おっさんは思い出す 1
その日、アルフは茫然と街道と街の間に立っていた。
五メートルほどの外壁に空いた、街に入る門らしきところには鎧姿の男が三人と、その門へ続く人の列があった。アルフはただただその光景をぼう、と眺めて突っ立ているばかりだった。
「なんだろう、あの列は」
それが一番最初にアルフが漏らした言葉だ。産声でも何でもないただのおっさんのとぼけた声の呟きがアルフにとっては一番最初の自分の発言だったのだ。
その事にアルフが思い至ると、次に混乱の波が彼を襲った。一体自分はなぜここにいるのか、おっさんであるという自覚と名前がアルフであるということ以外彼には記憶というものがなかったのである。見ればアルフの身なりはほとんど浮浪者のそれだ。その事に気付けた自分にホッとする始末だった。
アルフは混乱しながらも、この格好であの門のところにいる男に見つかるのはまずいのではないかと思い至り、草むらに隠れることにした。しかし、その前に隠れようとした草むらから小柄な影が飛び出してきた。金髪碧眼で顔の真ん中にそばかすをちらした少女、ミーミルだった
。
「あの、大丈夫おじさんそんな恰好で……この辺りも草むらにはスライムやビーバーラビットがいることがあるからそんな恰好じゃ危険よ?」
ミーミルは最初いぶかしげにアルフを見たが、視線を服に滑らせるとすぐにそういってアルフを心配した。ミーミルの言葉通りなのだろう、彼女は皮鎧を着て腰には細身の剣を佩いていたし、その細腰に下げられている麻で編まれたであろう袋からはビーバーラビットの特徴的な長い耳がはみ出していた。
「あ、あの、その、えと、スライムとかビーバーラビットってのはなんなんだ?」
しかし、アルフにはそれらの名称に対する記憶が全くなかった。
「えっ、なにって魔物よ!この世界に生きててまさか知らないなんて事……」
ミーミルはそう言うが、事実アルフは魔物という存在について知らなかった。しかし、ミーミルの様子からそれが常識的な事なのであると知ったアルフは口を開くことを戸惑いあいまいに首を振るにとどまった。
「嘘……おじさん一体どこの人?魔物がいない国なんて聞いたことない」
ミーミルが本気で自分の事を心配しているかはわからないが、これからどうするかもわからなかったアルフは自分がどういう状況であるかを彼女に話すことにした。
「そう、それならギルドにいって相談しましょう?」
一通り、と言っても記憶がなく、名前と自身がそれなりに年経た男であるという事しか知らないという事を話したアルフに、ミーミルはそう提案してくれたのである。
ギルドすら知らなかったアルフにミーミルは嫌な顔一つせずどういう機関なのかをさっくり説明してくれた。そしてそんな個人的な事を相談してもいいのか?というアルフの問いにも、丁寧に答えてくれる。
「大丈夫よ、親を亡くした子供のよりどころって側面もあるし、記憶喪失のおじさん一人くらいなんてことないと思うわ。実は私もその口なの」
「え、あ、そう」
さらりと告げられたミーミルの過去にアルフが言葉を探している。しかし彼女は少しも気にした風もなく行きましょう、とアルフの節くれだった手を引き街への入り口となっている門へと向かった。ひかれるままに進めば冒険者はギルドで発行されているカードを見せることで同行者二名まで無審査で通れるらしい事をアルフは知った。そのかわり、同行者が問題を起こせばその冒険者が責を負う仕組みらしいということも。
「その、すまない」
「いいのいいの、困ったときはお互い様!っていうのがこの始まりの街”インセペット”のギルドの標語なんだから!」
快活に笑った彼女の冒険者らしい固い掌に引かれ行くギルドへの道すがらアルフはミーミルの話にただ頷いていた。
ミーミルは五歳の時両親を亡くし、ギルドに世話になって今まで生きてきたこと。十二になってからは街の外で食肉になる魔物ビーバーラビットを狩るようになり、もっと強く、普通の冒険者が苦戦するような魔物が出たときは似た境遇の仲の良い三人とパーティーを組んで倒したこともあるとか、どんな話もアルフにとっては初めて聞くものばかりで、目を輝かせてまるで子供の用に続きをねだっていた。
それにつられるようにミーミルも自分の慎ましやかな武勇伝をアルフに聞かせていた。その様は周りから見れば久しぶりに会った父親に娘が自分の成功を張り切って話しているようでほほえましいものだっただろう、アルフの恰好が浮浪者の様でなければ。