探索者免許
洗面所の鏡に、自分の顔を映してみる。
「……うーん。ちょっとは、マシになったかな?」
休職したての頃は、鏡を見るのもうんざりするほど顔色も悪かったのに、最近はだいぶ体調も顔色もよくなってきている気がする。
「ダンジョンのおかげかしらね」
とはいえ、いざ出かけるとなると、少しだけ気は重い。
「……あんまり外に出たくないけど、仕方ないよね」
といっても、電車に乗るのも街を歩くのも別に平気だ。
私が身構えるのなんて、せいぜい会社の連中と会うかもしれないという不安くらいのもの。
「きっと会うことなんてないと思うし。うん、大丈夫」
私は自分に、そう言い聞かせて支度にかかる。
「さて、これからやることは、っと……」
指を折って数える。
「まず、青い魔石を売る。それから、この手袋を見てもらう。あとは警察署で免許の取得かな」
掲示板の人たちが言っていた。
魔装は、免許がないと使えないって。
魔石を売るのと鑑定は買取所で、免許は警察のダンジョン課だったよね。
「帰ってきたら暗くなってるだろうし、今日はもうダンジョンに行くのは無理そうだなぁ」
私は手袋を無造作に鞄へ入れる。
「トゲトゲがついてて危ないけど……まあ、刃物じゃないし、これでいっか」
青い魔石は、小さな巾着袋に。
黄色いほうは、引き出しに入れて置いていく。
「あんたは売らないからね。魔装を育てるのに使うんだから、お留守番」
できれば今日中に必要な手続きは終わらせておきたいし。急いで準備していく。
「よし、こんなもんかな」
私はしっかりと戸締りをして、買取所へと行くことになった。
電車に揺られて、隣町の買取所にたどり着いた。
思っていたより、ずっと小さな店構えだ。
「ダンジョン資源査定所」と書かれた看板がなければ、ただの町の不動産屋か何かかと見間違えそうだった。
「……ここで合ってるよね」
ガラス戸を押して中に入ると、カウンターの向こうから、制服姿の男性職員が顔を上げた。
客は、私のほかに誰もいない。
「いらっしゃいませ。本日はどういったご用件でしょう」
「あの、魔石を、売りたいんですけど」
「かしこまりました。お品を拝見できますか」
私は巾着袋から青い魔石を取り出して、カウンターに置いた。
職員はそれを手に取ると、慣れた様子で小さなはかりに載せる。
「5グラムですね。買取価格は50万円になりますが、よろしいでしょうか」
「はい」
……やっぱり、そうなんだ。
たった一つで、50万円。
こんな大金をこうも平然と言われると、こっちの感覚のほうがおかしいのかと思えてくる。
「では、お売りいただくお手続きに入りますが……探索者免許は、お持ちですか?」
「あ、免許、ですか。いえ、持ってないです」
職員は、ほんの少しだけ困ったような顔をした。
「そうしますと、免許をお持ちの方より、少々お手続きが増えてしまいまして」
「増える、というと?」
「ご本人確認の書類をご提示いただいたうえで、こちらの申告書に、必要事項をすべてご記入いただく形になります。それから、買取金はお振込みとなりますので、銀行口座のご用意もお願いいたします。探索者免許をお持ちでない場合は、手続きに一時間ほどお時間がかかることもありまして。ですので皆さま、免許を取得されるか、まとまった数をご用意されてからお越しになられることが多いですね」
カウンターに差し出された申告書を見て、私は思わず眉をひそめた。
細かい記入欄が、びっしりと並んでいる。
これを全部、手で埋めるのか。
そりゃ、この人も嫌な顔の一つもしたくなるだろうな。
「……免許があると、これが要らなくなるんですか?」
「はい。免許がありますと、そちらに必要事項は登録されておりますので。次からは、免許証をご提示いただくだけで、すぐにお手続きいただけます」
なるほど。
道理で、掲示板の人たちが「免許を取っておけ」と口をそろえていたわけだ。
一度きりならまだしも、これから何度も売りに来るつもりなら、毎回この記入は勘弁してほしい。
それに、もう一つ用事がある。
「あの、それと。この手袋の鑑定も、お願いしたいんですけど」
私は鞄から魔装を取り出して、カウンターに載せた。
職員は黄色い水晶体をちらりと確認すると、「魔装ですね」と小さくうなずく。
「鑑定も承っております。ただ、こちらは有料でして。鑑定料を頂戴したうえで、結果が出るまで二、三日、お預かりする形になります。そのお預かりのお手続きにも、また別途お時間を頂きますが、よろしいでしょうか」
「有料……いくらくらいですか?」
「5000円、頂戴しております」
……5000円。
その額自体は、まあ、そこまで惜しくはない。
でも、と私は頭の中で今日やることを並べてみる。
この申告書を書いて魔石を売り、さらに鑑定の手続きをする。
……そのあとで、警察署に行って、免許を取らなければならない。
「……これ全部やってたら、けっこう時間かかりますよね? この後に、その免許を取りに行こうと思っていたのですが」
「そうですね。込み合ってはおりませんが、それなりにはかかってしまいます」
壁の時計は、もう三時近くを指していた。
のんびりしていたら、警察署の受付のほうが先に閉まってしまう。
私がよほど困った顔をしていたのか、職員は少し声を落として、こんなことを教えてくれた。
「差し出がましいようですが……鑑定でしたら、警察署のダンジョン課でも受けられますよ。あちらなら、免許取得と一緒に手続きすることで、鑑定料は無料になったはずです」
「え、無料なんですか?」
「ええ。もし免許を取りに行かれるなら、鑑定もまとめて向こうで手続きするのがお得かと」
いい人だ。
親身になって教えてくれる人でよかった。
「ありがとうございます。じゃあ、鑑定はそっちで……」
「ええ。あ、それと。免許を作られるなら、印鑑が要ると思いますが。今日はお持ちですか?」
「……あ」
持っていない。
そんなもの、家を出るときには頭になかった。
職員は、ちらりと壁の時計に目をやった。
「印鑑を購入されることを考えますと、魔石の買取までしているお時間は、たぶんないですね」
そうだよね。
私も、ちょうど同じことを考えていた。
欲張って全部やろうとして、いちばん大事な免許を取り損ねたら、元も子もない。
「……わかりました。魔石は、また今度にします」
青い魔石を、そっと巾着袋に戻す。
せっかく持ってきたのに、結局、売れずじまいだ。
でも、まあいい。
魔石が逃げるわけじゃないし、免許さえ取ってしまえば、次からはすぐに売れる。
「いろいろ教えてくださって、助かりました」
「とんでもございません。お気をつけて」
私は魔石と手袋を鞄に戻して、店をあとにした。
次に来るときは、免許を持って、堂々と売りに来てやろう。
買取所を出て、私はまっすぐ印鑑を買うためにショッピングモールへ向かった。
「印鑑持ってきておけばよかったなぁ。私の苗字あるかしら」
ショッピングモールについて、印鑑が売っている場所を探すところから始まった。
100均でも売っていることもあるけど、私の苗字が無いことがほとんどなので、専門店を探した。
平日の昼下がりだからか、モールの中は人が少なかった。
そして、専門店に付くと、印鑑が入っている回るケースを見つけて、自分の名前を探していく。
「……し、し、しー、しらー、しらーせ。あった!」
すぐに見つかってよかった、急いでレジへと移動して購入する。
「うーん、ぎりぎりかな」
ここから警察署へは、それほど遠くはないが、バスで移動となる。
私は急ぎ足で、警察署前まで行くバスに乗るために走って、なんとか間に合うことができた。
なんとか時間までに警察署に着くと、入口で案内板を探し、「ダンジョン課」に向かった。
二階にあるらしく、階段をのぼってそのフロアにたどり着く。
想像していたのとは、ずいぶん雰囲気が違った。
もっと物々しい場所かと思っていたのに、実際は、どこか役所の窓口みたいに静かで、そっけない。
カウンターには職員が一人。ほかに待っている人は、誰もいなかった。
「あの、すみません。探索者の免許を取りたいんですけど」
「はい、どうぞ。こちらの窓口で承ります」
職員は慣れた様子で、一枚の用紙を差し出してきた。
「では、こちらにご記入をお願いします。ご本人確認の書類と、印鑑はお持ちですか?」
「あ、はい。これで大丈夫ですか」
さっき買ってきたばかりの印鑑と免許証を取り出す。
記入の項目はやはり多かった。
住所に、氏名に、連絡先。職業や会社名なども。
上から順に、埋めていく。
途中に、こんな一項目があった。
『魔装を所持しており、鑑定を希望する』
その横に、小さなチェック欄。
……これだ。
私はそこに印を入れた。
それにしても、どこで手に入れたのか。
どのゲートに入っているのか。
そういうことを記入する欄が、どこにも無い。
てっきり、根掘り葉掘り聞かれるものだと思っていた。
家にゲートがあることは、あまり知られたくはないし、報告は義務ではないと聞いてはいたが、問われれば答えないわけにはいかないと覚悟をしてきていたのだが。
記入を終えて用紙を差し出しながら、私はおそるおそる訊いてみた。
「あの……これって、どこで手に入れたかとかは書かなくていいんですか?」
「ええ、そういった項目はありませんよ」
職員は、少し不思議そうに私を見た。
「ゲートはあちこちにありますし、どのゲートから入っても、行き着く先は同じダンジョンですから。どこで拾ったかを伺っても、あまり意味がないんです」
……そうなんだ。
拍子抜けして、私は小さく息を吐いた。
身構えていたぶん、なんだか気が抜けてしまう。
「では、鑑定をご希望とのことですので……魔装を、拝見できますか」
「はい。これなんですけど」
私は鞄から手袋を取り出して、カウンターに置いた。
職員は、埋め込まれた黄色い水晶体を、じっくりとあらためる。
「……確かに、魔装ですね。免許のご登録とあわせて、こちらでお預かりします」
窓口で免許証発行の手数料を払うと、職員は手元で手続きを進めていった。
「免許証は、本日お渡しできます。ただ、鑑定のほうは、早ければ明日の午前中に、遅くとも明後日の午前中には結果が届くと思います」
「あれ? そんなに早くできるんですか? 二、三日かかると聞いていたのですが」
「武器となる魔装の鑑定は、優先して行われますので、通常より早く鑑定に回されるんです」
剣や斧のような武器ではないから、あまり武器だという意識は私にはなかった。
でも、やっぱり危険な物ということで、優先されるのだろうか。
「結果が出ましたら、こちらからお電話を差し上げます。お手数ですが、もう一度ご足労いただいて、その際に鑑定結果をお渡しします。お預かりした魔装も、そのときにお返しする形になります」
「わかりました。またここに来たらいいですか?」
「はい。その際に、必ず探索者証をお持ちください。お忘れになると、お預かりした魔装をお渡しできませんので」
「はい、気を付けます」
「では最後に、お顔の写真を撮らせていただきますね。そちらのカメラのほうを向いていただけますか」
言われるまま、横に置かれたカメラのレンズに顔を向ける。
……家を出る前、鏡で確認はしたけれど。
証明書の顔写真を撮られるなら、ちゃんと化粧をしてくればよかった、と後悔した。
しばらく待たされた後、職員に一枚のカードを渡される。
顔写真の横に、私の名前。
カード自体は特殊なものではなく、運転免許証に近い見た目をしていた。
「では、こちらが免許証とガイドブックです。免許証は魔装を持ち出す際は必ず携帯をしなければなりませんのでお気をつけください。魔装の取り扱いについては、こちらのガイドブックをお読みください。扱いによっては銃刀法に引っかかる可能性がありますのでご注意を」
「はい……ありがとうございます」
これで私も、正式な探索者、ということになるのか。
試験とかないのは驚きだが、簡単になれたので実感がまだ湧かない。
「では、鑑定の結果が出ましたら、ご連絡しますね。おつかれさまでした」
「はい。よろしくお願いします」
手袋を預けて、免許証を手に、私は警察署をあとにした。
外に出ると、空はもう夕暮れに染まりかけていた。
昼過ぎに家を出たときとは景色が違う。
結局、半日がかりの大仕事になってしまった。
「探索者、かぁ……」
ほんの数日前まで、会社を休んで腐っていただけのOLがこれだ。
バスに揺られながら、これからのことを考える。
あの魔装を育てるには、雷の魔石がいる。
黄色い魔石を落とすのは、ペンギンドッグしか今のところ知らない。
「しばらくは、ペンギンドッグ狩りが日課になるのかな」
幸い、くちばしだけ気を付けておけば、私でも危なげなく倒せる相手だ。
おまけに、肉はとびきり美味しい。
魔石を集めながら、晩ごはんのおかずまで手に入るなんて、一石二鳥じゃないか。
「ふふ。……悪くない毎日かも」
電車に乗り換える頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
街の灯りが、ぽつぽつと流れていく。
少し前なら、その静けさがやけに寂しく感じられたはずなのに。
「……今は、なんだか楽しいなぁ」
やることが、山ほどある。
狩りに、魔石集めに、魔装の育成。
私は、鞄の中の免許証を、そっと握った。
まずは明日、ペンギンドッグ探しから。
そう思うと、自然と口元がゆるんでしまった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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