第1話 「異世界でも、まずは飯」
「おい、カエデ。オレの分の飯が少ねえが……特に肉……あっ!」
「むふ〜。貴様が狙っておったこの肉は、我がもらう。ついでにカエデもな」
「お前!肉もカエデも渡さないぞ!」
喧嘩になりそうになっている2人の頭に、チョップを叩き込む。
「おいこら、てめえら。食事の場で争うな。ラグメル、俺の分を分けてやるから大人しくしろ。サーシュ、ちゃんと野菜も食え。食わねえと飯抜くぞ」
「あ、すまない……」
「ぬう、わかったのじゃ。そう怒らんでくれ、カエデ」
「わかればいいんだよ、わかれば。次から料理の量でも増やすかな。なっ、メセド」
(うまい飯でうまいのにゃ)
「話聞けよ……」
まったく、こいつらは……。
せっかくの食事だってのに、どうしてこうも騒がしいんだか。
まあ、賑やかな食卓ってのも悪くない。
――なんでこんなことになっているのか。
話は、俺がこの世界に来た頃まで遡る。
♢
「ふわあ、よく寝た……あれ?俺の部屋、こんなんだっけか?」
顔に朝日を浴びて目を覚ました俺は、欠伸を噛み殺しながら周囲を見渡した。
窓の外には見知らぬ畑と細道。そこを歩く人々の服装も、俺の知っているものとは明らかに違う。
(マジ……か。夢じゃなかったのか、アレ)
俺は飯沼楓。料理人志望だった男だ。
海外で料理修行を積み、意気揚々と日本に帰ってきたものの、料理人として再就職することはできなかった男さ。
貯めた貯金を崩しながら知人のマンションに厄介になり、ぶらぶらする毎日が続いた。
そんな鬱屈を晴らそうと散歩していたとき、草木に埋もれた小さな社を見つけた。
放っておくのも気が引けて、掃除をしてやった。まあ、一人でできる範囲で、だが。
掃除を終えた俺は、せっかくだからと軽く参拝して、その場を後にした。
するとその日の晩、神様を名乗る奴が夢にまで出てきた。
そいつは礼を述べると、俺が願っていたことを叶えてやると言い出した。
『もう一度、料理人として生きてみたい』
それが、俺の願いだった。
ただ、今の神様には現実へ干渉する力がほとんど残っていないらしく、日本で俺に料理人としてやり直す機会を与えるのは難しい、と言われた。
そこで代わりに持ちかけられたのが、異世界でやり直すという選択肢だった。
正直、迷う理由はなかった。
このまま貯金を崩しながら、ゾンビみたいに生きていくくらいなら、もう一度料理人をやれる可能性に賭けて、俺は二つ返事で頷いた。
神様は律儀にお詫びだか餞別だかとして、神様は『万能の調味料ポーチ』と、俺の調理器具に「不壊」という能力を与えてくれた。
その後のことは、少し記憶が曖昧だった。
眩い光に包まれたこと。気がつけば、見知らぬ街に立っていたこと。
そこから宿を探し、畑仕事に追われていた宿屋の夫婦を手伝ったこと。
色々ありすぎて、頭の中でうまく整理できていなかったらしい。
だが、こうして久しぶりにぐっすり一晩眠って、ようやく実感が湧いてきた。
(……ここは日本じゃない。正真正銘、異世界ってわけか)
料理人として、もう一度やり直せる。
だったら――腹が減ったので、まずは飯だな。
♢
「あら、お目覚めね、カエデ。昨晩はよく眠れたかしら?」
「え?あ、ああ。はい。おかげさまで、ぐっすり眠れましたよ」
「それならよかったわ。朝ごはんよね? すぐ用意してあげるわ。あなた、一人前お願い」
「……あいよ」
階段を降りると、宿の女将さんと旦那さんが、朝早くから朝食の支度をしていた。
料理を出す宿なんだから、朝が早いのは当然だ。
そんな当たり前のことすら、すっかり忘れていた自分に、長いブランクを感じる。
(最後に厨房に立ったのは、いつだったかな)
そんなことを考えながら、俺は近くの適当な席に腰を下ろした。
夫妻の宿は民家をベースにした造りらしい。内装は清潔で、木製の家具が多い。窓の向こうでは木々が風に揺れていた。
のどかな自然に囲まれた、生活感のある場所だ。
厨房からは、朝食の支度をする音が聞こえてくるし、とくとくと油が鍋に注がれ、火にかけられた音は懐かしさを思い出させた。
「……ちょっと覗かせてもらおうかな」
料理が気になった俺は席を立ち、厨房と客席を隔てる壁際まで歩いていった。
壁には料理を受け渡すための小さなカウンターがあり、その奥の厨房を覗き込めるようになっている。
「おや、気になるかい?」
「ああ。ただ待ってるのも手持ち無沙汰だしな。覗いても?」
「ふふ、大丈夫さ」
女将さんことベルさん?が軽く頷き、俺は改めて厨房へ目を向けた。
旦那のリラドさんが、目の前で俺の朝飯を作っているところだった。
まず気になったのは火加減だ。炉の火は、思っていたよりも弱く、燃料には薪を使っている。
(ガスやIHなんて当然ねえか。薪なら、まあ、こんな火力が限界か……)
そんなことを考えている間にも、旦那さんは瓶から油を目分量で注ぎ入れた。
鍋を回して油を全体に馴染ませると、下処理済みの肉を滑り込ませる。
(肉か……しかし、独特な匂いだな)
牛や豚、鶏とは違う。野性味の強い、獣肉特有のクセがある。差し詰め猪か、鹿か?
程よい厚みに削ぎ切りされた獣肉には、黒い粒状の香料がしっかりと揉み込まれていた。
そんな獣肉を鍋に並べ、じゅうぅ、と肉の焼ける音が響き、香ばしい匂いが厨房に広がる。
片面に焼き色がつくと、旦那さんは手際よく塩を振り、肉をひっくり返した。
火加減を見極めながら、両面をむらなく焼いていく。その手つきに迷いはない。
(手慣れたもんだ。変に口出しすることなんて何もねえな)
俺は邪魔にならないよう、そそくさと静かに席へ戻った。
席に着いてからも、厨房から漂う肉の焼ける匂いが鼻をくすぐる。
(……ん〜、肉の焼けていく、いい匂いだな)
さっきまで気になっていたこの異世界のことも、今は頭の隅に追いやられていた。腹が減っていると、目の前の朝飯のほうが気になって仕方がない。
ぐうぅ、と腹が鳴った。
やがて、じゅうじゅうと肉の焼ける音が止んだ。
「待たせたね」
女将さんが皿を持って、こちらへやってきた。
「お?もう出来たのか?」
「ええ。こいつがうちのロッケンバンさ」
皿に乗っていたのは、コッペパンほどの大きさの細長いパンだった。
横から切れ目が入れられ、その間から焼いた肉と葉野菜が顔を覗かせている。
焼きたてのパンの香りに、肉の香ばしさが混じっていた。
空っぽの胃袋が、今にも何か寄越せと訴えてくる。だが気になることを尋ねた。
「ロッケンバン?」
「ああ。こいつは昔の傭兵さんが考えた料理でね。今じゃこの辺じゃ定番さ」
「へえ……」
俺はロッケンバンを皿から両手で持ち上げた。
さすが出来たて。パン越しにも、肉の熱が伝わってくる。
(なるほど。バーガーやサンドイッチみたいな食い方か)
少しだけ口元を緩め、俺は大きく口を開け、そして――ガブリとかぶりつく。
「……うっま!」
最初に感じたのは、力強い肉の香ばしさだった。
黒い香料の風味と塩気が獣肉の旨味を引き立てる。そこへ葉野菜の瑞々しさと、素朴なパンの甘みが重なった。
派手さはない。けれど、ひと口ごとに肉と野菜、パンの味が馴染んでいく。腹の減った身体にはたまらない味だった。
俺は夢中になって、もう一口かぶりつく。
「……こいつは、いい」
気がつけば、皿の上のあった2個のロッケンバンはあっという間になくなっていた。
ちぎれた野菜や肉の欠片まで残さず食べ終え、俺は両手を合わせる。
「ごちそうさん」
そう呟いてから、空になった皿を見つめた。
ここは、俺の全く知らない異世界。
見たこともない景色に、知らない人たち。
けれど、飯はちゃんとうまい。それだけで、少し安心した。
(……まあ、なんとかなるか)
こうして俺の異世界での料理人生活は、ロッケンバンから始まった。




