↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/25

第15話(ユウキ) 凍てついた時の中で語られる(2)

 僕たちは川沿いを歩いた。ここが気に入ったということもあるし、ここを歩いていけば何かがあるはずだという根拠のない自信があったからだ。特に危険なことは起こりそうになかったので、僕たちは散歩でもするようにのんびりと歩いていった。


 サクラは僕の左斜め後ろについてきている。手を後ろで組んで、若干下を向いて。彼女の方からしゃべりかけることはほとんどなかった。大体僕の方から話しかけた。しかし、彼女の返事はそっけないものだった。何か考えごとでもしているのだろうか。いつにもまして上の空の様子だった。


 進行方向の右には閑静な田舎の町が、左にはたくさんのビルが立ち並ぶ都会の町が見える。見た目はずいぶんと違うが、どちらも光を失っているという点では一致していた。世界は完全な暗闇に閉ざされてしまっている。僕たちを照らしてくれるものは、月以外に何もなかった。月が照らし、星が観察するのだ。星たちは一つにつき一人の人間を担当し、その行動を事細かに監視する。僕の担当をする星は、今頃は「午前四時二十六分、彼はサクラという少女と共に川沿いを歩く。目的は不明。何か落し物でも探しているようにも見える」などとメモしているのだろう。いつもは暇にさせているぶん、今日はたくさん働いてもらう必要があった。まだまだ冒険は続いている。彼にはその詳細をきちんと報告してもらわなくてはならない。


 でもあるいは、星たちも時を止められているのかもしれなかった。月が動かないのだから、星だって動いていない。動けないのだからメモができない。だとすれば、今夜起こったことは絶対に報告されないのだろうか。それは残念なことをしたと思う。この冒険をきちんとした文書として提出すれば、彼の評価は上がっただろうに。


 ……くだらない妄想だった。真面目に考えれば、星が文書を作成するなどありえないことだ。僕はときどき、自分でも驚くほどの突飛な想像をしてしまう。治そうとは前々から思っていたのだが、どうしても治すことができないでいた。


 妄想するのをやめ、現実に立ち返ると、空気が張り詰めていることに気づいた。肌寒いのは前からだが、その冷気がより鋭いものになったような感じがする。もしかすると、サクラが考えているのはこのことについてなのかもしれない。僕たちは意識的に歩く速度を速めた。


 そして、久しぶりにあの感覚がやってきた。誰かに睨まれているという感覚だ。僕たちの後ろからそれは感じた。良く手入れされた刃物をこちらに向けるように、彼は僕たちを凝視していた。足がうまく動かせなくなる。歩く姿勢も、何だか変になってしまう。全身に鳥肌が立っているのを感じる。


 サクラという少女は、この視線に対してどのような反応をするのだろう? やはり人並みに恐怖するのだろうか。彼女を見てみるが、表情はまるで変わっていない。外見上は何も感じていないように見えた。動きに関しても、特に不自然な点は見られない。目だってしっかりと見開かれている。だが、こちらを見る僕に気づくと、彼女はタッタッと走ってきて、ぴたりと隣に寄り添った。視線の存在は認識できているらしかった。彼女のおかげで、僕の動きはよりぎこちなくなった。動きにくいとかではなく、単に緊張で、だ。


「あちらからは、何の危害も加えてはこない。だから、大丈夫だと思う」と僕はささやいた。彼女はかすかにうなずいた。


 後方からは、殺気立ったオーラが湯気のように漂っている。何度も後ろを確認するのだが、あるのはそのオーラだけで、人らしき姿はない。もしその姿が見えるとしたら、それはきっと大男なのだろうなと思った。それも人間離れした大きさを持つやつだ。体は三メートル近くあり、人間一人くらい簡単に片手で掴めるほどの腕力を有している。木の板くらいはかみちぎれるほどの丈夫な顎を持ち、力士の突っ張りにも耐えうるほどの内臓と腹筋を備えているような、言ってしまえばこの世のものではない化け物だ。そう思わせるくらい、強くて巨大なプレッシャーが感じられた。


 彼女は何としても守らなければ、と思った。僕だけならいいが、彼女をも危険な目に会わせるわけにはいかない。今のところはどこにも逃げ隠れできる場所がなかったので、彼女の恐怖を少しでもやわらげようと、僕は彼女の肩を抱く。その背中を守るようにして先を急ぐ。だが、彼女の肩は全然震えていなかったので、僕が心配しすぎているのかもしれないとも思った。僕よりも、サクラの方がよほどしっかりしているみたいだった。


 足が止まってしまった。僕と彼女はほぼ同時にその場に停止した。前方からも、殺意を込めてこちらを睨む化け物が来ていたからだ。背中を指でなぞられるような震えが走った。頭は真っ白になった。


 やはり姿は見えない。しかし、だからこそその恐怖はおぞましいものだった。何も見えないのだが、どんどん接近する何者かがいるのだ。スピードはそれほど速くはないものの、確固たる意志を持って、それは僕たちに近づいてきていた。僕が一人だったころにはなかったことだ。あのとき、化け物は一人しか確認できなかった。僕がサクラの家に避難しているあいだに、仲間を呼んだのだろうか。いずれにせよ、このままでは前と後ろとで挟み撃ちにされることは間違いなかった。


 どうすればいいのかがわからず、その場から動けない。まともに思考できなくなっているようだ。何とかしなければと思うのだが、策が見出せない。焦りは膨れ上がるばかりだった。


「ん……」


 いつのまにか、頬に冷たい感触があった。そのおかげで少し冷静さを取り戻す。冷たい方の頬を触ろうとすると、そこには手が置かれていた。これはサクラの手だ。隣からこちらに手を伸ばしているのが見える。混乱する僕を、なんとかして落ち着かせようと思ってくれたらしい。


「ありがとう、サクラ」


 そう言うと、彼女は手を頬から離した。


 僕は右手にそびえる土手を見つめる。逃げるにはもうここしかない。初めからわかりきっていたことだ。サクラがいなかったら、僕はこんな単純なことすらわからなかっただろう。彼女の行ないに感謝しつつ、僕は坂を登っていった。左手で彼女の手を握りながら。傾斜はわりときつく、上まで行くのに相当の体力を要した。慌てていたせいもあり、途中で転びそうにもなった。どうにか登りきると、僕は彼女を引っ張るようにして田舎町に逃げこもうとする。


 だが、またしても行く手を化け物に阻まれた。通ろうとした道の真ん中に、こちらを睨む姿なき者が立っていたのだ。こっちにはもう逃げられないのか? そして、相手はいったい何人いるというのだ。いろいろと文句をつけてやりたかったが、そんな暇はない。僕たちはその道に進むのをやめて左に曲がり、川に沿って走っていった。こちらの地域はもう駄目だ。だとすれば、逃げるのはあちらしかない。


 全力で走り、二つの地域を結ぶ鉄橋に辿り着く。この橋はいつも渡っているものとは違うものだった。形状が違うし、周囲の町並みも違う。すぐさまそこを渡ろうとするが、彼女の息遣いが聞こえたので止まった。無理やり引っ張っていったせいで、彼女はつらそうに息をついている。悪いことをした。だが、今は逃げることが先決だった。僕たちの通ってきた方向からは嫌なオーラを纏った影の住人が着実に距離を縮めてきている。僕は震える脚を平手で叩いてから、橋を渡った。そのあとに少し遅れて彼女も来る。心境的にもつらいが、ここは彼女には頑張ってもらわなくてはならない。


「まだ、走れる?」橋を渡ったあとで、彼女に訊ねる。残酷な質問だ。これでは彼女に、さらに走ってもらうことを強要しているようではないか。彼女は健気にうなずいてくれた。僕は内心自分のことが嫌になりながら、彼女をつれて都会の町へと入っていった。


 田舎町と比べて、ここは流れる空気からして違っていた。うまく言葉にできないのだが、都会独特の空気に満ちている。だがそれに浸(ひた)っているわけにもいかず、僕たちは大通りを全力で走った。とにかく、走ることだ。なるべく追手との距離を離すこと。途中、喫茶店やコンビニ、大きなビルなどを横切るが、それらはすべて明かりがついていなかった。


 だいぶ来たところで脇にそれ、裏道に入る。早いうちに身を隠しておきたかった。様々な建物が並んでいるため、幸い隠れ場所はかなりある。うまくいけば相手を撒くこともできそうだ。僕たちは適当に道を曲がりながら奥の方へと進んだ。


 体力的にもきつくなってきたので、きりのいいところで立ち止まる。周囲を見渡して、隠れられそうな場所を探した。


「あそこ……」


 サクラがある一点を指して言った。そちらに目を向ける。少し離れたところに、大きなビルが見えた。あそこの影に隠れてしまえば、しばらくは安全が約束されそうだ。


「よし! 本当にありがとう。君には迷惑ばかりかける」


 彼女は何かを言おうとしたが、結局何も言わなかった。


 僕は彼女を引っ張ってその建物の近くに行こうとした。だが、そうすることはできなかった。サクラがその場に座りこんでしまったからだ。


 僕は自分自身をひどく憎んだ。逃げることばかり夢中になって、彼女に大変な無理を強いてしまった。もっと彼女のことをおもんばかるべきだったのだ。僕はそのとき、自分の舌を噛み切ってやろうと思った。冗談ではなく、本気でそう思った。だが、それでは彼女がピンチになる。僕はどうなってもいいが、彼女だけは守らねばならない。


 とりあえず、あそこまで移動しなくてはならない。ここも見つかりにくい場所ではあるだろうが、まだ危険は残っている。


「背中に乗って」


 僕は彼女に背中を向けてしゃがんだ。安全地帯までなら、人一人を背負って走ることもできそうだ。それに彼女は、おそらく軽い。さほど苦労なく背負うことができるはずだ。背中からはすぐに人の温もりが覆いかぶさってきた。じんわりとした温かさで心地良い。僕は彼女が落ちないよう手で脚を支えて、立ちあがった。同時に走り出す。彼女の脚は細く、しかしやわらかかった。その感触はより一層彼女を守らなければという思いに変換された。


 建物の影に逃げ込む。月の光も届かない、ほとんど何も見えない場所だ。高い建物に挟まれたようなところで、道幅は一、二メートルしかない。暗くてじめじめした路地裏である。もし彼らの視力が人間並みであれば、ここに人間が隠れていることは一目見ただけではわからないだろう。僕は彼女を下ろし、深呼吸をする。久しぶりの激しい運動で、全身が麻痺しているみたいだった。


 壁にもたれて、そのまま座りこむ。しばらくの休憩が必要だった。ここにいれば結構な時間稼ぎができる。そのあいだに、どうすればよいかを考えなくてはならない。ここにいるだけでは何の解決にもならないのだ。


 しかし、今だけは、何も考えずにゆっくりしていたい。そう思いながら、上を見る。立ち並ぶ建物のせいで、ほんの一部しか空は見えなかった。そこに月はなかった。


 いつのまにかサクラが隣に来ていた。僕の肩に体をあずけ、目をつぶっている。ここまでお疲れ様、と言って彼女の頭を撫でてやりたかったが、寸前になって気恥ずかしくなってやめた。そんなことができるのは漫画の世界の住人だけだ。僕にはとてもできそうにない。


「ここまで、ごめん」


 やっと僕はそれだけを言って、煙草の煙でも吐くみたいに長く息をついた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。