ひとりでできるもん
獣人の町、すなわち南東の町はこの国をぐるりと囲む街道沿いにある町だ。
つまりはこの国の中央までは魔動車でおおよそ十日かかるってこと。定規とコンパスで書いた図形じゃあるまいし、街道は綺麗な真円じゃないんだけど、大雑把な計算ではそれは間違っていないはず……なんだけど。
そんなことはないんじゃないかな、といって前を歩くチャチャルが、くるりと振り返った。
「南東と中央の間の道じゃ、全速力は出せないからね」
東西南北の要所と中央の間は立派な街道が整備されているから魔動車は全速力が出せる。でも南東からの道は狭かったり起伏があるから、そんなに速くは走れないってことだ。
「それにしても、歩くとひと月以上かかるのは……なんで?」
東海道五十三次は二週間ぐらいかかっていたと聞いた憶えがある。学校の授業で聞いたんだっけ? それともテレビ?
ひと月ってことは東京―京都間の二倍で、それが円の半径……って、この国、かなりでかくない? 日本が小さすぎるのか?
「ボクなら二十日もかかんないけど、旅慣れていないでしょ? 仕事を受けて数日間滞在ってこともあるし、ルルリリもいるしね」
そういって差し出すチャチャルの手に、ルルリリがぶら下がるようにして掴まる。
ルルリリは町を出る前に買ってあげたピンクのノースリーブチュニックを着ている。パステルやビビッドじゃなくて、チョコレートピンクを選んだあたしのセンスを褒めてほしいわ。ごつい奴隷の首輪はピンクのリボンで包んだし、毛色といい具合に馴染んでとっても可愛い。
驚いたことにルルリリはかなりの健脚だった。ここ数日の間、ほとんど自分の足で歩いている。抱っこしたのは小川を歩いて渡ったときだけで、それ以外はあたしたちと同じ距離を歩いて平然としている。
歩くスピードも意外に速い。山道用に靴を買い直したあたしは滑らずに楽々と歩けるようになってるし、チャチャルもすらりと長い脚でさっさと歩くけど、ルルリリは負けずにちょこまかちょこまかしっかりとついてくる。
唇を軽く尖らして懸命に歩く姿を観察してると、ときどき、小さな身体がふわりと浮き上がるのがわかる。雀模様の翼がパタパタと忙しなく動いて……飛んでるよね? 羽ばたいて浮くことで一歩あたりの距離を稼いでるってことみたい。
普通に歩くよりも疲れそうだけど、獣人ってやっぱりスタミナが底無しなのかしらね?
チャチャルは道を歩きながら、いろいろと旅の知恵とかこつみたいなのを教えてくれた。
「木の実がなる季節でよかったね。これが意外と腹の足しになるんだよ」
そういってするすると木に登っては、赤や黄色、柿や梨に似たような実をもいでくる。元の世界の売り物みたいに甘くて果肉も果汁もたっぷりってわけにはいかないけど、不味くはないってか結構イケる。
あたしはチャチャルみたいに身軽じゃないから木登りはちょっと無理だけど、手が届く高さのも多いし、ルルリリを押し上げて採ってもらうってのもありかも。もっともルルリリは果物はあんまりお気に召さないのか、汁気の多いやつをあむあむとしゃぶる程度だ。
「買い込んだ食料だけでやりくりするのは無理かな?」
「節約しても……ちょっと無理でしょ」
南東の町では先を見越して、大量に食料を買い込んでいた。元の世界から持ち込んだリュックに干し肉だのなんだの軽くて日持ちするものを中心に目一杯詰め込んだつもり。
でもキャンプ用じゃないリュックの容量なんて高が知れてる。だから歩きながら簡単に手に入る果物も食料にしちゃおうってわけ。
でもねえ……日本人のあたしとしては、果物が主食の食生活はかなり辛いものがあるわ。
「他に食べれるのは? そろそろキノコの美味しい季節だよね?」
食べ物の季節が日本と同じって保証はないんだけど、足元に目をやれば木の根元なんかにキノコっぽいものが見え隠れしている。
「キノコは絶対にやめたほうがいいよ。毒があるのを見分けるのは難しいから」
派手な色合いのが毒ありとか、その逆とかって考えるのは安直だったか……。試しに目についたキノコを一本とったら「これは毒」って捨てられた。
ルルリリが真似をして、似たようなのを一本ぐちゃりと握り締めて掴み取る。慌てて取り上げようとしたら「んーんー!」って唸って猛抗議。そのまま、いきなりパクリと齧りついちゃって――。
「ルルリリ! 駄目よ、ペッてして、ペッ!」
とっ捕まえて、背中を叩いて吐き出させようとしたけれど遅かった。もぐもぐ、ごっくんと無表情なまま飲み下す……でも、急にばったりと倒れるなんてことはない……みたい?
まさか……獣人には毒が効かない? ルルリリって特異体質?
ルルリリを抱えたまま泣きそうになっているあたしを見て、チャチャルはけらけらと笑った。
「猛毒じゃないんだから、食べた途端に倒れたりしないよ」
「え? それじゃ……? まだ間に合うの? 早くお医者さん!!」
「大丈夫、ルルリリは、ちゃんと見分けられるみたいだよ」
「ほんと? ほんとに、ほんと?」
身を捩ってあたしの手から逃れたルルリリは、カギ尻尾をぴょこぴょこさせながら、ひとり先を歩き始めていた。
「まあ、キノコしか食べる物がないって状況になったら、ルルリリに任せたほうがいいかもね」
「う……、うん」
チャチャルはくすくすとひと頻り笑っていたけれど、すぐにルルリリを追って歩き出した。
おっと、こうしちゃいられない……あたしも我に返って二人を追った。
でもルルリリの食べ物が人間と同じでよかったわ。じゃなかったら荷物が倍になってたわけでしょ? それってちょっと辛くない?
「同じ物を食べるってことは、奪い合いになるってことだよね?」
チャチャルは可愛らしい笑顔を浮かべながら、なかなか怖いことをいう。
「そういうときは奪い合うじゃなくて分け合うっていうの」
「あ、そうか。そうだね」
ルルリリは、たいていは、あたしと手をつないで歩く。奴隷の首輪に主人として登録されているからだとチャチャルはいうけれど、あたしとしては純粋に懐かれてるんだと思いたい。ま、ときどきチャチャルにしがみついてることもあるから、単に性格が人懐こいだけかも。
ときにはルルリリを真ん中に三人並んで手をつなぐこともある。知らない人が見たら父母子三人連れに見えたりして……?
ぱっと手を振り解いて、ひとりで歩きたがることもたまにある。逃げようってんじゃなくて、道脇の茂みにトコトコと寄ってったり、木の皮を剥いで裏側を一生懸命眺めてたりする。
叢にしゃがみこんで地面を穿ってたと思ったら、何かを握り締めてにんまりしたときには、やばいって思ったわ。そういうとき小さい子って、次の瞬間には握り締めた手を口に持ってくのよね。少なくとも三歳頃の茂樹はそうだったわ。
「ルルリリ、それ何? いいな、ちょうだいよ」
キノコのときの反省から、駄目だって大騒ぎせず、羨ましがり欲しがってみせる。ルリリは「くぴっ?」て感じに首を傾げ、素直に握った左手を差し出してきた。
ありがとね、って受け取ろうとして……口から漏れそうになった悲鳴を堪える。まるまるふっくらした白い虫。カブトムシの幼虫っぽいやつ。虫が駄目ってわけじゃないけど、やっぱりぎょっとしたわ。
受け取って、ああ良かったと思ったところが、ルルリリは右手にもういっぴき、幼虫を握り締めていてね。それをまたパクリと……。
恍惚とした顔でもしゃもしゃ口を動かすルルリリ――。
昆虫食って珍しくないよ、ってチャチャルは平然としていたわ。そりゃ日本にも蜂の子とか食べる地方があるのは知ってるけどさ、やっぱりあたしとしては抵抗がある。
「苦手なら無理して食べなくていいんじゃない? ルルリリは自分で食料調達できるってわかれば十分でしょ」
たしかにチャチャルのいう通りなのよね。助けたことは後悔してないつもりだったけど、旅の足手纏いになったら困るなって思ってなかったといったら嘘になる。でもルルリリは自分のことは自分でできる良い子みたい。
チャチャルは、簡単な野営のしかたも教えてくれた。
雨や風を避けられる場所の選び方。昼と夜の気温差への対応。獣や魔物、あるいは盗賊から身を隠す方法。寝床の作り方等々。
テルンさんやブグルジとの旅ではほとんど人任せで憶えなかったのよね。だってどうせすぐ帰るんだって思ってたから……。
火の扱い方も教えてくれたわ。薪の選び方、集め方。長時間、焚き火を保たせる方法とかね。
火の熾し方もね。あたしは非喫煙者だからライターなんて持ってないし魔法も使えない、かといって木と木を擦り合わせるってのも難しそう……なんて思ってたら簡単な道具があるんだわ、これが。
手の中に握れるくらいの大きさの四角い器械。まあ、見た目はまんまライターって感じ。蓋を開けると魔方陣が発動してうんたらかんたら……って細かい説明はよくわかんなかったけど、ガスとかオイルとかは不要で、ときどき魔道を町で補給すればいいんだって。魔道札とかと同じく魔道器ってことね。
「いちばん近くの集落の手前までは、ボクも一緒だから必要ないんだけどね」
でもその先のことも考えると、憶えて損はないはず。
「町や村以外にも人が住んでたりするの?」
「村ってほどじゃないけど、中央の近くには集落とか人家があるよ。他の旅人も偶には見かけるかな」
そっか、人が住んでいるところを狙って歩けば野営しないで済むってことね。旅人の野営に入れてもらったり、食料の物々交換とかもできるかも。
「でも騙されたり危ない目に遭わないように気をつけてね」
安直な妄想をしていたら、チャチャルにマジで心配されてしまった。大丈夫よぉ、あたしは今はおっさん、貞操の危機なんて無関係よ。
はっ、でも……? フリフリ揺れるルルリリのおむつに目が行く。おむつはともかくカギ尻尾は……魅惑的?
「もしやルルリリを狙って襲ってくるとか……?」
ギルラン商会の客のような変態じゃなくても、《咎人》を蹂躪することが役目だとばかりに襲ってくる《討伐者》はいるのかも?
「所有者のチヒロさんが嫌がれば、わざわざ喧嘩売ってまで襲わないとは思うけど。でもねえ……獣人は好き嫌いが激しいから」
「……?」
「泊めたり、食料を売るのはお断りって可能性なら大いにあるってこと」
うーん、ルルリリだけ外に置き去りにするのは問題外だけど、交渉や取り引きのときは隠すくらいはしないと駄目かしら?
チャチャルは料理の腕もそこそこみたい。必要最小限の道具で器用に調理する。あたしも負けじと頑張ったけど、フライパン兼用の小鍋と万能ナイフにそのへんで拾った石のまな板じゃ、やり難くって……結局、チャチャルに頼りっぱなし。
道々集めた野草と、めちゃ塩辛い干し肉で作ったスープ、それに乾パンもどきみたいなのが定番の夕食だ。乾パンがお気に召さないルルリリは、そのへんで羽虫や蜥蜴っぽいのを捕まえてるみたいだけど、目を瞑ることにした。
食後は焚き火の前でのガールズトーク。どっちも男なんだけど、そのへんは雰囲気で。
「ルルリリ、すっかり寝ちゃったね」
口を大きくあーんしたルルリリに、自分の食事は後回しにして食べさせてやるあたし。まるで母親だわ。
食べ終わって満足するとルルリリは、今度はあたしの膝の上へよじ登る。食べ終えたチャチャルが抱き取ってくれるので、ようやくあたしも食事にありつける。
「チャチャルって子守りが上手だね。弟か妹がいるの?」
あっ……うっかり訊いてしまってから気がついた。そういえばチャチャル、親を知らない様子だったんだっけ?
「ううん、いないよ。ボクは男と女、父親と母親の間に生まれた最後の子ども、旧世界の忘れ形見なんだ」
「……?」
「旧世界が終わってやってきた新しい人々には、親もいなければ子もいないんだ。だってすべての女は《咎人》だから」
なるほど《咎人》は穢れた存在であり、その《咎人》と子どもを作るなんてありえないというわけだ。この世界の男にとって、《咎人》は憎悪と軽蔑の対象で、性的対象ならともかく恋愛や結婚の対象にはならないのだ。
チャチャルより幼い男の子を見かけたことがないということにも気がついた。
「獣人以外の子どもも見たことないね。獣人も卵から孵化した段階で、もう赤ちゃんとか雛って大きさじゃないしね」
「うん、ボクみたいな旧世界の人間と違って、新世界の人たちは獣人も含めて歳を取らないしね」
ルルリリの寝顔を見る。あどけない……狸顔。口を半開きにした間抜け顔。ふてぶてしい面構えで、べったり甘えん坊なルルリリ。
「もう少し成長したらお喋りできるって期待してちゃ駄目なんだ?」
「言葉を喋らないのは幼いからじゃなくて、喋らないほうが愛らしく見えるからそう振る舞ってるんだと思うよ」
チャチャルの指先が、眠るルルリリの口元をそっと擽るように動く。もぞもぞと身動ぎしたルルリリが寝言を呟く。「お替わり」と普通の発音だった。




