あの日のこと
「今日は天使様の降臨の日よ、そしてあなたのお兄ちゃんのアレスが勇者になる日。嬉しいわね、セシル」
母がケーキを切り分けながらセシルに微笑みかけた。
「うん、僕のお兄ちゃん最高!勇者様!セシリアも聖女様なんでしょ!すごいよね」
「ええ、そうね。この街から英雄が二人も出るのね」
今日の母はいつも以上に上機嫌だ。それにつられて自分も鼻歌を歌う。
「今日はお父さんが結界張り直す日でしょ、きっと疲れてるだろうから僕がお父さんの分の手伝いするよ」
「そう?じゃあこのフォークとコップ並べてくれる?」
「はーい」
母から渡されたフォークとコップを三人分綺麗に並べる。
兄は王都で王様と降臨した天使様から勇者の証を受け取るのでここにはいない。少し寂しいけど、勇者になれることはすごいことなんだって街の人みんなが言ってた。魔王から人々を守る、すごい人。
「天使様ってどんなかんじなんだろう」
「そうね、お告げでは金髪の女性の天使様って言ってたわ。名前は確か――だったかしら」
「きれいな名前だね。天使様ってかんじ」
金髪の白い羽をもって天使様。きっと可愛いんだろうな。見てみたかった。帰ってきた兄にどんな感じだったか聞いてみよう。
「さ、きっとお父さんももうすぐ帰ってくるわ」
「うん」
お祝いの準備を進めながらセシルは父が帰ってくるのを待っていた。
「大変なことになった」
父が帰ってきたのは夕日が完全に落ちきった後だった。
肩で息をついている父は酷く苦しそうで、心配になったセシルは父に駆け寄った。
「お父さん、大変なことって?」
「あなた、大丈夫?」
「魔獣の群れがこの街を目指している」
魔獣、と聞きセシルは体が凍りつく。
魔獣なんて絵本の中の敵だと思っていたからだ。絵本の中でさえ恐ろしかったのに現実でそれが街を襲うなんて考えられなかった。
「街の人たちは教会に避難させている。だが、長くは持たないだろう。もう一度強固な結界を張らなければ」
そこで父は大きく咳をした。手で口元を覆い、何度も咳をしている。
ようやく咳が収まり、口元からどけた手には血がついていた。
「お父さん…?」
「もう、時間がない。お前とセシルは教会で隠れていなさい」
時間がないって。
身を翻し、また夜の闇に溶けていこうとする父に必死に手を伸ばす。
「待って」
母が父を止めた。
「私も行くわ」
「だが」
「今のあなたじゃ無理よ。私も手伝うわ」
「だがそれだとセシルが」
「でもあなた一人じゃ私たちもろとも死んでしまうかもしれないのよ」
父は迷っている。それでも今の自分の状況を父は誰よりもわかっていたのだろう。
「すまない」
「いいのよ」
母がセシルに手を差し伸べた。
「さあ、セシル来なさい」
「お母さん?」
母の手を取ると教会に連れて行かれる。扉を開けると中にはたくさんの街の人たちがいた。母はその中に祖父の顔を見つけるとセシルを連れ祖父に向かって歩き出した。
「お父さん、この子をよろしくね」
「……わかった」
手を離される。
幼い自分でもわかってしまった。それが両親との最期になることぐらい。
何度呼び止めても父と母は振り返らなかった。




