あなたが助けた亀は金色ですか、それとも銀色ですか?
「ソネミ? え? 本当にソネミなの?」
あたしが呼びかけると、ソネミはこくりと小さく頷いた。
こっそりと逃げ出そうという気は、なくなったらしい。肩を掴んで捕まえようとしていたジヌラも、そっと手を放した。
「生きてたんだ……」
思い詰めたユミルさんに斬られたソネミの黄色い髪がはらりと落ちる、あの晩の光景が脳裏に蘇った。ばったりと倒れ伏す身体よりも先に地面へと転がっていったソネミの首……あれは錯覚だった? 暗かったし、人が殺されるところを初めて見て動転してたのは間違いないんだけどさ……?
でもソネミはあたしの問いに対して、黙って首を横に振って否定した。ってことは……幽霊? まさかね?
「知り合い……か?」
ジヌラは険しい顔をしていた。その視線は、あたしに突き刺さっている。この世界で、こんな視線を向けられるのは《咎人》だけかと思っていたのに。珍しいっていうか……ちょっとおっかない。
「うん、まあ……。奴隷商人の隊商で仕事したときにちょっと……」
「まさか、あんたがこの《咎人》の《復讐者》じゃないだろうな!?」
「とんでもない!」
そりゃ誤解ってもんですよ、旦那。あたしはしがない《討伐者》。それも仮魔道札しか持ってない半端者。いや半端者って、一人前になりたいわけじゃないけど。
ってか、ジヌラのおっさん、いきなり怒鳴ったりしてなんなの? 《咎人》に同情的っぽいから、あたしがソネミの《復讐者》だったらまずいって考えるのは、理解できなくはないんだけどさ?
まあでもあたしの事情なんて、この際、どうでもいいこと。あれこれ説明するのは省いて、とりあえずあたしがソネミの《復讐者》じゃないって納得してもらえれば、それでいい。
「ソネミの、彼女の《復讐者》は身分を剥奪されたって聞いてる」
ジヌラの怖い顔に、ソネミはちょっと引き気味だった。少しずつじりじりと後退りして、いつの間にかあたしの背中に隠れるようにしている。
「そんな隠れるなよ、ほら首輪の登録をしないと。大丈夫だよ、痛くしないから」
ジヌラが精一杯に猫撫で声を出してもソネミの疑り深そうな視線は変わらない。元が人の好さそうな見た目に、一旦実は怖そうだとなると、もういちどそれを拭い去るのは難しいのかな?
まあ、そんなソネミの態度でジヌラのあたしに対する疑いも晴れたみたいだった。っていうか、仮魔道札見せたのに信用しないって、なんなのよ、このおっさん?
ソネミが嫌がるので、奴隷の首輪はあたし名義で登録した。ジヌラは傷ついたような顔をしていたけど、自業自得ってものよ。
祠の中には、他にはこれといって見るべきものはなかったので、ソネミとのあれこれが済むとすぐに里に向けて出発した。
っていうか、どうやって《咎人》が現れるのか、その仕組みには興味あったんだけど、結局、わかんなかったのよね。
ソネミは気がついたら祠の中に立っていたらしいんだけど、床に呪文とかが刻まれてるってわけじゃなさそうだし……。天井にも別に仕掛けがされてる様子はなかった。天井っていうか屋根の裏側が剥き出しなんだもん、あれじゃ何も隠せないって素人でもわかるわ。
「里についたら、首輪の登録は里の長にやり直してもらうから。安心しろ」
《咎人》に同情的なはずのジヌラが急いで奴隷の首輪を登録しようとしたのには、ちゃんと理由があったみたい。他の《討伐者》に奪われて酷い目に遭いかねない、というのだ。こんな山道で出会すのなんて熊くらいなもんでしょって気がしないでもないけど。
安心しろってのは、あたしがまだ信用ならないって意味ではなくて、ジヌラ的には里の長の名前を出すのがいちばん信頼されるってつもりらしかった。ソネミは里だの長だのを知らないみたいだったけど、ジヌラなりの誠意ってことみたい。おっさんというか男って、そういう権威みたいなものに弱いとこあるからねえ。「俺のパパ、パイロットだから」って自慢してるガキみたいなものかもね。
ソネミの気持ちはわからないけど、とりあえず里に一緒に行くことは納得したみたい。最初に会ったときみたいに逃げ出したとしても、あたしには追いかけて捕まえようって気持ちはないんだけど。でも冷静に考えれば、下手に他の《討伐者》に捕まるよりは安全だって、きっとわかったのよね?
ルルリリはソネミのことが気になっているみたい。基本的にあたしの横を歩いてるんだけど、ときどきふわっと羽ばたいてはソネミの顔の回りをぐるっと飛んで戻ってくる。好奇心と警戒心の入り混じったような微妙な表情でじーっと凝視してるのが可笑しい。なんか、新入り猫の様子を窺う先住猫ってこんな感じらしいじゃん?
ソネミも同じように気にしてるみたい。最初のうちは触ろうと手を伸ばしてたけど、ルルリリが絶対に手の届く範囲には近づかないから、「おいで」って呼びかけるだけにしたみたい。可愛くって口元とか目元とかに自然と笑みがこぼれちゃうって顔してる。ルルリリはどっちかっていうとブサカワなんだけどね。
ま、とにかく、旅の道連れが仲良くしてくれそうで嬉しいわ。
ジヌラとは若干距離感があるような気がするけど、おっさんだからしかたないわよね? え? あたしもおっさんだって? ジヌラが微妙に嫉妬したような目つきであたしを見るのは、そのせい? でもこっちは中身は女だから、こう内側から滲み出るものに共感してるのよ、きっと。
気になるのは、あのあとソネミがどうなったかだ。
「それにしても、よく助かったよね、ソネミ」
たとえ首と胴が離れてなかったとしても、斬られたことは間違いないはず。出血多量だったわけだし、自然治癒したなんて絶対に思えない。
「まさか……幽霊なんかじゃないよね?」
冗談めかして訊いたけれど、ソネミは不思議そうに首を傾げただけだった。こっちの世界じゃ年がら年中《咎人》が殺されてるっぽいし、幽霊なんて出てる暇ないのかしらね?
「祠から現れたんなら、助かっちゃいないだろう?」
「えっ? それってどういう……?」
「斬り殺されて死んだから、もういちどやり直しになったに決まってるじゃないか」
えっと……それって要約すると死んだら生き返るって意味?
ソネミに向かって目で問いかけると、自信なさそうに頷いている。ジヌラの発言じゃなくって、あたしの疑問が理解できてないってこと……らしい。
腹立たしいことに、あたしの顔の前に飛んできたルルリリが「大丈夫?」ってな感じで頭をくきゅっと横に傾げている。ちょっとムカっときたんで、カギ尻尾をむんずと握り締めると「きゅわわ」と「ぎゃわわ」を足して二で割ったような悲鳴を上げて逃げてった。
「オコリを見ただろう? 《咎人》が定められた務めを終えて解放されるときには、首輪が自然に外れるんだよ」
ソネミが倒れたときに首輪が外れたのかどうか、見た憶えはない。あたしの脳味噌の中には胴体から離れる首の残像が浮かぶだけなんだけど、そこに首輪があったかどうか……? 首が離れたんだから外れたかもしれないけど、ジヌラがいうのはそういう意味じゃないよね?
だから同じだったか違っていたか断言はできないんだけど……でも確実に違っている点がひとつある。オコリの遺体は薄青く光っていて、まるで塵のように散って消えてしまったのだ。
「《咎人》の務めって何? 死んで解放されるってどういうこと?」
「あんた《討伐者》だよな? そんで記憶を封印してんだっけ?」
ジヌラが難しい顔をする。記憶を封印ってのは、ゴラゾラ・ザ・馬鹿兄弟がグチグチとあたしのことを馬鹿にしていってたんだっけ? わけわかんないから無視してたんだけど……なんか意味あったの?
「まあ、いっか。俺もちゃんとした説明は苦手だからな。里で長殿が教えてくれるさ」
◇◆◇◆◇
里まではもう少しとジヌラがいうから安心していたら、その日のうちに到着するってわけじゃなかったみたい。結局、ひと晩は野営する羽目になった。斜面続きからは抜け出せたから、斜めに寝ないで済んだのだけが救いかも。
ひとり増えたけど、糧食は特に問題なし。相変わらずルルリリがちょこまかと食べられる物を集めてくるし、ソネミも最低限の知識は持ち合わせているみたい。ジヌラもオッケーだし……嘘、駄目な素人はあたしだけ? この際、開き直って三人に貢がせてるって妄想でもしてようかな?
「あともう少しだ」
その言葉を聞くのは何度目だろう……。ジヌラの視線に釣られて目を上げると、木立の切れ目に屋根がちらちらと覗いているのに気がついた。
「あれが里……?」
「ああ。このあたりはもう勢力範囲だから、武器を持った連中に出会っても騒がず大人しくいうことを聞いてくれ」
そりゃ、もちろん。あたしは平和主義だもん。抵抗しなければ何もしないってんなら、いくらでも従っちゃうわ。
でもあの屋根……ここからどのくらいの距離なんだろう? 最初の印象では五分も歩けば開けた場所に出るんじゃないかって感じだったけど、まだまだ木々の密度に変化はない。
実は遥か遠くからでも見えるくらいにバカでかい、巨大建造物だったりして?
緑の合間に見える屋根を目指してしばらく歩いていると、突然、ルルリリが握っていた手を放して飛び上がった。小さな翼を必死でばたばたと動かして、おまけに手も平泳ぎでもするように空中を掻きながら、懸命に高く上がろうとしている。
「どうしたの、ルルリリ? なんかあった?」
重力に逆らいきれずに落ちてきても、ルルリリはまた上に行こうとする。耳は顔の前のほうへピタっと揃い、よく見れば口元の猫ひげも前方にピュっと寄っている。なんだか獲物に気づいた猫っぽい?
「誰か来る……?」
ジヌラが、がばっと伏せて地面に耳をつける。これって……忍者とかがやるやつ? 音、聞いてんの?
「走れ!!」
立ち上がるなり叫ぶと、ジヌラは先頭を切ってまっすぐに駆け出した。ソネミも躊躇うようにあたしの顔を見ながらも、すぐにジヌらを追い始める。
えっ? 何? 里の見回りが来たんじゃないの? 違うの?
ぼけっと見回していると、髪を引っ張られた。ルルリリがあたしの髪の毛を引っ掴んで、前へ進もうと頑張ってる。
木立の向こうから、馬の蹄のような音が聞こえてくる。映画とかで見る馬よりもズシズシとした重量感があるのは、きっと魔道馬。魔道馬の足音なら、結構、聞き慣れてるから間違いないはず。
ってか……なんで魔道馬が? こんな狭苦しい林の中、動きにくいだろうに?
「おっ! どっかで見たようなやつらがいるぜ!?」
「なんかひとり増えてねえか?」
どっかで聞いたような声。嘘……まさかゴラゾラ馬鹿が追いかけてきたの?
ルルリリがイライラとした声で「アーアー」と唸りながら、髪の毛を思い切り引っ張る。痛っ痛い……じゃなくて、あ、走れってことだよね?
やっと頭の理解が追いつく。飛んでるルルリリの腰を捕まえて、脇に抱えてあたしも駆け出す。
「ど、どうすんの?!」
「とにかく里まで走れ! 里に逃げ込めば……」
ジヌラに追いつき後ろを振り返ると、木々の間から魔道馬の姿が黒々と浮かび上がって見えた。その横を人影がふたつ、つかず離れずで走っている。
ゴラゾラは魔道馬に乗っていない? そっか魔道馬は林の中で走るには大きすぎるし、乗り手の顔に枝が当たりまくるから駄目なんだ?
荷物を魔道馬に積んでる分だけ、ゴラゾラのほうがあたしらより走りやすいかも? でも魔道馬に注意を払ってる分だけ、スピードが出し切れてない?
あたしとジヌラだけなら荷物を担いでいても、もうしばらくは追いつかれずに行けるかもしれない。でもソネミは少しずつだけど、速度が落ちてきている。息もだいぶ荒くなってるみたいだけど……頑張れ、ソネミ。
腰を探って魔道銃を抜く。走っていても狙いが関係ない魔道銃なら当たるはず。問題はあたしが人間相手に撃つってイメージが持てるかどうか……。
後ろへ向けて「発射!」って心の中で念じる。バサバサと派手派手しい木の葉ずれのような音が聞こえる。
「どこ狙ってんだよ!?」
「馬鹿じゃねえの?!」
馬鹿に馬鹿といわれてしまった……。振り向いて確認してる暇はないけど、枝に当って大きな音を立てただけみたい。
「里って、あとどのくらいよ!?」
「もう少しだ!」
ジヌラの言葉は具体性が全然ない。あとどれだけ走ればいいのさ!?
後ろからヒュンという音がして、足下の地面に矢が突き刺さる。あの馬鹿兄弟、人に向かって平気で矢を射かけてくる。
もういちど魔道銃を後ろへ向け、折れた木の枝が兄弟を妨害するのを想像する。人に当たれって思えないから、苦肉の策ってやつ。
ドサン、バサバサンって音がして、兄弟が「くそー」だの「邪魔だ」だの喚くのが聞こえる。ちょっとくらいは足止めになっただろうか? でも魔道馬のズシズシいう足音は止まらない。
「俺だ、ジヌラだ! 門を開けてくれ!!」
ジヌラがやたらとでかい声で怒鳴った……って誰に向かって? と思った途端に、目の前が急に明るくなった。木立を抜けたんだ。
そこは丈の高い木の塀にぐるりと囲まれていた。柵じゃなくて塀だし、身長の倍はあるんで中の様子は覗けない。
「追われてるんだ! 早く開けてくれ!!」
門の部分は他より一段と高くなっている。西洋風の建物ばかりのこの世界には珍しく、和風のお屋敷っぽい門構えだ。造りが木だからそう思うのかもしれないけど。
その門をジヌラはガンガン、バンバンと叩き続ける。あれよ、時代劇かなんかで「ご開門!!」って叫んでるみたいな感じ?
門の向こう側には人がいるのかいないのか? ジヌラが叩く音が大きすぎてよくわかんないわ。
「逃げられると思ってんのかよ」
「ここか? 隠れ里ってのは?」
馬鹿兄弟の足音とともに、ヒュンヒュンと空気を裂く音がした。続け様にタン、タンと塀に矢が二本突き立った。
ジヌラも、ソネミも、ルルリリも、あたしも――みんな背中を塀にくっつけて、縫いつけられたように身動きできない。
お願いだから中の人、門を開けて中に入れて……!
そのとき塀の上のほうに人の気配がした。ゴトゴトと何か思い物を動かすような音もする。
次の瞬間、大きな音がした。バン? ボム? ズドン? そういった爆発系の音。
「うおぉ、やべっ!」
「わわわっ! うぁ! 撃つな!」
魔道馬が大きく揺れている。膝かどっかに当たったの? 巨体がゆっくりと倒れていく。
兄弟もそれには驚いたのか、弓を手放し、両手を上に降参のポーズ。ところが――。
「我らに仇なす者には容赦せぬ!」
塀の上からおっさんの濁声が轟いた。と同時に、ふたたびバン、ボム、ズドン! ゴラゾラ兄弟がばったりと倒れた。
えっえええー!? いきなり撃っちゃうの? 《咎人》の命が軽いのは嫌ってほど見せつけられたけど、《討伐者》も同じ扱いしちゃうの? いいの? 大丈夫なの?
ソネミは青褪めた顔色で呆然としている。宙に浮いていたルルリリは羽ばたきを止め、あたしの肩の上にぽとりと落ちてきた。完全に固まっちゃってる。あたしもたぶん、いつもの現実感と危機感の乏しさのお陰で二人よりは多少はマシかもしれないけど、それでも似たような顔色なんだと思う。
ジヌラは……本気で安堵したって顔をしている。ひとりだけ顔色を取り戻しつつあるって感じだ。塀の上で銃だか大砲だかを撃っていた人物に向かって何やら話しかけている。
「助かったよ。間に合わないかと思った」
「お前がひとりじゃないんで様子を見ていた」
「ああ、こいつらは途中で拾ったんだ。そっちの《討伐者》も、まあとりあえず信用して大丈夫だ」
ジヌラの言葉に頷いた塀の上の人物が、下に向かって手で合図をした。
「ようこそ、咎人の聖域へ」
ホーンテッドマンションみたいな気味悪い音を立てて、門が開かれた。




