#10 反対
「あの、カタリーナ様、どのようなご用件でしょうか?」
「なんですの! 婚約者が、この家に来てはならないとおっしゃるのですか!」
あの事件から三日後、どういうわけかカタリーナ嬢が僕の住むこの宿舎に押しかけてきた。いつものワンピース姿……ではなく、どちらかというとカジュアルな服で身を包んでいる。
「というわけでアルトマイヤー様、私、ショッピングモールというところに行きたいのでありますわ」
「いや、あの、あんな場所は別にお一人でも……」
「もしや、私と一緒では嫌だとおっしゃるのですか!」
「いやあ、そんなことないですよ。ないですけど……」
「では早速、参りましょう」
「えっ! 今からですか!?」
そしてどういうわけか、僕はこの貴重な休日にこの伯爵令嬢を伴い、できたばかりのショッピングモールへと向かうことになった。
「ふんふふんふんっ……」
しかし鼻歌なんて歌っちゃって、妙に楽しそうだな。何かいいことでもあったのだろうか? ふと気づいたのだが、いつもの取り巻きの姿が見えない。まさか、あの一件で皆、離れてしまったのではあるまいか? いや、それはないはずだ。陛下お墨付きで、アンドラーシ伯爵家は無罪と認定されたのだから。ならばどうして今日は、取り巻きたちを連れてきていないのだろうか。
ところで、そのアンドラーシ家は今、立て直しで手一杯な状況だ。あの襲撃で、多くの侍従やメイドを殺されてしまった。屋敷の中も、大変なことになっている。そんな最中にこのお嬢様は、ショッピングモールなどへ出かける余裕などあるのだろうか?
「あの、カタリーナ様」
「なんですか、アルトマイヤー様。そんな他人行儀な呼び方などせず、カタリーナとお呼びください」
「では、カタリーナさん。あなたはお屋敷にいなくてもよろしいので?」
「なぜですか」
「なぜって……今、お屋敷は大変なことになっているのではと」
「なればこそですわ。私などが屋敷にいたところで、ただ足手まといです。ですからむしろ、さっさと婚約者の元へ行けと言われましたのですわ」
ああなるほど、そういうことか。確かにその通りだ、こんなわがまま娘……いや、お嬢様が一人いたところで、役に立つことなんてないな。
「それよりもアルトマイヤー様、ここでは珍しい料理が食べられると聞きましたわ。ピザとかいう車輪の様な食べ物や、他にもオムライスなる不可思議な料理もあると聞いております」
「ええ、確かにありますが……」
「では早速、私をその料理の店まで案内するのです」
「えっ! まさかそれ全部、食べるんですか!?」
「なんですか、私がいろいろ食べては不都合があるといわれるのですか!?」
あの騒動が終わって元気になったのはいいが、相変わらずわがままというか、きついなぁ。僕は栄養ゼリーがあればそれでいいんだけど。しかし、思えば帝都の市場にすら出向いたことがないというお嬢様だ。ショッピングモールなどという世界は当然、未経験であろう。せいぜい宇宙港ロビーにある売店くらいしか知らないのではないか。
「うわぁ、まるで宮殿ではありませんか。本当にここは、平民の店だというのです!?」
妙な喜び方をする人だなぁ。別に宮殿だとは思ったこともないが……ああ、でも入り口付近に広がるこの吹き抜けのホールは、確かに宮殿のようでもある。上から大きなシャンデリアがぶら下がっており、それがますます宮殿っぽさを演出している。
で、奥へと進むと、ここには服の店が多いが、時折雑貨などの店が見える。そんな店の並びの中で、彼女はふとある店に目がとまる。
「アルトマイヤー様、あれは何という店なのです?」
その指先には、大きな緑色の丸い看板が見える。そして中からは、独特の香り。僕にはこれまであまり縁のない店だ。
「ああ、あれはカフェですよ」
「カフェ?」
「お茶やコーヒー、それにケーキやドーナツ、サンドなどが食べられる店なのです」
「それじゃ、そこへ行きましょう」
「えっ、行くんですか?」
「当たり前ではありませんか」
「いや、別に当たり前ではないかと思うんだけど」
「あれほど人を引き付ける何かを持った店に、どうして立ち寄らずにいられましょうか。ここで見かけたのも何かの縁、さ、参りましょう」
てことで、このお嬢様はぐいぐいと僕の腕を引いて、カフェに飛び込んでしまう。
「いらっしゃいませぇ! ご注文は、何になさいますか!?」
「そうですわねぇ……ところで、何かおすすめはございますのかしら?」
「はい、今のように暑い季節には、やはりキャラメルフラペチーノやコールドブリューフロートですね! ドリップコーヒーも根強い人気ですよ!」
「えっ? フラペチーノとはなんなのです?」
「ええと、フラペチーノというのはですね、ここにございます様な、クリームの乗った……」
残念ながら、僕にはここの店員が何を話しているのかまったく分からない。当然、帝都から来たばかりのこのお嬢様も分かるはずもない。が、いつもの強引な会話でどうにか注文を引き出す。
で、彼女が選んだのはエスプレッソ・フラペチーノとニューヨークチーズケーキ、それにドーナツ。僕はと言えば、やや控えめにアメリカンコーヒーにナッツ・チョコレートケーキとした。
「ん~っ、なんて美味かしら!」
何がうれしいのか、チーズケーキがひどく気に入ったらしい。飲み物と代わる代わる口にしては、いつになく新鮮な表情を見せる。このご令嬢も、こんな表情をするんだな。
こうしてみると、ただの二十一歳の娘だな。いつもは伯爵家という家名を背負い、大きく見せているだけなのだと改めて実感する。
そのお嬢様だが、今度は僕の手元をじーっと見つめている。どうやら、僕のケーキが気になるらしい。僕は尋ねる。
「あの、もしかしてこれ、気になります?」
すると、にこやかな顔で首を縦に振るカタリーナ嬢。
「いいですけど、あまり食べ過ぎるとですね……」
「なんですか、私が食べてはならないという決まりでもありまして!?」
「いや、まさかそんな……」
「では、遠慮なくいただきますわ」
といって、僕のケーキを半分ほど、ごそっとえぐるようにすくい取っていった。無残な姿のチョコレートケーキが、僕の目の前にある。
が、これも美味しかったようで、満面の笑みを振りまいている。周りも、このお嬢様の豊潤な表情に見とれているようだ。それは僕自身も同じだ。
やはりこの人は、一般的な指標で見てもかなり美人な方だ。それが笑顔を振りまいている。惹かれないはずがない。
しかもこのお嬢様、ただものではない。
「アルトマイヤー様! あれはなんですか!?」
店を出て歩くと、また何かの店を見つける。
「あれはドーナツ屋ですね。先ほどと同じ、カフェの様な店でして……」
「行きましょう!」
「は?」
「なんですの!? 私が行ってはならぬという決まりでも……」
「あーっ、分かりました! 行きましょう!」
こんな具合に、結局カフェを四件ほどはしごする羽目になった。にしてもこのお嬢様、いくらなんでも食べ過ぎじゃないのか?
◇◇◇
「納得できませんな! 強襲艦百隻と二千人のパイロットを補充しなくてはならない、その合理的な理由をお聞かせ願えないか!?」
私は今、窮地に陥っている。軍司令部内にて、失われた強襲艦隊の補充を裁決する場に立ち会ったところ、猛烈な反対を受ける羽目になった。
反対意見を述べるのは、第三分艦隊司令のプラートフ中将だ。
「五百隻の強襲艦ならば、一万機の人型重機を搭載可能です。一個艦隊がだいたい一万隻であるため、その数に応じた人型重機が必要との判断で、五百隻が必要だと提示させていただいております」
「だが、いくら人型重機が一万機いても、一個艦隊とやり合うわけではなかろう。それに先ほど貴官は、強襲艦隊の役目とは艦隊の一角を切り崩すものだと申していたではないか。その一角を崩すために一万機が必要だという根拠はないのかね!?」
面倒な相手が出てきたものだ。つまりこの中将閣下は、強襲艦隊百隻の補充が気に入らないらしい。
「しかも、前回の会戦では味方撃ちを避けるために、人型重機隊がとりついた場所には砲火を向けられなかったではないか。それを逆手に取られ、味方を盾にしつつその後方に六千隻の敵艦艇が隠れてしまったがために、我々は敵艦隊にほとんどダメージを与えられなかった。つまりあの場に人型重機隊などいなければ、さらなる損失を与えることができたのですぞ!」
この中将、なかなかの詭弁を並べ立てる。いや、そのダメージを与えるきっかけを、我が人型重機隊が作り出したのだろう。艦隊の一角を崩して混乱に陥れたがために、六百隻もの敵艦艇を撃沈、または航行不能に陥れたのだ。
「うむ、プラートフ中将の言にも、一理あるな」
ところがその言葉を、パザロフ大将は受け入れてしまう。このお方はどうもその場の雰囲気に流されてしまうところがある。今回は、この分艦隊司令の意見に流されてしまった。
「まあ、あれだ、スクリャロフ少将よ。もう少し説得力のある提案を出さなければ、この場は説得できないぞ」
「はっ」
「では、今回の部会はここまでとする。次回の日時は、追って知らせよう」
パザロフ大将は、最後にそう告げて終わる。我が遠征艦隊司令部および分艦隊司令らが一斉に立ち上がり、この広い会議室を次々に出る。
「ああ、くそっ!」
宇宙港内のレストランで夕食を食べつつ、僕はこの会議の様子を思い出して声を荒げてしまう。それを聞いたエカチェリーナが、心配そうに話しかける。
「ちょ、ちょっと、いきなりどうしたのよ」
「ああ、済まない。つい昼間のことを思い出したんだ」
「中将閣下にコテンパンにされたこと? いいじゃない、言わせておけば」
「そうはいかない、あの司令官を説得しないことには、我が強襲艦隊はその数を減らされたままにされてしまう」
「うーん、そうなのね。それは厄介だわ」
「そうだ、厄介だ。だからついイラついてしまった」
しかし、どうにもいい案が思いつかない。というかあの中将閣下は、最初から私の強襲艦隊の強化に反対の姿勢を崩すつもりなどないのだ。
軍の人の取り合いは、激しさを増している。ただでさえ死の危険と隣り合わせのこの遠征艦隊などに積極的に志願する者など少ない。学費の免除を条件に、数年間の軍役を義務付ける軍大学の制度を用いて、どうにか人を確保しているのが現状だ。だから、このイレギュラーな強襲艦の集まりなどにその貴重な人材を割くことが、プラートフ中将は気にいらないのだ。
気持ちは分かる。もし私が駆逐艦の艦隊を指揮する立場ならば、同じように強襲艦の補充に反対の立場をとることだろう。だが、私にも言い分はある。なによりも強襲艦隊の強みは、前回の戦いにあるように通常の艦隊戦以上の戦果を得られることだ。
「……仕方ないな、戦果を前面にしたアピールをしてみるほかないだろうな」
「そうね。でもねメレンチェ、今は楽しい夕食の真っ最中よ。せっかく夫婦で食事を楽しむべき時間だっていうのに、嫌な上官の顔なんて思い出さなくてもいいんじゃないの?」
「そうだな。エカチェリーナの言う通りだ。今だけはあのいやらしい顔を忘れるとしようか」
エカチェリーナに言われて、私はふと我に返る。いかんな、せっかく美味しい食事を楽しむためにここに来たのに、飯がまずくなる上官の顔など思い浮かべては、何のためにここに来たのかが分からなくなる。私はしばし、あの上官の顔を忘れることにした。
◇◇◇
「あの、カタリーナさん」
「なんですの?」
「もう日が暮れたみたいですけど」
「そのようですわね」
「なので、そろそろお屋敷におかえりになった方が」
「いえ、私、今日はお父様より帰るなと言われておりますので」
「ええーっ! てことはまさか、僕の家に泊まるつもりで!?」
「なんですか、私はあなた様の婚約者ではありませんか。何をはばかることなどございまして?」
何かの罠だ。このご令嬢、僕を散々たぶらかして、何か仕掛けるつもりなんだ。彼女の行動からは、謀略しか感じられない。
「それじゃ、お風呂をお借りいたしますわね」
「あ、はい……ええと、この奥にあります」
「そういえば、うっかりしてましたわ」
「あの、何か?」
「私、こちらのお風呂の使い方、分かりませんの」
お風呂の入り方なんて、たいしたことではないだろう。シャワーをきゅっとひねってお湯を出し、石鹸で身体を洗い、あとは湯船につかるだけ。大したノウハウなど存在しない。
「ということで、アルトマイヤー様、ご一緒に入りませんこと?」
「ええーっ! ちょ、ちょっと、それはさすがに……」
僕は思わず叫んでしまった。とんでもないことを言い出す娘だ。それがどういうことなのか、分かっているのだろうか?
するとこのお嬢様は何を思ったのか、突然、躊躇する僕の頬をパーンとひっぱたく。あまりの突然の行動に、僕は唖然とする。
「なんですか! 三千もの砲台を瞬時に葬った英雄が、女子一人相手に狼狽なさるのですか!」
やっぱりこの人、基本的にはきつい性格だな。自分の思い通りにならないことには、思わず感情が高ぶる。だが、僕をひっぱたいたそのお嬢様は、そこから急にしおらしくなる。
「あ、いや……私はこれでも、それなりの覚悟をもってここに来たのです。我がアンドラーシ伯爵家を救うため、陛下の御前に飛び込んで行かれたあなた様などに比べたら、ちっぽけな覚悟ではございますが……その私の想いを、少しはくんでいただけませんの?」
あれ、この人、こんなに可愛かったっけ? これまで見せたことのないその柔らかな口調と、滑らかな物腰が、かつてないほど僕の感性を刺激する。
「あの、分かりました。それじゃ、ご一緒させていただきます」
そう答えると、彼女はなぜかうっとりとした笑みを浮かべて僕に応える。そして僕らは、風呂場へと向かう。
そこでようやく僕は、カタリーナ嬢という人物の本当の姿を知る。要するに彼女、貴族という立場上強がってはいるが、内心は甘えたくて仕方がない。最初はどうか知らないが、どこかのタイミングで僕に対しては、あの強がりの態度が照れ隠しに変わっていったみたいだな。
そして僕らは、アンドラーシ伯爵家のお屋敷の玄関ホールよりも狭い宿舎で、その玄関ホールに飾られた初代当主の人物画よりも狭いベッドの上で、その晩を共に過ごすことになった。
◇◇◇
「……でありまして、通常ならば二百隻、二パーセントの戦果が平均的な艦隊戦において、その三倍の六百隻もの戦果を挙げることができたのです。たかが二十パーセントとはいえ、これが百隻欠ければ、強襲艦と人型重機による強襲という攻撃の性格上、その数以上の攻撃力の低下を招きかねないと小官は愚考いたします」
翌日、再び私は強襲艦隊の補充を決裁いただくため、司令部の部会に臨む。だがやはり、プラートフ中将が強硬に反対意見を述べる。
「百隻失ったからと言って、それはすなわち貴官の失策ではないか。だからそのまま百隻を補充してくれというのは、あまりに虫が良すぎる提案であろう」
「ですが、その損失以上の戦果を挙げているのです! そこはご考慮いただけないのですか!?」
「残った四百隻で、同等の戦果を挙げることを考えるべきであろう。我々は艦隊の湧き出す壺を持っているわけではない。人も船も、限りがあるのだ。ともかく小官は、少将のこの提案に反対である」
結局、私はこの中将閣下の反対意見を覆すことができなかった。やはりこの先は、四百隻体制を押し付けられるというのか?
が、そこでパザロフ大将が口を開く。
「ところで、プラートフ中将よ」
「はっ!」
「前回の戦いにおいて、貴官の麾下の艦隊は何隻沈めることができた」
「はっ、およそ四十隻であります」
「うむ。では、撃沈された艦艇は?」
「は、はぁ……三十二隻で、あります」
急に、パザロフ大将の口調が鋭さを増し始める。その雰囲気を察したのか、プラートフ中将はやや焦り始める。
「お、お言葉ですが大将閣下、艦隊戦においてこの数は、決して少ないというわけではございません」
「ふむ、そうか。だが中将麾下の艦艇は全部で約三千隻、強襲艦隊の六倍だ。その数で、得られた戦果が十分の一にも満たないというのは、いささか心もとないと言わざるを得んな」
「うう……」
「貴官の言を借りるならば、その三十隻の補充なしに、強襲艦隊と同じ戦果を挙げられるよう、貴官には工夫を求めたいところだ。浮遊砲台群が破壊され、これまで以上に激しい戦いが迫っている現状では、当然、これまで以上の戦果が求められるのだ。違うかな?」
「い、いえ、おっしゃる通りでございます」
なんと、パザロフ大将が私を援護してくれるみたいだ。あの中将を黙らせた上で、大将閣下はこう締めくくる。
「元々、強襲艦隊を五百隻にすると決めたのは私だ。そしてその時の想定以上の戦果を、結果として我が艦隊にもたらしてくれた。通常戦力による戦果拡大手段が無いというのであれば、ここはスクリャロフ少将の提案通りに強襲艦隊を補充すべきであると思うが、いかがかな?」
この大将閣下の放つ威圧的ともいえる一言に、この場にいる将官で異議を唱える者はいなかった。あのプラートフ中将も同様だ。
「異論はないようだな。では、今回の部会はこれまでとする。ご苦労だった」
パザロフ大将が立ち上がり、敬礼をする。皆はそれに対して一斉に起立、敬礼で応えた。
このお方、時々このように鋭い性格を見せることがある。普段が飄々とつかみどころがない態度をしているから、それが豹変するとなおのこと怖い。ともかく私は今回、大将閣下に救われた。
この御恩は、次の戦いで返すと私は心の中で誓った。




