一話『ハク・ヒュロン』
「……ここが、王都オリジナか」
オリジナ王国の王都――オリジナ。
大きな三本の川に囲まれた要害の地に築かれたこの城塞都市は、『水の都』の名で知られている。
商人や貴族はもちろん、職人や旅人、そして夢を志して都を訪れる者まで。
身分も目的も異なる人々が行き交う、王国最大の都だ。
そんな王都の街並みを、僕は落ち着きなく見渡していた。
石畳の道、行き交う人々、川沿いに立ち並ぶ建物。
何もかもが珍しくて、視線が追いつかない。
僕――ハク・ヒュロンもまた、
この都に憧れてやって来た一人だった。
「……っと」
不意に、肩に軽い衝撃。
細身で地味な男が、
すみません、
と小さく頭を下げて通り過ぎていく。
(さすがに、人が多いな……)
気にも留めず、僕は歩き続けた。
(まずは、今日の宿を確保しないと…)
宿屋に荷物を置いて、少し街を探索する。
明日に向けて道を覚えて、
できれば美味しいものも食べたい。
そう考え、近くの市場で宿屋の情報を聞き、
街外れの小さな宿屋へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「一泊、お願いします」
女将に声をかけ、腰元へ手を伸ばす。
……ない。
もう一度、確かめる。
ない。
…………。
「なんで財布ないんやああ!!」
思わず叫んでしまった。
いや、だって、え?
僕の――僕の全財産が入った財布だぞ?
「……どこだ。どこで落とした?」
頭を切り替える。
混乱している暇はない。
王都に入ってからここまでの道中で財布を出した覚えはない。
市場にも寄ったが、買い物はしていない。
そのまま宿屋に向かったはずだ。
――不自然だ。
「……そうか」
ひとつ、思い当たる場面があった。
さっき、人混みの中でぶつかった、あの細身の地味な男。
「……あの時か」
胸の奥が、すっと冷える。
村を出るとき、師匠に言われた言葉が蘇る。
――王都にあるのは、きらびやかなものだけじゃない。
――人が多く集まる場所には、必ず“はぐれ者”もいるもんじゃ。
「……あいつだ」
確信に近い感覚があった。
「あいつに、盗られたんだ」
理解した瞬間、視界が暗くなる。
否定したくても、理屈が揃いすぎている。
全財産。
王都での当面の生活費。
そして今日の宿代も飯代も、
――全部、ない。
「……はは」
乾いた笑いが漏れた。
絶望だ。
これはもう、間違いなく絶望だった。
「あんたぁ……やられたのかい?」
恰幅のいい宿屋の女将が、呆れたように声をかけてきた。
――いや、というか。
ここで叫んでいる僕の姿は、どう見えているんだろう。
哀れみと、変なものを見るような視線。
女将は肩をすくめ、言葉を続ける。
「あんたみたいな“おのぼりさん”は狙われやすいんだよ。
王都を知らない人間なんて、あいつらにとっちゃ遺跡の宝物殿みたいなもんさね」
その言い方に、胸の奥が少しだけムッとする。
――田舎者を馬鹿にするな、だ。
けれど同時に、理解もした。
この街では、こういう出来事は珍しくない。
「事件」ですらなく、「日常」なのだ。
――だったら。
「女将さん」
声を整えて、僕は言った。
「そういう連中が集まりそうな場所、
……心当たり、ありませんか?」
「はぁ……」
女将が大きくため息をつく。
その視線が、頭のてっぺんから爪先までを一往復した。
「……そんな女の子みたいなナリでさ。
本当に大丈夫かい?」
「――っ!」
余計なお世話だ!
思わず言い返しそうになって、ぐっと飲み込む。
「べ、別に好きでこういう体に生まれたわけじゃ……」
口に出してから、しまった、と思った。
女将はくつくつと喉を鳴らして笑う。
「悪い悪い。けどね、王都は見た目で食われる場所だよ。
背が低い、細い、ぼんやりしてる。
――それだけで“餌”さ」
「……」
そりゃ、背だってちょっと……ちょおおっとだけ小さいし。
見た目だって、筋肉もりもりのマッチョマン、って感じじゃない。
――でも。
「だからって、舐められて黙ってるつもりはありません」
自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。
女将は一瞬だけ目を細め、それから肩をすくめる。
「……その目なら、まあ死にはしないかね」
そして、少しだけ声を潜めて続けた。
「そういう連中が集まりそうな場所なら、心当たりはあるよ。
ただし――」
女将の視線が、宿の奥、王都の裏へと続く方向へ向く。
「行くなら、覚悟はしな」




