検証7 運命を選んでみよう
夕日は沈みかけていた。
村は火に包まれていないし、村人の悲鳴もない。
戦いの巻き添えで、建物がいくらか破壊されたぐらいだ。
遠くで、避難した人々のざわめきが風に乗ってかすかに聞こえる。
ユシアは、魔王の死体の上に膝をついて、剣を握ったまま、肩で息をしている。
全身は血と泥と煤に汚れていて、くるんとした赤い巻き毛も、ところどころ焦げている。
あどけない顔は、くしゃくしゃに歪んでいた。
俺も、広場に座り込んだままでいた。
「……倒した。ボク、倒した、魔王を」
「すごいな」
すごいとしか言い表せなかったが、もう少し気の利いたコメントがあったような気がする。
身体の奥がじんじんと熱を孕んでいた。
恐怖も疲労も残っているのに、それでも、胸のどこかが信じられないくらい高揚している。
勇者の、完璧な勝利だった。ファンファーレが鳴りそうなぐらいには。
──でも、これもどうせまた戻るんだ。
魔王を、勇者が倒した──これも前々回に検証したパターンの一つでしかない。
俺は、生き延びてしまった。
これでは、ループ脱出条件を満たせない。
この勝利を、無駄にしたくなかった。
──まだ、間に合うんじゃないか。
俺は、短剣の柄を両手で握りしめる。
見つめる先にあるのは、その剥き出しの刃。
「──駄目だよ」
ユシアが立ち上がって、こちらを見つめていた。
言い訳の言葉ひとつも思い浮かばない。
「……うん」
魔王の血で濡れた短剣を、その場に放り捨て、俺は沈む夕日を見上げた。
まもなく、夜が来て、そして朝になる。
そうしたら、またあの木の天井が俺を迎えるのだろう。
寝台。薪の匂い。扉の向こうの足音。
どうしたの、顔、変だよ。
また、そこから繰り返す。
じゃあ、それに意味なんてなかったのか?
全部が、無駄だったのか?
「……でも、なんだか、まるで、RPGのヒロインだったな」
勇者が自分のために駆けつけて、魔王と戦って、勝つ。
死ぬためのヒロインではなく。
助けられるためのヒロイン。
いや、助けられるだけでもなかったけど。
隣で叫んで、短剣で足を刺して、邪魔をして。
一緒に戦うヒロイン──というには、美化しすぎか。
ともかく──勇者が、ユシアが、来てくれた。
ユシアが、俺のために戦って勝つところを見られた。
それだけで、意味があったような気がした。
(……ん? 変じゃないか)
二回目と三回目と五回目のループで起こったことを思い出す。
あの時はそもそも、魔王を倒してすぐ次の周回に入っていたじゃないか。
──じゃあ、今そうなってないのは、なんでだ。
その疑問の答えに辿り着く前に、魔王が迫っていないことに気づいた村人たちが、恐る恐る戻ってきていた。
「──ユシア、ニティカ、無事なのか!?」
壊された家、荒れた広場、魔王の死体、生き延びているユシアや俺に対して、めいめいの反応をしていた。
やがて、村人が俺達に殺到して、いろいろ問い詰めようとしてきたので、俺とユシアは逃げるように走って、村の外に出た。
森の中、川のほとり、ちょっとした花畑みたいにいろいろな花が咲く、少し開けた場所。
ちょうどいい木陰に、俺達は腰掛けた。
「こんな場所知ってたんだ」
「最初のループで、ユシアと見つけたんだよ。ユシア、気に入ってた」
「そうなんだ。……言われてみれば、そんな気がする」
ユシアが隣にいて、俺の手を握っている、その温もりがある。
そのまま二人して、ごろん、と寝っ転がった。
星空が真上にやってくる。
「なんだかいい気持ち」
──ニティカは戦ってたんだ! ボクの知らないところで!
前のループのことを、ユシアは覚えていない。
俺の告白も、信じるよという言葉も、覚えていない。
あのセリフは、薄ぼんやりとした記憶の残滓が言わせたにすぎないのだろう。
それなのに、今ここで手を握っている。
「ひょっとしたら」
「?」
「俺って別に死ぬ必要、なかったんじゃないか」
「ニティカ~?」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて」
俺はようやく、少しずつ気づき始めた。
あの最悪な正史は、ただの手段でしかなかったのかもしれない。
ニティカが死に、ユシアが立ち上がり、魔王を倒す。
それが条件だと思い込んでいた。
──必要だったのは、死そのものではなく、ニティカを想ってユシアが勇気を振り絞ることだったとしたら?
誰かに命じられたからでは、伝説の勇者の血がそうさせたからでもなく、そう育てられたからでもなく、戦う意味を見出す必要がある、というだけのことだったのかもしれない。
ニティカの死を無駄にしないために、魔王に立ち向かうか。
ニティカを救うために、魔王に立ち向かうか。
それはきっと、どちらでもよかったのだ。
「……はは」
俺は力なく笑った。視界が滲んだ。
死ななくてよかったのかよ。だったらもっと早く言え。
などと内心でぼやいても、世界はわかりやすい答えを示してくれない。
俺は何度も失敗した。
リジーや村人を死なせ、ユシアを傷つけた。
自分が死ななくてよいのだと知るまでに、何度も過ちを犯した。
馬鹿みたいだ。本当に。
でも。死ななくてよかった。
みんな、生きていてよかった。
俺も、ユシアも、リジーも村人も。
世界は俺を置き去りにはせずに、続いてくれるらしい。
結局、本当のニティカはどうなったのだろう。
なんだかんだあったが、最終的には、俺が真・ニティカの席を押し出して、ユシアの隣で生き延びて、居座ってしまった形になる。
なんか、悪いな。
そんな一言で済ませていい話かは、さておき──
(呼んだ?)
頭の中・直接・声。
「うわーーーーーーーっ!」
「ニティカ!?」
隣のユシアが焦った様子でこっちを見た。
「大丈夫、大丈夫じゃないけど大丈夫」
「どっち!?」
(はーい。私ニティカ)
「か、軽っ!」
「に、ニティカ?」
「ごめん、今何者かが脳内に直接語りかけてきて……」
「のうない……?」
(正確には、この身体に残留していた魂の残滓……みたいなもの、かな。多分)
「あ、なんかそれっぽい」
(ご苦労さま。あなた、もう用済みだから、身体返してもらうね)
「やっ、やめろおおおおおお! さんざ頑張ってそのオチなのかよおおおおお!」
いや、やめろとかいう権利が俺にあるのかどうかはわからないが、さすがに待ってほしかった。せめて一年ぐらい、こう。
(冗談よ。安心して。残滓ごときが身体を取り返せるわけないもの)
「安心していいのかなあ、これ」
(たぶんね。試してみる?)
「それ、俺どうリアクションすればいいんだよ」
(ていうか、あなたはすでにもう私の一部になってるの。身体が私のものだったんだから、魂もそれに引っ張られるのは普通よ)
「そういうものなんだ。なんか怖いな。……いや、俺が言うことじゃないかもだけど」
(だから、そもそも取り返すっていうのも変なのよね。私があなたに追い出されたっていうか、もう混ざり合っちゃってるわけだし)
「なんかで読んだな。コーヒーに自我があったらミルクを混ぜられた時どうなるみたいな話だ……」
(どこまでが私でどこからがあなたかなんて、今更悩んでもしょうがなくない? 死んだ後に死に方について考えるのと同じで)
「やな喩え~」
真・ニティカの声は終始軽かった。
恨みや怒りのようなものは感じられなかったけど、聖女みたいに許してくれている感じでもなかった。
ただ、たまたま話しかけられそうだったからそうしてみた、くらいの軽さだった。
(たとえば、あなたがユシアのこと好きなのは、私の影響だから)
「……あははははは………………」
(でも、あなた自身の気持ちでもあるわよ。私だけだったら、ここまで来られなかったもの)
「……」
(……ごめんね。押し付けて)
「怒れないよ。俺もやったし」
真・ニティカが笑ったような気配を感じた。
(じゃあ、おあいこね)
「それで済ませていいのか」
(済ませるしかないこともあるのよ。それとも、重くした方がよかった?)
「いや……」
(でしょ。じゃ、そういうことで。後よろしく)
「よろしくって何を」
(ユシアのこととか、この先とか)
「雑だな。任せていいのかよ、俺に……」
(あなたの方が向いてるわよ。悪あがき、得意そうだもの)
「褒めてる?」
(褒めてる。ありがとう、とは言わないわ。言ったら、許したみたいになるし。あなたって許されたくないでしょ?)
「きびし~」
(それじゃ今度こそ、後よろしく)
それきり、本当に声は聞こえなくなった。
真・ニティカとの交信は、それで終わった。
去ったのか、消えたのか。真・ニティカの言葉を信じるなら、まだそこにいるのかもしれない。
「ニティカ」
ユシアが、おそるおそる俺を呼んだ。
不思議と、もう、名前を呼ばれることの居心地の悪さが、薄れていた。
「今の、なに?」
「真・ニティカと脳内会議してた」
「……?」
ユシアは困り果てた顔をした。それから、少しだけ笑った。
「今のニティカも、真のニティカでしょ」
「でも俺って本当は異世界から来たナントカで……」
「もう。異世界から来たナントカさんであり、真のニティカなの、きみは」
雑な結論だけど、まあ、ユシアが言うならそれでもいいかと思った。
魂とかアイデンティティの論議は、テツガクシャに任せよう。
いや、でもせめて、この美少女の中身にどのような妙なものが混じったかぐらいは、後々きちんと説明したほうがいいのかもしれないが……。
「……あ、朝日だ」
光に照らされた、花々が揺れている。
夜が明けつつあった。
しばらく、ユシアと手を握ったまま座り込んで、木々の向こうに昇る太陽を見つめていた。
不思議な気持ちだった。自分が自分じゃないものと混ざり合っているのを、受け容れるのは。
でも、変わるってそういうことなのかもしれない。
それにしたってちょっと急激すぎるが。
世界はこっちの都合に合わせてくれない。
俺ができるのは、その中で何かを選ぶことだけ。
正史が壊れたのはさておき、魔王は倒した。
ここでエンドロールが流れ出しても、おかしくはない。
けれど、そんな気配はなかった。
朝日は普通に眩しいし、村人は泣いているし、怪我人はいるし、壊れた家もある。
魔王の死体も普通に邪魔で、あとしまつが必要だ。
きっと、この先もいろいろ面倒なことがあるんだろう。
村の復興。魔王を倒した勇者の扱い。正史から外れた世界。
俺がニティカとして生きていくこと。
ユシアとの関係。
ここからは、筋書きのない世界で生きていかなきゃいけない。
面倒くさいな。
俺、フリーシナリオのRPGって、いつも投げてきたんだよな。
まあ、いいか。
たまには。
「なあユシア」
「なに?」
「この世界って、女の子同士でも結婚できるのかな」
ユシアの顔が、みるみる赤くなった。
「え!? 気が早すぎるよ!!!」
【THE END】




