第23話(ユウキ) 現実を取り戻すために(2)
歩いていると、目の前に塔が出現していることに気づいた。もう道の先は暗闇になっておらず、その塔へと一直線に続いている。真っ白なそれは、ずいぶんと大きく、実際にそこに辿り着くまでに相当時間を要した。あまりに大きくて、正確な距離が掴めなかったのだ。すぐに着くだろうと思っていたのだが、予想以上に遠く離れていた。
過去の僕は、この中にいるのだろうか? 彼はこの女の子(名前はたしか、クルミと聞いた)をベンチに寝かせて、この塔を見に行ったのかもしれない。そして、まだ戻ってきていないことから、おそらくここで何かがあったのだ。もしくは、ここで何かを起こした。そのせいで、彼は戻ることができなくなった。
塔の近くまでやって来ると、一段とその大きさに圧倒されることになった。見上げても、てっぺんがかすんで見えない。頂上まで行くのにどれくらいの時間がかかるのだろう。エレベーターでもなければきついはずだ。だが、この世界にそういった便利なものが存在するのかどうかは疑問だった。
塔を中心にして、森は大きくひらけている。真っ赤な空が視界いっぱいに広がっていた。太陽の姿は確認できない。この光は、いったいどこから来ているのだろう? 太陽でなくても、それに代わる何かがあるはずだ。僕はしばらく空を眺めていたが、何も見つからなかった。太陽もないし、雲すらひとつも浮かんでいなかった。これほどの純粋な夕焼けの空を今までに見たことがなかった。
僕たちは広場をまっすぐに進む。塔をよく見てみると、扉のようなものが見えた。あそこが出入り口だろう。両開きになっていて、青銅色をしている。さらに近づくと、まったく意味をなしていない複雑な模様が扉の全面に描かれていることがわかった。
目の前までやってきた。彼がここにいるかどうかはわからない。入っていいのかもわからない。しかし、道の果てにこの塔があったのだ。重要な場所であることに間違いはないだろう。無限に続く森を探し回るよりも、彼がここにいる可能性を信じる方が有益に思えた。たとえ世界の破滅が近づいていても、できることとできないことがあるのだ。今はとにかく、できることを精いっぱいやるしかない。
片方の扉を手前に引っ張った。ずいぶんと重くて、渾身の力を込めてもゆっくりとしか開いてくれない。まさか女の子に手伝わせるわけにもいかないので、一人で何とか頑張った。扉はようやく、人ひとりが通れるくらいまで開いた。
「これ以上はとても無理だ。この隙間から、中に入ってみよう」
僕が先に通り、中の様子を見てみることにした。
塔の内部はがらんとしていた。ホテルの大ホールみたいになっていて、相当の広さだった。僕はてっきりダンジョンのようなものがあるのかと思っていたのだが、そんなことはなく、唯一のダンジョンらしきものといえば、入り口のすぐ左にある階段くらいのものだった。
階段は、塔の壁に沿って上まで続いていた。螺旋状になっていて、どこまであるのかはここからでは判断できない。頂上まで続いているのだろうか。見たところ、上まで行く手段はこれしかなさそうだった。
「うわぁ」
クルミが中に入ってくると、驚いたのか急に変な声を上げた。
過去の僕はこの階にはいないみたいだ。いるとすれば頂上か、あるいはまだ上っている最中かもしれない。当てが外れて、また下りることになるのは面倒だったが、僕は階段を上っていきたいと思った。ここで待つよりはずっと良い選択のように思えた。僕であれば、ここを上るだろう。過去とはいえ、もともとは僕だったのだ。この塔を見てどういうことを思うのかは、だいたい予想がつく。
世界の危機とかは関係なしに、てっぺんから世界を見下ろしたい。そういう欲望が、確かに僕の中にあった。きっと彼もそう思うことだろう。どうしてだかはわからないが、昔から高いところが好きなのだ。
「さて」と僕は言った。「まだまだ道は遠いけど、ここはひとつ頑張ってみようか」
「この上に、彼はいるのか?」とクルミは訊ねた。
「わからない。けど、いるとすればそこしかない」
僕たちは少しの休憩をとったあと、階段を上りはじめた。
段差は低めになっているため、上っていてとくに苦痛に感じることはなかった。彼女もとくに問題なく上れている。しかし、何しろこの高さだ。どれほど歩けば頂上に辿り着くのか、とても予想がつかなかった。ものすごく時間がかかるということは確実だ。夜になる前に目的を達成できるだろうか? 時間がどのくらいのスピードで進行しているのかは不明だが、かなり差し迫った状況であるのは間違いない。そんなときにこうしていていいのだろうか? それよりも森を探索した方が良かったのではないだろうか? どうするのかが正解なのかわからないままに、とにかく進んでいった。
途中途中に窓があり、そこから外の景色を眺めることができた。いつ夜になるのかが気がかりだったのだが、外はまだ橙色の空を保っていた。一向に夜になる気配がない。ここに来てずいぶんと経つが、意外に時間の進行は遅いみたいだ。だからといって油断はできないのだが、いくぶん心に余裕ができていた。
窓から見る景色はかなりのものだった。下には一面に森が広がっている。緑の木々が赤い光に照り映えて、絶妙な色合いを醸し出している。見ようによっては、もうすぐ終わりが近づいているのだと予言しているかのような不吉な色にも感じられた。
そしてあるとき、ひときわ大きな樹が生えているのを発見した。ずっと遠くの方だが、それは周囲の木に比べるとずっと大きい。よく目を引き、周囲に比べて浮き足立っているようにも見えたが、そんなことはお構いなしに堂々と立っていた。その樹には妙な感情を抱いた。体が内の方からむずむずするような、居ても立ってもいられないような奇妙な感覚だ。その正体はうまく言葉にできなかった。僕の関心は、塔よりもその樹に傾いていた。
頂上に着くまでにへとへとにならないよう、休憩しながら移動をしていった。僕だけなら何とかなるが、同行者にまだ幼い女の子がいる。体力の管理にはよほど気を使わなければならなかった。中盤にさしかかり、クルミの動きが極端に遅くなると、僕は彼女を背負って移動した。まだ小さいとはいえ、人間一人を背負っての階段はきついものだったが、のろのろ進むよりは効率的だろう。ここまで来ると、やはりクマのぬいぐるみが邪魔に感じられたが、彼女が手放そうとしないことはわかっていたので、ぬいぐるみごと彼女を背負う。そんな調子でたびたび休憩をはさみながら、どんどん上っていった。最後の方になると、僕たちはほとんど何もしゃべらなかった。そんな元気も残っていなかった。
ようやく終わりが見えてきた。外の明かりが、上から差し込んでいる。どうやら塔は上に行くにつれて細くなっていたようで、上っていくたびに螺旋階段を一周するのにかかる時間が短くなっていた。おかげで終盤はさほど苦労しないで済んだ。ただ、ここに来るまでの疲労がひどかったというだけだ。頂上への到達が目前ということで、僕も俄然やる気が湧いてきた。クルミを背中に乗せながら、着実に歩を進めていく。
そして、僕は最後の段差を踏み越えた。
少女を下ろす。彼女も、よくここまで頑張ってくれた。途中からはほとんど歩けなかったが、それでも良くやった方だろう。彼女は背中から下りても、僕の脚につかまったまま動かなかった。おそらく、あまり高いところは得意ではないのだろう。僕だって、あまり苦手でもないのだが、ここまでの高さとなると恐怖はある。
どの方角を見渡しても、下は樹木でいっぱいだった。地平線までそれは続いていて、そのずっと先に山の影が見える。この森は山々に囲まれているようだ。緑と、焼けつくような空の朱以外は何もなかった。集落などもとくに見当たらなかった。
突き抜けるような景色だった。ここまで高いところからだと、現実味を感じられない。夢の中の光景のようだった。でも、僕は現実にこの景色を眺めている。夢と現実のはざまで僕は景色を堪能していた。おそらく一生見ることのできないものだ。これまで閉じていた殻が気持ちよく開かれるような解放感に包まれながら、僕は長いこと塔の上の景色を眺めていた。自分が鳥にでもなったような気分だった。
十分に味わったところで、本来の目的に帰る。結局、彼の姿はここにはなかった。人のいる気配も感じなかった。もし隠れているにしても、肝心の隠れる場所がない。視界を遮るようなものは、ここにはひとつもないのだ。彼がいれば、そのことはすぐにわかる。ここにいるのは、どうやら僕たち二人だけのようだった。
空はまだ鮮やかな色を光らせている。まだ夜を迎えるようには見えない。面倒だが、塔を下りて森に探しに行くしかないだろう。
「しかし……森が、こんなに広かったなんてね」と僕は言った。正直なところ、ここに来た目的を忘れかけていた。景色にただ目を奪われるばかりだったのだ。ここをすぐにでも離れたかったのだが、足は言うことを聞いてくれなかった。
「すごい」とだけ、彼女は言った。まだ脚につかまっている。でも、目はちゃんと景色の方を向いていた。口を半開きにして、とりつかれてしまったかのように前を凝視している。こういった経験は、ずっと彼女の中に残るのだろうなと思った。小さいときにこんな貴重な経験ができるのは幸福なことだ。彼女のためにも、まだここを離れるわけにはいかなかった。
どれくらい時間が経っただろう。いきなり、後ろから足音が聞こえてきた。
音がするのは階段からだ。誰かがこちらに向かってきているらしい。僕は無意識に彼女を抱え、身構えた。僕たちを追ってきたのだろうか、それとも、偶然ここにやってきたのか。それは、彼、なのか、それとも別の人物か。僕の頭では、いろんなことが考えられていた。
ここに来る前に聞いた、老人の説明だ。僕につきまとっていたやつらは、記憶放出の影響を受けないように、『森』へと逃げてきたらしい。逃げる先は自分たちの『森』なのだろうが、それぞれの『森』では世界を共有している。だから、たとえここが僕固有の『森』であっても、彼らがここを訪れることは可能なのだ。詳しい方法はわからないのだが、老人の説明の通りなら、そういうこともありうる。
姿を見せるのが、さんざん僕を苦しめたあの化け物だとしたら、どうすればいいのだろう。僕にはできることがないように思える。僕ではあいつを倒せない。それが直感でわかった。武器さえあれば何とかなるだろうが、それでもほとんど有効なダメージを与えられないだろう。あの視線にはどうしても太刀打ちできないのだ。
そこまで考えて、あれ、と気づく。僕はここに来るとき、ナイフを持っていたはずだ。この少女に会うときも、手放さず持っていたはず。どうして今、僕の手元にはナイフがないのだ? 当時の様子を思いだす。僕はナイフをどこへやったのか、過去の記憶をふりかえってみる。そして、自分がベンチの横にナイフを隠したことに思い至った。あのナイフは、今もそこに隠されているのだろう。やってしまった、と思い、同時に、これからどうする、と考える。あれがなければ、僕は過去の自分と戦えない。武器なんてひとつも落ちていないのだ。そして、これから来るであろう者に立ち向かえるだけの力も失ったことになる。どうしようどうしようと迷っているあいだにも、足音はどんどん近づいてきていた。
しかし、目の前に現れた人物を見ると、僕は途端に力が抜けてしまった。姿を見せたのは、僕の同級生のヒカルだった。




