屋根裏部屋
みちるを部屋に寝かせ、リビングへと降りてきたアリサを楠夫妻が待っていた。
ダイニングテーブルへと誘われ、もはや自分の指定席と化したいつもの席へと座る。
「アリサさん、重ねて今日はみちるを守ってくれてありがとう」
「本当にありがとうねアリサちゃん……!」
席に着くに否や改めて楠夫妻から頭を下げられる。
「いえ、これぐらい気にしないで頂きたい」
「それでも本当に……。今日は心臓が止まるかと思ったわ」
マダムはハンカチで目元を軽く押さえながら、しみじみと語る。
「私も……警察からの連絡を受けたときは、背筋が凍ったよ」
マスターも深くため息をつき、そっとカップに手を伸ばす。
アリサはそんな二人を見て、無意識に背筋を伸ばした。
「………マスター、マダム。どうか安心してください。お嬢様は私が必ず守ります。次からは、あのような事態が起きる前に未然に防ぐ所存です」
その言葉はいつも通りの冷静な口調だったが、どこかその瞳は決意を帯びていた。
マスターとマダムは一瞬見つめ合い、そして微笑む。
「ありがとう、アリサちゃん。でもね………危ない事に自分から飛び込んじゃ駄目よ?アリサちゃんも大事なうちの子なんだから」
マダムが優しく言う。
「本当に……アリサさんがいてくれて、心強いよ」
マスターも静かに頷いた。
アリサは少しだけ視線を伏せると、再び顔を上げた。
「……それと、マダムにお礼を言わなければなりません。今日、突然私が転入する話を知らされました。短期間でそこまで手続きを進めていただいて………感謝します」
「あら、うふふ。驚いた?」
マダムは少しイタズラっぽく微笑む。
「……はい。どうやってそこまで迅速に?」
「それは企業秘密ってことでね♪」
マダムはウインクしてみせる。
マスターが少し苦笑して肩をすくめる。
「まぁ、家内の手にかかれば普通の手続きでも魔法みたいに早く終わるからね」
「………なるほど」
アリサは思わず小さく息をつき、心の中でそっと納得した。
「さあ、今日は本当にお疲れさま。アリサさんも休まなきゃ。……そうそう、お夕飯の前にあなたのお部屋、少し見に行ってみる?」
マダムが優しく声をかける。
「……お部屋?」
「ええ、あなたのためにね……ちょっとしたサプライズよ」
アリサは一瞬だけ目を見開き、マダムの笑顔を見つめた。
「こちらよ、アリサちゃん」
マダムがにっこり微笑んで先に立ち、階段を上がっていく。
アリサは一歩遅れてその後を静かに追いかける。つい先ほど訪れていた3階の廊下で、マダムはふと天井を指さした。
「ほら、ここ。見えるかしら?」
そこは朝に気になっていた天井の取っ手のついたハッチだった。
手では届かない高さだが、マダムの手にはその取っ手を引くような棒は握られていない。
マダムが指を鳴らすと、そのハッチがすうっと音を立てて開き、折りたたまれていた梯子が静かに降りてきた。
「この上が屋根裏なの。今までは物置部屋として使ってたんだけど……これからは、アリサさんのお部屋にと思って!」
「……私の……部屋……」
アリサは少し呆然と見上げた。
居候アルバイトの身で、個人の部屋まで与えられて良いのだろうか。
「さ、上がってごらんなさい」
マダムに促され、アリサは恐る恐る梯子を上り、天井裏の空間へと足を踏み入れた。
そこは思ったよりも広く、三角屋根の天井が特徴的な、小さな秘密基地のような部屋だった。
窓も一つついていて、夜空の月が優しく差し込んでいる。
雑然としていたはずの空間は、すっかり整理整頓されていて、シンプルながら清潔感のあるベッド、木製の小さな机、椅子、本棚、クローゼットが置かれていた。
ふわふわのラグマットも敷かれ、どこか温かみのある空気が漂っている。
「……これが……私の……」
アリサは部屋の中を見渡し、そっと指先で机をなぞる。
「本当は、もっと可愛らしくしてあげたかったんだけど………みちるちゃんの事もあって中途半端になっちゃったの。まずは必要最低限だけ揃えたわ。何か欲しいものがあったら、また言ってね」
階下からマダムの声が優しく響く。
アリサはしばらくその場に立ち尽くし、そして静かに息を吸い込んだ。
少し埃っぽくも、木材の香りが漂う落ち着いた匂い。
……ここが、私の居場所……
目を閉じて、ゆっくりと吐き出す。
新しい暮らし、新しい居場所。そして新しい………家族。
トクンと鼓動を感じ、胸が温かくなるような、そんな気がした。
一度梯子を降り、改めて深々と頭を下げ、マダムへと礼の言葉を告げる。
そんなアリサをマダムはぎゅっと抱きしめ「お夕飯までゆっくりしていてね?」と、階下のリビングへと降りて行った。
マダムを見送り、改めて梯子を上って自分の部屋へと戻ったアリサは、まずは窓を開けて新鮮な空気を取り込み、魔法にて埃を取り除き部屋をピカピカに仕上げる。
そうしている間にマスターがアリサの分の買い物の荷物を持ち、部屋まで運んできてくれた。
「どうかな?気に入ったかい?」
「………はい!とても」
マスターは満足気に笑い、リビングへと戻っていく。
その背を見送った後に受け取った買い物袋から購入した物品を取り出していく。
机の上にノートやペンなどを始めとした筆記用具等を並べ、机の脇には通学用の鞄。目覚まし時計をベッドの脇に置き、自分が選んだものはすべてビニールの買い物袋から出して並べたはずだったが、袋の一番底に見覚えのない紙袋が入っていた。
袋を閉じるように張られていたシールには[for you!] と書かれており、みちるが紛れ込ませたアリサへのプレゼントだった。
丁寧にシールを剥がし、袋の中に手を入れるとふんわりした柔らかな手触り。そっと袋から取り出すとみちるの部屋でも見た動物の玩具………テディベアが顔を出した。
首には銀色のレースのリボンが結ばれ、胸には桜の花を模した小さな刺繍が縫い付けられていた。
視覚的と触感的に楽しむ玩具、効率と必要性の観点からすると即座に破棄しても問題ない物。………でも。
アリサは優しくテディベアを抱き、みちるの部屋で見たようにベッドの枕元へと添える。
「………これでいい」
置かれたテディベアを見るアリサの口角は、ほんの1mmだが確かに動いていた。
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それからしばらく自分の椅子に座り、ぼんやりと窓から見える外の景色を眺めていたアリサだったが、ふと唐突にこの部屋に登る梯子を出すために取っ手を引き下ろす棒のような物が必要だったと思い出し、一本のマジックハンドを魔法で生成した。
軽量だがプラスチックよりも頑丈でしなやか。先端のアームは魔力を纏わせれば最悪の場合戦闘にも使える代物を持ち、閉じていたハッチを開けて3階の廊下へ梯子で降りる。
ハッチを閉めていたせいで気が付かなかったが、美味しそうな香りが階下より漂っておりアリサの空腹感を刺激する。
とりあえず何時でも誰でも取っ手を引っ張れるように、マジックハンドを廊下の片隅へと立てかけて置き、良い香りに誘われるようにゆっくりと階段を降りた。
リビングのドアを開けるとぶわっと強いコクとほろ苦味のある香りがアリサの鼻腔を通り抜けていく。
思わず二回瞬きをしてキッチンを凝視すると、マスターがフライパンの蓋を開けて中身を皿へと移す所だった。
「あら、アリサちゃん良いタイミングね!ちょうどお夕飯ができたところよ」
既にマダムがそれぞれの皿とカトラリーを並べ終え、メインディッシュの煮込みハンバーグを完成した順に並べていく。
その見た目、その香りに思わずアリサは喉を鳴らした。
濃いめの茶色のソースの海に浮かぶ、巨大な肉の岩山………!先程から漂う香りの正体はこのソースなのだろう。もう既に食べずにも分かる………これは美味しい物だと………!
匂いに釣られて目を覚ましたのか、階上から動く気配の後に静かにみちるが階段から降りてくると顔を赤くさせながらリビングを覗き込んだ。
「おじい様、おばあ様………。」
即座にマダムがみちるへと駆け寄り優しく抱き締める。遅れてキッチンからもマスターが小走りで駆け寄りしっかりと抱き締めた。
「みちるちゃん、無事でよかったわ………!」
「………うん、心配かけてごめんね」
みちるもしっかりと二人に抱き返し、無事を喜ぶ。その三人の姿を邪魔しないよう、アリサはスッと気配を消し傍観者に徹した。
しばらくの間、三人はぎゅっと抱き合ったまま言葉少なに温もりを確かめ合っていた。
やがて、マダムがふっと顔を上げ、みちるの背をそっと撫でながら視線をアリサの方へ向けた。
「……それに、アリサちゃんもよ。本当にありがとうね。あなたがいてくれたから、私たちの大事なみちるちゃんがこうして無事でいられるの」
マスターも力強く頷く。
「本当に感謝してる。ありがとう、アリサさん」
突然自分に注がれる感謝の視線に、アリサは一瞬目を見開き視線を僅かに泳がせるも、スッと背筋を伸ばして45度の礼をする。
「……私は、当然のことをしたまでです」
しかしその瞳は、いつもよりほんのわずかにだけ柔らかい光を宿しているようだった。
みちるもそっとアリサの方を見上げ、頬を少し赤くしながら、ためらいがちに一言。
「……その……アリサ、改めて……ありがと」
その声はかすかに震えていたが、アリサはしっかりと受け止めるようにうなずく。
「……お嬢様が無事で何よりです」
沈黙が一瞬だけ訪れ、しかしすぐにマダムがにっこりと笑って手を叩いた。
「さあさあ、まずはご飯を食べましょ!せっかく作ったのが冷めちゃうわ!」
「うんっ!」
みちるはようやくぱっと明るい笑顔を見せ、アリサと一緒にテーブルへと向かった。
楠夫妻はワインを、みちるとアリサはぶどうジュースで乾杯し、ささやかな夕食会が始まった。
果実の汁を贅沢に絞った飲み物、一口含めばブドウの濃厚で華やかな香りが鼻に抜け、ガツンとくるほどの甘み、ほのかに感じる酸味が心地良い。
………さて、心を落ち着けたなら今回のメイン、煮込みハンバーグと初めて食べるライスと向き合おう。
カトラリーのナイフでハンバーグを一口大に切り、たっぷりと例のソースを纏わせて口の中へ。
噛む前に舌の上で転がし、まず例のソース。デミグラスソースがじわ……と口の中に溶け込むようにして己の持つ芳醇な香りと莫大なコク、旨味、酸味、苦味を爆発させる。
間髪入れずにハンバーグを噛みしめるとしっとり柔らかく、豊かな肉汁が口内へと溢れデミグラスソースと混ざり合い肉の甘味を引き立てていく。
「うん………おいしい」
「で、でしょ!おじい様の料理は何でも美味しいのよ!」
みちるの言葉にコクコクと頷くと次はライスに手を伸ばす。白く少し粘り気があり、フォークで掬い上げるように持ち上げそのまま一口。
………甘みがあり、癖のない味わい。しかしこのライス単体で食べるとなると少し味に物足りなさを感じてしまう。
こういう時は隣のみちるを見れば答えが見つかると、食べる手を止めて横へ視線を動かすと何故かこちらをじっと見ているみちると目があってしまう。
「ぁ………!」
すぐにみちるの方から視線を反らされ、誤魔化すかのように手早くスプーンを使いデミグラスソースをライスにかけ食べ始める。
………なるほど、ライスは何かと一緒に食べるもの。食パンと同じ用途で良いわけか。
同じようにソースをライスへとかけ、茶色く艶っぽく染め上がった部分をスプーンで掬い、食べる。
「………!」
………なるほど!なかなかどうして、ライスのポテンシャルは共に食べられるものによって何倍にも引き上げられるものだったのか。それゆえの主食………!
徐に次はハンバーグを添えてライスを食べてみる………なるほどなるほど。では次はサラダを添えたらどうなるか………。
………。まぁ、これは別々の方が良いかもしれない。
いつものように淡々と、表情を変える事なく、時々食べる手がピタリと静止する事もあるがバランスよく食べ進めていくアリサと。
その一方でみちるは食事が始まってから今この時に至るまで、ついついアリサの方をチラッと見てはサッと自分の料理の皿に視線を戻し、また少ししたらアリサの方を見ては戻しを繰り返していた。
その途中で一度目が合ってしまい、一気に顔を赤くして顔を背けてしまっていたが、口元の緩み具合からどこか喜んでいるようにも見える。
そんな二人の様子を対面に座る楠夫妻は生暖かく見守っていた。
「………このワイン、甘いね。飲み始めた時は中々キレがあったはずなんだが」
「あらあら、本当ね?ふふ……」
全員が大方食べ終わった頃を見計らって、マスターがワイングラスを軽く揺らしながら、ふっと深く息をついた。
「……改めて今日は本当に色々あったね」
優しい声で呟くと、マダムがうんうんと微笑みながら頷く。
「そうね。でも二人とも、本当によく頑張ってくれたわ。………特にみちるちゃん、怖かったでしょう?」
みちるはマグカップを置き、ほんの少しだけ俯く。
「………うん、正直………すっごく怖かった。………でも、アリサがいてくれたから………」
チラリとアリサを見て、少しだけ照れたように口元を緩める。
アリサは、いつもの無表情で、しかしわずかに目を伏せて静かに頷いた。
「………お嬢様をお守りする事も、私の使命です」
その返事に、マダムは柔らかく微笑む。
「えらいわね、アリサちゃん。今日はちゃんとゆっくり休むのよ」
マスターも空いた皿を片付けながら言う。
「明日からはまた普通の日常が始まる。……だからこそ、今日はたっぷり休むんだ」
食卓にあった温かい雰囲気が、ゆっくりと一日の幕引きに向かっていく。
みちるとアリサもそれぞれの食器をキッチンへと運び、洗い物を始めたマスターへとお礼を言った。
「おじい様、今日のハンバーグもとっても美味しかった!」
「……ごちそうさまでした」
マスターも二人のその言葉に微笑んでうなずく。
「気に入ってもらえて何よりだよ。もうそろそろ良い時間だし、お風呂も沸いているから入っておいで?」
「そう………ね、そうする」
みちるはチラチラとアリサを見ながらも洗面所へと歩いていき、アリサはそれを見送り、引き戸が閉まったのを確認してから再び屋根裏部屋へと戻っていった。
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まだ慣れないが自室となった天井裏部屋へと戻り、梯子を収納してハッチを閉める。
みちるの入浴時間は昨日の時間を考えると長く、まだしばらくは出てこない事を見越して朝に行った千里眼の魔法を再び発動させる。
ゆっくりと深呼吸をして目を瞑り、ナノマシンの補助を使いながら視界を天空高くへと押し上げた。
まずチェックするのは今日みちると過ごしたショッピングモール。どんなに平和な場所でも人が多ければその分悪意も増す。
既に大半の店舗の営業時間は終了しており、レストランフロアの一部だけがまだ辛うじて営業を続けている。
次にその周辺の主要道路、夜間という事もあり人通りはそこまで多いわけではなかったが決して誰も居ない事はない。車両の往来は変わらず、違いと言えば日中よりもスピードが出ているくらいだろうか。
主要道路に沿ってさらに栄えているエリアへと視界を飛ばす。ほんの僅かに脳へチリチリした違和感を感じるが距離が離れている分負担が多いだけ、それにナノマシンの治療機能に任せておけば何の問題もない。
電車という輸送機関に乗り降りする駅周辺は特に人通りが多く、スーツを着た男女がそれぞれの帰路へ向かっている。その中には学生服を着た男女や家族連れの姿も見て取れた。
………見ている分には平和そのものみたいだ。
三日後に迫る転入に備え、この家から学園までの道筋を再確認しようと視界を広域化しようとした――その刹那の事だった。
青く輝く何かが空から落下し、千里眼の視界のギリギリを通り過ぎて行った。
すぐに意識をそのナニカに向け、落ちてきたであろう付近を探るも反応を見つける事も出来ず、青の輝きを頼りにしようにも木々の茂ったエリアの為探すのは困難だろう。
何かが……墜ちた……。けれど……もう反応はない……あれは一体――?
千里眼の魔法を解除し、視界の急激な変化に一瞬クラッと来る。だが、それすら気合いで抑え込み、窓を開けた。
パワードスーツさえ起動すれば、透明迷彩により人目に触れる心配はない。この世界の文明レベルでは、たとえサーモグラフィーを使われたとしても発見されることはないだろう。
……飛行魔法を使えば、あの地点まで――五分以内には到達可能。
[起動]
紫の光が一瞬、屋根裏部屋全体を染め、アリサの体を覆うようにパワードスーツが装着される。ナノマシンによる透明迷彩が展開され、それと共に彼女の影も消えていく。
準備は整った。あとは飛び立つだけ――そう思って窓へ身を乗り出しかけたその瞬間。
「ッ……!」
リビングから階段を登ってくる気配。みちるが入浴を終えたのか、次はアリサの番だと伝えに来たのかもしれない。
[解除]
パワードスーツが霧のような紫光となって霧散するのと同時に、屋根裏部屋のハッチが開き、梯子が静かに下へと降りていった。
ハッチから下を見下ろすと、まだ髪の濡れたままのみちるがマジックハンドをしみじみと眺めているのが見えた。
「あっ………!お待たせアリサ、お風呂次どうぞ?」
「………ありがとうございます、お嬢様。すぐに頂いてきます」
………今日は不確定要素が多い、今夜中の調査は諦めよう。
アリサは開けっ放しにしていた窓を静かに閉め、階下で待つみちるの元へと梯子を降りた。
「………ねぇアリサ?このマジックハンド………どこにあったの?」
首を傾げながらガシャガシャとアームを動かし、妙に手にフィットして使い心地の良いマジックハンドを訝し気に見つめる。
「…………………部屋に」
………嘘は言っていない。とアリサにしては珍しく目をそらして答える。
「ふぅ~ん………?ま、いっか………。ここに置いておけば良いのね?」
そう言ってみちるは手にしていたマジックハンドを先程まで置いてあった壁際へと立てかける。
「はい、問題ありません。………それでは、行って参ります」
足早に階段を下り、これ以上追求される前に洗面所へと滑り込み、今は事なきを得た。
「………まったく、ほんとに変な子」
アリサの背中が階段の先に消えていくのを見送って、みちるはぽつりと呟く。
目をそらしたり、なんか妙に素直だったり、さっきだってちょっと怪しかったし!
………でも。
壁際に立てかけられたマジックハンドを、くすっと笑って見つめた。




