紡がれ奏でる間奏曲 その2
今回は星詠みのマダムこと、楠詠子とフォルティシモ男爵&クレシド卿のお話となります!
後半のFF男爵とクレシド卿のお話は、本編の39話の頃です。
それではどうぞ!
―――占い師、星読みのマダム───
「それじゃあ、みちるちゃん、アリサちゃん。申し訳ないけどお店の方お願いねぇ」
「お店の事は気にしないで!おばあ様も頑張って……!」
「……はい、お任せ下さい」
マスターこと、夫の芳夫は黙って頷き、玄関を出ていく詠子を見送る。
時々、詠子は副業の占い師の仕事で店を開ける時がある。
その時は夜空を思わせる濃紺のローブと金糸銀糸で刺繍されたヴェールで顔を深く隠し、目には仮面舞踏会のようなヴェネチアンマスクを着け、口元だけが見えるように変装する。
そして移動はタクシーを使用し、密かにテレビ局入りするのだ。
顧客は政治家芸能人富豪等幅広いが、どんなに金を積まれても予約を飛ばすことも優先させる事もない。
下手な真似をして見てもらえなくなる方が余っ程の損失だからだ。
さて、彼女の占いは実は魔法であって、明確には占いではない。
如何にもな水晶玉を光らせ、依頼人や観客らの視線を誘導するだけで、基本的には目を合わせた時の見通しの魔法で、その人の記憶と未来を見通し、助言という形で伝えている。
今回の依頼はテレビでの生中継番組での占いだ。
マダムだけでなく、プロ料理人や合気道家、空手家、アイドル等多くのジャンルの有名人が出演する。
インチキ仕込みなしでその腕が本物か見定めるといったバラエティだ。
放送自体は夜19時からだが、打ち合わせやリハーサルがあるらしく昼過ぎには店を出発していた。
詠子の乗るタクシーがテレビ局の車寄せへ到着すると、番組プロデューサーが出迎えた。
「マダム、この度は遠方よりご足労頂きまして……」
「お出迎え頂いて光栄ですわ、福沢さん……ここまでお迎えに来られるって事は、何か訳ありみたいね?」
仮面の向こう側で詠子が目を細める。
魔法を使うまでもない、目の前で大汗をかきながら縮こまるこの男の考えている事など、言わずとも想像がつく。
「は、いや……ははぁ。マダムには敵いませんなぁ……」
既にしっとり水分を含んだハンカチで流れる汗を拭きながら、申し訳無さげに声を抑えて話し出す。
「実は、メンタルマジシャンMASAが彼の枠でマダムとの対決を所望しておりまして……」
「ふぅん……?」
最近話題になっている、心理学を用いた予言染みた芸を見せる自称学者だったかしら。
「別に私は構わないわ、対決内容は?」
「は、よろしいので?彼は本番まで秘密だとか……」
定期的にいるのよね、一方的に敵視してくる人。
詠子はため息を付きながら面倒くさそうに腕を組んで手をひらひらと振る。
「申し訳ないマダム……ではリハーサルの時改めて段取りをお伝えしますので、よろしくお願いします」
結局福沢Pは楽屋まで詠子の荷物を運び、ペコペコと頭を下げながら戻っていった。
———————————————————————————————————
「本番まで後10秒前ー!」
ひな壇型のスタジオに並ぶのは各分野でのスペシャリスト達。もう一方のひな壇ではゲストの若手アイドルや俳優、芸人が並び、直前まで彼ら彼女らの髪のセットをしていたスタイリスト達がカウントダウンを受けて速やかに捌けていく。
ADの手の合図で本番が始まる。子供からお年寄りまで幅広く人気のある、有名司会者の的場とアナウンサーのタイトルコールからスムーズに番組が進行していく。
詠子の出番は後半の為、しばらくは話題を振られた時のレスポンス以外座っているだけで良い。
番組が順調に進む中、アナウンサーが声を張り上げる。
「さあ続いては、今話題沸騰中のメンタルマジシャン・MASAさんによるスペシャルパフォーマンス!」
拍手と共に、黒いタキシードに身を包んだ長身の男がステージ中央に進み出る。
彼は観客に軽くウインクし、にやりと笑みを浮かべた。
「こんばんは、メンタルマジシャンMASAです。今日は特別に……星読みのマダムにも挑戦状を用意しました」
客席から「おおー!」と歓声が上がる。
的場が面白がってマイクを振る。
「マダム、これは受けて立つしかないんじゃないですか?」
詠子は仮面越しに視線をMASAへと送り、ふっと微笑む。
「面白そうね……ええ、もちろん」
スタジオが一層ざわつく。
「突如始まりました!!星読みのマダム VS メンタルマジシャン MASA!未来を読む占いか、心を読む心理か。ジャッジするのは、スタジオとご覧の皆さんです!」
どよめく観客。カメラは、仮面で顔の上半分を覆ったマダムの、穏やかにほほ笑む口元を抜く。
「対決内容は、こちら!」
ADがテーブルへと黒いクロスを広げ、箱に入ったままの新品のトランプカード一式と封筒を一枚置いた。
準備が整ったところで、MASAが大げさな身振りと共に説明を始める。
「マダムがこれだと感じるカードを、新品のカードの中から一枚選び、封筒に入れて密封。その絵柄と番号を私は触れずに当てて見せましょう!」
「選ぶ瞬間は完全に目隠しさせていただきます」とアナウンサー。
スタッフが MASA にアイマスクと音楽の流れるヘッドホンを渡し、しっかりとつけている事を確認する。
また、観客側の大型モニターには [お声を出さないように]の テロップが出る。
詠子は静かに箱に入ったトランプカードを取り出し、無作為に一枚を抜き出した。
だが、その数字と絵札を見る事なく、封筒へ入れて封をする。
詠子の手元へと寄っていたカメラすら、選んだ数字と絵札を見る事は叶わず、ひな壇のゲストと観客からは困惑の騒めきが漏れる。
詠子が封筒から離れると、MASAのアイマスクが外され、軽く笑みを見せた。
「では、いきますね」
観客が固唾を飲む中、MASAは封筒をじっと見つめた。
その目はまるでカードの奥にあるマダムの選択を透かそうとしているかのようだった。
「ふむ……数字は、偶数ですね」
MASAの声が低く響くと、観客がざわめく。
「ハート……いや、クラブか」
仮面越しとはいえ、しっかりとMASAと詠子の目は合わされていた。
暫し見合ったまま両者とも押し黙っていたが、MASAの口元が弧を描いた。
「クラブの……8。これで、どうでしょう」
一呼吸置いて、マダムが封を破った。
中から現れたのは……クラブの8。
「おおおおおおっ!!!」
観客席が大歓声に包まれる。司会者は大げさにテーブルを叩き、驚きの表情をばっちりカメラへと向けていた。
「なんと! 見事に当てましたー!! MASAさん、これは偶然じゃないですよね!?」
「カードは人の選択の投影です。マダムの仕草とわずかな間合いが、私に教えてくれました」
MASAは軽く会釈し、自信満々に答えた。
だが――。
マダムは仮面の奥で、薄く笑った。
「見事ね。でも、今のは私がMASAさんに選ばされたわけではないのよ」
MASAがわずかに動揺する。
「あなたは私の仕草を読んだと言った。けれど……私は一度も、カードを見ていないのよ?」
観客から確かに、とひそひそ声が上がる。的場も「え、じゃあどうやって……?」と詰め寄る。
マダムは涼やかな声で続けた。
「私が封筒に入れたカードは、MASAさんが未来で当てたもの。つまり、あなたが言い当てる未来が視えたから、そのカードが私の手へ滑り込んできたの」
MASAは思わず言葉を失う。
スタジオが一瞬だけ静まり返り、マダムの神秘的な声が響く。
「今回は、あなたの未来がクラブの8を呼んだのよ」
司会者が慌てて「これは……マジックなのか、それとも本物の未来視なのか!?」と煽り、観客席が再び拍手とどよめきで包まれた。
「なるほど……おもしろい。では次は逆にマダムに私が選ぶものを当てていただいても?」
「ええ。そう言うと思ってもう書いてあるの。的場さん、お預けしていいかしら?」
中身が見えないように書いたメモを、詠子自ら的場の元へ届け、仮面の上からアイマスクを装着し、ロックバンドの曲が流れる喧しいヘッドホンを装着する。
「えー、ではマダムから先制回答をお預かり致しました!それではMASAさんお願いします!」
MASAは軽く頷き、テーブルに置かれた新品のトランプをシャッフルすると、観客へカードを見せながら次々と広げていく。
「さて……マダムが視たという私の未来。未来というのは、確定していない事。つまりは自分の意思でどうとでも変えられます。私はここにそれを証明しましょう!……私は、2枚引く!」
彼は2枚のカードを選び取り、観客にも見えるように絵札を胸前で掲げて見せた。観客席からはざわつく声が上がる。
卑怯だとの声も上がるが、確かに彼は1枚とは一言も言っていないのだ。
MASAは1枚カードを伏せ、もう1枚を胸元のポケットへと仕舞い込む。
仕込みが終わって詠子がヘッドホンとアイマスクを外したのを確認すると、的場は手の中にあるメモへと目を落とした。
「では、マダム! 先制回答の方開けさせていただきます!」
詠子は仮面の下で、薄く笑った。
「なっ……!」
的場は思わず声を失い、無言でカメラへとそのメモを見せた。
[机にジョーカー、胸元にハートのA]
一瞬、観客席が静まり返る。
MASAはポーカーフェイスを保ったまま、だがその額から一筋の汗を流しながらカードをめくる。そこにはジョーカーのカードが。
そして胸元のポケットからは……ハートのAが。
「おおおおおおっ!!!」
観客が総立ちになり、スタジオの空気が熱を帯びた。
的場は興奮するようにMC台を叩き、目を見開く。
「大当たり!反則染みたMASAさんのカードチョイスでしたが、 マダム……これ、どうやって……」
詠子は首を横に振り、静かに答える。
「この場面ではその未来の重みが最も強かっただけのこと。MASAさん、あなたがそのカードを選ぶ確率が最も高い線が、私にははっきり視えていたの。」」
MASAは、悔しさと驚きが混じったような笑みを浮かべる。
「未来は一本の線じゃないわ。分岐は常にある。その中でも今、この瞬間最も収束した一本が強く光るの。私はそれを見ただけよ」
「……これは一本取られましたね。」
観客の拍手が再び響き、番組は一旦CMへと移行した。
———————————————————————————————————
一方その頃、楠家のリビングのテレビ前に集まった芳夫とみちる、アリサ達は、詠子の出演する生放送番組を静かに見守っていた。
番組がCMに入り、食い入るように画面を見つめていたみちるが小さく息を吐きながら腕組みをする。
「このMASAって人!ズルしてまでおばあ様をインチキ扱いしようなんて……!!」
「まあまあ、彼もエンターテイナーだから番組を盛り上げようとしてくれたんだろうよ」
憤るみちるに芳夫が苦笑しながら諭す。
パリッ……。
隣のアリサは無言でポテチを一枚口に放り込み、じっと画面を見つめていた。
「……CM明けまで残り15秒」
「そろそろね!……もしまたMASAがおばあ様にケチつけるなら……!」
「はは、大丈夫さ。ほら始まったよ」
CMが明け、3人は再び静かに視聴を続けるのだった。
———————————————————————————————————
CM明け。
スタジオにはまだ先ほどの熱気が残っていた。
「いや~、お二人共お見事でした! これは、どちらが勝ったとも言えませんねぇ!」
司会の的場が、感嘆の声を上げる。
「正直、あのメモは鳥肌が立ちました。未来が視えるという感覚、少しだけ分かった気がします」
MASAは穏やかに笑い、素直に語った。
マダムは仮面の奥で静かに微笑む。
「心理という切り口も面白いものね。またいつか、別の形で試してみたいわ。」
「これは再戦が楽しみですねぇ!今一度お二人へ拍手を!」
司会が煽ると、観客席から拍手と歓声が湧き起こる。
まるで勝敗を超えた、見事なエンタメとして勝負は丸く収まった。
「さて、ここからはお待ちかね! 星詠みのマダムによるスペシャル占いコーナーに参りましょう!」
モニターには星詠みのマダムについての紹介映像が流れ、画面に映らない間に照明が神秘的な青色メインに切り替わり、スタッフ等によってテーブルと椅子、そして大きな水晶玉が置かれる。
紹介映像が終わり、会場のカメラに映像が戻ると、先に椅子に座っていた詠子がカメラへと手を振っていた。
「今回占って頂くのはこの方々です!」
アナウンサーの紹介とともに、人気急上昇中のアイドルグループのメンバー数名がステージに呼ばれる。
客席からはファンからの黄色い歓声が飛んだ。
「わぁ……本物の星詠みのマダムだ……!初めまして!pure fruitのエミリです!」
椅子に座るアイドルの一人が、緊張しながら口元を押さえる。
「よろしくお願いしますね、エミリさん。さて……今日はどんな事を占いましょうか」
「えっと……じゃあ、グループの今後の運勢を見てほしいです!」
エミリが両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、期待に満ちた瞳を向ける。
「なるほど。グループの運勢ね……」
マダムが水晶玉に両手をかざすと、透明なはずの水晶の中に星雲を思わせる白い靄と星々のような輝きが現れ、ほのかに光を発し始める。
照明が一段と落ち、会場全体に神秘的な空気が広がっていた。
「……なるほど。グループ全体としては今後成功するわね。数年内にはエミリさんの夢が叶う事でしょう」
「えっ……!それって……!」
エミリをはじめメンバー達が、思わず息をのむ。客席からも緊張の声が漏れた。
「でも、あくまでこれは占いよ。今、あなたたちが努力し毎日頑張っている事の積み重ねによって得られる未来なのだから。私が言ったから大丈夫だと胡坐をかいてしまえば、きっと未来は変わってしまうでしょう」
「私達が頑張った事が報われる未来……!」
エミリが小さくつぶやくと、他のメンバーも真剣にうなずく。
マダムは、仮面の奥で静かに笑みを浮かべる。
「未来は分岐の森。私は、今最も濃い一本の道を指すだけ。変えるのは、あなた達。」
カメラは感極まって涙ぐむエミリの顔を抜き、そんな彼女へと他のメンバーが寄り添い、手を握り合う。
「……素晴らしい言葉ですね。pure fruit の皆さん、これからの活躍を楽しみにしています!」
的場が温かな声を掛けると、観客席から大きな拍手が湧き上がった。
「さて、残念ながら『ホントか!?スゴ技SHOW』お別れの時間が迫ってまいりました。本日も誠に多くの本物のスゴ技を目の当たりにしたわけですが、改めてここで断言致します。本日のスゴ技に、仕込みや談合はございません!その証人はここにいる我々と、スタジオでご観覧の皆様、そしてテレビの前のあなた達です!それではまた次回、お会い致しましょう!さようなら~!」
観客の拍手と共に、カメラがステージ全体をパンし、ゆっくりとフェードアウトしていく。
「本日のスゴ技、いかがでしたか?あなたの知らない本物は、まだまだこの世界に眠っているかもしれません。次回の『ホントか!?スゴ技SHOW』も、どうぞお楽しみに!」
モニターに最後のテロップが映し出され、番組は無事終了したのだった。
———————————————————————————————————
番組が終わると、楠家のリビングは拍手と歓声に包まれた。
「おばあ様、かっこよかったわ……!」
みちるはテレビ画面を見つめながら、どこか誇らしげに呟く。
「ああ、いつ見ても堂々として素敵だよ」
芳夫も満足げに笑みを浮かべる。
パリッ……。アリサは黙々とポテチを口に運んでいた。
「帰ってきたら、絶対褒めてあげなくちゃ!」
「ふふ、きっと疲れてるだろうから、まずはコーヒーでも淹れてな」
夜が更け、日付が変わる頃。
玄関の扉がカランと開き、詠子が濃紺のローブを肩にかけたまま、ゆったりとした足取りで入ってきた。
「ただいま帰りましたよ……今日は少し疲れましたねぇ」
深夜にもかかわらず、ソファで待っていたみちるがぱっと顔を上げ、リビングへと上がってきた詠子へ抱き着いて出迎える。
「おかえりなさい、おばあ様!」
その後ろからアリサと芳夫も笑みを浮かべながら出迎えた。
「お帰りなさいませ、マダム」
「お帰りなさい詠子さん。お疲れ様」
「ふふ、ありがとう。さすがにちょっと疲れちゃったわ」
疲れをにじませながらも、柔らかく微笑む詠子。
芳夫がそっと湯気の立つカップを差し出す。
「ほら、温かいブレンドで一息つこう」
コーヒーの香りが夜の静けさに広がり、楠家の一日はゆるやかに幕を閉じた。
―――爆音男爵と日本酒と触手―――
最近、フォルティシモ男爵は静かだ。
普段なら、自室から飛び出るや否や雄たけびを上げながら食堂や廊下を駆け抜け、リタルダンドやクレシド卿から折檻を食らうのが日常だった。
だが、ここ最近男爵は何かに取り憑かれているかのように、一心不乱に一つのミュートジェムを磨き、自身の力を少しずつ送り込んでいた。
クレシド卿はグラスを磨きながら、目の前でちびちびワインを飲み、どこか遠くを見るような目をする男爵を横目で見ていた。
いつもなら煩わしいとばかり思っていたあの爆音が、突然ぱったりと聞こえなくなると不思議とどこか落ち着かない。
「男爵、最近何かあったか?」
気が付けば、クレシド卿は自分から男爵へと声をかけていた。その声に遅れて反応した男爵は、未だどこか上の空な目でクレシド卿を見遣る。
「んぁ?」
「……おい、らしくないじゃないか。いつもの煩い小道具はどうした」
「……あぁ?」
クレシド卿の目元がヒクリと痙攣する。
「貴様、何だその態度は。シャキっとしろ!ミーザリアに頼ってばかりで出撃すらしていないじゃないか」
少し語気を荒げて男爵へとチェイサーの水の入ったグラスを音を立てて置く。
だがそれでも男爵のふにゃふにゃ感は抜けず、ゆっくりと氷のたっぷり入った水を一気に飲み干した。
「なんじゃいクレシド卿……ワシとて頑張っとるんじゃ……。大半の気力も芸術力もぜーんぶ持っていかれてこうなってるんじゃ」
「……ふん。そんな体たらくでワルイゾーを操れるのか?貴様の能力は指揮だろう?」
男爵は大きくため息をついてカウンターへと突っ伏する。
「はぁ……こう、シャキッとキリッと旨い酒でもあればのぅ……。例の冒涜蛸のツマミ、そろそろクレシド卿も試したい頃だろうて」
「別に私は求めていないが」
「うごごご……ええいっ!!クレシド卿!ワシは出るぞッ!!」
突然勢いよく男爵が立ち上がり、その勢いで座っていた椅子が倒れ大きな音を立てる。
「ほう、ついに例のアレの出番……というわけか?」
倒れた椅子を元に戻しつつ、ようやく目の焦点が合った男爵が無駄に良い笑顔でクレシド卿へとサムズアップを送る。
「まぁ、楽しみに待っててくれや!」
そう言い残し、男爵は次元の扉を開き、日本へと旅立っていった。
———————————————————————————————————
次元の穴より飛び出した男爵は、自分のいる場所が前回のとんかつ定食を食べた商店街である事を確認し、にやりと笑った。
「ふはは、分かる……分かるぞ!この間見た時に気になっていた店だ。ここなら近い……!娘っ子共が追い立てに来る前に目的を達さねば」
夕暮れ時の商店街は、人通りも多く活気にあふれていた。
だが、その賑やかさの上からさらに轟く重低音のような声が響く。
「ぬおおおおぉっ!! どこだぁ! ニッポンの魂が宿る酒蔵はどこだぁあああッ!!」
通りを歩いていた買い物客たちが驚いて振り返る。
その視線の先には、燕尾服に指揮棒を差し込んだ奇抜な格好の男、ご存じフォルティシモ男爵である。
「おいおい、またあの変なコスプレおじさんだよ」
「特盛とんかつを平らげてた人だ……!」
「ほんとだ、写真の人……!」
そんな囁き声を背に、『酒』と書かれた看板を掲げる小さな店の前で男爵は立ち止り、暖簾を無駄に大げさに払い退けながら入店した。
「店主よぉおぉっ!!出てこんかあああっ!!我が求めるは、爆音にも負けぬ辛口の純米酒だぁぁぁッ!」
店の奥から顔を出した瓶底眼鏡をかけた店主が、困惑顔で声をかける。
「お、お客様、あまり大きな声は……」
「ぬっ!店主ゥ!!海鮮の旨味を引き出し、芳醇な香りとキリリと抜ける酒精の心地良い我が心へとフォルティシモに響く純米吟醸なる酒はあるだろうかっ!!」
「え……フォル……?ええと、吟醸……あ、これですね。人気の辛口ですよ」
差し出された一本を手に取ると、男爵はラベルを凝視した。
「ふむ……『雷鳴辛口・轟』とな!良い、実に良いネーミングではないか!これならワシの芸術とも相性抜群よ!!」
男爵はその場で豪快に試飲用のおちょこをもらい、グビッと飲み干した。
「カアァァァッ!!このキレッ! 喉を焼くアルコールと最後にじわりと来る旨味! これぞ、爆音にふさわしい酒よッ!!」
舌鼓を打つ男爵へ、店主が店の奥からそっと一本の日本酒を手に現れる。
「良い飲みっぷりで……。当店のオススメとしてはこちらの『天稲穂之雫』ですが……こちらも試飲いかがでしょう?」
「む、いただこう」
トクトクとおちょこにたっぷりと注いでくれた、店主おすすめの酒。
その見た目は澄んだ水のようで、鼻を近付けるとしっかりと酒であることを主張してくる。
まずはちゅっと吸うようにその香りと味を舌の上に広げる。アルコールが鼻を抜けていくと共に米の旨味と決して嫌味にならない甘みが広がり、口腔へ贅沢な余韻と香りをまき散らしながら最後はふっと居なくなる。
「ほぉお……」
こいつは一気に飲み干すのはもったいない。今こうしてワシが飲む姿を、この店主は分厚い眼鏡の裏から鋭い目で見ている。よもや、ワシを量っているのか……!
「店主、この酒も貰おう」
「……少々人気な商品でして、お値段はそれなりに張るのですが、ご予算はおいくらで……?」
「ふん……こいつでいかがかな?」
男爵が胸元から取り出したるは、ピカピカ輝く黄金のコインだった。
「ワシもこの国の事を勉強した。金は貴重なものなんだろう?エンなる紙屑は持っておらんが、このコインで会計できないだろうか」
男爵よりコインを受け取った店主はキラリと眼鏡を光らせながら、そのコインの重さや触感、硬さを確かめ小さく頷く。
「……なるほど、当店は日本円でしか受け付けていませんが……良いでしょう。一度ツケという形でこのコインはお預かり致しましょう。このコインが本物ならば換金してお代金分と手間賃はいただきますが、また来ていただけるならば差額はお返し致します」
「乗ったァ!」
こうして二本の日本酒を手にした男爵は、ほくほく顔で次元の穴へと戻っていった。
それから遅れる事5分後。商店街へとアリサとみちるが到着するも、既に赤黒い雲は霧散し、ディスコードがいるかもしれない商店街を見回りする事となる。
———————————————————————————————————
「戻ったぞォ!クレシド卿!!」
いつものように喧しい声で無遠慮にドカドカと足音を響かせながらバーカウンターへと帰ってくる男爵を、クレシド卿は眉を顰めて迎えるのだった。
「異様に早いではないか、貴様が念入りに準備していた例のアレとやらはそんなに瞬殺される程雑魚なのか?」
「あん?今日はワシぁ戦ってくるなんざ一言もいっとらんぞ。それよか、クレシド卿……墨漬けを取ってくれや」
いつも通りマイペースな男爵へ舌打ちをしながらも、ちゃんと墨漬けを出すクレシド卿。
その間に、男爵は袋から二本の日本酒を取り出してカウンターへと並べていた。
「ま、黙ってクレシド卿も飲んでみろ。ワシが選んだ特選品じゃて」
「……私用に門を使うなとあれほど」
「まぁまぁ、飲んでみりゃお前さんもうるさく言えんくなると思うぞぉ?」
クレシド卿が墨漬けの瓶の蓋を力を込めて回し、開封すると不思議と炭酸ガスが抜けたようなプシュッと音が鳴った。
蓋を取ると瓶の中は漆黒で染まり、気のせいか黒い瘴気が渦巻いているようにも見える。
男爵により墨漬けのトラウマから覚めたクレシド卿は、物怖じする事なく漆黒の墨に染まる瓶の中へと大きいフォークを差し込んでいく。
僅かな手応えを感じ、容器を使って何かにフォークの刃を突き刺すと一気に引っ張り出した。
ベシャっと音を立てて皿へと盛られたソレは、蛸にしてはあまりに冒涜的で、吸盤のある所には目にも見えるような模様が並び、加工されて長く経っているはずなのに、未だその足はうねうねうごうごと動き続けている。
「おい男爵、貴様本当にこれを食らったのか……?」
「おうよ、そいつがまた旨いんだ……!」
食べるにはあまりにも長く太い為、クレシド卿はナイフで食べやすく一口サイズに冒涜蛸をカットしていく。
その間に男爵はポンッと音を立てて『雷鳴辛口・轟』の栓を抜いていた。
このバーにはおちょこなるものはない為、チェイサーの水を注ぐ用として使っていた小さめのガラスコップに、それぞれなみなみと注ぐ。
「では……乾杯!」
「ふん……」
男爵は実に美味そうに舌を鳴らし、クレシド卿は初めての味に目を閉じ、ワインやビールとは違う風味をじっくりと味わっていた。
「ほぅ……これは……」
「ささ、クレシド卿……墨漬けもやってくれや」
クレシド卿は渋い顔をしつつも、細かくカットされた冒涜蛸を一切れ、フォークに刺して口へ運んだ。
途端に、口中に広がる濃厚な旨味と磯の香り、そして言いようのないねっとりした食感が舌を包み込む。
「……これは……妙に……旨いな……」
「だろう? ほらほら、もっといけ、もっと!」
男爵はまるで自分の勝利を誇るかのようにニヤリと笑うと、別のグラスに『天稲穂之雫』を注ぎ、クレシド卿のグラスを無遠慮にカチ合わせた。
「……くっ、だが見た目がどうにも……。吸盤に……目玉のようなものが……」
「気にするなッ!美味いなら問題ないッ!」
ゴクゴクと酒を煽り、豪快に冒涜蛸を頬張る男爵。その勢いに呆れながらも、クレシド卿も結局半分近く蛸を平らげていた。
慣れない酒に慣れないツマミ。普段は酔わないクレシド卿も、男爵も、段々と出来上がっていった。
「おぉっ!?こやつめ、目が合いよったわ!ガハハハッ!」
「ふん、喰らわれるのならば大人しく目を瞑っておけば良い物を!愚かな蛸野郎め!」
酔ったクレシド卿は行儀など知ったことかと言わんばかりに、白のを手袋を投げ捨て手掴みで足を持ちモリモリと咀嚼していく。
それを見て男爵も負けじとワイルドに一本の足を中央からかぶりつき、墨で黒くなった歯を見せて笑った。
酔っていたせいだろう。食べ始める時には全て一口サイズに切っていたはずの蛸の足がいつの間にか繋がって一本の足となっていた事に、二人は気付いていなかった。
「カッハァ~!食った食った!もう食えんぞ……!」
「ぐふッ……ああ、もう限度だ。この足は戻そう」
食べても食べても、気が付けば長くなっている蛸の足を、クレシド卿はもう一度瓶の中へと戻した。
そして口の中に充満する磯と墨とねっとりした謎の液体の味を消すように、グラスの酒を一気に呷る。
「……感謝するぞ、男爵。久々に旨い酒だった」
「おぉ~?随分と素直じゃないかクレシド卿ォ~?買ってきた甲斐があったってもんよ!がははっ!」
二人は気持ち良くなったままそれぞれ席を立ち、クレシド卿はバーカウンターの奥の控室のベッドへ。男爵は千鳥足のままふらふらとホールを抜け、途中廊下で何度も壁へぶつかりながらも自室へと戻っていった。
バーカウンターに残されたのは、空き瓶となった日本酒と、僅かに蓋の緩んだ墨漬けの瓶。
その瓶の蓋が、静かに静かに、カタリと音を立てて回り、音もなく持ち上がっていく。
そして、一本の蛸の足がズルリとカウンターの上へと滑り落ち、ゆっくりと闇へと這いずり消えていった。
思ったより長くなってしまった……。
一体蛸の足、どこへ消えたのでしょうね……?
というわけで、次回予告です!
~~次回予告~~
雨の日って、なんだか気分がしょんぼりしちゃうけど……
あおいちゃんは、図書室でとっても素敵なアイデアを考え中!
悩んでる子の背中をそっと押す、その優しさ……なんだかすごくカッコいい!
あれ、アリサちゃんは……誰と一緒にいるんだろう……?
次回、『伝えたい想いは雨粒と共に!』
新しいハーモニー、はじまるよっ♪




