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気が付けばニチアサ世界に紛れ込んだみたいです  作者: 濃厚圧縮珈琲
第一部 第四楽章 重なりゆく祝福の調べ

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伝えたい想いは雨粒と共に!

この時期は夏バテで夜はすぐ倒れてしまう日々が続いています…

皆様も熱中症対策は大げさなくらいで丁度良いですからね 健康第一でいきましょう!


というわけで本編、どうぞっ!

 6月もいよいよ下旬へと差し掛かり、一年の半分がもうすぐ終わろうとしていた。


 今週はあおい達のチームが図書委員の仕事をする順番で、放課後は図書室で業務をこなしながら閉室するまでの間、ゆっくりと時間を過ごしていた。




 空模様は相変わらず悪く、窓ガラスを叩く雨粒の音が、図書室の静けさをさらに際立たせる。


 放課後のこの時間、校舎の他の教室では、部活動の掛け声や楽器の音が響いているはずだが、ここ図書室だけは、まるで別の世界のように穏やかだ。




 あおいは両腕に抱えた返却本の山を少し持ち直し、背表紙を確認しながら順番に棚へと戻していった。

 湿り気を帯びた空気に、本の紙の匂いがほんのり混ざり合い、独特な香りが漂っている。

 あおいはこの香りが好きだった。


「はいっ! この本もちゃんと返ってきてますよー!」


 カウンターから響くのは、あかりの明るい声。

 彼女は貸出名簿を広げて、返却本の裏に貼られたカードにポンポンと印を押しながら、どこか楽しそうにしていた。


「ちょっと待って、貸出カードの番号とバーコードも念のため確認するわね」


 その横で、みちるが淡々とバーコードリーダーを操作している。

 あかりの元気なテンポと、みちるの冷静なチェック。不思議なコンビだが、二人の息はぴったりで手早く仕事が終わっていく。


 本棚の一角に空いていた隙間へ本を差し込むと、あおいはふっと笑みを漏らしていた。

 図書委員の仕事も、ブレッシングノーツとしても、あの二人と一緒だと少し賑やかで楽しい。


 そんな時、次に戻そうと手に取った一冊の本のタイトルに目が留まった。


『手紙で伝える、心のことば』


 自分の想いを文字にして届けるためのヒント集だ。

 あおいはその表紙を指で撫で、ふと思考の海へと潜っていく。



 最近はメッセージアプリでやり取りする人が大半で、手紙なんて誰も出さないなんて聞く。

 でも、私の身近には書いている人達(あかりとみちる)がいる。そして……書いた本人も、受け取った相手も、とても幸せそうだった。

 誰が書いても同じの画面に並ぶ文字と、手書きの文字。どちらが心が籠っているか。


 そんな心なんて目に見えないものを競っても仕方ないが……私は手紙の方だと思いたい。


 梅雨の雨の日には、ちょっぴりセンチな気持ちになるからか、こういうテーマがやけに胸に響く。



 あおいがしんみりと手元の本へ思いを馳せていると、静かな空気を裂くようにあかりの声が響く。


「ねぇねぇ、あおいちゃーん! この本、すっごいカッコイイ写真が表紙なんだけど! 見て見て!」


 あかりが大判の美術書を掲げて見せつけて来る。


「ちょっ!? あかり! しーっ!」


 みちるがすかさずツッコミを入れる。

 そのやり取りに、思わず小さく吹き出してしまった。



 その時、少し立て付けの悪い図書室の扉がガラリと音を立てて開いた。



 そこに立っていたのは、鞄を抱えた女子生徒。

 髪の毛からは雫がぽたぽたと落ち、彼女の表情はどこか曇っている。


 見慣れない顔……1年生だろうか。


「いらっしゃいませ~!……じゃなかった、こんにちは!」


 あかりが勢いよく声を掛けるが、女子生徒は小さく会釈を返すだけで、まるで考えごとをしているかのように俯いたまま、カウンターの前を通り過ぎる。


 あおいは思わず、その後ろ姿を目で追う。


 本棚の前で立ち止まった女子生徒は、何度か棚を覗き込んでいたが、結局一冊の本も手に取らず、そっと椅子に腰を下ろした。


「……なんか、元気ないね」


 あかりが小声で囁く。


「……確かに。目が赤いような……泣いてたのかしら」

 

 みちるの言葉に、あおいは胸の奥がチクリとした。


 元気がない時に図書室にやってくる人は、何か答えを求めてやってくることが多い……気がする。


 町の図書館でも、ここの学園の図書室でも、今の彼女に似たような顔をした人々は、何かを求めて本を頼り、探し、見つけられずに帰っていく。


 あおいはそんな人達の助けになりたかった。



 意を決して、本棚を整理するふりをしながら、彼女の近くへと歩み寄る。


 そっと声をかけるタイミングを計るも、こちらの存在に気づいていないのか、彼女はじっと机の上を見つめている。


 その机の上には、一通の封筒が置かれていた。


 白い無地の封筒。宛名はまだ書かれていない。

 指先で何度も封筒の端を撫でているその仕草に、彼女の迷いが滲んでいた。


「……こんにちは」


 そっと声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げた。

 目の縁が少し赤い。泣いた後の顔だ。


「え、あの……」

 

 かすれた声が返ってくる。


「もし良ければ……話、聞くよ」

 

 自然にそんな言葉が口から出た。

 悩みごとのある人を見ると放っておけない性分なのかもしれない。


 女子生徒は一瞬戸惑った後、ぎゅっとスカートを握り締め、小さく頷いた。

 ――どうやら、本当に困っていることがあるようだった。



 あおいが隣の椅子へそっと腰を下ろすと、佐伯ミカと名乗った一年生の肩が小さく揺れた。



「……私、手紙を書くのが苦手で……」


 小さな声だった。


 まるで自分の言葉に自信が持てないかのように、ぽつりと漏れた言葉のあと、ミカは机の上に視線を落としたまま、ゆっくりと続けた。


「私……来週、姉の結婚式があるんです。両親がどうしてもって……式の中で、私が手紙を読んでほしいって」


 その声は震えていたが、消え入りそうな中に、必死に感情を押し殺そうとする気配があった。


「姉は、私が小さい頃からずっと一緒で……すごく優しくて、何でもできて……私にとって、ずっと憧れみたいな人で」


 少し言葉を詰まらせたミカの目から、ぽろりと涙がこぼれた。


「……でも、いざ手紙ってなると、何をどう伝えたらいいのか、全然わからなくて……。ありがとうも、おめでとうも、大好きも……全部言いたいのに、全部、言葉にすると薄っぺらくなっちゃう気がして」


 スカートを握る指先に、力がこもる。


「言葉を考えるほど、頭の中がぐちゃぐちゃになって……私なんかが、何か伝えられるの?って思えてきて……」


 目元を袖で拭う動作も追いつかないほど、涙が静かに、だけど止め処なく溢れていた。


「ごめんなさい、変なこと言って……」


「ううん。変じゃないよ」


 あおいは静かに、でもはっきりとそう返すと、そっとハンカチを差し出した。


「……大切に想っているお姉さんに、佐伯さんの想いを届けたいって、思っているんだよね」


 ミカは涙ぐんだまま、頷いた。


 あおいは、そっと机の上に置かれた封筒に視線を落とす。


「伝えたい気持ちがあるのに、それをどう表せばいいか分からないって――それ、すごく分かるよ」


 静かに語りかけるその声は、まるで濡れた羽根を包むように、やさしく、温かい。


「そんな時は、本に記された多くの言葉が、きっと助けてくれる」


 ミカは、涙を拭いながら顔を上げた。


「本が……?」


「うん。例えば……誰かの物語の中に、自分と似た悩みがあって、読んでるだけで心が軽くなったり、あるいは自分の気持ちにぴったりくる言葉が、本の中に見つかったりするの」


 あおいは、すっと立ち上がると、棚の奥へ歩いていき、何冊かの本を選んで戻ってきた。


「この辺り、私のおすすめだよ。手紙の書き方とか、感謝の言葉をどうやって紡ぐか、そういうヒントがいっぱい載ってるから」


「……ありがとうございます」


 ミカは、戸惑いながらも本を受け取り、ぺらりとページをめくった。


「ねえ、佐伯さん」


「はい……?」


「大丈夫。うまく書こうとしなくていいよ。上手な言葉よりも、好きとかありがとうとか、自分の気持ちがちゃんと籠っていたら、それだけで伝わるから」


 そう言って、あおいは小さく微笑んだ。


 それはとても静かで、心に灯る小さな光のような微笑みだった。


「……はい」


 ミカは、涙をこらえながらも微かに笑い返した。


 それを見届けたあおいの胸の中にも、雨上がりの空を想わせるような、優しい晴れ間が広がっていくようだった。


 そんな二人の背後から、静かに足音が二つ近づいてきた。


「……ねね、私達もいい?」


 そう声をかけたのは、あかりだった。明るいけれど、いつもの弾けるような声よりは、少しだけトーンを落としている。


 その隣にはみちるも立っていて、腕にまだ数冊の本を抱えていた。


「ごめんね、こっそり聞いてたつもりが、ちょっと長居しちゃったわ」


 気まずそうに笑うみちるの言葉に、ミカは驚いたように顔を上げた。


「え……! 楠先輩……!?」


「……? ごめんなさい、前に会った事あったかしら?」


「あのっ……いえっ……! その、球技大会で……バレー戦わせてもらいました。……凄い素敵な先輩がいるって話題になってて」


 顔を赤くして俯く佐伯に、みちるは優しく笑顔を見せる。


「ふふ、ありがとう。良ければ私も手伝っていい?」


「は、はい……! でも、良いのですか……? 楠先輩のお手を煩わせてしまって……」


「全然大丈夫よ。気にしないで?」


 感激するようにキラキラとした目をみちるへ向けるミカへ、あかりが少し唇を尖らせながら小さく挙手する。


「私もバレー、一緒のチームだったんだけどなぁ~?」


「えっ……えっと……?」


 一転して不安そうに自分を見るミカへ、あかりはぷっと吹き出していつもの温かな輝く笑顔を見せた。


「ごめんごめん! 私は柚木あかり!みちるちゃんと、あおいちゃんの友達なんだっ! ……佐伯さん! 良ければちょっとだけ手伝わせて? こういうの、みんなで考えた方が、気持ちも軽くなるしっ!」


「……はい!」


 ミカが小さく頷くと、あかりは椅子を引いて佐伯の正面に座り、みちるもその隣の席へと腰を下ろした。



「でも、ちゃんと伝えたいって思ってる時点で、佐伯さんはもうお姉さんのこと、すっごく大事にしてるってわかるよ」


 あかりがそう言って笑いかけると、佐伯は少し照れたように、はにかみながら目を伏せる。


「例えば……姉妹で過ごした思い出で、印象に残ってる事とかある?言葉に詰まるなら、そこから入ってみたら?」


 みちるの提案に、ミカはしばし黙り込んでから、ぽつりとつぶやく。


「……小さい頃、一緒に雨の日にお菓子作りした事、思い出しました。失敗して、部屋中粉まみれになって……でも、すごく楽しくて、姉がたくさん笑ってくれて……」


 話すうちに、ミカの声が少しずつ柔らかくなっていく。


「それ、すっごく素敵だと思う!」


 あかりがぱあっと笑顔を見せた。


「あの時のお姉ちゃんの笑顔が、今でも大好きですとか大切な姉妹の思い出ですとか、そういうの良いかもっ!」


「うん。無理にきれいな言葉でまとめようとしないで、思ったまま、佐伯さんの素直な言葉で書いてみていいと思う」


 あおいも、封筒に視線を落としながら、静かに言葉を重ねた。


「……なんか、ちょっと……書いてみたくなりました」


 ミカの声には、先ほどまでの不安げな揺らぎは少しだけ影を潜めていた。


 ふわりと微笑んだその表情は、さっきまでと違って、どこか温かな光を宿している。


 三人の言葉を胸に抱きしめるようにきゅっと目を閉じると、そっと机に置いた封筒を開いた。

 中にはまだ何も書かれていない白い便箋が数枚、入っている。


 筆箱からシャーペンを取り出し、カチカチと芯を出す音が、静かな図書室に微かに響く。

 少し震える手でゆっくりとペン先を便箋の上へと乗せ、そして……。


『私の、大好きなお姉ちゃんへ』


 確かな筆跡で、最初の一文を書き出した。

 それを見届けていた三人は、そっと顔を見合わせて微笑み、静かに席を立った。



 しばらくのあいだ、ペンの走る音だけが静寂の中を滑っていく。


 何度も書いては止まり、消しゴムで擦り、また書き直す。


 それでもミカの表情には、先ほどまでなかった色が差していた。



 やがて、ピタリと書く手を止めてふと顔を上げる。その視線の先には時計があり、その針は17時を過ぎた所を指していた。


 そろそろ完全下校時刻が近付いている。本当なら図書室も17時には閉室だが、あおい達は時間ギリギリまでミカに書かせてあげようと何も言わなかったのだ。



「……あの……」


 カウンター前で集まって話していた三人が、穏やかな表情で振り返る。


「……また、来てもいいですか?……その、書いてて……うまくいかない時とか、たぶん、また悩んじゃうと思うから……」


 その声は小さいけれど、さっきよりもずっと真っ直ぐだった。


 あおいは迷いなく頷き、柔らかな声で答えた。


「もちろん。また一緒に考えよう」


「いつでもいいのよ。私達にできる事があれば言ってね?」


 みちるがそう言って微笑むと、あかりも続く。


「困った時は、いつでも2-Aに来てもらって良いからねっ!」


 ミカはその言葉に目を丸くし、そしてふわりと笑った。



———————————————————————————————————



 場所は変わって、暗黒に包まれた劇場。

 いつもの蝋燭の僅かな灯りがホール内を薄く照らし、重く、厳かな空気が流れていた。



 そのホールの舞台袖、妖しい色の暗い照明に彩られたクレシド卿のカウンターバーへと、リタルダンドを除く幹部達が集合していた。


 大きく吐いたため息が虚空に消える中、ミーザリアは苛立ちを隠しきれない表情で男爵を睨んでいた。


「……そろそろ、いい加減にしてもらえるかしら。あなたの()()も、もう限界じゃなくて?」


「ぬっ……いやァ~、まだだ!たとえ倒れ伏し、指先一つ動かす力すら残らなくともワシの力を注ぎこみ、次の一戦に賭けたいのじゃ!」


「……ふーん。最近妙に静かだから気を使っていたのに、生臭いイカだかタコだかで元気に宴会していたのは何だったのかしらね?」


「ガハハ! 来る勝利の前祝いよォ!! ワシのワルイゾー……否ッ!! バクオンダーは無敵なのだァ!!」


「ふぅ~ん……?」


 ため息まじりに言うミーザリアの目が、中身が半分以下まで減った日本酒の酒瓶へと向けられる。


「あとそのお酒、私まだ飲んでいないのだけれど……?」


クレシド卿が無言でグラスへと『天稲穂ノ雫』を注ぎ、ミーザリアの前へと滑らせる。


「ありがとうクレシド卿。……今回も私が行くわ。どうせ男爵に任せてもミュートジェムを無駄にして戻ってくるだけなんだから」


「おおっとぉ!? 今のは聞き捨てならんなミーザリア! ……だがッ! よかろうッ! 今回は君に任せる……がッ! 次だ。次の出撃はいよいよワシの出番とさせてもらうッ!!」


「そう。その時は……ちゃんと見せてもらうわよ、あなたの真骨頂とやらを」


 ミーザリアがちびりとグラスの日本酒を口へ含むと、目を一瞬見開き、鼻へ抜ける芳醇な香りとキレの良い後味、舌へねっとり広がり包み込むようなアルコールの痺れに衝撃を受けたようだった。


「やだ、なぁにこれ……。二人だけズルいじゃない」


 ほぅ……と吐息を漏らしながら、上気しほんのり赤く染まる頬へと手を添える。


 その溢れる色気に思わず目を奪われる男爵とクレシド卿だったが、咳払いと共に男爵はいたずらな笑みを浮かべた。


「ほれ、クレシド卿……こいつがいける口なら、アレもいけるんじゃなかろうか?」


「……アレをミーザリアへ出すのは少々気が引ける。美味いが……しかし」



 結局男爵の口車に乗り、クレシド卿が墨漬けを取り出し小さくカットしてミーザリアへ出し、見た目がエグい、キモいとひと悶着があった末、日本酒と墨漬けはすっかりなくなっていた。


 別の酒を次々飲み干し、後には顔を赤くし、くだらない話で盛り上がり、最後には静寂が訪れていた。


 空気は微かに酒と墨の香りを含み、カウンター席には、潰れた大人たちの姿があった。



 そんな光景の中、音もなく舞台袖から小さな影が姿を現す。


「あーあ。お酒くさーい。後でお説教しないといけないねぇ~?」


 壊れた懐中時計の鎖をチャリチャリとならし、リタルダンドが呆れたようにだらしのない大人達を一瞥する。


「最近みんな好き勝手やっているし、ボクも遊びに行っちゃおうかな〜」


 ふわりと浮かんだまま、次元の門の前へと進むリタルダンド。


 久しぶりに外の世界へ出れるとにっこりと笑ったその瞳には、無邪気さと底知れない力の気配が共存していた。


「んふふ、じゃあいってきま~す」


 門が開かれ空間に穴が現れると、ふわふわと穴へと飛び込み、リタルダンドと次元の穴が掻き消えホールには静寂だけが残った。



———————————————————————————————————



 下校時間を迎え、夕方から夜へと変わっていく外は、厚い灰色の雲としとしと降り続く雨で薄暗く、高い湿度でべたべたしていた。


 昇降口の庇の下で、あおいとみちるは静かに、水たまりを叩き無数の波紋を広げる雨を眺めながら、職員室へ図書室の鍵を戻しに行ったあかりを待っていた。


 やがて、聞き覚えのあるパタパタと廊下を走る音を反響させながらあかりが下駄箱へと戻ってきた。


「ごめんね! 先生にちょっと捕まっちゃって!」


「ううん、鍵ありがとうあかり」


「さすがあかり。早かったね」


「えへへ、次も任せておいてっ!」


「でも廊下は走っちゃだめよ?」


 三人はそれぞれ傘を差し、大きな水たまりを出来るだけ避けて歩き出す。


 パラパラと傘に当たる雨音と、自分の踏み締めるコンクリートの地面の上を覆う水たまりのピシャリという音が心地良く、自然とあかりは鼻歌を歌っていた。


 あおいとみちるは雨音に混ざって聞こえてくるあかりの鼻歌に、柔らかく笑みを浮かべ、自然とのセッションのハーモニーに耳を傾けていた。



———————————————————————————————————



 丁度あかり達が校門を越える頃、アリサは商店街を歩いていた。


 別に特にこれといった用事も買い物もない。ただ、みちると共にこの商店街へと寄り道をした時……楽しさを感じていたのだ。


 あの感情が、どうして起きたのか。この場所によるものなのか、それともあの豆大福によるものなのか。……それとも、みちるといたからなのか。



 楠家からは少し離れたこの商店街。非効率的で無駄な時間を割く寄り道だ。

 それでも、アリサは自身の変化が何故なのか、確かめたかったのだ。



 アリサは『水無月』と書かれた看板が揺れる和菓子屋の前でふと立ち止まった。


 確か、あのときみちるが買ってくれたのはこの店のものだ。

 あのとき感じたぬくもりが、雨の湿気にふやけながらも、心の奥にまだほんのり残っているような気がしていた。


 店へ入ろうとした、その時。


 アリサの脳裏へ電流が走った。



「ッ!」



 ――近い。



「うわっ、雨降ってるじゃん~」



 鈴の音を転がすような幼い声と共に、視界の端を小さな影がふわりと通り過ぎた。


 振り返ると、そこにいたのは傘も差さず、びしょ濡れになりながらも楽しげに空を見上げる……少女?少年?だった。


「……きみ、傘は?」


「ん~? ううん、いらないよー。濡れるのも、面白いから♪」


 無邪気に笑うその姿は、周囲の通行人とはまるで別世界の存在のように浮いて見えた。

 雨粒がふわふわした髪からぽたぽたと雫を滴らせ、小さな燕尾服の端からもぽたぽたと……。


「おねーさんは、寄り道?」


「……そんなところ。……気になる事を知りに来た」


「へぇ~。じゃあ同じだね。ボクも確認に来たんだ。ここはどんな音が溢れているのかなって」


 アリサはその言葉に、微かに眉をひそめた。


 ――直感が告げている。ナノマシンの敵意悪意反応はないが、この目の前の子供は……ただの人間ではない。異世界の襲撃者とどこか同じ気配がある。


「……名は?」


「ボク? リタルダンド。リタって呼んでいいよ♪」


 無防備に名乗ったリタルダンドは、雨の音に耳を澄ませながら、アリサの顔をじっと見上げた。


「おねーさんのテンポは綺麗だね。機械仕掛けのように整ってる。……面白いね」


 アリサは静かにリタルダンドを見つめ返した。その瞳は無感情のまま、しかし後ろ手には既に小型化した杖型デバイスを鞄で隠しながら握っていた。


 お互いに無言のまま見つめ合い、商店街に流れるBGMも人々の喧騒もどこか遠く、アリサの持つ傘を雨粒が叩く音だけが二人の間に響いていた。




 お互いに見合ったまま黙り込んで、どれくらいの時間が過ぎただろうか。


 先に口を開いたのはリタルダンドの方だった。


「……ところでおねーさん。お金持ってる?」


 年相応の幼い笑顔を浮かべ、期待に満ちた目でアリサを見る。


「……多少は」


 思わず目をそらしてしまうアリサ。そんな彼女へ、リタルダンドはにっこりと笑みを深め、キラキラした目で一歩距離を詰める。


「ボク、お腹空いちゃってぇ。おねーさんのおすすめの食べ物あったら欲しいなぁ?」


「……そう」


 アリサは内心で戸惑いながらも、表情には出さずそっけなく返事をした。


「日本にはおいしいものがいっぱいあるって、ボクのおじさんが言ってたんだもん」


 そこで一瞬だけ、リタルダンドの瞳に妖しく揺れる光が宿った気がした。


「……ずるいよね、自分達だけ楽しんで、ボクにはお預け。だから今日は確認に来たんだ。ほんとのところ、どれくらい美味しいのかって」


「……なるほど」


 アリサは一つ頷くと、和菓子屋の暖簾をくぐりながら、後ろを振り返った。


「……今回だけは、同行を許す」


「ほんと?やったぁ!」


 リタルダンドはピシャピシャと濡れた靴を鳴らしながらアリサの後へ続き和菓子屋の暖簾をくぐる。


 店主の老婆がアリサを見て「あら、いらっしゃい」と声をかけると、彼女は軽く頭を下げながら「豆大福を二つ」と注文した。


「はい豆大福二つ、すぐ用意しますね。……お嬢ちゃん今日は可愛い弟さんをお連れなんですねぇ」


 ニコニコ笑顔でアリサとリタルダンドを見ながら、手慣れた動きで豆大福をパックへと詰めていく店主。


「いえ、違います」


即刻否定するアリサだったが、店内をうろうろと歩き回り、物珍しそうにガラスケース越しに並ぶ和菓子を眺めるリタルダンドを、孫でも見るかのような目で見守り、店主はアリサの否定の声を聞いていなかった。


「お嬢ちゃん、弟さんにこれ」


店主が豆大福と別にきんつばとかりんとう饅頭をビニール袋へと入れてアリサへと手渡す。


 ほんの僅かに眉をひそめながらも礼を言い、手提げ袋を受け取ったアリサは、店の外に出ると豆大福を一つパックから取り出し、残りをすべてリタルダンドへと差し出す。


「ほら。後は好きにするといい」 


「……わあ、ありがとうおねーちゃん! ……じゃ、さっそく……へぇ、ふわふわでしっとりしてて……へへっ、なんか変な感じ。いただきまーす!」


 ぱくっ。


 リタルダンドが小さな口で大福にかぶりついた瞬間、アリサはその表情をじっと観察していた。


「……」


「……!! ん~~っ、あまいっ! しょっぱいっ! もちもちで……口の中がいっぱいっ!」


 ふにゃっとした笑顔でほっぺたを押さえ、リタルダンドはまるで子犬のように身を震わせた。


「ねえ、おねーさん。これ……すっごいね。なんていうのかな……おいしいねぇ」


「……それは間違いない」


 アリサはほんのわずかに目を細め、自分も豆大福を一口齧る。


「……美味しい。……けど、やはりあの時と違う」


「違うって??」


「……」 


 自身の感情の事を、見ず知らずの子供へ答える義理はなかった。


 彼女が何も答える気がない事を感じ取ったのか、リタルダンドはジト目でアリサを見やる。


「ふぅ~ん、秘密なんだ~。おねーさんって秘密主義?」


「……そんなところ」


 子供らしく容赦のない視線でジロジロとアリサを見るリタルダンド。


 その視線に少々居心地の悪さを感じながらも、豆大福を一口食べて掻き消す。


「……リタ、だったか。家は?」


「んー? 遠いとこ。おねーさんは?」


「……ここからは少し遠い所」


「ふぅーん……もう暗いよ、帰らなくていいの?」


「……それはこっちのセリフ」


「なぁに、おねーさん心配してくれるの?」


 あどけない笑顔を向けるリタルダンドの口元が、豆大福の片栗粉で白くなっているのを見て、アリサは鞄からウェットティッシュを取り出し、優しく拭い取る。


「んふふ、ありがとおねーさん」


「……ん」


 そこからは二人無言のまま豆大福を食べ、最後にまたリタルダンドの口元を拭ってから、アリサは傘を広げた。


「おねーさん、帰るの?」


「……ああ、そろそろ戻らないと、心配される。リタは帰らないのか?」


「まだ帰りたくないなぁ。ここらへん、美味しそうなお店も楽しそうなお店もいっぱいあるしぃ」


「……そうか、あまり遅くならないようにな」

 

「はいはーい。それじゃボクはそろそろ行くね。また今度、一緒にたべよーね、おねーさん!」


そう言ってリタルダンドは手をひらひらと振りながら、来た道とは逆方向へ駆けていこうとする。


「……リタ!」


「んー?」


 アリサに呼び止められ、くるりとリタルダンドが振り返った。


 鞄の中から折りたたみ傘を取り出すと、広げながらリタルダンドへと差し出した。


「……濡れるのも悪くはないが、風邪を引く。それは……非効率だ」


 じっと傘とアリサを交互に見るリタルダンドだが、ふっと笑みを浮かべると傘を受け取った。


「おねーさんって、ツンデレさん?」


「……さあ」


「じゃ、傘ありがと~。ばいばーい」 


 今度こそ、手を振りながら、リタは和菓子の入ったビニール袋を振り回しながら商店街へと駆けていく。

 その背を、アリサはしばらく無言で見送っていた。


*   *   *


 彼の姿が見えなくなると、アリサは目を細め、雨に煙る空を一瞥する。


「赤黒い雲は……出ていない。しかし……あのリタは間違いなくディスコードの人間だ」


 見逃して良いのか、今ここで始末するべきだったか。

 やはり自分の中に生まれてしまった、他人への優しさ……これは緩やかな毒なのかもしれない。


 いつか……この手を振るう時、枷とならない事を祈るばかりだ。



いよいよリタルダンドがあかり達の世界へやってきました。

リタが来たのにディスコード特有の赤黒い雲が出ない理由。

出てはいたのです。ただ、限りなく雲が広がるのが遅くなっていただけで。


では、次回予告です!


~~次回予告~~


今日も街は平和っ♪

なんて思ったら、またワルイゾーが!?

でもでも、ブレッシング・ノーツは絶好調!すぐやっつけちゃうよっ!

ミカちゃんの応援も、図書室でばっちり準備しなきゃねっ!


次回、『響く祝福に、忍び寄る轟き!』

新しいメロディー、始まるよっ♪

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