第1話 キングからの召集
夏虫のシンフォニーが盛んに聞こえる夜の暗がりの中、男は家屋の一室でランプを灯し、一冊の手記を振り返り始めた。何度も書き加え、読み返しているのだろう。革のカバーが付けられた厚みのある手記は、変色と擦れで、紙質が劣化してきているページも多々あるが、男はいつも通り何も気に留めることなく、次々と自分が記した思い出をめくっていく。
物静かに思い出の手記をめくっているこの男の名は、サイラス。彼が今暮らしている国家、アトラシアは、かつて魔王ルシファーの苛烈な支配に脅かされ、滅亡の寸前まで追い込まれていた。そうした窮状の中、側近と共に奮起したキングは、ルシファー打倒とアトラシア全土奪還のため、新たな正規軍の召集をかけた。
サイラスは元々、アトラシアのキングウィル地方で雇われていた傭兵の一人だったが、キングの緊急召集を意気に感じ、当時、正規軍のファイターとしてルシファーとの戦いに参戦していた。
文机に置かれたランプの明かりを頼りに手記をめくりながら、サイラスは、長く多難だった戦いの日々を深く思い出し始めている……。
「皆、国の窮地によく駆けつけてくれた。大変感謝している。ありがとう」
キングウィル城の練兵場で、キングは召集に応じた人間族と妖精族の混成軍を前にし、そう礼を述べた。困窮している国が今持っているなけなしの予算から雇われた部隊は、ファイター、ゴブリン、ハーピー、エルフの4兵種である。戦力としてはどれも心もとない兵種なのだが、国として、今のアトラシアが召集できる精一杯の軍がこれであり、国家存亡の危機に集まってくれた貴重な正規兵であるのは間違いない。
キングが現状把握のため、新たに召集された正規軍に、アトラシアの窮状を演説の中で説明しているのだが、国のカリスマらしくその声は威厳深く、軍則に則って乱れなく整列している各部隊の心にも、よく響いていた。
(やはり追い込まれてもキングはキングだ。今の国情はこんなだが、何とかなっていくかもしれない)
切々と国の窮状を語り、なおかつ現状からの奮起を促すキングの名演説は、ファイター部隊に配属され、軍の最前列で整列していたサイラスの心にも、よく染み透っており、国の行く末を良いものに変えようという、使命感を焚きつけるのに十分だった。
「事実上、現在アトラシアの他地域は、既にルシファーの手により奪われており、残る国土はこのキングウィル地方だけだ。魔の手によりキングウィル城が陥落するようなことがあれば、アトラシアは滅亡する。国と国民のため、各々の部隊は背水の陣で臨んで欲しい。頼んだぞ」
『はっ! 承りました!』
アトラシアのため、ここに集まった人間族と妖精族の思いは、ルシファー打倒の方向で一致結束している。キングは頼もしい新生正規軍に対し、おおらかな信頼の笑顔を見せ、演説を締めくくった。
人間族と妖精族別け隔てなく、新生正規軍の誰しもがキングの名演説に発奮し、意気軒昂に、
「よし! やろう! ルシファーを倒し、アトラシアを取り返そう!」
などと、これから共に戦っていく周囲の仲間同士で呼びかけ合っていた。そうした良好な士気の高まりの中で、頼もしい笑顔を見せているのはサイラスも同様だったが、
「ふふっ、あなたいい顔で笑うわね。これから一緒に頑張っていきましょうね」
と、意外な方向から高く透き通った声で呼びかけられ、一瞬キョトンとした様子で棒立ちとなり、固まってしまっている。声がした方を振り向いて見ると、そこには純白の翼を持つチャーミングなハーピーの女性が立っていた。
物怖じしない愛くるしさとあどけなさからすると、女性と言うよりは女の子と言った方がいいだろうか。その表現が適切なほどハーピーの女性は若年に見え、声をかけられたサイラスは、
(こんな娘がルシファーとの戦いに参戦しているのか)
と、幾らか呆然とした心境を、表情に出したまま隠せなかった。
心地よい気分にさせるサイラスの笑顔に興味を引かれ、声をかけてきた女の子ハーピーの名はシェリーと言う。第一印象通り、明るく活発な子でもあるようだが、
「なぜそんな若年で、キングの緊急召集に応じたんだ?」
と、サイラスが率直に聞いてみたところ、シェリーは少し表情を強張らせ、
「私はルシファーの軍に父を殺された。だからこの城に来たんだ」
アトラシアの命運を賭けた戦いへ、参戦するに至った経緯を答えてくれた。
少女の辛い過去の一部始終を聞き、複雑になったサイラスの心中が、真正直に顔へ出ていたようだが、シェリーはその表情になぜか救われたらしく、
「ふふふっ。サイラスさん、あなたいい人だね」
「いい人? 俺が?」
「そう、とてもいい人。サイラスさんみたいな人が、この軍にいてよかった。また会おうね」
そう可憐に明るく笑うと、赤髪の彼女は再会を約束し、ハーピー部隊の兵舎に向かうため、純白の翼を羽ばたかせ、飛び去って行った。
「シェリーか。不思議な子だな。でもいい子だ。いい子すぎるくらいに」
風をつかみ、空を自由に舞いながら遠ざかって行くシェリーの姿は、例えようもなく優美ですらある。サイラスは、シェリーが残した爽やかな印象を心で反芻するように、純白の翼を見送りながら、そう呟いていた。