第6話 王子様の機嫌が悪い
十月半ば。中間テストも終わり、十一月の文化祭に向けて準備が始まった。
幸いなことに、一ノ瀬くんとの噂は、中間テストが近づくにつれて少しずつ落ち着いていった。さすがに試験前まで他人の恋愛話で盛り上がっている余裕はなかったらしい。
私としては、ようやくいつもの学校生活が戻ってきたようで、正直ほっとしていた。
――少なくとも、噂については。
私たちのクラスは出し物としてお化け屋敷をやることに決まり、私は装飾班に割り振られた。装飾班にはもう一人、意外な人物がいた。
「間下さん、そっちの段ボール取ってもらえる?」
「はい」
桐谷拓翔。颯真の友人で、同じクラスの男子だった。飾らない性格で、必要以上に人に構うこともない。そのぶん一緒にいて気疲れしない相手だ。
少し癖のある髪に、眠そうな目。整った王子様タイプの颯真とは違って、どこか力の抜けた雰囲気がある。
「桐谷くんって、意外と真面目に作業するんだね」
「意外とって何。俺、いつも真面目だけど」
「教室で寝てるところしか見たことない」
「それは寝る時間だから真面目に寝てるんだよ」
その言い草に、私は思わず笑ってしまった。拓翔はどこか飄々としていて、颯真のような掴みどころのなさとはまた違う、シンプルな面白さがある。
作業をしながら、拓翔はふと思い出したように言った。
「間下さんって、颯真とよく一緒にいるよな」
「一緒にいるというか、絡まれてるだけです」
「絡まれてる、ね」
拓翔は含みのある笑い方をしたけれど、それ以上は深く追及してこなかった。そのあっさりした距離感が、正直ありがたかった。
「桐谷くんは、一ノ瀬くんの何なの? 友達?」
「腐れ縁だな。一年からずっと一緒にいるけど、あいつのことは結構謎」
「謎?」
「誰にでも優しいくせに、本気で誰かのこと好きになったところ、見たことないから」
その言葉に、私は少しだけ興味を引かれた。
「そうなんですか」
「告白されても付き合わないし、自分から誰かを好きになることもない。器用に立ち回ってるように見えて、実は一番不器用なタイプかもな、あいつ」
拓翔の分析は、意外なほど的確に思えた。私が図書室で見てきた颯真の姿とも重なるところがある。
☆
その日の放課後、私と拓翔は作業の続きをするために、教室に残って段ボールを組み立てていた。夕方の光が窓から差し込んで、教室の中を橙色に染めている。他のクラスメイトたちは既に帰り支度を始めていて、教室に残っているのは私たちを含め、数人だけだった。
「そこ、もうちょっと右」
「こう?」
「うん、そこ」
作業をしながら、拓翔が何気ない冗談を言い、私がそれに突っ込む。そんな他愛のないやり取りをしていたとき、教室の入り口に人影が現れた。
「楽しそうだね」
颯真だった。いつもの笑顔を浮かべているけれど、その声には、どこか刺のようなものが混じっている気がした。
「普通に話してただけだけど」
拓翔が軽い調子で答えた。
「ふーん」
颯真はそれだけ言うと、私たちの近くまで歩いてきて、作業中の段ボールを覗き込んだ。
「手伝おうか?」
「大丈夫、二人でできてるから」
拓翔が言うと、颯真は少しの間、無言でこちらを見ていた。その視線が、なんとなく居心地悪かった。
「穂乃果、それ持ってて」
颯真が唐突に、私の方に別の段ボールを差し出してきた。頼まれるままにそれを受け取ると、颯真は当然のように私のすぐ隣に座り込み、作業を手伝い始めた。
その後、颯真はやたらと私に話しかけてくるようになった。段ボールの組み方について、今日の昼休みのことについて、明日の天気について。会話の内容自体はどれも他愛のないものだったけれど、その頻度と距離の近さは、いつもより明らかに過剰だった。
拓翔はそんな様子を、面白がるように眺めていた。
作業が一段落したところで、拓翔がふと言った。
「間下、ちょっとこっちの荷物運ぶの手伝ってくれる?」
「あ、はい」
「それ、俺がやるけど」
颯真が即座に割り込んできた。
「べつに、間下に頼んだだけだけど」
拓翔が不思議そうな顔で返す。
「俺の方が力あるから」
「いや、そんな重くないけど」
やり取りを聞きながら、私は少し呆れた気持ちになっていた。段ボール数個を運ぶだけの作業に、なぜこんなに張り合う必要があるのか理解できない。
結局、私と拓翔で荷物を運ぶことになり、颯真は不服そうな顔のまま教室に残っていた。廊下を歩きながら、拓翔がぽつりと言った。
「あれ、絶対嫉妬だろ」
「まさか」
「まさかじゃないって。あいつ、ああいう顔、他の場面じゃ絶対しない」
拓翔の言葉を、私は半信半疑で聞いていた。颯真が嫉妬する理由が、私には見当たらなかった。私たちは付き合っているわけでも何でもない。ただの同級生だ。彼が誰と話そうと、私が誰と話そうと、本来なら気にする必要のない話のはずだった。
荷物を運び終えて教室に戻ると、颯真はまだそこにいた。腕を組んで、窓の外を眺めている。
「戻ったよ」
拓翔が声をかけると、颯真はこちらに視線を向けた。その表情は、いつもの余裕のある笑顔ではなく、どこか不機嫌そうな色を帯びていた。
「遅かったね」
「そんなに時間かかってないけど」
「かかってたよ、結構」
明らかに、時間を計っていたらしい態度に、私は内心で驚いていた。
その日の作業が終わり、私が帰り支度をしていると、拓翔が颯真に何か話しかけているのが聞こえてきた。
「お前、間下のこと好きなの?」
直球すぎる質問に、私は思わず手を止めた。聞いてはいけない会話のような気がしたけれど、耳を塞ぐこともできず、そのまま聞き耳を立ててしまった。
「違うけど」
即答したくせに、颯真は一瞬だけ私の方を見た。
目が合いそうになって、私は慌てて手元へ視線を落とす。
「……でも拓翔が穂乃果と仲良くするのはなんか嫌」
その一言に、拓翔が呆れたように笑う気配が伝わってきた。
「それを世間では好きって言うんだけど」
颯真は何も言い返さなかった。
私はそれ以上聞いていられなくなって、逃げるように教室を出た。心臓が、思ったよりも速く鼓動しているのが自分でもわかった。
――なんか嫌。
その曖昧な言葉が、頭の中で何度も繰り返された。好きとは言わない。けれど、嫌だとは言う。その中途半端さが、かえって私の心をかき乱した。
帰り道、いつものように美月に連絡すると、彼女は開口一番こう言った。
「今日、一ノ瀬くんと桐谷くん、なんか変な空気だったって噂になってるよ」
「もう噂になってるの、早すぎる」
「うちの学校の情報網なめないでよ。それで、実際どうだったの?」
私はしばらく迷ってから、今日あったことをかいつまんで話した。話し終わると、美月は満足げに頷いた。
「それもう完全に嫉妬でしょ」
「本人は否定してたけど」
「否定してても、行動が全部物語ってるじゃん。段ボール運ぶのに張り合うとか、必死すぎでしょ」
美月の言葉に、私は反論できなかった。
颯真の態度が、いつもと違っていたのは確かだ。
ただ、それを「好き」だと認めてしまったら、私はどうすればいいのかわからなかった。




