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第8話 雨に降られて

 6月は梅雨。

 雨の日が増え、じめじめとした気候でカビが生えやすい等、1年の中でも不快指数が最も高い時期である。


 恭平が魔法界からの刺客と戦うようになってから半月、この日は初めての降雨であった。

 いつもの屋上への出入り口で恭平は棒立ちになっていた。


「なあ、今日は雨も降っているし、わざわざ出向く必要はないのでは?」

(何を言っているのですか? いつものようにキリキリと働きなさい)


 屋上に降りしきる雨を眺めながら恭平が口を開く。


「あー。なんかお腹が痛くなって来たなー。ちょっとトイレにでも行こうかなー」

(何を言っているのですか、大便大王)

「そのネタもう止めてくれない!?」


 出入口から手を出してみると強い雨はその手を濡らす。

 手を引っ込めて何度か握ると、最後に強く握りしめた。


「よし、今日は中止だ。こんな日に外出してる奴もいないだろ」

「馬鹿なこと言ってないで覚悟を決めたらどうです」


 しびれを切らしたエクレールは実体化して恭平を屋上へと突き飛ばす。


 姿勢を崩しながら屋上へと飛び出た恭平は、すぐにびしょびしょに濡れてしまった。

 ふいに恭平は前髪をかき上げた。


「魔法でなんとかできない?」

「なんとかできたら傘なんていりません」


 屋上への出入り口に立ち、自分は濡れない位置にいるエクレールに対して恨みがましい視線をおくる。

 そして、おもむろにエクレールの手を握るとこちらへ引っ張り込んだ。


「おりゃー! 貴様も道連れじゃー! 観念しろ!」

「何をするのですか?」


 引っ張り込んだものの、雨に濡れた金髪が全身に張り付き、唯一身につけていた布切れも濡れ透け、エクレールは酷い有様をさらした。

 顔に張り付いた髪の隙間から覗くまなこが恨みがましく光る。


「ああ……ごめん。魔法って万能じゃないんだな」

「観念して刺客を倒しに行きなさい」


 亡霊のようなエクレールに脅されながら、恭平は鎧を身に纏った。

 雨に濡れた金属は無慈悲に恭平から体温を奪っていく。


「これ、思った以上にヤバいんだけど!?」

(大丈夫、恭平ならできます)

「お前、何、霊体になってんだよ! 卑怯だろ!」

(いいから!)


 透けたエクレールの顔が視界いっぱいに迫ってくる。

 その様子に恭平も気後れしてしまった。


 助走をつけて屋上から飛び降り、刺客のいる場所へ向かう。


「雨が目に入って前が見えない……」


 その途中、意外な困難が待ち換えており、恭平の心を折にきた。


 そんな様子に半透明なエクレールは肩をすくめて見せる。


(私に任せてください。先導しますから)


 そう言ってエクレールは恭平の前に移動し、導くように先を進んでいく。

 だが、前が見えない恭平は、明後日の方向へと進み始めた。


(そちらではありません)

「いや、見えねーし」

(なら声でナビゲートします。この先、50mを右方向です)

「まって、カーナビ風じゃ全然わからない」


 文句が多い恭平を使って遊ぶように、エクレールは様々な嫌がらせをしながら刺客へと向かう。



 刺客を退治し、屋上へと戻ってきた。

 急いで校舎に逃げ込むと、屋上への出入り口を閉じた。


 恭平は今まで浴びていた雨のせいですっかり体温が下がり、がくがくと震えている。

 唇は紫色になり、歯はガチガチと鳴り、視線は何も捉えていない。

 濡れた制服はずっしりと重くなっており、上履きには水が溜まっている。

 前髪は額に張り付き、髪全体のボリュームをなくしていた。


「な、何か身体を拭くものを……」

(それを私に求めるのですか?)


 まだ濡れたままのエクレールが持っている拭くものといえば、身体に張り付いてしまっている要所を隠す布切れのみである。

 その様子に諦めた恭平は1歩1歩教室へ向かっていく。


 恭平が通った後には、水を含み過ぎたモップを引きずったような跡が残っていた。




 教室に戻ったのは、ぎりぎりで休み時間になる直前。

 授業が終わる礼すると、教師は教室から出ていく。


 休み時間になり、教室はにわかに活気づいて生徒同士の会話が聞こえてくる。

 そんな中、恭平は1人肩を抱きぶるぶると震えていた。


「ねえ、恭平。ちょっと聞きたい事があるんだけど……いいかしら?」


 声の主に顔を向けると、いつもと変わらぬ冷たい視線をした瑠璃が立っていた。


「ななな、何かよよようかね?」

「何でそんな濡れそぼって、ガタガタ震えてるのよ。ていうか、授業中に何してたの?」


 お前の為に刺客を倒していたんだよ……とは言えないので、恭平はうっすらを笑みを浮かべる。

 そんな様子に瑠璃は若干ひきつった顔をしていた。


「ははは、何故か俺のところだけ雨漏りが酷くてさ、気づいたらこんな有様になっていたという訳さ」

「はぁ、馬鹿馬鹿しいことが言える程度の余裕はあるみたいね。どうせ、前みたいに誰にも気付かれずに教室から抜け出たんでしょ」


 瑠璃はそんな戯れ言を口にする恭平を細めた目で見つめている。


 今まで瑠璃にバレない様に教室を抜け出ていた恭平だったが、見つかっていた時があったようだ。

 彼女は小さく溜息を吐くと、そのすぐ後に何かを恭平の頭にかけていた。


「これは?」

「どう見てもタオルでしょ。体くらい拭いときなさい。早くしないと風邪をひくわ。もう遅いかもしれないけど」


 恭平は頭の上に乗っていたタオルを手に取る。

 真っ白で飾りっ気が一切ないタオルだが、清潔感があり柔軟剤のふんわりといい香りがしていた。


「ありがとうな、瑠璃。やっぱり持つべきものは友達だよな」

「私はあなたの友達になったつもりはないのだけれど、まあいいわ。身体を壊さないように気をつけなさいよ。お互い大切な時期でしょ」


 早速、濡れて冷えた身体をタオルで拭っていく。

 水気がなくなるにつれて、少しずつ体温が戻ってくる。それは、まるで天国に上るような心地よさがあった。


(恭平、正気に戻ってください)


 エクレールの声が頭に響き、天国へ行きかけた意識を取り戻す。

 制服や上履きはタオル1枚でどうこうできるレベルを超えていたので恭平は我慢することにした。


「悪いな。このタオルは洗って返すよ」

「別に返さなくてもいいわ。タオルくらい家に沢山あるから」


 それだけ言うと、瑠璃は自分の席まで戻ってしまった。

 頭を拭き終わって彼女のタオルをよく見ると「ひやま るり」と名前が書かれていることに気づく。

 持ち物に名前を書くのはいいことだが、彼女の場合はその行為が、外見と相まって小学生に見えてしまう。


(これもまた、青春ですね)

「これ、青春か?」


 恭平は濡れてしまったタオルを見つめながら思い返す。


 ずぶ濡れの同級生にタオルを貸してあげる場面など、学生なら普通にある行為である。決して特別なにかが起こったわけではない。


(本人は気づいていないらしいですが、ただの同級生がわざわざタオルを差し出すなんありません。恭平はどう思っているのですか?)


 恭平は少し俯いて顎に手をやる。

 目を閉じ、少し眉根を寄せてから顔を上げた。


「確かにただの同級生ではありえないな。まあ、瑠璃とは中学からの付き合いだからな。ただの同級生じゃない」

(そう。ただの同級生ではありません。よく覚えていてください)


 エクレールの言葉に府が落ちない様子で首を傾げる。

 そんなこんなしていると、短い休み時間が終わるチャイムが鳴る。


 恭平は急いでカバンから教科書を取り出し、授業に向けて準備を始めた。





 その放課後、まだ湿ったままの制服を気にしながら、帰宅するために校舎から出ようとしていた。


 人気のない寂しげな廊下を歩いていると、背後から声をかけられる。振り返り誰かを確認すると、そこには化学の吉田が立っていた。


 辺りを見回すと、化学準備室が見える。

 こんなシチュエーションは前にもあったと、恭平は身構えた。


「おう、児玉。今から帰りか?」


 声の主は相変わらず手入れをしていない髪、剃り残しのある無精ひげに、若干曲がった猫背をしていた。


「はい。また化学準備室の整理ですか?」

「まあな。整理に使えそうな生徒を捜していたんだが、なかなかいないもんだな」


 前回とは違い、吉田教諭は恭平を強引に引っ張り込むことはしない。

 どういう心境の変化かと訝しんだ。


「今回は俺を引っ張り込まないんですね」

「そうだな。お前も最近は忙しそうにしてるじゃないか。志望校が決まって受験勉強でも始めたか?」


 吉田教諭はニヤニヤと笑ってくる。

 何がそんなに可笑しいのかわからず、恭平は困惑して少し距離をとった。


「なんですか、気持ち悪い。前は余裕があるとか言っていたじゃないですか」

「ここ最近なぁ、お前からも樋山のような必死さを感じるんだよ。だから、真面目に勉強をするようになったと思ってな。東大でも目指すか」


 にこやかな吉田教諭は恭平にとっては嫌なことを言ってくる。


 刺客の討伐に追われ、勉強なんて二の次になっている時にそんな喜ばれると、嫌味を言われているように聞こえてしまう。


「東大とか言いすぎじゃないですか? 俺より成績のいい奴なんて、ごまんといますよ」

「んー、俺はお前が本気で勉強すれば、東大に行けると信じてるぞ。今年の受験組じゃ樋山とお前くらいだな、東大を目指せる奴は」


 常に教科書に向かっている瑠璃なら、その可能性は高いと恭平は思っているが、それと自分が釣り合うとは思っていない。


「はあ……俺を過大評価してますよ。それに東大なんて行くつもりないですし」

「まあ、東大とはものの例えだ。それだけ勉強ができるという意味だ。それに、お前は自分を過小評価しているように思うよ。何ならダメもとで1度受験してみたらどうだ?」


 吉田教諭はおどけたように言ってみせる。冗談半分、本気半分といった様子だ。


「まあ、最終的に決めるのはお前だからな。好きにすればいい。でもな、お前はきっとでっかいことをやるんじゃないかと思っている。今はクラスの中で奇行が目立つただの厄介者だが、何かしてくれる気がするんだよ」

「俺にそんな期待されても困ります」

「ちなみに、この意見は俺個人のものじゃない。他の先生方もそう言ってたよ。もっと自信を持て」


 吉田教諭がグイグイと寄ってくるのを嫌がって、恭平はさらに距離を取った。

 そんな様子の恭平を見てか、吉田教諭はどんどん近づいてくる。


「おだてても何もできませんよ」

「お前がどうしたいかは、お前が決めればいい。ただ、我々教師はお前をそういう目で見ているという事を、知っておいて欲しかっただけだよ」


 吉田教諭は笑いながら、恭平の背中を力強く叩いてくる。それが恭平には存外悪いとは感じなかった。

 期待されることに慣れていない恭平にとっては少し照れ臭いものであった。


「よし、俺は準備室の整理要員を捜さないとな。時間を取らせて悪かった。勉強、頑張れよ。それと、湿ったままで風邪ひくなよ」


 吉田教諭は恭平に背を向けると、手を上げてひらひらとさせて別れを告げた。

 そんな様子をみて、恭平も自分の行く先へと足を進めた。




「なあ、戦いはいつまで続くんだ?」


 恭平は誰もいない廊下で足を止めて、宙に向かって語りかける。


(それは私にもわかりません)


 恭平の視線の先に半透明な金髪の女性が現れる。

 そして、クルリと回って背中から恭平を抱くような姿勢を取った。


(短ければ現政権が終わるまで、長ければラピス姫が寿命で死ぬまで)


 恭平はそんなエクレールの腕に沿えるように手を重ねた。


「お前はいいのか? そんなになるまで俺と一緒で」

(私は好ましいと思っています。先代との約束もありますし、死ぬまで付き合ってあげます)


 少しの間、2人の間に静寂が訪れる。

 そして、エクレールが口を開けた。


(でも、きっと恭平は私を恨むようになるでしょう……)


 言いたいことは終わったのか、再びエクレールは口を閉ざす。

 お互いが黙ってしまったので、恭平は再び足を動かし始めた。

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