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茂樹へ
元気でやっていますか?
お父さんやお母さんは、元気? あたしが突然いなくなったこと、怒ってるかしらね? ごめんね、黙っていなくなっちゃって。
茂樹はもう十五歳になったのかな? それともまだ十四歳? まさかもっと上なんてことはないわよね?
こっちと時の進み方が同じって保証はないからねえ。帰ったら浦島太郎状態だったりしたらイヤだなあ……。
そういえば同級生のあすらちゃんとは仲良くなれたのかしらね? 正直、見込みは薄そうね。『勇者シゲリアの凱旋』だっけ? あの内容のヒロイン役を割り振られたら、たいていの女子は引くからね。
そうそう、転生モノだとか転移モノだとかって、茂樹の小説を読むまで知らなかったんだけどさ、今じゃあたしのほうが数倍詳しくなってるわね。
なにしろ千尋叔母さんはね、冒険者のおっさんになったんだから、異世界で――。
◇◆◇◆◇
片手でメールを打ちながら降りたのは「東境の村・南門前」の停留所だった。そう、あたしが最初にこの世界に降り立った場所だ。
もしかして元の世界に帰れるんじゃないかなんて淡い期待を抱いて、咎人制度を打ち壊したあとに新設された反時計回りの魔動車に乗ってみたんだけどね。「東境の村・南門前」の次の停留所は「東の漁港」だとか。それもこっちの言葉の名前だったし、東北かどっかの漁村に辿り着く――なんて奇跡は起きないみたい。
「チーロー」
「はいはい、さっさと村に行ってご飯にしようか」
ルルリリは相変わらずあたしの肩に乗るのがお気に入り。髪を引っ張って急かすのも変わらない。
村や町を訪れたらまずは管理局に行くってルールは、今も変わってはいない。咎人制度自体はぶち壊したから、管理局って仕組みはなくなって組合になってるんだけどね。いわゆる冒険者ギルドってやつよ。
《討伐者》たちは自動的に《冒険者》って扱いになって、ゲームとかみたいに依頼をこなして日銭を稼いでるわけ。旧世界人と仕事を奪い合うのは不利かなって思ったけど、選り好みしなければ食べてくのに困ることはないって感じ。ま、余所者の《討伐者》なんてシステム停止に合わせて帰還し損ねたあたしぐらいしか残ってないんだけど。
組合の職員は仮魔道札を発行してくれたラゴ―とは別の人だったわ。
手続きを済ませてから、朧気な記憶を頼りに村の中を少し歩いてみた。ルドの装備屋があったけど営業はしてないみたい。ってか、商品は並んでるんだけど、店番もいなけりゃ客もいないのよね。営業中に強制送還されちゃったのかな……?
あたしがおっさんになった記念の公衆浴場は、ごついよ鎧姿が入ってくのが見えたんで近寄るのはやめといた。おっさんでも、やっぱり心は乙女だから混浴はね。
宿は普通に営業してたけど、宿の主人は知らない顔だったわ。《咎人》の従業員も見当たらなかった。
途中で飽きちゃったらしいルルリリは、ひとりで中央の噴水脇で遊んで待っていた。ってか濃い緑の烏に似た鳥を追いかけてるんだけど……ああ、やっぱり。怒った烏もどきに逆襲されて、慌てて飛んで逃げてきたわ。自業自得でしょ。烏をやっつけてくれ、とか泣きついても駄目だからね。
ルルリリは自らこちらの世界に残ることを選択したんだと、あとでテルンさんから聞いた。ダングルに撃たれて首輪が壊れたんじゃなくて、あたしの目を誤魔化すために一旦外した首輪を着けてたみたい。
《咎人》たちを集めて残るか戻るかと問われて、ルルリリはひとりで考えて、ひとりで決めて、ひとりでテルンさんに決意を伝えたんだって。で、その気持ちを汲んだテルンさんは、あたしじゃなくエリファさんに首輪の解錠を依頼したってわけ。
「帰りたがってないのはなんとなく知ってたけど……あたしがいなくなってたらどうするつもりだったんだろう……」
「どちらを選択するにせよ、責任を持つのは己自身です。姿は幼いですが《咎人》ならば中身は大人でしょう。チヒロさんが大人の選択に責任を感じる必要はないですし、感じるべきでもありません」
ルルリリが残るじゃなくてあたしと一緒にいるを選択したのだったら……そんな疑問が浮かんだ。日本に連れて行って、ルルリリは幸せになれるんだろうか、ってね。
ルルリリは空飛ぶお喋り仔狸、つまりは異形。世間の好奇の目に晒されるのは間違いないわよね。そんな状況からルルリリを守るなんてこと、あたしにできるんだろうか?
それに、やっと見つけた再就職の口を棒に振ったあたしが、再々就職なんてできんの? 自分ひとりの生活すら不安なのに、他人をひとり養うなて不可能じゃない?
そういうリスクをルルリリはちゃんと考えていたんだろうか? あたしが責任を取る必要はないっていわれても……やっぱり気になる。
ソネミには相談していたらしいんだけどね。でも戻ることを選択したソネミは、もうこの世界にはいない。二度と会うことはないし、話を聞くことも叶わない。片言の幼い獣人の気持ちは永遠の謎ってこと。
そういえばテルンさんたちが選択肢を提示はしたけれど、残った《咎人》はそれほど多くなかったみたい。咎人の聖域の娘たちも、女人の村の娘も、ほとんど見かけない。少なくとも名前と顔がちゃんと一致する娘はひとりも残らなかったんじゃないかな。帰れば犯罪者扱いだけど、こっちも居心地が良かったとは限らないしね。そもそも《咎人》たち全員に意思確認できたわけじゃないし。
そう考えると獣人の残留率は意外と高いのかな。元々の《咎人》全体に締める獣人の比率に対して、残ってる獣人の数はずいぶんと多いみたい。
それもこれもギルラン伯爵の趣味というか性癖のお陰かしらね。《咎人》として送り込まれてきた獣人娘たちの大半は、ギルラン商会に所属するか商会を通して売買されたりとなんらかの関係を持ってたからね。娼館がどうなるかはわからないけど、普通のお水系の仕事は継続するみたいだし、生活に困ることはないって安心感が決断の後押しになったんじゃないかな。アゲハやユキヒョウみたいな特別なお気にじゃなくても、待遇は悪くなかったみたいだしね。
ルルリリの場合もそうだったけど、獣人って児童の性的虐待とかの罪を犯してるケースが多いのよね。更生が難しかったり、更生しても社会に受け入れられ難いみたいだし、残るほうが都合がいいのかも。本来の自分の記憶とか感情はかなり曖昧みたいだけど、望めば魔道器で自分の罪を確認できたはずだし、損得勘定を優先するのも無理はないわよね。
ブグルジやハリュパスたち旧世界人たちは制度の崩壊とは関係なくギルラン商会で働き続けるわけだし、獣人たちの行く末は割と明るいのかも。
ただねえ、《咎人》の残留率が低かったのは、旧世界の人たちには期待外れだったって話も耳にしたわ。
咎人制度って他所の世界から犯罪者を流刑にして復讐を制度化したってだけじゃなくて、旧世界の人たちもその制度の中に巻き込んじゃってたじゃない。そのせいで旧世界の女性も《咎人》相当って扱われて、片っ端から殺されちゃってるのよ。
つまりこの世界の人口は、男が圧倒的多数で女はごくごく僅かなの。生物学とか社会学とか理屈はよくわかんないけど、人口の維持、社会の維持とか危ないくらいなんだって。
だから元《咎人》たちを女性として受け入れて、婚姻を奨めて行こうって考えていたみたい。肉体的には完全に女性なわけだし、当人たちも女性としての自覚があるみたいだし、いいのかなあ……? 《咎人》って元々は男ってことが多いけど、妊娠出産できるのかしらねえ? 獣人とかもいるわけだし……ってギルラン伯爵は気にせずハーレムを作るんだろうけど。
っていうか、魔道とかいう謎技術のある世界だし、あたしの知らない解決方法があるのかも。
そうそう、旧世界って、元々は王制の国だったらしいわ。ギルラン伯爵とか貴族だったわけだしね。
でも余所者を追い返し、咎人制度を終わらせけど、王制は復活しないみたい。王様が悪いんじゃないけどね、王族の一員だったエリファさんが咎人制度の成立に関わってたってのが悪印象なのかな。
そう、エリファさんの結婚した人って偉い人らしいとは聞いてたけど、実は王族だったんだって。
ってことは、その甥であるチャチャルは、世が世なら王子様だったってこと? ウッソーん!? 頭の回転は速いし、身のこなしも人当たりも軽やかで、男の娘みたいに可愛いけどさ。チャチャルが王子様って、似合わないわ。
ま、チャチャルは今でも情報屋を続けていて、あたしも《冒険者》として時々はお世話になっている。でもいちばんのお得意様は、今もテルンさんだって。っていうか、テルンさんの手足となって国中の様子を探るのが本業になったみたい。
テルンさんは当然奴隷商人は辞めていて、今はこの国を立て直してできれば共和制国家を作ろうとしてるんだって。要は政治家ってことよね? 共和制のトップって大統領とかなのかな? よく知らないけど、いずれはテルンさんがその地位につくんでしょうね。当人は国家元首だとかになるつもりはないっていってるみたいだけど、だったら他に誰がいるのよって話よね。
一応、あたしもこの世界の一員として認められて選挙権ももらえるっぽいから、そうしたら絶対にテルンさんに一票いれるわ。立候補しようがしまいが関係なし。みんなが投票用紙にテルンさんの名前を勝手に書いて祭り上げる未来が目に見えるようだわ……。
エリファさんとの関係は進展する様子はない……ってか、二人ともさせるつもりはないみたいね。エリファさんが表舞台に出るのを嫌がってるってのもあるみたいだし。
でもエリファさんの故郷である世界の人たちがまたこっちに手を出したり、咎人制度を復活させようとするのを阻止するためにも、エリファさんの研究は重要になってっくる。そういう意味でも、エリファさんは常にテルンさんの傍にいることになるんじゃないかな。
気は優しくて力持ち、おまけに技術者としても優秀なガルガウィも近くにいることだし。うん、きっとなんか上手く行きそうな気がする。
元の世界へ帰ることを諦めたわけじゃないけどさ。こっちの世界も、これからは決してイヤなことばっかりじゃないんじゃないのかな。そんな気がするようになってるわ。
ルルリリが、これ以上空腹に堪えられない、って顔で食堂の前を飛び回ってる。うん、そうね、もうお昼も間近だし、あたしもお腹が空いたわ。思い出に耽るのも、茂樹にメールを書くのも、いい加減終わらせてご飯に行かなくっちゃ。
初めて来たときにはゼロだったアンテナの本数が今や全部元気に立っているのを確認して、あたしはメールの送信ボタンを押した。
◇◆◇◆◇
あたしの体験なんて、どうせ信じてもらえそうにないからね。詳しいことは、帰ったときにでも話すわ。
それよりも、茂樹。くれぐれも『勇者シゲリアの凱旋』をそのままあすらちゃんに見せちゃ駄目よ。誤字脱字のチェックだけじゃ足りないんだからね。
あたしが書いてあげたレビューとか感想とか、よく読んで書き直しなさいね。
最後になったけど、兄さんとお義姉さんによろしく。
あっ、やっぱり伝えなくていいわ。いろいろ面倒そうだから。
このメールが届くって保証もないしね。届いたらラッキーってことで。
じゃあね、きっといつか帰れると信じて――。
チーロこと岸根川千尋
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――メールが送信されました。




