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当面生活に必要そうな衣服や身の回りの品、装飾品などをニーナの部屋に運ばせ、九天は荒ぶる感情のまま中庭に出た。
(まったく、陛下には困ったもんだ)
ニーナの部屋に運んだ品々は、全てダリウスからの贈り物だ。
贈り物なら贈り主を明かすべきだが、それはしないようにと厳命されている。
理由の一つは、ダリウスから下賜品を賜ったとしてニーナが他の花嫁候補の標的にならないように。
そしてもう一つが。
(下心があると思われたら嫌だ……って下心あるから贈るんでしょ──が!)
ろくに恋もせず育ってきたせいで行動に一貫性がない。
嫁にする気がないなら放っておけばいいのに、贈り物をして、でも自分からとばれないようになんて己の罪悪感を消したいだけではないか。
(ニーナ様に陛下からですって言ってやる!)
猛烈にアピールしてやる。
九天にとってダリウスの厳命はほとんどが守らなくてもいいものだ。
中には守らないといけないものもあるが、今回は守らなくていい厳命なのだ。
(どう見てもニーナ様に一目惚れしてるのに陛下も往生際が悪い)
ぶつくさ言いながら庭を歩いていると、頭上から可愛らしい声が降ってきた。
「あ、九ちゃんだ!」
前方には、こんもりとした山がある。
南の朱門から牡丹の宮の古い扉口まで、ざわわ……と歌い出しそうなほど豊かに揺れていた後宮中庭の雑草たち。
宮殿の庭とは恥ずかしくて言えない有り様だったそれらの一部が刈り取られ、山と積み上げられていたのだ。
その山の上からにこやかな美少女に手を振られ、九天はしばし言葉を忘れてしまった。
ニーナは手に鎌を持ち、旅の間に着ていたしわくちゃの上下を着て、深緑のアンタリを前掛けに装着していた。
完璧な労働者スタイルだ。
「……何をなさっているんですか?」
「掃除だよ」
当然のように答え、ニーナは高く積もった草の上から身軽く飛びおりる。
得意気に胸を張り、どやっと言わんばかりに中庭を指差した。
「今日は朝陽が昇ってから、王様のところに行くまで雑草を刈ってたんだ。葵ちゃんから掃除しないといけないって聞いたとき、真っ先に庭のことを思い出したから」
「……掃除、……ですか……」
この庭に手を付けようと思ったことがすごい。
先ほど後宮をのぞいたが、他の花嫁候補はまだ引っ越し作業途中で掃除どころではなかったというのに。
手にした鎌を足元に置き、ニーナは満面の笑みで九天に向けて両手を突き出した。
「ほら見て見て、肉刺! すごい!」
本人の言うとおり、手の平には潰れた薄桃色の肉刺がある。汁が滲み痛そうだ。
とてつもなく嬉しそうなニーナが謎で、九天はやんわりと方向転換を促した。
「うーむ、すごいというよりは痛そうですね。宮殿内で他の作業をしてはどうですか?」
「ダメ。私は庭を綺麗にするって決めたんだ」
「…………」
「たった三日しかないから時間を有効に使わないと! やるぞー!」
はしゃぎようについていけず無言になってしまったが、ニーナは上機嫌で作業を再開する。
かなり意欲的だがおそらくダリウスの妃になるためではない。確実に違う。
(まあ、掃除なんてしてもしなくても選考に関係ないんだが)
たんに九天が自分の得になるような選考課題をでっち上げただけだ。
今のところぶっちぎりでニーナがダリウスの心に残っているし、その彼女が掃除を頑張るなら特に問題はない。
「そうだ、九ちゃん。あれって何?」
そう思い一人得心していると、ふとニーナが庭の中央を指差した。
白い指の先を目で追えば、ニーナが切り開いた雑草の海の中に大きな灰色の平たい石台のようなものが見える。
場所は中庭のちょうど中央であり、石の両端に五段ほどの階段を認めた九天は「ああ」と納得した。
「繚乱後宮ができた当初、宮女達が舞や奏楽の披露に使っていた石舞台ですよ。昔は千人の女性がいましたから、毎日賑やかでしたでしょうね」
「なるほど。王妃様を楽しませたりしてたんだね」
「まあ王妃であったり国王であったりです。しかしニーナ様、あなたよくこんな荒れた庭に手を付けようと思いましたね。雑草だらけで虫は多いし、太后様も三年前に逃げたぐらいですよ」
「えっ、太后様って逃げたの?」
意外そうに作業の手を止められ、九天はうなずいた。
「正確には家出ですね。聞き苦しい話で大変失礼いたしますが、実はこの後宮に略称Gなる黒または茶羽の不快な昆虫が爆発的に発生いたしまして」
「私G倒せるよ~。素手は無理だけど靴とか武器があれば!」
「よかったです、素手で倒すようなら花嫁候補から除外するところでした。まあ、それでダリウス陛下が対策としてGの天敵を放ったんですが、それがまた太后様には大大大不評で……。まあ、アシダカグモなんですがね」
正直僕も逃げました、と後宮長が言うのだから使用人全員が逃げたのだろう。
「もう嫌だ、Gとアシダカが消えるまで帰りたくないという太后様のため、当時の国王陛下が譲位を提案なさったのですよ。二十四歳になったダリウス様を国王にして、先王陛下と太后様は外交を兼ねた外遊に出られたんです。年に数回帰国されますが、それからずっと大陸中を巡ってますよ」
「へえ~! いいなぁ、すっごく楽しそう! 王様も一緒に行きたかっただろうね」
……それはない。
うっとりしているニーナには申し訳ないが、九天は心中でため息をついた。
(あの引きこもりが外国なんて行きたがるわけない。日々の生活だって決まった場所から出ようとしないのに)
先王夫妻もダリウスを同行させようと粘ったが動かせず、「国に残るって言うなら国王させるぞ!?」という脅し文句を繰り出した結果が若きラージャム王の誕生なのだ。
だが「国なんか宰相達に任して旅行しようぜ!」と言ってしまう先王は国王失格なので、残ったダリウスは王太子として責任感があると言えばあるのかもしれない。……国民の前に出たことは一度もないが。
しかし今のニーナにそういったことを説明する必要はない。
マイナス要因はできる限り隠し、ダリウスに好意を持ってもらうのが第一だ。
「それはともかく、ニーナ様。お部屋にダリウス様からの贈り物をお届けしておきました。今朝のお詫びだそうです」
「お詫び? 私なんにもされてないよ?」
今朝の様子からしてかなり怒っていると思ったのに、違ったのかきょとんとしている。
「あなたに対して〝可愛くない〟などという全く心にもない、考えたこともない、一寸たりとも思い浮かべたことのない言葉を言ってしまったからです。誤解しないでくださいね。陛下はあなたをこの世で一番の美少女だと思っています」
「ええ~。そんな嘘つかなくていいよ、九ちゃん」
「いえ、嘘ではなく事実です」
力を込めて訂正したが、ニーナは気を抜くと見惚れてしまいそうになる顔をこてんと傾げる。
「可愛くないって言われて私すっごく嬉しかったよ? 簡単に好きだとか言ってベタベタしてくる男の人は大っ嫌いだもん。だから私は私のことが好きじゃない王様が大好き。すっごく紳士で大人で素敵だよ!」
「……なんか変なことになってる。どうしよう」
「変? なんで?」
ニーナがダリウスに好意を抱いてくれているのはありがたいが、これでは恋愛に繋がりそうにない。
年齢が離れてしまっているからなのだろか。このままでは兄扱い、下手すれば父親だ。
「えーと、ニーナ様。何か欲しい物とかありますか? 好きなものとか」
「好きなもの? ないけど、あえて言うなら葵ちゃんかな」
「……いえ、人ではなく物とか食べ物とか」
「んー……。あっ! じゃあ作業用の手袋がほしい! 肉刺ができたのは嬉しいけどやっぱりちょっと痛い」
「陛下にお願いして最高級の物を用意させましょう。あなたのためなら陛下は三秒と待たずお許しを下さるでしょう。他に入り用の物があれば陛下がすぐに揃えます」
「わーい、さすが王様! 大好き! 葵ちゃんにお妃様になってもらいたい!」
「なぜ葵様!?」
唐突かつ強引な推薦に目を剥けば、ニーナは思い出したと言わんばかりに表情を変えた。
「そうだ、九ちゃん。お妃様が薫子さんって人に決まってるって本当?」
「薫子様? 瑞国のですか? 決まっているというか、宰相達が熱心に推しているだけですから一切気にしないでください。ダリウス陛下が選考会で気に入る女性がいない場合は薫子様が側室に選ばれると思いますが」
「ほんと? じゃあ頑張って葵ちゃんを推すよ!」
「だからなんでですか!?」
なぜそこで自分の名が出てこないのだと暴れたくなったが、ニーナは動じることなく額の汗をぬぐう。
「葵ちゃんのことが好きだからだよ。可愛いし優しいし、髪の毛長いしいいお妃様になると思う」
「髪の毛は関係ないでしょう」
「だってものすっごく長いよ? 特別な人っぽくない?」
「瑞の高貴な女性にとっては一般的ですから薫子様も長いですよ。瑞では髪は女性の命とも言われていますから」
「ふーん……? ……うん、でもやっぱり葵ちゃんで」
「なんですか、薫子様と何かあったんですか?」
ははーん、これは他の候補者達から何か聞いたなとピンときたが、ニーナは慌てたように首を横に振る。
「ううん。薫子さんが駄目なわけじゃなくて、葵ちゃんが好きなだけだよ」
「そうですか」
────良い返しだ。
又聞きしたことで陰口を叩かないのは賢いし、後宮の管理者である自分に告げ口しない点も評価できる。
昨夜ダリウスにニーナの救助を訴えてくれた葵については、九天も好印象を抱いていた。
卑怯な手段でニーナを陥れた他の花嫁候補達とは一線を画している。
なので葵を妃にというのは悪い選択ではないが、推薦者がダリウスの心を動かしたニーナというのは微妙だ。
「王様と最初に挨拶する日があったでしょ? 私は出られなかったけど葵ちゃんが服を貸してくれたんだ。すっごく綺麗な赤と金のアンタリ」
「なんだ、けっきょく貸して下さったんですか」
ニーナはザクザクと地道に鎌を振るい、かすかに笑う。
「私は幸せに暮らしてきたけど、女の人が競い合う場所じゃ意地悪があるってことも知ってるよ」
「後宮なんてその最たる場所ですからね」
「そうなんだろうね。だから葵ちゃんが本当に優しい人だって分かるんだ。私は葵ちゃんに王様のお妃様になってもらいたい」
「…………」
「そして私はそんな葵ちゃんの召使いになりたい」
「おお、なんてこった」
そんな野望を抱いていたとは知らず、がっくりと脱力してしまった。
(なんて面倒な……。陛下にニーナ様を強引に妃にする甲斐性なんてないし、自分が我慢して終わりだろうなぁ)
お人よしのダリウスのことだ。
万が一葵が妃になった場合、後宮で働きたいというニーナの願いを聞き届け侍女にしてしまうかもしれない。
そんな切ない状況だけは避けたくて、九天はためしにと切り出してみた。
「ではニーナ様。陛下があなたを妃に選んだ場合はどうしますか?」
「私が選ばれたら? もちろんなるよ」
「なってくれるんですか!?」
意外にも即答され喜んだのも束の間、ニーナは淡々とした口調で答える。
「だって私は自分で選んでここに来たから」
やけに静かで毅然とした声に、勢いで「じゃあ結婚」と言いかけた九天は即座に言葉を呑み込んだ。
ニーナは作業の手を止めることなく、九天を見ることもなく落ち着いた声音で続ける。
「娼館に買われたときも見世物小屋よりいいと思って従ったし、ここに来たときも娼館よりいいと思った。そこで選ばれたなら私は役目を果たさないといけない。自分で来ることを選んだ以上、私は置かれた場所で与えられた役目を放棄しちゃ駄目なんだ」
「……す……、素晴らしいお考えをお持ちで…………!」
勇み足にならなくてよかった、と九天はこっそりと冷や汗をかいた。
ラージャム王国の王妃の地位には全く興味なし。
選ばれるのは嬉しいことではなく、この環境に入った自分に課せられた義務。
そうキッパリと言い捨てる女性を現時点で無理やり動かすべきではない。
九天の目的はダリウスに結婚してもらうことではなく、〝幸せな恋愛〟をしてもらうことにあるのだ。
「でも、王様が私を選んだらちょっと残念に思うかな」
「残念、ですか?」
「うん」
ニーナはほんの少し寂しそうな声で言い、作業の手を止めて九天を振り返る。
もはや芸術品にしか見えない美貌で儚げに微笑み、そっと憂えるように長い睫毛を伏せた。
「やっぱり王様も他の男の人と同じだったんだ、って悲しくなる。私のこと、そういう目で見てたんだって────」




