第1話 戦場の闇
300年前、エルフの悪役令嬢だった私は、自分の罪で愛する人を死なせてしまった。彼が告げようとした想いさえ、聞けないまま。
あれから300年。私は人間との戦争を終わらせ、彼が次に生まれてくるなら、せめて平和な世界で——。
そう願って、共存世界を作り上げた。
そして今、街角で、彼の生まれ変わりに出会った。
でも、私はまた彼を殺してしまうかもしれない。だから、まずはこっそり見守ることにしました。
でも、本当は、もう一度、あの手に触れたい。
エルフの悪役令嬢が、贖罪の果てに掴む幸福の物語。
白い花畑が、風に揺れていた。
その中央に、一人のエルフの女が膝をついている。
長い銀の髪が、夕暮れの光を受けて静かに光っていた。
両手を合わせ、目を閉じ、ただ祈っていた。
300年前、私はこの手であの人を殺した。
そして300年かけて、彼が平和に暮らせる世界を作った。
今度こそ、幸せに生きて。
風が花を揺らした。
頬に、一筋の涙が伝う。
時は遡る。
300年前、人間とエルフが血で血を洗っていた頃のことだ。
※
エルフ王宮の玉座は、磨き上げられた大理石の上に冷たく置かれていた。
私はその高みから、戦況の報告を受けていた。
「ティスレイア様。最前線の状況はおおむね優勢ですが、人間軍に新たな指揮官が現れたようです」
参謀役の側近が、地図を広げる。
赤い印が、平原の各所に散らばっていた。
そのうちのいくつかは、こちらの予測通りには動いていない。
「指揮官だと?」
「若い男だと聞いています。奇策を好み、こちらの予測を外す動き方を」
「年は」
「二十そこそこ。素性は知れません」
人間ごときが、指揮官の名を語るな。
ティスレイアは、鼻で笑った。
「人間ごとき、誰が指揮しても結果は同じだ」
側近は黙り込む。
私の前で意見を返す者はいない。
短命な獣どもが、我らの土地を穢す。
あの種族には、この世界を享受する資格などない。
千年を生きるエルフの誇りが、百年もたぬ獣に踏みにじられるなど許されないことだった。
「私が直接出る。今日中に片をつける」
「いくらティスレイア様とて、お一人で前線に出られるのは危険です」
「黙れ」
声を低くした。
「私を誰だと思っている。人間ごとき負けるわけなかろう」
側近は深く頭を下げた。
玉座を立ち、装束を整えた。
銀の刺繍が施された白い戦装束、長い髪を高く結い上げる。
腰には魔導の短剣、肩には族長の証である銀のマント。
鏡の中で、自分の瞳を見た。
冷たい緑が、まっすぐに私を見返してくる。
——人間どもを駆逐してやる。
その思考に、わずかな躊躇いもなかった。
それがエルフの長としての務めで、先代の王も先先代の王から引き継いできたものだ。
人間の命など、土塊と同じだ。
踏めば崩れ、踏まなければそこに転がっているだけ。
名もなく、価値もない。
そう、教え込まれて生きてきた。
それが、私の世界の常識だった。
エルフ王宮の正門が、重い音とともに開かれる。
銀の鎧をまとった親衛隊が、整然と並び立っていた。
馬上から、彼らを見下ろした。
「行くぞ」
短く告げた。
誰も、何も問い返さなかった。
※
戦場は、すでに血の匂いに満ちていた。
エルフ魔術の青白い光が、平原の各所で炸裂する。
人間軍は剣と槍で応戦し、悲鳴と怒声が混ざり合っていた。
馬上から戦況を見渡し、迷いなく指示を下した。
「右翼を突け。人間ごとき、勢いで押し切る」
親衛隊が魔術を一斉に放つ。
人間軍の右翼が、土煙とともに崩れた。
「ティスレイア様」
側近が馬を寄せる。
「敵の後退が速すぎます。引き込まれている可能性があります」
「臆病者が」
短く切り捨てた。
「逃げる獣を、追わない理由などない」
馬を進める。
親衛隊は迷いなく続いた。
森の入り口が、近づいてくる。
人間軍はそこへ吸い込まれるように退却していた。
——森の中で待ち構えているか。
その可能性は頭にあった。
あったが、止まる理由にはならなかった。
私が止まれば、エルフ軍全体の士気が落ちる。
森の手前で、片手を上げた。
「前衛、突入。後衛は森外で警戒」
最も信頼する戦力を率いて、自ら森に踏み込む。
木々の間から、人間兵の背中が見えた。
刃を抜いた。
——一気に片をつける。
魔術と剣を同時に放った。
木々の影が震え、敵の悲鳴が上がる。
その瞬間、四方から矢が飛んできた。
「気をつけろ! 囲まれているぞっ!」
側近の声。
囲まれているのは、こちらだった。
退路が、すでに塞がれていた。
——若い策士、か。
馬上で振り返ると、遠くに一騎の影が見えた。
木立の奥、影だけが浮かんでいる。
顔は見えなかった。
だが、こちらを見据えている気配だけが、はっきりと伝わってくる。
距離は遠い。
それなのに、目が合っているような錯覚があった。
——下らぬ、人間が。
魔術を、最大出力で放った。
光が森を切り裂く。
木々が倒れ、敵兵が吹き飛んだ。
しかし、その光が消えた瞬間、肩に灼けるような痛みが走った。
毒を塗られた矢が、深く突き刺さっていた。
「ティスレイア様!」
側近の声が、遠く感じられる。
魔術を放とうとしたが、魔力が乱れた。
毒が神経を蝕み始めている。
(ちっ、即効性の毒か…!)
指先から順に、感覚が消えていく。
めまいと共に手綱を掴む力が弱まり、馬からずるりと滑り落ち地面に倒れ込んだ。
血が、視界の半分を塞いでいた。
土の匂いと、自分の血の匂いが、鼻先で混ざり合う。
——私が、こんな所で。
千年を生きるはずの種族が、百年もたぬ獣の罠に落ちる。
その事実が、最後に頭をよぎった屈辱だった。
意識が遠のく中で、最後に見えたのは、遠くの木立に消えていく影だった。
そのまま、闇に呑まれた。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
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