第10節 冥王の影
「では作戦を説明しよう」
二日後、教会にて。一番前列に座った“蛇”、改め“エデン”の面々を前に、アクバールは立ち、話し始める。
「君達が調べて来てくれたデータとワタシが聞いた話を共に考えてみた。アジトの場所はスラム南西部、廃工場の地下。……外に見張りは無し、工場の中に見張りが何人かいるんだったな」
「うん」
頷くのはハル。
「でね、地下にも潜ってみたけど下水道からの抜け道を見つけたよ」
「……よく潜ったものだね」
「うん、すごい臭かった」
「うぇー……やだなそんなとこ通るの」
リアンが顔をしかめる。
「お前は鼻が馬鹿になってンだから大丈夫だろ」
「んなっ、さすがに臭いのは分かるぞ俺⁈」
へいへい、とルチアーノはリアンの方を見ないまま適当に返事し、アクバールに言う。
「……ンで、その抜け道を使うんですか?」
「そうだね……君達が嫌なら地上ルートも考えてあるが」
「いンや、二手に分かれましょう。そういうのも考えてあるんでしょう」
「勿論だとも」
アクバールは大きく頷くと、順番に彼らを指差し始める。
「ルチアーノとラファエル君が地上ルート、リアンとハル君が地下から行きたまえ」
「えー、俺ちゃんヤだよ」
「私は?」
テオドラが首を傾げて訊く。
「君はワタシと共にここにいて貰う。彼らをモニタリングしておきたい」
「いいわ。そういうのは得意よ」
「そうですね、あなたとは連絡が取れる方がいい」
ルチアーノが頷いた。 アクバールは続ける。
「それでだね、その後のことだ。リアンとハル君は地下から潜入、ルチアーノとラファエル君は地上から、工場へ入って見張りを速やかに撃破。後地下へ潜入する」
ここまではいいな、と確認し、皆が頷いたのを見て彼は続ける。
「上の見張りと接触した時点で、ルチアーノ達は敵にターゲットを取られるだろう。……そこで、君達は陽動だ。敵を出来るだけ引きつけてくれ」
「俺とラファエル二人だけで?」
「そうだね。全体の人数ははっきりとした把握は出来ていないが、目撃情報を整理してみると少なくても十人、……まぁ恐らくそれは“仕入れ屋”であって、組織の全体では無いと思われるが……」
「まぁ、とにかくなるたけ俺らで引きつけりゃいいんですね」
「あぁ。その間にリアンとハル君が囚われている人を助ける。……生きている子は全員だよ。必ずね」
「………ハイ」
何か不思議な圧を感じ、思わずリアンは変な声で返事した。 アクバールはにっこりと笑う。
「ピッキングなどは出来るね」
「それは任せて!」
ハルが無邪気に手を挙げて返事した。
「リアンも出来るよね?」
「……お前ほど上手かねっけど……出来ねェ事もない」
「うん!大丈夫!」
にっこにことした顔で、ハルは アクバールの方を向いた。
「さすがだ。頼んだよ、君達に懸かっている」
「……でもよー、やっぱ戦闘は避けられねェよな?」
「そうだね、そりゃあ少しは残るだろう」
口を尖らせるリアンに、アクバールは困ったね、という顔をして答えた。
「そこは仕方ないね」
「俺ちゃん一応戦闘員じゃないのよ?」
「いーじゃんリアン、何かあったら僕が助けてあげる」
「やだこの子イケメン……」
惚れちゃう、などと呟くリアンの脇腹を、その隣のルチアーノが肘で小突いた。
「……それで?撤退時は」
「うむ」
「逃げる手筈も揃ってないと困りますぜ。どう逃げるのか……救出した人もいるし」
「全員殺せ」
「え」
神父の口から出た言葉に、何故かルチアーノはゾワリとした。……聞き慣れた言葉であるはずなのに。
「逃げるも何も、追手を消してしまえばしまいだ。慈悲はいらん。人攫いは全員殺せ。一匹たりとも逃してはならない」
声のトーンは今までと変わらない。だが、その奥に現れたざらついた感情が、ルチアーノの心に擦れた。
「……行きたまえ。一人でも多くを救う為に、一匹でも多く害虫を殺すのだ」
*****
そこはジメジメとして暗く、懐中電灯無しには何も見えない。聞こえる音は自分達の足音、呼吸音、そして流れる水の音。環境は最悪。何より臭いが酷かった。
「……想像以上なんですけど……」
リアンは懐中電灯を右手に、左手で鼻と口を覆って進んでいた。口から入る空気ですら臭いを感じる。全く吸いたくないが、そういう訳にも行かない。
「……吐きそう」
「情けないなーリアンは」
「…………何でお前平気なんだよ」
「まぁすっごい臭いけど吐く程でもないよね?」
「…………」
後ろをついて行くハルは気楽そうに、両手は頭の後ろで組んで歩いている。……リアンにはその神経が理解出来ない。
「……この臭い……何かが腐ってんのか」
「人かな」
「やめろよ……」
すぐ横を流れる水は、何とも言えない色をしている。まず入りたくはない。
「……何が楽しくてこんなトコ……早く地上に帰りたい」
「リアン、いつもの香水持ってないの?」
「仕事の時はつけないし持ってないんだなーこれが……」
はぁ、とため息を吐くリアン。プゥンと羽虫の音がした。どうやら蝿か何かが住んでいるらしい。
「こういう所は絶対俺ちゃんみたいな美男子よりルチアーノみたいなのの方が似合うって」
「美男子って自分で言っちゃうそういうトコ嫌いじゃないよ」
「何のフォローだよ……」
ぶつぶつと言いながら進んでいると、ハルが足を止めた。
「ここだよ」
「ここ?」
ハルが指差したのは上だった。そこには壁の頭上、人一人通れそうな四角い穴が開いていた。
「……あれって……通気口だろ?」
「うん」
「…………通気口だろ?」
「うん、そうだよ」
リアンは視線を下ろし、ハルの顔を見る。
「……通気口だろ?」
「大丈夫、リアンも通れるって」
「いや……」
もう一度、懐中電灯を上へ向けた。黒く不気味な黒い空間がその奥へ続いている。その下の壁は程よくブロックの凹みがあり、登れなくもなさそうだ。
「…………お前一回行ったの?」
「うん」
「……」
ハルの顔をじっと見る。けろりとしているハルに対して、リアンは「えぇぇ」という気持ちを前面に出していた。
「他にねェんだよな……」
「うん、多分」
「多分……」
探せばあるかもしれないが。そんな時間は無いだろう。自分たちだけでは無いのだ。作戦に参加しているのは。
「……っし、しゃーねェ、俺ちゃんもひと肌脱ぎますよ」
「僕が先に行くね」
「おう、任せた」
懐中電灯をハルに渡す。彼はそれを口に咥えると、ひょいひょいと壁を登って穴に入って行く。リアンは一つ深呼吸し、腕捲りすると気合を入れて壁に手を掛けた。手は登ることに使うしかなくなったので、酷い臭いが鼻を刺す。込み上げた吐き気を何とか抑え、極力息を吸わない様にする。
「リアン、来てる?」
「ん、大丈夫……」
穴はリアンの体にはギリギリだった。動く事は難しくないが、少々窮屈だ。
(……ハルとラファエルをこっちにした方が良かったんじゃねェか……)
いや、でもそれだと自分が引きつけ役になる。それはそれで嫌だなと思い、リアンはハルの後をついて狭い穴の中を這って行った。
*****
一方、地上では。曇り空の下、ルチアーノとラファエルは工場の外から中の様子を伺っていた。
「……どうしますか」
ラファエルが訊く。ルチアーノは目を瞑り、中の気配を数えていた。
「…………見張りは五人、手前の三人はすぐ殺して、あと二人は泳がせる……出て来てもすぐには全員殺すなよ」
「はい」
ルチアーノは目を開け、割れた窓から中の様子を見た。壊れた機材や使えなくなった資材の山やら、障害物が多い。ここからは人の姿は見えない。
「俺達の目的は陽動、要するに囮だ。リアン達が捕まってる奴らを助ける時間を稼ぐ。済んだら合図が来るから……」
ルチアーノは銃を手にし、そしてラファエルの方を見る。
「……そしたら構わず皆殺しだ」
「はい」
ラファエルは素直に頷いた。感情の無い返事。まるで人形のようだとルチアーノは思った。
「よし、じゃあ怪我はするなよ」
「はい」
ルチアーノが上を指差すと、ラファエルは二階の窓にワイヤーを掛け、登って行った。中は吹き抜けになっている。壁際に作られた通路に出る手筈だ。
窓の中に消えたラファエルを確認し、ルチアーノは歩き出す。コツコツと、わざと足音を立てて。
一つ、大きな深呼吸。吸い込んだ息は、そのまま口笛になった。ゆっくりと、足音に合わせて、誘い込む様に。バタバタと、足音が近付いて来た。
「誰だ!」
「止まれ!」
男が二人。銃を構え、こちらに向けている。ルチアーノは足を止め、真顔になる。出て来た男二人は一瞬困惑した。その隙に、ルチアーノの右手が閃いた。二発の銃声。男達が倒れる。その後から、また二人が現れた。彼らは斃れた仲間達を見ると突然の刺客へと目を向けた。
「……おい⁈」
「クソッ、ナニモンだてめェ‼︎」
叫び、構えた一人は次の瞬間、紅い弧を描いて倒れた。ルチアーノが向けた銃口から上がる硝煙。隻眼は細められ、その口角は吊り上げられていた。
「…………“楽園の使者”だ」
「あ⁈」
「お前達は今日、ここで死ぬ」
男の後ろから、わらわらと増援がやって来た。残る一人が呼んだのだろう。ルチアーノはなんだか可笑しくて笑った。計画通りだ。ここまでは。……あとは。
無数に向けられた銃口。その中でも、ルチアーノは怯まずに立っていた。
「一人で飛び込んで来るとは無謀だな‼︎蜂の巣になれ!」
「…………誰が一人だって?」
「何?」
空中で、何かがキラリと光った。その時だった。突如、辺りの機材や資材の山が崩れた。
「何だっ……⁈うわあぁぁ‼︎」
ぎゃあああぁぁという悲鳴が響く。ガラガラというものが崩れる音に混じり、人の潰れる音も聞こえて来る。逃げ惑い混乱の様をルチアーノは愉快そうに笑う。
「────退路は断たれた」
入り口はすっかり塞がれている。隙間から差す光が、その前に立つ黒いシルエットを描き出した。
「逃げ場はねェぞ、覚悟しろ。今さら悔いてももう遅い」
空気が一変する。男達は慄いた。突然現れたそれは、紛れも無い“死”であると。
「ようこそ冥界の入り口へ。懺悔は後にしろ。地獄へ行けば時間はいくらでもある」
銃口を男達へ向ける。その向こうから、ルチアーノは不敵な笑みを浮かべるのだった。
*****
「……上出来だね」
教会。テオドラの膝の上に置かれたパソコンの画面を見て、アクバールは頷いた。音声は無いが、ルチアーノが付けている無線機についた小型のカメラで現場の様子が見えている。リアンの方にも付いているが、ずっと真っ暗でよく見えない。二組の様子は二画面でそれぞれ並べてある。
「地下潜入組はよく分からんな」
「そんなに良いカメラじゃないから」
テオドラが言う。画像は少々荒く、とても鮮明とは言えない。だが、ルチアーノの方はなんとか見えている。
「文句があるならあなたが用意してくれる?」
「いずれ余裕が出来れば考えておこう」
「……あるに越した事はないけれど」
嫌味のつもりで言ったのが普通に返され、テオドラは小さく舌打ちした。
画面の中では次から次へと現れる男と、ルチアーノが戦っている。一方的な殺戮に見える。ルチアーノは上手く障害物を利用して隠れているし、危なくなればどこからかワイヤーが飛び、首が落ちる。一度に殲滅する事もなく、常に一定数を保っているような……。
「……20人というところかね?」
「そうね。……結構な数がいるものね」
「あぁ、まるで巣を潰された蟻だ」
忌々しげにアクバールは目を細めた。
「……まぁ、恐らく地下には数人残っているのだろうが」
「…………ボスはどこにいるのかしらね」
「さてね。……まぁ顔を合わせればなんとかなるだろう」
「リアンでも?」
「口ではあぁ言うが、実の所出来る奴だとワタシは思うのだが違うかね」
「……まぁそうね。簡単にやられるほど軟弱じゃないわ」
肯定的な事を言ってはいるが、テオドラはムスッとしていた。
「……君はもう少し笑った方がいいぞ」
「よく言われるけど笑いたくもないのにどうやって笑ったらいいのよ」
と、テオドラは顔に掛かっていた髪を横に手で避け、 アクバールを見た。
「…………あんたはよく何でもないのに笑ってるけど」
「そうかね?……あまり意識していなかったが」
「まぁ、ずっと笑ってる訳でもないけど…………」
テオドラは髪をいじりながら、俯いた。
「……笑う理由なんて無いのよ。全部持ってかれちゃったんだから…………」
「本当にそうかね」
「あなたには分からないわ。分かるはずもない」
彼女はステンドグラスを見上げた。赤子を抱いた聖女と、天使の絵。それを通して鮮やかな光が礼拝堂に差し込んでいる。
「…………私を救える人はもうこの世にはいないのよ」
「ワタシが力になれれば良いのだがね」
「あなたは論外。……人の心が無いんだもの」
「おや、心外な」
「あなたも可哀想ね。壊れて、誰も助けてくれないんだから」
言われて、 アクバールはくすりと笑った。
「……君には分かるまい」
「そうね」
テオドラはため息を吐き、パソコンへと目を戻した。
「…………全く分からないわ」




