第16節 転生と天啓
「やぁルチアーノ」
翌日。教会でにこやかな笑みを浮かべて出迎えたアクバールに、ルチアーノはなんだかげんなりとした。
「元気そう、すね」
「まぁね」
死ぬとまでは思っていなかったがまさか無傷とは。正直もっとボロボロな感じで出迎えるものだと思っていた。想像以上にピンピンしている。自分はこの神父を過小評価していたのかもしれない、とルチアーノは認識を改める必要性を感じた。
「うまく行ったようですね」
「あぁ」
「一応聞きますけど、怪我はないンですか?」
「少しだけね。なに、かすり傷だよ」
「……してたンすか……」
「計算のうちだ。心配いらない」
アクバールが手招きして踵を返す。ルチアーノはついて行って共に長椅子に座った。
「……で、わざわざ呼んだってことは報告があるんでしょ?」
「勿論。会わせないとは言え彼のことを伝えておく義務はあると思ってね」
それにしても俺だけか。他がいると暴走しかねないと思ったのだろうか、とルチアーノは考えた。
「どうだったんです? 奴の様子は」
「それはもう。獣のような男だったよ。彼の名前を言った途端ワタシを殺しにかかってきた」
「よく逃げられましたね」
「まぁそれも想定内さ」
と、アクバールは肩を竦める。ライトに目をやられながら斬りかかって来た彼を思い出し、アクバールは少々ぞわりとした。
「……大丈夫ですか?」
「問題ない」
ゴホン、とアクバールは咳払いをする。
「まぁ……なんというか、単純な奴で助かった。ワタシが仕掛けた罠にまんまと引っ掛かってくれた。……下戸具合は想像以上だったが」
「アルヴァーロさんも一口飲んだだけで酔っ払う人でしたからね……酒でも飲ませたンですか?」
「全身に被らせてやった」
「………本当に弱いヤツにやると下手すりゃ死にますよ……」
「死んだら死んだで君たちにとっては結果オーライだろう」
「そんな死なせ方はヤですよ俺たちも!」
と、顔を顰めるルチアーノ。冗談だよとアクバールは笑う。
「で? でもそンなくらいじゃ収まるヤツじゃないでしょう」
「交渉は少々難しかったね。まぁ最終的には手懐けられたよ」
「どうやったンです?」
「ワタシの友人にした」
耳を疑った。訊き返すことも忘れてしばらく頭の中で反芻したあとようやく訊き返した。
「………なんて?」
「ワタシの友人にしたんだよ。主従関係は嫌だと言うからね」
「ゆう……」
「とても渋々だったが色々天秤にかけて折れてくれたよ」
なんて恐ろしい人だ、と思った。それから、ウィリアムは実は馬鹿なんじゃないかとさえ思った。この人と、友人に⁈ その方が嫌だろ! と思わずそんな本音が頭の中を駆け抜けた。
「……今とても失礼なことを思わなかったかね?」
「…………ないですよ……」
「そうかね」
アクバールは眉根を寄せて口を尖らせる。そして大きなため息を吐いた。
「やれやれ。ワタシの人生初の友人がアレとはね………」
「……寂しいすね……」
「別に。独りであることには慣れているよ」
「慣れてるのと寂しくないのは別っすよ」
そんなルチアーノの言葉に、アクバールは肩をすくめただけだった。
「それで、まさか友人にして終わりじゃないでしょう」
「勿論だよ。彼にも色々手伝ってもらう」
「殺しを?」
「それもだが。怪我人や病人の治療なんかをね」
「え」
意外な言葉だった。だって、正反対過ぎる。殺しと、治療なんて……。
「……まさか医者でもやらせるつもりですか?」
「そのまさかだよ」
冗談のつもりで言った言葉を肯定され、ルチアーノは笑みを引きつらせた。アクバールは淡々として言葉を続けた。
「彼は医者にする」
*****
時を遡ること、一日前。
アクバールは小部屋から現れたウィリアム……改めグラナートの姿を見て手を叩いた。
「ほうほう、やはり似合うね」
「…………ふざけてるの?」
「そう変わらないだろう、同じ白い服だ」
「だってこれ……白衣だろ?」
アクバールが渡した紙袋の中身。それは白衣とワイシャツ、そしてジーンズだった。どう見たって、これは。
「僕に医者でもやらせるつもり?」
「そうだよ」
あっさりと答えられ、グラナートは面食らう。
「……は⁈ 何言ってんだ無理に決まってるだろ!」
「拒否権はナシだ。君になら出来る」
「お前僕のこと脳筋だって言っただろ!」
「今はね。でも素質はあるはずだ」
「は、何を根拠に…………」
「何がともあれやってみたまえ。勉強のための本ならこの家に揃えてある」
言われてハッとしてグラナートが部屋を見渡すと、本棚に医学書の類が既に何冊も刺さっている。呆れたような、怒りのようなよくわからない感情が湧き上がってきて、アクバールを睨みつける。
「この野郎……はじめからこのつもりか………」
「当たり前だろう。君が表立って暮らすには殺人鬼であってはならないのだから」
「…………」
アクバールは全く怯まない。それどころかニヤニヤしている。
「人の命を奪うことしか知らない僕が? 人の命を救えるとでも?」
「人間やれば大概できるものさ」
「無理だ!」
「はじめから諦めてはいけない」
アクバールはグラナートに歩み寄る。その両肩に手を置いて言う。
「君が生きるためでもあるんだグラナート」
「とか言って僕を利用したい下心が見え見えだぞお前」
「何を言う。言っただろう、ワタシと君は友人だ。利用などするものか」
「友人は医者になることを強要したりしねェんだよ!」
アクバールの手を払い除けるグラナート。落ち着かないのか白衣のポケットに手を突っ込んでパタパタしている。
そんな彼をふむ、とアクバールは見て言う。
「……むむ。何というかあれだね、人相が良くない」
「はぁ?」
「医者ならもっとこう……柔らかい表情でいるべきだ。そんな顔では患者が怯えてしまうだろう」
「無茶言うな、元々僕はこういう顔だ」
「表情くらいは変えられる。せめて…………そうだな。眼鏡でもかけたまえ」
「眼鏡ぇ?」
「視力はいくつだね、君」
「視力……両方2.0は見えてると思うけど」
「じゃあ伊達でいい。伊達でいいからかけたまえ。その方が医者らしく見える」
「お前……好き勝手言うなよ…………」
何を言っても無駄だと感じたのか、もはやグラナートの声には諦めが含まれていた。
「……あんたが選んでくれんの」
「ワタシに任せていいのかね?」
「面倒くさいから何だって良い。勝手に用意してくれるんなら別に」
「分かった。手配しておこう」
「…………」
ささやかな反抗のつもりだったが全く意味をなさない。そもそもこんな一軒家や服や医学書をわざわざ用意しておくような奴だ。眼鏡の一つや二つ用意するくらいネックじゃないだろう。
「……ひとつ目標が出来たよ…………」
「何だね」
「いつかお前をギャフンと言わせてやる…………」
「そうかい。それは楽しみだね」
にこにこと笑うアクバール。グラナートも頑張って笑ってみる。一見して和やかな光景だが、二人の間にはバチバチとした火花が散っていた。
*****
「話聞いてると全然友人て感じじゃないすけど……」
「そうかね? 君とリアンみたいなものではないかね」
「一緒にしないでくださいよ……つかどう見えてんですか俺らのこと」
「仲良しだろう」
「眼科行ってください」
リアンとは……どう言う関係なのだろう。友人ではない。相棒? も違う。仲間。それが無難か。なんというか、腐れ縁だ。
「……ウィリアムは本当に医者に?」
「まだ様子を見に行っていないが。勉強に励んでくれることを祈るよ」
「大丈夫なんですか……」
「少しずつワタシの仕事を手伝わせるさ。スラムの人と触れ合ううちに変わってくると思うよ」
「楽観的ですね……」
ハァ、とルチアーノはため息を吐いた。この人は本当に一体何を考えているんだ。
「……利用して使い潰すんでしょ? 奴のこと」
「………そのつもりだよ」
仄かな笑み。ルチアーノは思わずぞわりとする。
「アンタやってることと根底がちぐはぐだ」
「利用してると思われたくないのだよ。……ならばそこそこの待遇はしなければ。何。ワタシを手伝ううちに己の罪深さにも気付くだろう」
「人喰いの化け物がそんな簡単に変わりますかね」
「さぁね……それは彼次第だ」
「アンタこのまま俺たちの前からウィリアムを消し去るつもりか?」
「そんなことはない」
ルチアーノが隻眼で凄んでも、アクバールは笑みを崩さない。
「……その言葉に嘘はないと……俺は信じますけど」
「ほう?」
「アンタは思ってもないことを言うとき時笑みが消える」
「…………よく見ているね。気をつけるよ」
アクバールは思わず自分の頬を触った。
「でも、ウィリアムがどうなるかはアンタ次第じゃない」
「あぁ」
「俺たちが殺したいのは“ウィリアム・ビアンキ”だ」
「……」
「別の名前なんか与えて────」
「別人になんかなりやしないよ。彼はいずれ君たちに気付くだろう。安全だと思っていたのに、ワタシに騙されていたと知るのさ。その時きっと彼は絶望する。己がしたことを後悔する。人としての幸せをたくさん得た後に…………突き落とす。それで良いだろう?」
「…………」
恐ろしいことを言う神父だ。相変わらず彼は笑っている。さっきの指摘をした後では、それが本心なのか口から出まかせなのかも分からない。
「……俺たちのことも突き落とします?」
「まさか。君達はワタシが唯一信じられる仲間だよ」
「ハハ、そうですか」
────本当に信じてるならこんな回りくどいことしないでしょ。
その言葉はルチアーノの胸の中にしまっておいた。不信、と言うよりかは不安だった。信頼しても良いが信用してはならない────そんな矛盾したような言葉がルチアーノの内に湧いた。
「恐ろしい人ですよあなたは」
「何。街ひとつ守ろうというのだからそれくらいでなければね」
「……ウィリアムのこと、仲間たちに言って良いすかね?」
「勿論。情報は共有したまえ。君が言わない方が良いと思うことは言わなくても構わないよ」
「…………オルラントさんが信じてるのは俺だけですか?」
「いや……。……いや。そうかもね」
アクバールはそう言って目を瞑った。もう一度目を開けた彼は、聖母のステンドグラスを見上げた。
「人間なんて、そう簡単に信じて良いものじゃないからね…………」
****
ルチアーノが家に戻ると、いたのはラファエルとリアンだけだった。
「おかえり。神父さん元気だった?」
リアンがソファで携帯をいじりながら訊いて来た。画面にアドレス帳が見えたのでルチアーノは背後からそれを取り上げる。
「あぁん」
「今から遊びに行くつもりだったか? 悪いな、真面目な話だ」
「……」
片眉を上げてリアンはルチアーノを見上げる。
「どしたん」
「……オルラントさんは元気だったよ」
「ウィリアムは?」
「その話」
「………皆んなが帰ってからの方が良くない?」
ルチアーノはぐるりと回って、向かいのソファのラファエルの隣に座る。うつらうつらしていたラファエルはその気配に目を覚ます。
「……ルチアーノさん、おかえりなさい」
「ただいま。…………皆んなは?」
首を傾げるラファエル。答えたのは正面のリアンだった。
「テオちゃんはフラッと出てった。ハルのやつも。一緒にはいねェと思うし、いつ帰るかも言ってかなかった」
「……そうか」
「な。待とうぜ」
「俺がオルラントさんとこ行くの知っててわざと出掛けたんだろ。ハルのやつは分からんがテオドラの方は」
「……そうかねぇ」
テオドラはアクバールを信用していない。彼女が望むのはウィリアムの死だけ。それ以外の話なんて聞きたくないのだろう。
「お前も聞きたがらないかと」
「いんや? 俺は知りたがりだよルチアーノ。で、どうなんだウィリアムの奴は」
ルチアーノは脚を組むと、少し考えてから口を開いた。
「ウィリアムは……お預けだ」
「何? 何で。どゆこと」
「殺人鬼ウィリアムは善良なる医者グラナートへ。……グラナートが幸せで肥えたあと────俺たちが食う」
「……ふざけるな。真面目に言え」
「真面目だよ。俺も耳を疑ったが」
至極真面目な隻眼に、リアンは面食らう。
「……殺人鬼が医者に? どう考えても無理だろ」
「俺もそう思うよ」
だがあの神父なら、それすら実現させてしまうような、そんな気がした。
「俺たちの大切な人の命を奪った人間が、人助けか。正直微妙な気分だな」
「………なんか無性に腹立つな。やっぱり殺そう。その方がいい」
「リアン。この前言ったことをすぐに捻じ曲げるな」
「だってよ……」
総意ではないと、ルチアーノは分かっていた。これは、自分の我儘だ。あの神父の言うことを呑む。その方が良いとそんな気がしていた。
リアンは額を抑えて前屈みになる。
「……俺たちがお前と神父さんの言うこと無視して殺りに行くとは思わない?」
「思わない」
「…………もしそうなったらお前は」
「しないだろ」
昔から変わらない隻眼が、リアンの目を捉える。リアンは鼻で笑う。
「お前は……昔っからそう…。俺と出会った時もそうだ」
「何が」
「有無を言わせねェ……俺がこうと言ったらこうだと、そういう目だよ。誰でも言うことを聞くと思ってる」
「聞くだろ」
「そう真っ直ぐ信頼されちゃ裏切るもんも裏切れねェだろぉ、あとお前何するか分からんし」
「お前は俺を何だと思ってるんだ……?」
「おっかねぇ奴!」
わざとらしく大きな声で言ったリアンは、ハァと背もたれに身を預ける。
「俺お前に喧嘩で勝てる気しねえもんなぁ……」
「悔しいなら鍛えればいいだろ」
「悔しいなんて一言も言ってない」
天井を見上げたまま指を振るリアン。
「……わーかったよ。とりあえず俺は呑む。一蓮托生だ俺たちは。昔からそういうものだろ。あの人の拳で一緒に殴られた仲だしな」
「詩的だな」
「うっさいねぇ、俺が折角納得してんだよ」
しっしと手を振るリアン。ルチアーノは笑う。
「あと問題は……まぁ大丈夫だろ。俺とお前が同意ならハルっちもテオちゃんもなんとか呑んでくれるさ」
「そうだといいが…」
「何であいつらには自信なさげなんだよ」
「……まぁ、何というか……扱いにくい奴らだからな」
「俺は扱いやすいってこと⁈」
ガチャ、とドアが開く音がする。「ただいまー」というハルの声。もう1人の気配がするのでテオドラも一緒だろう。
旅はひとつ区切りを迎えた。しかしまだ終わりではない。彼らの目的は果たされていない。
神父は言った。目標がある限り人は走り続けられると。蛇は未だその体をうねらせて、長き道を進み続けるのだった。




