表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/25

第14話(ユウキ) 凍てついた時の中で語られる(1)

 いつのまにか僕は眠っていたみたいだ。はっと目を覚ます。顔を左に向けると、星を見上げるサクラがいた。集中力を乱すことなく、しっかりと目を開けて空を見つめている。そこにはきちんとした目的意識が感じられた。何をそんなに見ているのだろうか? どこかに気になる星でも見つけたのだろうか。外に出て、こうやって地べたに横になった経験がないと言う。彼女は未知の体験を思う存分楽しんでいるみたいだった。


「何だか眠っていたみたいだ」と僕は言った。それは自分でも意外なほどに小さな声だった。意図してそうなったわけではない、彼女の邪魔をあまりしたくなかったのかもしれない。彼女は何も言わなかった。僕もこれ以上は何も言わなかった。


 辺りはひっそりとしている。遠くの方で動物の鳴く声ももちろん聞こえない。こんなに静かな環境を味わったのは初めてのことだ。僕の周りにはこれまでたくさんの音が存在していたのだな、と痛感する。そして、やはり僕はうるさい場所よりも静かな場所にいる方が好きなのだな、と実感した。


「星を、数えていたの」とサクラは言った。


「星を?」


「そう」と彼女の顔がかすかに動いた。「私たちの、頭上には、いったいどれだけの数の星が、あるのかなって」


「で、今のところいくつくらい?」と僕は小さく訊ねた。


「二百は、超えていると、思う」と彼女は言った。その声には少し残念そうな響きが含まれていた。この短い期間に、僕はこの少女の微妙な声の変化がわかるようになっていた。「でも、そのあたりから、正確な数は、わからなく、なってしまう。だから、何度も、数えなおして、いるの」


「たいしたものだ」


 僕は遠くの星たちに想いを馳せてみた。彼らが普段、何をして過ごしているのか。空の上では何が起きているのか。どんな楽しいことがあるのか。


 星たちはもしかすると、僕ら人間を見張っているのかもしれない。おそらくは一つの星につき一人の人間を、だ。有能な星であれば、一度の複数の人間を担当するのだろうか。だがそういう例はまれで、大方は一人のみを担当する。


 彼らは担当した人間を、その人間の生涯が終わるまでずっと観察し続ける。人間が何か悪いことをすれば、そのつどメモ帳にでも書いておく。良いことをすればそれもメモ書きしておく。彼らは観察するのみで、別に人間が悪いことをしたとしても罰は与えない。ただ記録するのみなのだ。罰を個人で与える権利は、彼らには与えられていない。見張ることが、彼らの唯一の使命なのだ。


 その人間の人生に幕が下り、役目が終了すると、その星はメモしておいた良い行ない、悪い行ない、その他の行ないを細かに文章化して月に報告する。おそらくは何百枚にもおよぶ文書を作成してそれを提出するのだ。その仕事はとてもハードである。文書作成のあいだは寝る暇もろくに取れない。必死になって書かないと、きっと良い点数をもらえないのだ。星たちは個人で点数を持っていて、それが高ければ高いほど周りから尊敬を集めることになる。それだけのために、彼らは毎日十何時間もパソコンのキーボードを叩く。僕は手足の生えた星が、椅子に座って必死の形相でパソコンを睨む様子を思い浮かべた。何だか気持ちが悪くなった。


 洗練された言葉でつづられた文書が作成され、無事に月に提出し終えると、その星は以前に担当していた人間に関する記憶をすべて抹消される。そしてまた、新たな人間を担当する。彼らはそのようなサイクルで毎日を過ごしている。どの世界であれ、仕事というのはあるものなのだ。


 そういうことでいくのなら、星の数は世界の人口よりずっと多いのだろう。星にはまったく詳しくないのでよくはわからないのだが、肉眼で見える範囲だけでもかなりの数があるはずだ。全部を数えるのは無理である。考えればすぐにそれがわかることだ。にもかかわらず、少女は星を数えるのをやめなかった。彼女にとって、正確な星の数なんてものはどうでもいいのかもしれない。重要なのは、星を数えることそれ自体なのだ。そうすることで、世界のことを少しでもわかろうとしている。数えることを純粋に楽しんでいる。それは子供の持つ好奇心に似たものだった。彼女はまだ幼年時代の心を失ってはいなかった。僕はそれがとてもうらやましかった。


「わからない」と、やがて少女はそうつぶやいた。「どれほど、数えても、途中で、わからなく、なってしまう。もっと、頭が、良かったら、いいのに」


「そううまくはいかないよ。星を数えるのは難しいことだったんだ」と僕は言った。


「そう、なのかな」

「そうだよ」

「でも、気になる」

「……すごく楽しそうだね?」


「楽しい。すごく」と少女はこちらを向いた。そこには無表情ながら、わずかな喜びが感じられた。「やっている、ことは、なんてこと、ないのに、どうして、だろう」


「何にせよ、君が楽しそうで良かったよ。あまり女の子を楽しませるようなことは自分にはできないから」

「やっぱり、あなたに、ついてきて、正解、だった」


 彼女の瞳は、星と同じく宝石みたいに輝いていた。そういう眩しさを、僕はどこかで見たことがある気がした。けれども、過去の記憶は風化してしまっていて、どこでその眩しさを見たのかは思いだせなかった。


 ふと、名案が思い浮かんだ。


「こういうのはどうかな? 僕が右半分を担当するから、君は左半分を担当してほしいんだ。半分ずつなら、もしかしたらうまくいくかもしれない」


 彼女の目が少し大きくなる。「それは、良い、考え」


「それじゃあ、さっそくやってみようか」


「でも、どこからが、私の、担当?」と彼女は訊いた。


「どこからでも」と僕は言う。「君がそうだと思ったところが半分の境目だよ。僕はそれに従う」


 彼女は納得しかねる様子だったが、しばらくして再び星を見上げた。僕も上を向いて、星を数えはじめる。頭の中で空に線を引いて、そこを境界線とした。星はいくつもの光を地上の僕たちに見せていた。


 星を数える作業は困難だった。どうしても、百あたりを越えたところで頭が混乱してしまう。どれが既に数えた星で、どれがまだ数えていない星なのかがわからなくなってしまうのだ。数があやふやになるたびに、僕は最初から、境界線の付近から順に数えなおした。


 よく見てみると、星によってその輝き方が異なっていることがわかった。小さく点滅するように光る星もあれば、強い光を放ったまま動かない星もある。光の海にでも飛びこんだようだ。そのうちに僕は、空と自分が同化していくのを感じた。景色は薄れ、見えるのは夜空に瞬く星の群れのみになっていった。きっと、深い集中に身を任せているのだ。目的のもの以外は目に入らない。星の数を知るために、そして、彼女の喜ぶ顔が見たいがために、何度も何度も数えなおした。




 それから何時間かが経ったと思う。ずっと集中していたので、もうどのくらい経過したのかがわからない。ただ、ある瞬間にふと集中が途切れたのだ。それを機に、星を数えるのをやめてしまった。数えようとしても、うまく意識を向けることができず、十を超えたあたりでもう頭が混乱した。


 それから彼女とお互いに、数を報告し合った。僕が百三十九個で、彼女が二百八十個だった。ここまで明確な差をつけられるとは思ってもいなかった。そもそも、彼女がうまくいかないと言っていた二百個にすら届かなかったのだ。そのことが悔しかったが、とても楽しかったので何も言わなかった。


 そのあと、僕たちは何をするでもなく体の力を抜いてその場に寝そべっていた。わりと長時間集中していたせいで、うまくものを考えられない。さっき眠ってしまったので、眠気も感じない。すっかり覚めた頭で形を持たない何かを思い浮かべながら、僕は無言で空を眺めていた。


 少女に顔を向ける。彼女は目をつぶっていた。両手をお腹の上に置いて、やすらかな様子でくつろいでいた。その寝顔を、横からじっと見つめる。僕はそこに、言葉にならない温かさを感じた。彼女の隣にいることが、何だかとてつもない幸せに思えた。これがずっと続けばいいのにと切に思う。学校も何もない世界で、こうしていられたらどんなに幸福なことだろう。


 ……と考えていると、彼女が突然目を開けたので、僕はびっくりして目をそらした。別に目をそらす必要なんてなかったのだが、無意識にそうしていた。心臓が音を立てている。どうしてこんなにも興奮しているのだろう? 鼓動が収まるまで、結構な時間がかかった。


 ゆったりとした時間が流れる。肌をこする穏やかな風、かすかに聞こえる川のせせらぎ。そして星のまたたき。自然の美しさに浸っているうちに、僕はいつのまにか話し始めていた。


「僕はね、昔の記憶がないんだ」


 少女の姿勢を変える音がする。そちらを見てみると、彼女は体ごとこちらに向けていた。興味津々といった様子だ。でも僕は彼女と向き合う勇気がなかったので、天に向かって語りかけるように言葉を紡いだ。


「正確には、僕が小学生だったころの記憶がない。かろうじて小学六年生の卒業間近のころの記憶はあるんだけど、それより過去のこととなると、まるで思いだせないんだ。子供時代の記憶を探ろうとしても、そこだけぽっかりと空白になっていて、探しようがない。僕の人生は、小学六年生から、もっと言えば、中学に入学したときから始まった。最初はとても苦労したよ。みんなにとって当たり前のことが僕にはわからなかったからね。勉強も一からやり直さなければならなかった。当然成績は悪かった。中学校までは何とかなったけど、高校に上がったらもうさっぱりだった。それはあるいは、僕がもともと頭のよくない少年だったからなのかもしれないけど」


 そこで一呼吸置いた。


「友人にもあまり恵まれなかった。僕の周りにいる人たちは、僕を避けるようになっていった。それはきっと、僕がわからないことをどんどん質問していたからだと思う。気になることがあったら何でも、しつこいくらいに質問していたんだ。知らないことが多すぎたからね。それを面倒に感じたのか、かつて記憶を失う前の僕と仲の良かった人たちは、次々に離れていった。でも、それでも辛抱強く僕をサポートしようと努めてくれた人もなかにはいた。彼らのおかげで、僕はあのつらい時期を乗り越えることができたんだ。彼らにはとても感謝している」

「その人たちとは、今でも、仲が、良いの?」


「どうだろうね」僕には断定できなかった。「一人だけ、僕のことをとても心配してくれている人はいるけど、あとの人たちはほとんど事務的に僕に接しているだけだよ。これまで親切にしてきたから、これからもとりあえず気遣っていよう、というようにね。そういうことを明言したわけじゃないんだけど、見ていたらそれはいやでもわかる。僕はそのことで悲しんだ。それで、もしかすると今でも親切なあの人でさえ、僕のことを疎ましく思っているんじゃないかって想像をしてしまう。で、最近は誰とも仲良くしていない。僕の方から話しかけることはほとんどなくなってしまった」


「通う、学校を、変えたりは、しなかったの?」

「うん。記憶がないってだけで、知能に異常は見られなかったからね。それに、一度覚えていた知識は、見直したときにすぐに思いだせたから、勉強さえすれば問題はなかった。勉強さえすればね……」

「あまり、勉強は、しなかった」


「まあ、そうだね」と僕は笑う。「僕は面倒なことが嫌いだった。そのせいで、知識を詰めなおす作業にあまり熱が入らなかったんだ。今は全然違うけど、もともとはみんなと一緒に騒ぎながら勉強をする方が好きだったんだろう。だから、一人で暗記するよりも、わからないことをそのつど訊ねながらだんだんとまとまった知識を得ていく方が性に合っていた。うまくはいかなかったんだけどね。おかげで中学時代は今でもトラウマになっているよ」


「どうして、記憶を、失ったの」

「そのことははっきりとは思いだせない。過去の記憶と一緒に、そのときのことは消えてしまった。知っている人に聞いても、僕の身に何が起こったのかはわからなかった。どうしてか、誰も知らなかったんだよ。気がついたときには記憶のない状態になっていた。でも、おぼろげには残っているんだ。経験として、実感としてわずかに記憶に残っている。それが、僕にとって強烈な衝撃を与えた何かだということは確かだ。激しい心のざわめきの中で、自分が失われていく感覚があったことだけは覚えている。でも、それが具体的にどんなことなのかまではわからない。とにかく何かが起こって、そのせいで記憶が吹き飛んだ」


「そう」と彼女は言った。そのあとに続く言葉はなかった。その代わり、少女はこちらにより一層近づいてきて、僕の手を握った。僕は彼女を見つめ、彼女は僕を見つめていた。僕たちは長いことそんな状態を保っていた。


 やがて彼女は手を離した。そして、「そろそろ、行く?」と言った。そういえば、もとは歩いた疲れを回復するためにここに寝そべっていたのだった。もうとっくに疲労はなくなっている。彼女が体を起こしたので、僕もそれにつられて立ちあがった。


「そうだね。早く探し物を見つけに行こう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ