勝っていたボーンクラッシャーが見事に勝利。
春の目標を天皇賞としながら、大阪杯も視野に入れている。
京都記念から大阪杯までは中六週。
間隔を考えれば、充分に疲労は抜けるだろう。
だがこの大阪杯には、フォーリアナイトが出てくるのだ。
フォーリアナイトは三冠のうち二つを2着。
秋には菊花賞を避け、秋天からの秋古馬三冠路線を進んだ。
そこでも全て2着という、実はものすごく珍しい記録を持っている。
負けた相手が全て違うというのも、面白い話である。
かつてのシルバーコレクターメイショウドトウは、負けた相手が全てテイエムオペラオーであったのに。
下手なGⅠ1勝馬よりも強いだろう。あるいは最優秀3歳牡馬に選ばれたモーダショーよりも。
それは共に出たレースの二つ両方で先着しているだけに、ありえないことではないのだ。
ただ重要なのは他の馬ではなく、自分のお手馬がどう仕上がっているか。
3月に入って優姫はまず、桜花賞のトライアルレースを使っていく。
ミニョンフルールはここまでまだ2勝。
チューリップ賞で3着以内に入らなければ、桜花賞に出るのは難しい。
せめて重賞の2着でもあれば、とも言えるが。
桜花賞に出走する権利は、チューリップ賞3着以内、フィリーズレビュー3着以内、アネモネステークス2着以内。
この中ではチューリップ賞が、本番とコースも距離も同じである。
仁川にある阪神競馬場において行われる、春のクラシック最初のレース。
桜花賞への出走枠を巡り、戦うマイル戦。
アメリカから輸入したゴーンウェスト系種牡馬を父に持つのが、ミニョンフルールである。
栗東の権田厩舎が、この馬を管理している。
馬主は主に栗東に、50頭ほども個人で持っている大馬主。
「2着以内には入らないとね」
「1着を目指すんじゃないのかい?」
「レースは水物だから。……これで詰みかな?」
鳴神厩舎で北川相手に、将棋などを指していた優姫である。
ミニョンフルールは新馬戦も3着であった。
崩れることがない、いい馬ではないかと北川などは思うのだ。
自分の担当しているヴァリアントロアなどと比べると、普通に走るいい馬である。
もっとも手のかかる馬ほど可愛い、というのが北川のもう一つの価値観だ。
「だけどもう少し距離が長い方がいいかな」
優姫の言うことは本当に当たる。
だが父系を考えれば、2000mまでが強いはずの血統。
アメリカからの輸入種牡馬は、基本的にマイルから2000mまでが強い。
日本のクラシックディスタンスの2400mを勝つためには、配合を考えなくてはいけないのだ。
たとえばモーダショーの父親であるスプラッシュヒットも、2000mまでしか実績が出ていなかった。
産駒は2400mのGⅠでは2着が最高。
それをモーダショーが覆したわけだが、モーダショーの場合は間違いなく母系からスタミナを受け継いでいる。
ミニョンフルールも祖母がフランスから輸入した繁殖牝馬。
五代が数頭の仔を出してから放出したのを、日高の牧場が繁殖牝馬セールで買ったという経緯がある。
そこに日本の種牡馬を付けて生まれたのミニョンフルールの母。
ヨーロッパのスタミナ血統に、日本に適合した芝馬。
そしてまたアメリカのスピード血統を、注入したというわけである。
桜花賞を勝てるかどうか。
出走するだけならば、2勝馬でも選ばれる可能性はある。
だが運に頼るのではなく、確実に出走するためには、やはりトライアルで好走すること。
またチューリップ賞は重賞なので、2着でも収得賞金が加算される。
すると桜花賞で惨敗したとしても、おそらくはオークスに出られるのだ。
桜花賞に惨敗などすれば、馬主が乗り替わりを求めてくるかもしれないが。
もちろん桜花賞と同じ条件のチューリップ賞。
ここを走ることは桜花賞を本番と考えるなら、絶好の練習ともなる。
(牝馬は難しい)
昔と比べればノウハウも増えて、かなり安定してきたと言える。
それでも牡馬に比べれば、面倒なことは確かである。
ただヴァリアントロアのように、選んだ人間にしか懐かない、というタイプではないのがありがたい。
外厩で鍛えてから、直前にトレセンに移動。
それからレースに使うというパターンで、この週末も迎えることが出来る。
(他の人に任せられるのは楽)
モーダショーは他の乗り役だと、どうしてもちんたらとしか走らない。
ヴァリアントロアはいまだに、面白半分で振り落とそうとしてくる。
それに比べれば牝馬の繊細さなど、いかほどのものであろうか。
今年の牝馬路線は、突出して強い、牝馬三冠が取れそうな馬はいない。
逆に言えばどのレースも、ある程度の勝算はある。
だが桜花賞はちょっと難しいのだ。
やたらとマイルの距離だけは走れる、外国産馬が一頭いる。
マイラーの距離適性というのは、ちょっと中長距離適性のそれとは、かなり違う。
牡馬でダービーと菊花賞を勝って、皐月賞を落としている馬は少ない。
だが牝馬の場合は、オークスと秋華賞を勝って、桜花賞を落としているというのはそれなりにいる。
仕上がりが早く、マイルの距離を走れる。
そういう適性のある牝馬にとって、2400は長すぎたりするのだ。
「君はどうかな?」
阪神競馬場1600m、桜花賞トライアル。
今日は既にノルマのように、1勝はしている優姫であった。
かつては条件が同じということもあり、桜花賞での成績がとても良かったチューリップ賞勝ち組。
近年でも悪いわけではないが、2歳の時点で賞金を積んでおき、桜花賞には直行という馬も増えている。
それだけもう調整に関しては、外厩に依存していると言えるのだろう。
優姫が桜花賞で厄介だな、と考えているのはチューリップ賞組ではない。
来週の同じく桜花賞トライアルの、フィリーズレビューに出走する。
警戒しているのはヴァリアントロアと似たようなタイプだからだ。
気性難はそこまでではないが、マイルあたりでしっかりと勝っている。
2歳戦では牡馬に混じって、重賞を勝っている経歴。
それを見れば油断してはいけない、ということがよく分かるだろう。
2着以内に入ればいい。
そうすればオークスに出走できる、賞金もたまるだろう。
そうやって気楽に乗ったのが良かったのか、本当に2着に来れた。
だが乗った感じではやはり、もう少し距離が伸びた方がいいと思う。
(繁殖に入ったら、どうなるのかな)
重賞2着の牝馬というのは、絶対に繁殖に入ることになるだろう。
あとは馬主がどう、判断するかである。
自分にはまだ関係がないが、こういう実績のある牝馬が、牧場の経営を支えてくれるのだ。
重賞に出られるだけでも既に、競走馬としては上澄みなのだ。
ただ牡馬の場合、もっと実績がないと、これだけではとても種牡馬にはなれないが。
血統が良血であり、さらに需要があるならば、重賞1勝で種牡馬になることもある。
だが血統が飽和していると、重賞どころかGⅠを複数勝っていても、種牡馬になれなかったりするのだ。
血統が飽和しつつあり、さらにGⅠ1勝以外の勝ち鞍がない。
それがモーダショーである。
ジャパンカップ3着と有馬記念3着で、スピードや底力の絶対値も分かっている。
しかし菊花賞のみの勝ち鞍というのは、種牡馬としての需要がないかもしれない。
中距離のGⅠを一つは勝たないと、種牡馬入りは難しい。
「ならどうして阪神大賞典を選んだんだ?」
「大阪杯では勝てないだろうから」
2000mでは特に、フォーリアナイトに勝てないと思う。
シュガーホワイトならばギリギリ勝てたであろうが。
フォーリアナイトには致命的な弱点がある。
先頭に立ってしまうと、ソラを使ってしまうということだ。
だから五十嵐は苦労して、ぎりぎりのタイミングで追い出しをしかけている。
粘られて負けたのが皐月賞で、さらに後ろから差されたのがダービー。
他のGⅠも全部、そんな感じのレースであった。
フォーリアナイトとメテオスカーレット、それにボーンクラッシャーまで大阪杯に出るならば、レースのレベルが鬼のように上がる。
メテオスカーレットあたりはもう、ドバイにでも挑戦してくれたらいいだろうに。
おそらくボーンクラッシャーは、大阪杯を回避してそのまま、天皇賞に出てくる。
優姫の目から見ると、4歳の中長距離四強は、この4頭であるのだ。
血統的に見るならば、春天のライバルはボーンクラッシャー。
なにしろ父のソングオブアースが、中長距離の優駿ばかりを出しているからだ。
母系を見ても母親が、長距離のステークスレースを勝っている。
さらにたどっていくと、在来牝系が続くあたりは、モーダショーと似ているかもしれない。
モーダショーにもかなり乗ってきた。
なので優姫はかなり、その内面を理解している。
ズブいのは間違いない。
だが長い距離を走らせていくと、終盤ごろにはやる気になるのだ。
とにかくこのやる気になるタイミングを、見失わないことが重要である。
春は天皇賞を目標にして、秋は中距離を一つ狙っていく。
そうすれば種牡馬入りも、なんとか達成できるだろう。
チューリップ賞の翌週、優姫は土曜日に阪神、日曜日に中山という日程で騎乗する。
これが来週も続くので、ちょっと大変である。
皐月賞ではヴァリアントロアで挑戦。
なのでこれらの馬は、出走権を取りに行くのが、優姫に課せられた仕事である。
重賞で好走できる馬を用意してくれる、城崎は本当に有能なエージェントだ。
もっとも優姫以外のジョッキーで、勝てるならばそちらに回すのだろうが。
優姫は気性難の馬を走らせる、ということに定評がある騎手と言われるようになっている。
その気性難の種類も様々で、対応の仕方が一つではない。
よってどんな馬であっても、とりあえず試してみようか、という話になるらしい。
そしてそれに応えることが、馬主や調教師との信頼につながる。
土曜日には阪神のフィリーズレビューで3着。
翌日の日曜日には、弥生賞で3着。
見事に優先出走権を手に入れていて、なんならこのまま本番も乗ってみないかという話になってくる。
優姫としても弥生賞に乗ったデラックスギガは、かなりの潜在能力を感じた。
「またご縁がありましたらお願いします」
城崎はオーナーとそんな話をしたらしいが、どうも勝ちきれない。
優姫の重賞勝率は、実は一年目が一番高い。
そもそも重賞に乗ったのが、シュガーホワイトの2戦のみなのだ。
それを両方勝っていたため、重賞勝率100%となる。
二年目は15走の重賞に乗って7勝。
これでも充分に高い。
三年目の今年、既に8走に乗っているが、まだ1勝しかしていない。
ただ2着と3着が多いため、複勝率はやはりものすごく高い。
二年目にしてもシュガーホワイトの競走中止以外は、全て3着以内に入っていた。
つまり率だけを見るならば、優姫は一年目が一番いい。
乗る回数が増えるごとに、勝率や複勝率も落ちてくる。
むしろこれは当たり前のことであるのだが。
スプリングステークスも中山まで乗りにいって、これは5着に終わった。
複勝圏を外して、トライアルの優先出走権を手に入れることも出来なかった。
重賞で3連単や3連複を買うなら、絶対に入れておかなければいけない。
そのセオリーがやっと外れたということになる。
そしていよいよ、阪神大賞典の週がやってきた。
モーダショーの今年の春は、阪神大賞典から天皇賞春に狙いを絞っている。
あとは余裕があれば、宝塚記念を使う、といったところである。
このレース、モーダショーは4歳馬ながらGⅠを勝っている(※2)ため、58kgを背負うことになる。
レースに出てくる馬はいずれも、ステイヤーとして知られている。
5歳以上の古馬も多いが、同じ4歳であるとカルマインザダーク、アタックブレイザー、メイコウマツカゼあたりが、対戦経験はある。
さらにこの3頭は、GⅠを勝っていないため、1kgか2kg軽い斤量で乗ってくるのだ。
やや不利な条件ではある。
だがそれで勝てたならば、本番の天皇賞も期待できるのだ。
基本的には種牡馬入りの場合、中距離の大阪杯を勝っていた方が、絶対にいい。
シュガーホワイトの父であるホワイトウイングも、大阪杯を勝ったから種牡馬入りしたのだ。
もっとも重賞勝ちがいくつもあったため、条件は少し悪くなっても、種牡馬にはなっていたとも言われるが。
ここで斤量差を覆して優勝したならば、天皇賞にも自信をもって出走できる。
そして優姫としてはここは、充分に勝てるはずの相手が揃っていると想定していた。
ちょっと気になっているのは、メイコウマツカゼである。
菊花賞に2着の後、ステイヤーズステークスに勝っている。
今年に入ってからも、日経新春杯を2着。
重賞2勝馬というのは、菊しか勝っていないモーダショーと、ほぼ同格と見ていいであろう。
モーダショーは去年、菊花賞以降にずっと、国内最強クラスの相手とばかり走ってきた。
そこで惜敗が続いてきたが、春の天皇賞は完全に、自分の得意とする距離である。
さらに菊花賞と同じ、京都競馬場。
ここで勝てなければ、ちょっと難しいであろう。
(長距離GⅠを二つ勝ったら、あとは中距離のGⅡを勝つかGⅠで好走するか)
3歳ながらジャパンカップと有馬記念に出走したモーダショー。
充分に種牡馬入りの資格は備えていると思うが、もう少し箔を付けておきたい。
3000mの長丁場。
作戦に関しては、臨機応変に対処するつもりの優姫であった。
×××
※1 アメリカジョッキークラブカップ
通称や略称ではAJCCなどとも言われる。通常は4歳馬は56kgで出走するが、メテオスカーレットはダービーを勝っているため2kg増量で走らなければいけない。
※2 GⅠを勝っている
阪神大賞典は本来4歳馬であれば56kgで乗れるようになっている。
だがGⅠ優勝馬は2kg増量、GⅡ優勝馬は1kg増量となっているため、菊花賞を勝っているモーダショーは58kg。
神戸新聞杯を勝っているメイコウマツカゼは57kgということになる。
なお牝馬限定であればGⅠ優勝馬が1kg増量となってくる。
ほとんど牝馬は出走しないのが長距離レースである。
最近は斤量が増加傾向にあるため、実際の2030年ぐらいでは59kgか60kgになっていてもおかしくないかもしれない。




