4 残された少女
時は今朝の5時に戻り、悠希はまだ自宅で穏やかに就寝中。
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森から鳥の声が聞こえて、私は夢から目覚めました。
珍しく、空腹のせいで目が覚めたわけではなくて……目を開けるのを、体が拒んだ。
もうちょっと……寝ていたい。でも、だめ。働かないと、返済が間に合わない。
「う……」
薄目を開けると、朝日は昇ったばかりで、窓の隙間から少しだけ日差しが差し込んでいた。
依頼された服を修繕して、作りかけの服を完成させて、市場で売らないと……起きなきゃ。
「うは~ぁ……変な夢を見た気がする……うん、覚えてない。よし、今日も頑張ろう!」
ベッドから半身を起こした瞬間、すぐに違和感を覚えました。
「えっ?!」
自分の体を見てみると――紫色の、すごくキラキラで綺麗なパーティードレスを身に着けている。
「私、靴を履いたまま寝てるの?!しかも……こんな高そうなドレスを着たままで?!」
思わず声が出てしまって、慌てて口を押さえる。こんな姿で大きな声を出すなんて、まずい……!
「シワがついたら困る……脱がなきゃ!」
私は急いで、その高そうな靴を脱いだ。けれど、ドレスにシワがつくのは良くない。だから、動きを抑えて――用心深く、そっと脱いだ。すると、目の前で奇妙な現象が起きました。
脱いだドレスと靴が、私の手から離れた瞬間――一瞬で消えたのです。
き、消えた……?!消えたら、持ち主に返せないじゃない!どうしよう……私が寝ている間に、一体何があったの……?いや、落ち着いて……深呼吸、深呼吸。
「すーー……はぁ……」
消えたものは仕方ない。
もし持ち主が探しに来ても、ドレスはもうどこかに消えたから、私が盗んだ証拠はない……はず。
……私、盗んでないですけど……多分。
では、この高そうな手袋と……貴族用の下着も、脱いだら同じように消えるの?
白い手袋と黒いストッキング。破れないように、そっと、ゆっくりと脱いでみる。予想通り、手から離れた瞬間――消えた。
「……だ、大丈夫。私は何も知らない……」
続けて、この……可愛らしいパンツも。脱いでみると、やっぱり消えた。
全裸のままじゃ風邪をひいちゃう。クローゼットから、いつもの服を取り出して着替える。
髪を梳かして……あれ?髪がセットされてる?
それに、髪に何か付いてる……?外してみると、それはキラキラした宝石がいくつも付いたヘッドピースだった。テーブルに置くと、やっぱり消えた。
クローゼットを閉じて、深呼吸する。
まずは扉の確認……開けた形跡はない。続けて家の中を見回すと、違和感がいくつも見つかった。
片付けたはずの裁縫道具が、なぜかテーブルの上に出ている。その隣には、畳まれたスカートが3着も置かれていた。
それと、ベッドの足元の床には――綺麗に剥がされた、真っ黒な皮が雑に置かれている。こんなに綺麗に剥がされた皮……高く売れそう。
棚には、緑色の回復ポーションが2本。こんな澄んだ緑色、これは普通のポーションじゃない気がする。
昨晩、一体何があったの……?
テーブルに置かれていたスカート、もしかして私、寝たまま作ったの?いやいや、一晩で3着は無理。それに、クローゼットの中の生地も減ってない。
とりあえず、この回復ポーションと黒い皮は、誰にも見つからないように、クローゼットの奥に隠しておこう。
新品みたいなスカートは……隅々まで確認したけど、まるでお母さんが作ったみたいに完璧な仕上がり。今私が着ていた服とデザインも似てるし、露店で売っても問題なさそう。
すぐに売りさば……売りましょう。
あんな出どころ不明なものは、早く手元から消さないと……。
念のため、私はもう一度家の中を見回って、他におかしなものがないか細かく確認した。
幸い、変なのはあのポーションと黒い皮だけ。ドレスはもう消えたし、これでもう大丈夫……なはず。……そうだといいなぁ。
冷静さを保って、いつも通り井戸で水を汲む。家に戻ったあとは、残っていたパンを半分残して、半分だけ食べた。このパンも、今月最後のパン。
もし、あの謎の服が売れなかったら……帰りに森で食べられるキノコや草を探すしかない。でも、もし全部売れたら、今月の返済額には、きっと足りるはず。
私はその謎のスカートをカバンに入れて、村の中心にある市場へ向かった。その前に……お父さんとお母さんに挨拶しないと。
家の裏には、私が作った両親のお墓がある。墓といっても、ただの木の棒を地面に刺しただけ。中に遺体はない。でも、私は一人じゃないって思いたくて、作ったもの。
「お父さん、お母さん。おはようございます。私、今日も頑張りますね。」
早足で市場へ向かい、端っこのスペースに布を敷いて、例のスカートと、私が以前縫った服も並べて――売り始めた。
私は、幸せだった。
それは――7年前。
お父さんがまだ生きていて、狩りで得た獣の皮や素材を売って、お母さんはそれを使って服を縫ってくれて。家には小さな野菜畑があって、私たちは慎ましくも穏やかに暮らしていた。
でも、お父さんが狩りで亡くなった日から、すべてが変わった。
お父さんが亡くなった翌月、村長が借用書を持って、私たちの家に来た。
お父さんは生前、商会を立ち上げるために、村長から200万Gという大金を借りていたらしい。でも、そのお金が今どこにあるのか、何に使われたのか、私たちには何ひとつわかりませんでした。
残されたのは、多額の借金だけ。そして、それを返済するのは――お母さんと私だった。
幸い、村長は状況を察してくれて、すぐに全額返済する必要はないと言ってくれた。憐れみの言葉と一緒に、毎月2万Gずつ、少しずつ返していけばいいと。そのときの私達は――これなら、なんとかやっていけると思っていた。
でも、それからというもの……家の畑は荒らされ続けた。
借金を知った誰かの仕業なのか、それともただの野生の獣なのか……もう確かめる気力もなかった。何度も修復するより、その時間で服をもう一着縫ったほうが、生活の足しになる。
そうして、畑を手放すことにした。
それでも、お母さんが昔勤めていた隣町の洋服店――リリアナローズから、定期的にドレスの仕立ての依頼をもらえていたおかげで、なんとか生計は立てられた。
空いた時間に作った服も市場でそれなりの値がついて、村の人たちからも衣服や天幕の修繕を頼まれることがあって、私たちはどうにか生活と返済を続けることができた。
でも、その日々も長くは続かなかった。
2年前、お母さんは原因不明の病で亡くなった。それでも私は、リリアナローズからの依頼に助けられて、倍以上働くことで、どうにか一人で生活を維持していた。
でも、半年前から、なぜかリリアナローズからの依頼が途絶えてしまった。
こんな小さな村では、私を雇ってくれる店もなくて、仕方なく、小物やカバン、服を縫い続けるしかなかった。
貯金も尽きて、日々の返済に追われて、パンを買う余裕すらなくなった。隣のナイジェリアの森の外れで、食べられる草やキノコを探して、運が良ければ罠にかかった小動物を見つけて、それを食べる。
――これが、今の私の暮らしだった。
いやだな……どうして急に昔のことを思い出したんだろう。
私は自分の露店で服を修繕しながら、例のスカートと他に作った品を買ってくれる人を待っていた。
運良く、あの新品同様の謎のスカートは3着とも、やや高めの値段ですぐに売れた。一着で15000G。今月の返済額はなんとかなった。残りは生活費と材料費に回せる。よかった。
普段、一着をゼロから作るのにほぼ一ヶ月かかる。それが今日は――三着も売れた。まさか、こんなに急に大金が手に入るなんて。。思いがけない収入に、心が少し浮ついてしまう。
「ご褒美に、今日は……お肉でも食べようかな」
そう思った瞬間、ふと我に返る。
「いやいや……お肉は安くない。浮かれてる場合じゃない。次の材料費もあるし……」
そのお金で隣町に行って、リリアナローズの様子を見に行ったほうがいい。やっぱり、森の外側で食べられる草やキノコを探そう。
午後、私は露店を閉めて、隣の森の外れで食べ物を探した。ついでに、売れそうな薬草も探してみた。
おかしい。
普段ならこの辺りには、少しは薬草や食べられる草があるはずなのに、今日はまったく見つからない。幸い、ラズベリーとキノコは少しだけ見つけられた。
夕日が沈む前に家に戻り、残っていたパンとキノコだけで簡単な料理を作って食べた。
ランプを灯して、一番売れやすいカバンの制作に取りかかる。お母さんと比べれば、私の技術はまだまだ未熟だけど……リリアナローズから依頼が来なくなったのは、そのせいなのかな?
でも、この一年間、何も言われていない。この前、店に納品に行ったとき、店主に褒められたのに。
はぁ……考えても仕方ない。
今度隣町に行ったときに、ちゃんと聞いてみよう。来月の返済分も心配だし。今は、頑張ってカバンを作ろう。
夜になり、寝る前に水で軽く体を拭く。
服を脱いだ瞬間、今朝のことを思い出した。
どうして私は、あんなドレス姿で目覚めたの?もしかして、誰かが私が寝ている間に家に入って、着替えさせた……?それとも、知らないうちに誰かに魔法で操られていた……?
「………」
怖い。
外の風の音や、木々が揺れる音にも反応してしまうくらい、神経が張りつめていた。
素早く体を拭いて、今着ている服をしっかり確認する。
(間違いない。いつも着ている服だ)
扉と窓を、木の棒でしっかり固定する。心細くて、包丁をベッドの隣に置いた。ベッドに横になり、震えながら目を閉じる。
大事な兎のぬいぐるみを抱きしめて、昔のことを思い出す。
子供の頃、雷の音が怖くて、お母さんに抱きしめてもらったあの感じ……
何も怖くない。怖くない……。
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目を開けると、昨晩と同じくセリーナの家だった。
ベッドの上で、俺は兎のぬいぐるみを抱きしめている。……なんか、妙に落ち着く。
俺は体を起こして、ベッドに座る。すると、胸のあたりに妙な重さと違和感。あ~……俺、ホントにセリーナに戻っている。もしかして、こっちの方が現実なんじゃ……いやいや、それはない。
真っ先に襲ってきたのは、やっぱり空腹感。まあ、昨晩の焼き鶏丼の効果も切れてるし、当然か。
それにしても……暗い。明かりが欲しい。
昨日は背景かと思ってたこのランプ、多分使えるんだろうけど、つけ方がわからない。
昼間に攻略サイトで調べたけど、一番簡単に作れるランプには「硝子の素」が必要で、今は持ってない=作れない。
思わず、あの名言を思い出した。
“今のままではいけないと思います。だからこそ、今のままではいけないと思っています。”
仕方ない。メニューからショップを開いて、インテリアコーナーを見る。
周年記念でもらった無償石が1200個あるから、100石を使って、課金アイテムの中で一番安い「エルフのランタン(翠緑)」を購入。これは必要経費。うんうん。
エルフのランタンを出すと、俺の右上に、繊細な銀の枠組みに半透明の葉のような形をした薄緑色のクリスタルがはめ込まれたランタンが浮かび上がる。
内部から柔らかな翠緑色の光が漏れ出して、まるで森の精霊が宿ってるみたいな雰囲気。しかも、生きてるみたいに俺についてくる。
「WOW~お綺麗ですわ~~!……じゃないわよ!」
綺麗は綺麗だけど、俺は普通に昼白色の照明が欲しかったんだよ。再びショップを見てみると……900石でちょっと高いけど、仕方ない。この「天使の環」を買おう。
あれなら蛍光灯っぽい見た目だし、変な色を出すこともない……はず。頭の上に浮くタイプだから、影の影響も少なそうだし。
エルフのランタンをストレージにしまって、天使の輪を購入して装備する。俺の頭の上に、触れない白い光の輪が現れた。柔らかな白い光と、キラキラしたエフェクトがふわっと広がる。
「おお!さすが900石の価値はあるね」
結論:天使の輪は、やっぱり普通のLED蛍光灯だった。
照明も手に入ったので、改めて自分の状態を確認する。
俺は……明らかにセリーナになっている。モブの村人の姿のままだ。
あれ?村人の姿?
待てよ、昨晩ログアウトした時、確か星月のドレスを装備してたはずだ。
慌てて装備画面を開いて確認すると――武器以外の装備が初期状態に戻ってる?!星月のドレスも、全部外されてる?!
村人の服に戻されてるってことは……あんな強力な限定装備が……なくなった?!
不具合?バグ?!
すぐにストレージを確認すると……良かった~!ちゃんと入ってる。すぐに星月セットを再装備して、ついでにマイセットにも登録しておく。
しっかし、どうして勝手に装備が外れて……いや。
俺は部屋の中をゆっくり見回した。昨晩、ベッドの足元に雑に置いていたシャドウウルフの皮と、棚に置いていた回復ポーションが見当たらない。
探してみると、それらはクローゼットの奥に隠されていた。テーブルに置いていたはずの村人の服も消えている。そして、なぜかベッドの隣に包丁が置かれていた。
……なるほど。推測すら必要ない。
俺がログアウトしていた間、この体は“セリーナ”として普通に生きていたんだ。
つまり、俺はセリーナになったんじゃなくて――セリーナに“憑依”しているってことだ。だから、エメラルダさんは「セリーナを託す」と言ったんだな。
拠点に戻ってからログアウトする習慣があって、本当に良かった。もし昨晩、森の中でログアウトしてたら……セリーナは森の中で寝て、血塗れエンドだったかもしれない。
ここまでわかると、今日のセリーナには大変ご迷惑をおかけしましたね。起きたら急にドレス姿になってるし、部屋には誰かが使った痕跡もある。寝る時に包丁を隣に置くくらい、怖かったんだろうな。
……いやいや、待てよ。
それとも、俺がログアウトしたら、このゲームシステムで生み出したものも一緒に消える?そうなると、セリーナが起きた時、裸で目覚めることになる……?
……ないな。
本当に消えるなら、スキルレベルアップの産物である村人の服だけじゃなく、回復ポーションもウルフの皮も消えてるはず。でも、現にそれらはクローゼットに隠されていた。
ふむふむ……ちょっとセリーナの目線で現状を考えてみよう。
朝起きたら、なぜかドレス姿になっていた。貧乏生活してる彼女なら、こんな高そうな服はまず疑うはず。
真っ先に着替えるよね。
試しに普通の方法でこのドレスを脱いでみる。ベッドに置いた瞬間、ドレスは消えた。ストレージに戻ったことも確認できた。
なるほど……今ストレージに村人の服が2着あるのは、1着目が昨晩、俺が最初に装備変更した時にセリーナが着ていた服。2着目が、彼女が今朝起きて着替えた分ってことか。
装備画面で星月のドレスを再装備したあと、ストレージの中にあった元々セリーナが着ていた服を取り出して、丁寧に畳んでクローゼットに戻しておいた。
……何か、ごめんね、セリーナ。怖がらせるつもりはなかったんだ。
よし、では次は――
ぐぎゅうう~~~~っ
……焼き鶏丼を食べよう。




